「なんで子供だからって入れねえんだよ! ふざけんなよ、この頑固頭!」
地下闘技場の重い鉄扉の前で、セタンタは顔を真っ赤にして駄々をこねていた。この時ばかりは影の国で修業した戦士ではなく、ただの子供のように理不尽な規約に憤っている。秘密部署で拘束を解いたセタンタが、エミヤとバゼットを追って地下闘技場まで駆けつけてきたのだ。
神話級の目立つ戦いを繰り広げて、これ以上一般市民の目に魔術の存在を触れさせたくない――。それが、警察の秘密部署が抱える冷徹な絶対条件だった。
そのため、エミヤは「多重債務を抱え、一攫千金を夢見るしがない総合格闘家」の形式に則って、正式にトーナメントへエントリーしていた。
しかし、この血生臭いアングラな空間は『女性・子供のトーナメント出場禁止』が絶対のルールだ。
バゼットは「何のためにここまで命を削って来たと思って……」と悔しさに奥歯を噛み締めた。
そして、セタンタが闘技場内で駄々を捏ねる場面を目撃したバゼットは慌ててセタンタの細い手を強引に引いて、渋々観客席のチケットを購入し、最前列のシートへ着席した。
鉄格子に囲まれたリングの周囲は、血に飢えた観客たちの怒号と、生活や金のために文字通り命をかける男たちの必死な熱気に満ちていた。
エミヤは並み居る荒くれ者たちを、魔術を極力隠した戦闘プロの老獪な体術で下し、ついに決勝の舞台へと上り詰める。
だが、リングの対面に現れた最後の敵が姿を現した瞬間、場内の喧騒が嘘のように凍りついた。
そこにいたのは、人間社会に溶け込めるはずもない、異形のフォルムを持った大男――クー・フーリン・オルタ。
ギザギザの牙を剥き出しにし、禍々しい漆黒の尻尾をコンクリートの床に打ち付けるその姿は、歩く天災そのものだった。
魔術の使えない人間たちをワンパンで肉塊へと屠り続け、このアングラ闘技場の「最終関門」として君臨していた怪物は、対面に立つエミヤから漂う濃密な魔力と戦闘の気配を察した瞬間、退屈を吹き飛ばされたように獰猛に笑った。
それを見た特等席のメイヴは、狂喜乱舞した。
「クーちゃんが笑った! やっと、やっと私のために笑ってくれたわ!」
暗い闘技場の中で、彼女が振り回す「クーちゃん命」と書かれた手作りの団扇と、不気味に発光するピンクのペンライトが、異常なテンションの歓声と共に激しく揺れ動く。
この命懸けの死闘と、推し活のビジュアルがもたらす狂ったギャップが、凄まじいホラー感を醸し出していた。
ゴングが鳴った瞬間、クー・フーリン・オルタの漆黒の尻尾が鞭のようにしなる。
エミヤは即座に「干将・莫耶」を投影してガードしたが、人間の枠を遥かに超えた神話級の質量に肉体ごと弾き飛ばされ、闘技場のコンクリート壁へと激しく激突、叩きつけられた。壁にバキバキとひびが入り、血を吐くエミヤ。
「助けに行かなくては……!」
バゼットが焦って席を立ちかけたその時、隣のセタンタが不敵に笑ってシートを蹴り上げた。
「よし、決めた。エミヤ、俺もお前の味方をしてやる!」
バゼットが驚愕して引き留めるのも聞かず、セタンタはフェンスを強引に飛び越えてリングへと乱入した。
「おいガキ、何しに来やがった」とギザギザの歯を剥くオルタニキに対し、セタンタは剣を構えて言い放った。
「だってよ、ここで一番階級が高いオルタの俺に勝って、ついでに裏でコソコソしてる
最初こそ「どうして、私のセタンタちゃんまであいつらの味方を……」とショックを受けていたメイヴだったが、そのあまりにも純粋で、傲慢で、闘争に飢えたクー・フーリンの本質を突きつけられた瞬間、脳の回路が焼き切れた。
「――それよ! それこそが私が愛した、私の狂おしいクー・フーリンの魂だわ!! クーちゃん、あの生意気なガキごと二人を屠って!最高の戦いを見せて頂戴!!」
ペンライトを振る速度が3倍になり、闘技場は狂熱の坩堝と化す。セタンタの野生のハングリー精神による加勢、そしてそれに応じるメイヴの歪んだ熱狂。
フェンスを破って乱入したセタンタの神速の剣戟、マナナンの神威を解き放ったバゼットの鉄拳。二人が命を削ってオルタをリング中央に縫い付けた、その刹那だった。
後方から限界以上の踏み込みを見せたエミヤが、渾身の魔力を込めて干将・莫耶の致命の刺突を放つ。しかし、その必殺の刃の前に飛び込んできたのは、ピンクのペンライトを投げ捨てたメイヴだった。
「――させないわ、私の王には指一本触れさせない!」
肉を貫く鈍い音。エミヤの鋭い刃は、クー・フーリン・オルタを守るための盾となったメイヴの胸を深く、無惨に貫いていた。
「がはっ……、あ……」
鮮血が彼女の華やかなドレスを赤く染めていく。致命傷を負いながらも、メイヴは愛おしそうにオルタの凶悪な顔を見上げた。
「ねえ……少しは、楽しかった……?」
それまで一度も自らの意志を見せなかったクー・フーリン・オルタの網膜が、その瞬間、激しく揺れ動く。メイヴは満足そうに微笑むと、最後まで一途で歪な愛を貫いたまま、光の粒子となって消滅していった。
これまで人形のようだったクー・フーリン・オルタの深紅の瞳に、初めて狂王としての「本物の意志」が宿り、邪悪に微笑む。
「……貴様らの首をメイヴの冥土の土産にしてやろう。」
爆発的に膨れ上がる禍々しい魔力。エゴが蘇ったことで、クー・フーリン・オルタの攻撃力はそれまでの数倍に跳ね上がり、ただの「動く災害」から「意思を持った最強の英霊」へと覚醒した。
純粋な物理の暴力がリングを粉砕し、あまりの衝撃に血に飢えていた観客たちが悲鳴を上げて一斉に避難を始める。場内は一瞬で混沌とした地獄絵図へ変わった。
エミヤはボロボロになりながらも、地形のすべてを利用して狂王の突撃をいなそうとする。
しかし、逃げ惑う群衆のノイズの向こう、観客席の片隅に、ポツンと一人だけ直立し、冷徹に自分を見つめている白衣の男の姿が、エミヤの動体視力に一瞬だけ映り込んだ。――グリム。
(!?)
その決定的な違和感に、エミヤの意識が一瞬だけ削がれる。覚醒したオルタニキはその隙を逃さず、漆黒の尻尾の一撃がエミヤの胴体を完璧に捉えた。コンクリート壁を何枚も突き破り、エミヤの身体が派手に吹き飛ぶ。口から溢れる鮮血。
「何ボサッとしてんだエミヤ!!」
戦闘不能になりかけたエミヤの前に、セタンタとバゼットが再び命を懸けて割って入る。バゼットの拳とセタンタの剣が、クー・フーリン・オルタの猛攻を正面から受け止め、力づくでその動きを固定する。
「いま、トドメを刺すんだ、エミヤさん!!」
二人の悲痛な叫びに応え、エミヤは傷だらけの肉体を魔術回路の暴走で無理やり駆動させ、最後の力を振り絞って突撃した。
クー・フーリン・オルタが死に体のエミヤをカウンターで叩き潰そうと、反撃の槍を繰り出し、その間合いが交錯しようとした、その刹那――。
クー・フーリン・オルタの足元の床に、
それと同時に、突撃するエミヤの「干将・莫耶」に、エミヤ自身の意志ではない「原初のルーン」が不気味にまとわりつき、刃の威力を限界突破させて爆発的に強化した。
抗うことすら許されない、神の仕組んだ予定調和。
エミヤの強化された刃は、クー・フーリン・キャスターによって動けなくされたオルタニキの心臓を、完璧に深々と貫いた。
「が……はっ……!」
トドメが刺さった瞬間、崩壊した地下闘技場の天井の隙間、はるか遠くのビルの屋上に、クー・フーリン・キャスターの姿が浮かび上がった。いつもの陽気さを完全に捨て去った冷徹な神の声が、クー・フーリン・オルタの脳内に直接響く。
『悪いな。日本人だけじゃなくて、それを狩るお前らも、人類の夜明けのための生贄なんだわ』
自分たちの階級闘争が、すべて神の計画のレールの上だったという、あまりにも冷酷な真実。
心臓を貫かれたクー・フーリン・オルタは、最後に遠くのビルの上のクー・フーリン・キャスターを獰猛に睨みつけた後、フッと英霊としての誇りに満ちた笑みを浮かべた。
「……チッ。胸糞悪い神様の操り人形は、もう御免だ。……ようやく、休める」
警察の近代兵器の総力戦の銃弾と、エミヤの放った剣の雨の中で、狂王は満足げな笑みを残して光の粒子となり、静かに退去していった。