「セタンタ……、クー・フーリンの幼年期の目撃情報、か」
地方都市のトンネルでの激闘から明けた、翌日の昼下がり。
警察署の薄暗い作戦室でデータベースを更新しながら、エミヤは複雑な表情で端末の画面を見つめていた。
画面の隅に表示されているのは、付近の防犯カメラが捉えた、少年の不鮮明な静止画。しかしそこから放たれる闘争の気配は、紛れもなくあの「猛犬」のものだった。
その隣でバゼットも同じように視線を落とし、重々しく、しかしどこか労わるような口調で応じる。
「ええ。ですがエミヤさん、この問題の解決はあえて後回しにしましょう。相手はまだ、神話の影に呑まれたばかりの『子供』です。大人の姿の依代を先に片付けながら、少年を傷つけることなく、穏便に無力化・保護する解決方法が見けましょう。」
「……そうだな。それが賢明だ」
エミヤは短く同意した。
それは、紛争地域で銃を持つ少年兵たちのためにスープを煮込んできたエミヤの譲れない優しさであり、社会の秩序と人命を守るバゼットの警察官としての良心だった。大人たちが泥を被り、怪異を処理すれば、あの少年と戦わずに済むはずだ――。
しかし、その「大人の配慮」こそが、アイルランドの猛犬のプライドを最も激しく逆撫ですることになる。
――その日の深夜。
「おいおいおい、テメェら! 俺を置いてけぼりにして、随分と派手に盛り上がってくれたじゃねえか!」
人工的な静寂に包まれた警察署の裏手、資材置き場のコンクリート。不穏な魔力の高まりを察知してエミヤとバゼットが駆けつけた時、そこには一人の少年がポツンと立っていた。
小柄な体躯。しかし、全盛期の面影を色濃く残す不敵な深紅の瞳。クー・フーリンの幼少期の姿の神童――セタンタだった。
「後回しにされてるってことはよ、舐められてるってことだろ? ディルムッドも団長もフェルグスも全滅させたらしいな。なら――俺がこの『
セタンタは少年の無邪気さの中に、狂暴な戦士の牙をギラつかせ、手にした剣をスラリと引き抜いた。少年の細い腕から放たれているとは信じがたい、コンクリートを爆破しかねない神速の魔力が夜気をも歪めていく。
「待つんだ、セタンタ。私は君と戦いに来たわけじゃない。単刀直入に言おう。君たちのトップの居場所を教えてくれないか?」
エミヤはあえて武器を投影せず、手のひらを前に向けて一歩前に出た。子供を殺したくない。できれば峰打ち、あるいは傷を一つもつけずに保護したい。その自縄自縛の甘さを、セタンタは見逃さなかった。
「舐めるな!知りたきゃ、俺に勝ってからにしな!」
セタンタの小柄な身体が爆発的な推進力で地を蹴った。
(速い――! ランサーに劣らない、いや小回りが利く分それ以上の敏捷性だ!)
風を切り裂き、セタンタの鋭い剣戟がエミヤの顔面へと肉薄する。エミヤは強化魔術で底上げした反射神経で辛うじて身をかわすが、少年のステップは変幻自在だ。
手加減をして峰打ちで捉えられるような生易しい相手ではない。しかし、エミヤは直接彼に刃を向けることを頑なに拒んだ。エミヤが選択したのは、戦闘のプロとしての冷徹な
バチバチと火花が散る。エミヤはセタンタの肉体を狙うのではなく、彼が次に踏み込むであろう超神速の動線を完璧に先読みし、その地面に向けて「細い模造刀や矢」を無数に投影し、直接コンクリートへと突き刺していった。
ガガガガガッ! と鉄の針山のようにせり上がる模造剣の壁。
「おい、直接刃を向けろよ! なんだよその小細工は!」
セタンタが少年らしい怒りの声を上げる。自分の超神速のステップが、突如現れた鉄の障害物によって強制的に制限され、足の踏み場を失っていく。鋭い跳躍も、鋭角な方向転換も、エミヤの敷き詰めた鉄の檻によって歩幅を狭められていく。
セタンタが「なら、上から――」と跳躍しようとしたその瞬間、エミヤの手のひらで、現代兵器の構造を完全にコピーした「
視界を遮る濃密な白煙、そして網膜を激しく灼く超高光度のフラッシュ。どれほど野生の勘が優れていようとも、セタンタは現代の非致死性兵器の暴力によって一瞬にして三半規管と視界を完全に狂わされた。
「しまっ――」
セタンタの動きが完全に止まった、その刹那。
白煙を切り裂いて、弾丸のような速度で滑り込んできたのは、警察官の制服を纏ったバゼットだった。
彼女はマナナンの神速の身体能力を、今回は「殴り倒す」ためではなく、「相手の骨を折らずに動きを完全にロックする
セタンタが本能的に放った目暗ましの剣の軌道を、バゼットはルーンで硬化させた前腕の防具でガギィィン! と強引に受け止める。火花が散る。その衝撃をいなしながら、バゼットの手がしなやかに少年の細い手首を掴んだ。
「
鮮やかな合気道と柔術の融合。バゼットは自らの質量と警察官としての卓越した逮捕術を使い、セタンタの手首を捻りあげ、そのまま冷たいコンクリートの床へと完璧に引きずり下ろした。
「う、動けねえ……っ! クソ、離せよ!」
セタンタが地面に縫い付けられ、もがく。その瞬間、死角からエミヤが素早く駆け寄り、魔力を編み込んだ特殊な縛縄で、セタンタの四肢を一切の傷をつけることなく完璧に緊縛した。
「……終わったよ。怪我はないかい、セタンタ」
額の汗を拭いながら、エミヤはあくまで「保護した大人」として、警戒を崩さずに声をかけた。傷を一つもつけずに神童を確保する、という超難度の特殊部隊的ミッションが達成された瞬間だった。
セタンタはしばらく悔しそうに縄を噛んでいたが、やがて「ちぇ、お前らの連携はえげつねえな……。やれやれ、降参だよ」と、二人の圧倒的な現代戦術の凄さを認め、潔く警察署の地下へと連れて行かれた。
警察署の暗い取調室。
椅子に縛り付けられたセタンタを前に、エミヤは静かに語りかけた。
「セタンタ。君が、三連神を模倣して3分割されたクー・フーリンの魂の一つだな。バーサーカーのクー・フーリンの居場所を教えてほしい。彼がこの階級闘争の黒幕なのだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、セタンタは一瞬きょとんとした顔をした後、お腹を抱えて大笑いし始めた。
「ははは! ギャハハハ! なんだよそれ、お前ら誰にそんなデタラメ吹き込まれたんだ!? 腹痛ぇ!」
エミヤの灰色の瞳が、鋭く不審に跳ね上がる。
「デタラメ……? 司令塔のグリムから聞いた。クー・フーリンは魂を多面性ゆえに分割して――」
「バーカ! 俺はクー・フーリンの3分割された魂の一つじゃねぇよ。ランサー・バーサーカーの他にもう一人、『キャスター』っていうのがいるんだよ。」
「――っ!?」
エミヤとバゼットの背筋に、氷水を浴びせられたような激しい戦慄が走った。
「そんなわけが――グリム、どういうことだ?......まさか......! 応答しろ、グリム!」
エミヤが焦燥に駆られてインカムのスイッチを激しく叩くが、帰ってくるのはザァァーという無機質なノイズだけだった。
二人は取調室を飛び出し、地下の医務室へと駆け込む。
だが、そこにはもう、あの安っぽい鼻メガネもパーティ帽もなかった。
ぬけがらのように静まり返った暗い部屋の中、モニターの明かりだけが、ケルトの血でドクドクと赤く染まりきった日本の霊脈のデータを、二人の絶望をあざ笑うかのように虚しく映し出していた。
「オルタの居場所は教えねえ!」
警察署の取調室。椅子に縛られたまま、セタンタはぷいとへそを曲げて顔を背けていた。ケルトの戦士としての意地が、少年の頑なな口を閉じさせている。
だが、その鼻腔を、あまりにも暴力的で香ばしい匂いが貫いた。
エミヤが手際よく――昨日の祝勝会で余った食材を完璧に保存し、調理し直した――ジューシーな肉のソテーと、甘い特製ショートケーキの皿を机に並べたのだ。
「……っ。こ、子供扱いして、食べ物で釣ろうってのか!」
セタンタはゴクリと喉を鳴らし、睨みつける。だが、漂うプロの料理の匂いには勝てず、最終的には「……残すのは行儀が悪いからな!」と言い訳しながら、猛烈な勢いで平らげてしまった。
皿を舐めるようにして完食したセタンタは、口元を手の甲で拭うと、ニシシと生意気な笑みを浮かべる。
「ケッ、美味かったから教えてやるよ。だが、オルタの場所は絶対教えねえ。ランサーの居場所だけだ。あいつ、歌舞伎町の裏の寂れた酒場に入り浸ってやがるんだわ」