終電後の遺失物係――明日の落とし物が届きます 作:夜番の拾い主
奇跡が提示した選択肢は、三つだった。一、二〇二〇年七月十七日の変更を取り消す。二、代替遺失者一名を指定する。
三、夜間受け、荷札、遺失者待合室を含む返却機構の永久廃止。
三番だけ、注意書きが六行ある。廃止後、新たな事前返却はできない。処理中の遺失物は返却期限までに持ち主の選択を確認すること。未処理品が残った場合、廃止は無効。再設置、修理、代替設備への移行は認めない。
要するに、奇跡を二度と使えなくすれば、澪は返る。
「これで決まりじゃない?」
「処理中の品数が分からない」
「夜間受けに聞く」
「聞いて、答えると思うか」
「聞かないよりは可能性がある」
この三日で、俺より手順に強くなっている。教え方がよかった、ということにしておく。
「もう一つ。返却機構をなくせば、明日から助けられたはずの人を助けられない」
「助けられたはず、って誰?」
「分からない」
「分からない人を助けるために、分かってる人を駅へ置いていくの?」
澪の言い方は正しい。正しいが、荷札が届かなかった未来を想像すると、簡単に三番へ丸をつけられない。
補聴器の大庭さんは、あの日だけでは終わらない。今日も妻の声を聞ける。宮野さんは線路へ指輪を投げず、自分で婚約を終えた。明日の落とし物が一日早く届けば、救える人はいる。
「カナタ」
「分かってる。人は指定しない」
俺は選択票を折り、胸ポケットへ入れた。嘘はついていない。人を指定しない。ただし、本人が自分を指定する場合は遺失者契約の自由意思に反しない。六年前の契約書にそうあった。
俺が代わりになれば、澪は返り、設備も残る。事故の未来も維持される。差額は一名。計算だけなら最小だ。澪が嫌がることを除けば。そこを条件から外した時点で、計算ではない。分かっていた。分かったまま、俺は胸ポケットの紙を指で確かめた。
午前零時十三分、夜間受けが鳴る。出てきたのは真鍮色の家鍵だった。青いひもが途中でちぎれ、駅前中学校の名札がついている。
持主 柴崎蓮
遺失予定 七月二十日 二十二時〇六分
返却期限 二十二時〇五分
「今度は鍵か」
鍵山を記録し、刻印を読む。MIWAの古いディスクシリンダー。複製対策は弱いが、荷札があるから住所を探す必要はない――と考えかけて止めた。
荷札は持ち主の名前だけで、住所までは出さない。名札に学校名がある。顔は分からない。駅前中学校から月白駅へ来る生徒を、二十二時まで待つ手はある。
「返せば家に入れるね」
澪が言い、すぐ首を振った。
「いや。家に入りたいとは限らないか」
宮野さんの件で学んだことが、澪にも定着している。
「中学生が二十二時に鍵を失くす。家へ帰る途中か、家から出たあとだ」
「どっちか確認しないと」
「駅へ来るなら、防犯カメラで青いひもを探す」
翌日、午後九時四十分。月白駅の改札前に、青いひもを手首へ巻いた少年が現れた。制服ではない。黒いTシャツ、膝の出たジーンズ、膨らんだリュック。券売機の前で運賃表を見上げ、スマートフォンの画面と交互に確認している。
遠くへ行く荷物だ。俺は窓口から出た。勤務中の腕章はつけたままにする。
「柴崎蓮くん?」
少年の肩が跳ねる。
「違います」
「右手首の名札と、名前が合っている」
確認の仕方を間違えた。追い詰める言い方になっている。
「警察じゃない。月白駅の遺失物係、高瀬です。君の鍵について確認したい」
「まだ失くしてないけど」
蓮はポケットから鍵を出した。未来から届いた物より青いひもが長い。切れ目はない。
「そうだね。これから失くす可能性がある」
「占い?」
「そういうものだと思っていい」
説明を諦めたわけではない。今は、未来の鍵を二本並べるより安全だ。
「どこへ行くつもり?」
「関係ない」
蓮は券売機へ向き直る。スマートフォンの画面には、深夜営業のインターネットカフェが表示されていた。県境を二つ越えた先だ。
「家へ帰りたくない?」
「駅員って、そういうのも聞くの」
「普段は聞かない。今日は鍵の持ち主の意思確認が必要だから」
業務のせいにした。半分は本当だ。
蓮は百円玉を券売機へ入れ、すぐ返却レバーを押した。硬貨が落ちる。取る。もう一度入れる。
「父さんと母さんが離婚するんだって」
運賃表を見たまま言う。
「どっちと暮らすか、今すぐ決めろって。二人とも、俺のためにって言う」
宮野さんの時と同じ言葉だ。本人のため。便利で、使う側の手へよくなじむ。
「決めたくないから、出る?」
「俺がいなければ、二人で決めるだろ」
それは選ばせるのではなく、自分を選択肢から消す方法だ。
胸ポケットの紙が重くなる。紙一枚に重さはない。あるなら、俺の都合だ。
「家へ戻る鍵は持っていたい?」
蓮はすぐ答えなかった。手の中の鍵を見て、青いひもを引っ張る。結び目が細くなっていた。あと二十分ほどで切れるのかもしれない。
「分かんない」
「じゃあ、今決めなくていい。ただし、知らない土地の店で一晩過ごすのは勧めない。家以外で、安全に泊まれる場所はある?」
「じいちゃんち」
「連絡は」
「してない」
スマートフォンの電池は十二パーセント。俺は窓口の充電器と、駅の電話を提示した。
「おじいさんへ自分で電話する。迎えを頼む。ご両親へは、居場所だけ伝える。どちらと暮らすかは今日決めない。それでどうだろう」
俺が決めるのではなく、案として置く。口で言うほど簡単ではない。次の言葉を足したくなる。安全だから、正しいから、そうしろ。足さずに待った。
「じいちゃん、車ある」
「電話番号は分かる?」
「うん」
蓮は百円玉をポケットへ戻した。
二十二時〇二分、祖父と連絡がつく。二十二時〇五分、迎えの軽トラックがロータリーへ入った。蓮は改札を出る前、手首の青いひもを外した。切れかけた部分を見て、俺へ差し出す。
「これ、直せますか」
「ひもは交換したほうがいい。鍵はそのままで」
「失くさない?」
「失くすかどうかは分からない。戻りたい時に使えるようにはできる」
予備のストラップへ鍵を付け替え、本人へ渡した。
二十二時〇六分。未来の鍵は遺失物室から消えた。荷札に残ったのは、「返却済」ではない。
選択保留 所在確認済。
「奇跡にしては、話が分かるね」
遺失物室へ戻ると、澪が荷札を見て言った。
「人間よりは、変更履歴を残す」
「それ、褒めてる?」
「一部は」
澪は俺の胸ポケットへ視線を向けた。
「選択票、まだ持ってるんだ」
「廃止手順を確認するために必要だ」
「見せて」
俺は紙を出さなかった。澪の顔から軽さが消える。彼女は赤い傘を持つと、石突きで俺の胸ポケットを指した。
「カナタ、嘘をつく時、そこを三回触る」
数えていたらしい。
「六年前から?」
「知らない。三か月見てたら分かる」
家族の記憶がなくても、三か月分の関係は残っている。俺はそれまで計算から外していた。
「見せて」
「見せたら、お前は反対する」
「するようなことを書いたんだ」
逃げ道が塞がる。俺は選択票を出した。
三番の下に、別紙が一枚挟んである。代替遺失者 高瀬奏汰。署名欄はまだ空白だ。
澪は紙を読んだ。怒鳴らない。泣かない。赤い傘を机へ置き、両手で別紙を破った。一度では切れず、二度、三度と裂く。
「契約書を破っても、原本は夜間受けにある」
口にした瞬間、最悪の言い方だと分かった。澪は紙片を握ったまま、俺を見る。
「私が六年前にやったこと、間違いだって言ったよね」
「ほかに方法がなかった」
「今はある」
「設備を消せば、これから助けられる人が――」
「その人たちが、カナタに消えてくれって頼んだ?」
答えられない。
「私も頼んでない」
澪は赤い傘の持ち手を握った。震えているのは、その手だけだった。
「私を返すために兄ちゃんがいなくなるなら、受け取らない」
兄ちゃん。その呼び方が、六年前の声と今の声をつないだ。
「今度は私が、兄ちゃんを止める」