セタンタから得た不穏な情報を頼りに、エミヤは独り、夜の歓楽街の最奥へと足を踏み入れていた。バゼットは作戦のバックアップとして、周囲の通信遮断と一般人の避難誘導のため、外周の闇に潜んでいる。
重い鉄の扉を押し開けると、そこは騒音と熱気が渦巻く、荒くれ者たちの吹き溜まりのような酒場だった。
中央のカウンターで、乱暴に大ジョッキを傾けているのは、青い髪の男――ランサー。周囲のゴロツキどもは、圧倒的な武力を持つ彼を「兄貴」と慕い、機嫌を取るように取り囲んでいる。
エミヤが踏み込んだ瞬間、自分たちの縄張りには似つかわしくない、赤い外套を纏った男の登場に、店中が水を打ったように静まり返った。荒くれ者たちの無言の、刺すような視線がエミヤに一斉に集まる。
エミヤは周囲の威圧を一切無視し、ランサーの背中に向けて、感情を完璧に削ぎ落とした冷たい声を投げかけた。
「――見つけたぞ。こそこそ我々から逃げているのか?」
「……あァ?」
ランサーの肩がピクリと跳ね上がり、大ジョッキがカウンターに叩きつけられた。中身のビールが激しく飛び散る。
エミヤの「逃げているのか」という、戦士の誇りを極限まで踏みにじる冷徹な挑発。ランサーの深紅の瞳に、獰猛な殺意の火花が爆発的に燃え上がった。
「表に出ろ。ただ効率が悪いからお前らの討伐を後回しにしてただけで、時間をかければいつでも肉塊にできるってところを、今すぐその身体に教えてやるよ」
「いいだろう。
エミヤは淡々と告げ、ランサーをネオンの光も届かない、ゴミ箱と配管が剥き出しになった暗い裏路地へと誘い出した。
だが、ランサーが「一騎打ち」という言葉にニヤリと不敵な笑みを浮かべた時点で、エミヤの冷徹な謀略はすべて完了していた。
バゼットをあらかじめ裏路地の死角に潜伏させ、さらに左右のコンクリート壁や湿った地面、配管の影には、『透明化』および『擬態』の魔術を施した無数の投影剣や、ロー・アイアスの破片を事前に満載していたのだ。
「
裏路地に足を踏み入れた瞬間、ランサーの赤い魔槍が稲妻のような速度でエミヤの喉元へ迫った。エミヤは「干将・莫耶」を交差させ、火花を散らしながら受け流すが、真っ向勝負での英霊の質量は絶望的だ。数手交わすごとにエミヤの双剣はボロボロに砕け散り、肉体が悲鳴を上げる。
エミヤを完全に壁際まで追い詰め、ランサーが邪悪に口元を歪めた。槍の穂先が不気味な血の色に明滅する。心臓を穿つ因果の呪い――ゲイ・ボルグの構え。
「死ねやァ!」
「――かかったな」
エミヤが冷徹に呟き、指を鳴らす。
次の瞬間、ランサーが突撃のために踏み込もうとした足元の地面、そして槍を突き出しようとした左右の空間から、事前に配置されていた強固な大剣と鉄の防壁が一瞬にして『実体化』し、ガギィィン! と激しい金属音を立ててせり上がった。
「なっ……!?」
物理的に槍の動線を強引に塞がれ、無理な体勢での対応を強いられたランサー。ゲイ・ボルグの前提となる「正しい姿勢と間合い」を強制的に狂わされ、必殺の呪いは不発。槍の柄がコンクリートの壁を激しく叩き、ランサーの体勢が大きく崩れた。
その刹那の隙を、影に控えていたバゼットが見逃すはずがない。
「はぁぁぁっ!!」
弾丸のような速度で死角から飛び出したバゼットの、マナナンの神速を乗せたルーンの鉄拳が、ランサーの顔面へと容赦なく炸裂した。
ドゴォォン!! という凄まじい衝撃音。
ランサーの身体は派手に吹き飛び、ビルのひび割れたコンクリート壁に背中から激しく叩きつけられた。壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
ランサーは血を吐きながらも、壁に手を突き、自分の身体が泥濘に倒れ伏すことだけは拒むように必死に踏ん張った。そして、髪を振り乱しながらエミヤを激しく睨みつける。
「お前……! 一騎打ちだと言ったはずだ! どこまで卑怯な真似を……っ!!」
怒りと裏切りの絶望に震えるランサー。そんな彼を、エミヤは感情を一切消し去った「冷たい瞳」で見下ろした。
「一騎打ち? 勘違いするな。これは戦闘ではない。ただの『害獣駆除』だ。罪のない一般人々を自分の階級のために儀式の犠牲にした君の最期には、これがお似合いだ。――英雄の誇りなど、そこいらの犬にでも食わせておけ」
エミヤは己の卑怯さを一切否定せず、むしろ悪を狩るためならいくらでも泥を啜ると冷徹に正当化してみせた。
英雄としての格式も、戦士としての誇りも与えられず、最後は一騎打ちでも何でもないなぶり殺しのような罠に嵌められた。
ランサーは、そのあまりにも不名誉で屈辱的な現実に、悔しさと怒りで脳が狂いそうになりながら、夜の路地裏に激しい呪詛の絶叫を響かせ、光の粒子となって退去していった。
ランサーが屈辱の絶叫と共に消滅した裏路地には、彼の身に着けていた青い戦衣の残滓だけが、夜風に虚しく揺れていた。
エミヤはその場に残されたわずかな魔力の軌跡を辿り、ランサーの魂が還っていった方角――すなわち、この異常な『階級闘争』の心臓部にあたる座標を完全に掴み取った。
グリム が警察署から姿を消す直前、意図的にデータベースへ残していった隠しファイル。そこには、ある雑居ビルの防犯カメラの映像が収められていた。
完璧なプロポーションを持つ美女――スカサハが、一般の人間を冷酷に儀式の
バゼットが警察組織の通信網を駆使して周辺の裏社会の動向を洗うと、生々しい実態が浮かび上がった。
「……間違いないわ。彼女が入り浸っているあの雑居ビルの地下には、多重債務を背負った体育会系の荒くれ者や格闘家たちが、一攫千金を夢見て、あるいは脅されてエントリーさせられている『闇の地下闘技場』が存在する」
世間の秩序の裏側で、神話の英霊たちが現代の欲望を貪りながら構築した血の巣窟。エミヤとバゼットは、その地獄の門を叩くべく、深夜の歌舞伎町の外縁へと急行した。
しかし、目的の雑居ビルに近づく手前、街灯の白い光が容赦なく周囲を照らし出す「開けた広場」に差し掛かった時、二人は足を止めざるを得なかった。
遮蔽物となるゴミ箱も、身を隠せる配管の死角も、建物の影すらも存在しない、完全に見通しの良いコンクリートの平地。その中央に、まるでファッション雑誌の表紙からそのまま抜け出してきたかのような完璧な美女が、静かに佇んでいた。
その手には、神代の殺意を宿した二本の紅い魔槍――ゲイ・ボルグ・オルタナティブ。
「この前は、不肖の弟子が随分と世話になったな。……ずいぶんと卑怯な戦い方をする弓兵だ」
スカサハは、エミヤを射抜くような冷徹な瞳で見つめ、艶然と微笑んだ。
彼女は、愛弟子であるランサーが裏路地でエミヤの『事前の罠』に嵌められ、無惨に圧殺された瞬間をその智慧ですべて観察していたのだ。
だからこそ、エミヤが事前に模造刀を隠す「物陰」も、死角から狙撃するための「死角」もない、この開かれた死地をあえて戦場に選んで先回りしていた。エミヤの得意とするゲリラ戦術は、戦う前から完全に封殺されていた。
「チッ――!」
エミヤの手元で火花が散り、「干将・莫耶」が投影される。だが、不意打ちもハメ技も使えない完全な真っ向勝負だ。
スカサハが地を蹴った。その武の練度は、これまで戦ったどの英霊をも遥かに修羅の如く凌駕していた。
紅い槍が一閃する。エミヤが交差させた双剣は、防壁として機能する暇すら与えられず、金属の悲鳴を上げて一撃で火花と共に木っ端微塵に粉砕された。砕け散った刃の破片が、街灯の光を浴びてキラキラと舞い散る。
「くっ……あぁっ!」
間合いを詰めることすらできず、エミヤの肉体は次々と深く切り裂かれていく。圧倒的な武の絶望。
「エミヤさん、下がってください……! 」
背後から割って入ったのはバゼットだった。彼女は自らの肉体と理性がマナナンという強大すぎる神格に呑まれていく劇物のような呪いを自覚しながらも、限界を超えて力を解き放った。
神速のフットワークで、バゼットはスカサハの槍の死角へと鋭く滑り込んだ。ルーンで硬化させた両拳が、魔槍の柄と激しく激突する。
ドガガガガァン!! と、開けた広場に爆音のような衝撃波が吹き荒れ、風圧で周囲の看板がガタガタと激しく揺れた。スカサハの天才的な武芸が、バゼットの放つ「マナナンの拳」を紙一重で受け流し、完全なトドメの刺突へと移行しようとした、その刹那――。後方に下がっていたエミヤの灰色の瞳が、冷徹に光った。
(小細工が通じない平地なら――この場所そのものを、最大の罠に変えるまでだ)
エミヤが虚空から引き抜いたのは、剣でも矢でもない。中東の戦場で幾度となくその構造を解析し、投影の精度を極限まで高めていた現代兵器――「
エミヤはそれを、スカサハの視界のド真ん中へと正確に投擲し、炸裂させた。
キィィィィン!! という鼓膜を凝固させるような爆音と、数百万カンデラの超高光度フラッシュ。
どれほど神域の武を極めたスカサハであっても、遮蔽物のない開けた平地だからこそ、網膜を100%焼き尽くす現代の「光の暴力」からは絶対に目を逸らせない。一瞬にして、スカサハの世界が完全な白一色へと染め上げられた。
「――っ、これは……!」
神の反射神経すら上回る刹那の盲目。その「光の罠」に完璧に連動し、バゼットの魂を込めたカウンターの鉄拳がスカサハの胸元へと直撃、その防具を粉砕する。
同時に、限界以上の踏み込みを見せたエミヤの「干将・莫耶」が、その隙を突いてスカサハの肉体を深く、正確に突き穿った。
大量の鮮血が彼女の美しい肢体を濡らす。しかし、致命傷を受けながらも、スカサハの口元に浮かんだのは、怒りでも屈辱でもなく、すべてを見届けた「師」としての、どこまでも穏やかで満足げな微笑みだった。
「見事だ、弓兵。マナナンの娘よ……。お前たちが『
「神の天秤など、お前たちのその『人間のエゴ』で叩き潰して見せよ――」
誇らしげにそう言い残し、彼女は満足そうな笑みを浮かべたまま、夜霧の向こうの影の国へと還るように、美しく光の粒子となって消滅していった。