地下設備室を満たしていた電子音が、唐突に途切れた。
あれほど執拗に鳴り続けていた死への秒読みは完全に消え、
赤い時限表示も停止している。
巨大爆弾の周囲に並んでいた警告ランプも沈黙し、
設備室には非常電源の低い唸りと、
焼けた配線から漂う焦げ臭さだけが残された。
誰もすぐには動かなかった。
龍園も、鬼龍院も、高円寺も、伊吹も、石崎も、アルベルトも、
その場で息を潜めるように停止した装置を見つめている。
そして、山内春樹も動かなかった。
「……止まったんすか?」
石崎が掠れた声で呟いた。
声は震えており、目の前で起きたことを信じてもいいのか
判断できずにいるのが伝わってくる。
鬼龍院は中央制御盤へ視線を向けたまま、表示や計器を慎重に確認した。
「メイン爆弾へ送られていた起動信号は完全に途絶えている。
少なくとも、この装置が爆発することはもうない」
その言葉を聞いた石崎は、張り詰めていた全身から一気に力を抜いた。
「よ、よかったぁ……」
今にもその場へ崩れ落ちそうになる石崎とは対照的に、
オレは山内から視線を外さなかった。
山内は、起爆スイッチを握ったまま立ち尽くしている。
指先は小刻みに震え、目は大きく見開かれていた。
だが、その表情には怒りも、敗北を認めた悔しさも、
爆発が止まったことへの安堵もなかった。
ただ、すべてが抜け落ちたように空虚だった。
自分の全てを懸けて作り上げた仕掛けが止められ、
復讐の中心へ据えていた巨大爆弾が沈黙した。
その現実へ、感情がまだ追いついていないのだろう。
龍園が一歩前へ出た。
「終わりだ、山内」
山内の肩が僅かに跳ねる。
「……終わり?」
漏れた声は、驚くほど小さかった。
「終わりって、何だよ……。まだ終わってねぇよ」
龍園の目が細くなる。
「まだ何か残してんのか?」
山内は乾いた笑いを漏らした。
それは楽しさから生まれたものではない。
壊れかけた喉の奥から、無理やり押し出されたような笑いだった。
「お前ら、装置を止めたくらいで勝った気になってんのかよ。
俺が何のためにここまでやったと思ってんだ。
全部止められて、はい終わりですって?そんなわけねぇだろ」
起爆スイッチを握る手が震え、指先に再び力が入る。
伊吹が低い声で問いかけた。
「まだ押すつもり?」
しかし、山内は伊吹を見ようともしない。
その視線は、最初から最後までオレだけへ向けられていた。
「綾小路。お前との決着だけは、まだ終わってねぇ」
オレは何も答えず、山内の言葉を待った。
山内の呼吸は徐々に荒くなり、感情が剥き出しになっていく。
「俺は、お前を壊したかった。いつも冷静ぶってるお前が焦る顔を見たかったし、
何を選べばいいか分からなくなるところを見たかった」
そこで一度言葉を切ると、山内は唇を噛んだ。
「誰かを切り捨てて、そいつから恨まれて、
それでも平然としてるお前が……初めて後悔するところを見たかったんだよ」
目は赤く濡れていた。
そこにあるのは、怒りだけではない。悔しさや情けなさ、
孤独といった感情が複雑に混ざり合い、言葉になりきらないまま溢れていた。
「なのに、何なんだよ……。白波も助かった。
佐藤も山村も助かった。それどころか、寛治まで……」
山内は歯を食いしばった。
「寛治まで逃げなかった。何でだよ……。
どうして今さら、あいつまで踏みとどまってんだよ」
その言葉が、地下設備室の空気をさらに重くした。
山内にとって池寛治は、他の誰とも違う存在だった。
かつて親友だった男。
退学後、何度連絡しても返事を得られず、
自分を見捨てたと思い込んでいた相手。
だからこそ、最後の最後で池が踏みとどまったことは、
山内にとって最も大きな誤算だったのだろう。
「山内」
オレが呼びかけると、山内の視線が僅かに揺れた。
「お前は、池を試したかったんだろ」
山内の顔が歪む。
「違う」
「池が恐怖に負けて逃げると思っていた。
そして、実際に逃げる姿を見て確認したかった。
自分は本当に見捨てられたのだと」
山内の唇が震える。
「……違う」
「だが、池は逃げなかった。お前の計算は外れた」
「違う!」
山内の怒声が設備室へ響き、空気そのものが震えた。
「違う、違う、違う!あいつは逃げたんだよ!
俺が退学した後に電話しても出なかった!
メッセージだって返してこなかった!親友だったのに、一緒にバカやってたのに!」
山内の目から涙が溢れた。
「俺が消えたら、あいつは何事もなかったみたいに次の日常へ戻ったんだ!」
それは怒鳴り声であると同時に、悲鳴にも近かった。
退学後の生徒が学校内部と自由に連絡を取れるとは限らない。
学校側の管理によって、連絡そのものが届かなかった可能性もある。
だが山内は、既にそんな単純な可能性さえ考えられなくなっていた。
連絡が返ってこなかったという事実が、
いつの間にか自分が見捨てられたという確信へ変わり、
その確信だけを何度も強化し続けてきたのだろう。
龍園は何も言わなかった。
伊吹も石崎も沈黙している。
高円寺ですら、いつもの軽薄な笑みを僅かに薄めていた。
「山内」
オレは静かに言った。
「池は怖かったんだ」
「……は?」
「退学したお前と関われば、自分まで評価を落とすかもしれない。
責められ、同じように切られるかもしれない。だから逃げた。それ自体は事実だろう」
山内は強くオレを睨んだ。
「だったら、やっぱり――」
「だが、さっきは逃げなかった」
山内の言葉が止まる。
「お前の声を聞いても、罪悪感を何度も突きつけられても、
恐怖で身体を震わせながら手を離さなかった。それもまた事実だ」
山内の手がさらに震え、握っている起爆スイッチも小さく揺れた。
「……今さらだろ。今さら踏みとどまったところで、
俺が退学した時にはもう遅かったんだよ」
「そうだな」
オレが否定せずに答えると、山内は驚いたように目を見開いた。
「そうだなって……」
「お前が傷ついた事実は消えない。池が逃げたことも消えない。
クラスが山内春樹を切り捨てた事実も、
オレがそこへ関わったことも、なかったことにはならない」
地下設備室が静まり返る。
オレは山内の目を見たまま続けた。
「だが、その過去を理由に今ここで全員を巻き込めば、お前は本当に戻れなくなる」
山内は嘲るように笑った。
「戻る場所なんて、もうねぇよ」
「あるかどうかは、戻ろうとしなければ分からない」
「綺麗事を言うなよ」
「綺麗事ではない」
オレは感情ではなく、事実を示すように告げた。
「合理的な話だ」
「……は?」
「今ここでスイッチを押せば、お前の人生はそこで終わる。
だが、押さずに止まれば、少なくとも誰かと話す余地は残る」
今度は、オレが山内へ選択肢を突きつける。
「どちらが得かを考えろ」
山内は呆然とオレを見つめた。
やがて、その口から突然笑い声が漏れる。
「は……はは……ははははっ!何なんだよ、それ!
最後まで説得じゃなくて損得なのかよ!お前、本当に変わんねぇな!」
だが、その笑いには先ほどまでの力がなかった。
激しい怒りが少しずつ剥がれ落ち、
その下から疲れ切った山内本来の顔が露わになり始めている。
その時、設備室内のスピーカーとは異なる通信回線から、激しいノイズが流れた。
『春樹』
全員が顔を上げる。
聞こえてきたのは、池寛治の声だった。
『聞こえてるか、春樹』
山内の表情が固まった。
「……寛治?」
通信状態は安定していない。
おそらく南雲たちが、校内設備の一部を復旧させて回線を繋いだのだろう。
雑音が何度も混じっている。それでも、間違いなく池の声だった。
『俺、さっきは言えなかった。ちゃんと言葉にできなかった』
山内は何も答えない。
池の声も震えていた。
『ごめん』
短い一言だった。
だが、その言葉だけで山内の顔が大きく歪んだ。
『電話に出られなかった。怖かったんだ。
最低だったと思う。親友だって言ってたのに、俺は逃げた』
山内の目から、一筋の涙が落ちる。
「……今さら」
『うん』
池の声も泣いていた。
『今さらだ。でも、それでも言わせてくれ。ごめん、山内。俺はお前を見捨てた』
そこで池は息を詰まらせた。
『でも、お前に死んでほしくない。
誰かを巻き込んで、本当に戻れなくなってほしくないんだ』
山内は起爆スイッチを握ったまま俯いた。
肩が激しく震えている。
「ふざけんな……。ふざけんなよ……。そんなの、もっと早く言えよ……!」
それは怒りというよりも、抑えきれなくなった悲鳴だった。
「俺が退学した時に言えよ!俺が電話した時に出ろよ!
今さら謝るなよ!今さら、そんなことを……!」
山内はそこで言葉を詰まらせた。
涙が止まらなくなり、顔を歪めたまま立っている。
地下設備室にいた全員が、その姿を見つめていた。
目の前にいるのは、学校中へ爆発物を仕掛け、
大勢の生徒や教師を恐怖へ陥れた犯人だ。
その行為は決して許されない。
しかし同時に、そこにいるのは、自分が見捨てられたと思い込み、
その痛みを抱えきれずに壊れてしまった一人の生徒でもあった。
龍園が低い声で言った。
「押すな」
山内がゆっくりと顔を上げる。
龍園の声には脅しも嘲笑もなかった。
珍しいほど静かで、ただ重かった。
「今ここで押したら、池の謝罪まで全部無駄になる。
それは、お前が一番欲しかった言葉だろ」
山内の顔が再び歪む。
「……うるせぇ。うるせぇよ……」
起爆スイッチを持つ手が、僅かに下がった。
だが、完全に手放したわけではない。
山内はまだ迷っている。
ここで止まれば、これまで積み重ねてきた復讐のすべてを手放すことになる。
それを受け入れきれず、最後の執着へ縋っていた。
その僅かな隙を、高円寺は見逃さなかった。
天井近くの配線ラックから、ほとんど音を立てずに飛び降りる。
白い制服が赤い非常灯の光を切り裂き、
山内が反応するよりも早く、高円寺の手が起爆スイッチを掴んだ。
「なっ――」
山内が目を見開く。
同時に龍園が一気に踏み込み、山内の腕を押さえつけた。
動きは乱暴だったが、必要以上に傷つけるものではない。
伊吹も即座に背後へ回り込み、山内が逃げるための道を塞いだ。
鬼龍院は高円寺が奪った起爆スイッチと制御盤の表示を確認する。
「安全確認が取れた。スイッチは完全に無効化されている」
石崎が全身から大きく息を吐いた。
「こ、今度こそ……終わったんすよね?」
山内は力を失い、その場へ崩れ落ちた。
起爆スイッチは既に高円寺の手の中へ移り、巨大爆弾は沈黙したまま動かない。
校内マップへ表示されていた赤い光点も、次々と黄色へ変わっていく。
南雲が動かしている各班が、
校内各所に残されていた仕掛けを順番に封鎖しているのだろう。
やがて通信機から南雲の声が響いた。
『こちら南雲。メイン装置の停止を確認した。
残存する仕掛けは各班が制圧中だ。
体育館へ避難した生徒にも、大きな被害は出ていない』
その報告が届いた瞬間、設備室を覆っていた緊張が僅かに緩んだ。
伊吹は疲れ切ったように壁へ背中を預け、石崎はその場へ座り込んだ。
鬼龍院も静かに息を吐き、高円寺は何事もなかったように乱れた髪を整えている。
龍園は、床へ崩れた山内を見下ろした。
「終わりだ」
今度こそ、その言葉には疑いようのない重みがあった。
山内は泣いていた。
嗚咽を堪えることもできず、床へ両手をつきながら身体を震わせている。
「俺……俺、何をやってんだろうな……」
誰も答えなかった。
簡単な言葉で答えられる問いではない。
山内が犯した罪は、爆弾が止まったからといって消えるわけではなかった。
校内へ多数の仕掛けを設置し、大勢の人間を恐怖へ陥れ、
校舎を破壊し、多くの命を危険に晒した。
謝罪だけで済む話ではない。
それでも、少なくとも最後の瞬間に、山内は自分の意思で一線を越えなかった。
越える直前で踏みとどまった。
その事実だけは、確かに残っている。
オレは床へ座り込んだ山内を見下ろした。
「山内」
彼は涙で濡れた顔を上げる。
「……何だよ」
「お前は、これから自分がしたことへの責任を取ることになる」
「分かってるよ……」
「逃げることはできない」
「分かってるって……」
「だが、生きていれば向き合うことはできる」
山内は何も答えなかった。
ただ、肩を震わせながら俯いた。
通信の向こうから、池の声が再び聞こえる。
『春樹……』
山内は顔を歪めた。
「……寛治」
『俺、待ってるから。ちゃんと怒られるし、ちゃんと謝る。だから……』
池の声が詰まる。
『生きて戻ってこいよ』
山内は深く顔を伏せた。
そして、本当に僅かに頷いた。
誰にも見えないほど小さな動きだった。
だが、オレには分かった。
龍園と鬼龍院も、その頷きを見逃してはいなかっただろう。
その時、地下設備室の扉が開いた。
教師陣と警備班が一斉に中へ入ってくる。
先頭には茶柱佐枝と真嶋智也、坂上数馬、南雲雅がいた。
少し遅れて、堀北鈴音と坂柳有栖も姿を現す。
堀北は、爆発と破壊によって荒れ果てた設備室を見て息を呑んだ。
坂柳は杖をつきながら、静かに山内へ視線を向けた。
「終わりましたか?」
「ああ」
オレが答えると、茶柱が山内の前まで歩いた。
その表情には、教師としての厳しさと、
かつて自分の生徒だった少年へ向ける僅かな痛みが混ざっていた。
「山内春樹」
山内は顔を上げなかった。
「お前を拘束する」
「……はい」
抵抗する様子はなかった。
真嶋が慎重に山内の身体を支え、立ち上がらせる。
山内は足元をふらつかせながらも、自分の力で立った。
その時、彼は一度だけオレへ目を向けた。
「綾小路」
「何だ」
「……俺、お前のことを最後まで分からなかった。
何を考えてるのか、見続けても全然分からなかった」
「そうか」
山内は僅かに笑った。
疲れ切り、何もかもを吐き出した後の笑みだった。
「でも……今日、少しだけ分かった気がする。お前も、人間なんだな」
オレはその言葉に何も返さなかった。
山内は教師と警備員に囲まれ、地下設備室から連れ出されていく。
赤い非常灯が点滅する長い通路の向こうへ、彼の姿は少しずつ遠ざかっていった。
それは、長く歪んだ復讐劇の終わりへ向かう背中だった。
残された地下設備室には、焦げた配線の臭いと、
停止した爆弾、そして疲労しきった生徒たちだけが残った。
石崎が天井を仰ぎ、心の底から疲れた声で呟く。
「……もう帰って寝たいっす」
伊吹も壁へ寄りかかったまま息を吐いた。
「それは私も同感」
龍園がオレを見る。
「おい、綾小路」
「何だ」
「次から朝食を食う時は気をつけろよ」
「そうする」
高円寺が楽しそうに笑った。
「身体の内側まで観察される経験など、人生でもそう多くはないだろうねぇ」
「二度と御免だ」
鬼龍院は冷静な口調で続けた。
「地上へ戻ったら、すぐに医療確認を受けろ。
体内の装置が本当に無害か確かめる必要がある」
「ああ」
そこへ堀北が近づいてきた。
「本当に無事なの?」
「ああ。今のところ問題はない」
「あなたの『大丈夫』ほど信用できない言葉もないわ」
「そうか」
堀北は呆れたようにため息をついた。
それでも、その表情には隠しきれない安堵が浮かんでいる。
坂柳も、穏やかな笑みを浮かべてオレを見た。
「今回は随分と多くの人を頼りましたね」
「必要だったからだ」
「ええ」
坂柳は楽しそうに目を細めた。
「その必要性を認め、
実際に他人へ任せられるようになったこと自体が、あなたの進歩なのですよ」
オレは答えなかった。
代わりに、停止したモニターへ視線を向ける。
そこにはもう、オレの視界も顔も映されていない。
山内の視線は消えた。
身体の内側から覗かれている感覚も、もはや意味を失っている。
しかし、胃の奥に残る異物感だけは消えていなかった。
事件が完全に終わったと判断するには、まだやるべきことが残っている。
校内に残された爆弾の処理、生徒たちの救護、
山内への処遇、そして事件を経験した者たちの心の問題。
本当の意味での終わりは、まだ先にある。
それでも、少なくとも今日、この地下で、山内春樹は最後のボタンを押さなかった。
その時だった。
完全に停止したはずの巨大爆弾と、
沈黙していた中央制御盤の奥から、小さな電子音が鳴った。
全員の動きが止まる。
鬼龍院が即座に振り向いた。
「……違う」
彼女の目が鋭く細まる。
「バックアップ系統だ」
次の瞬間、地下設備室の中央で、
停止していたはずの大型時限表示が赤黒い光を放ちながら再点灯した。
【05:00】
石崎の顔から、瞬時に血の気が引いた。
「は……?」
表示は容赦なく減り始める。
【04:51】
警告音は、それまでのものよりも低く重かった。
まるで地下全体の心臓が、死へ向けて再び脈動を始めたかのような音だった。
「な、何なのよ、これ……!」
伊吹が叫ぶ。
鬼龍院は中央制御盤へ飛びつき、表示と配線を確認する。
「二重構造になっている!山内が使用していた停止コードそのものを解除条件にして、
別系統が起動する仕組みだ!」
山内自身も目を見開いていた。
「……は?いや、待て。こんなの、俺は……」
その反応は演技ではなかった。
山内も、この仕掛けを知らない。
高円寺の顔からも笑みが消えた。
「これは本当に想定外らしいねぇ」
龍園は即座に状況を切り替えた。
「脱出だ!」
その怒声が地下設備室を叩く。
「全員、走れ!」
表示は既に四分を切り始めていた。
南雲は通信機を掴み、地上の班へ怒鳴る。
「地下設備室でバックアップ爆弾が起動した!
中央管理棟周辺を即時封鎖しろ!全生徒を校舎の外周まで下げろ!」
堀北が坂柳へ目を向けた。
坂柳は杖を強く握っている。
だが、崩壊寸前の地下から全力で脱出することに、
彼女の身体が耐えられないのは明らかだった。
龍園が苛立たしげに舌打ちする。
そして、迷うことなく坂柳の前へ屈み、その身体を強引に背負い上げた。
「りゅ、龍園くん?」
坂柳が珍しく動揺を見せる。
龍園は彼女の杖ごと身体を支えながら吐き捨てた。
「落ちんなよ」
「あなたに背負われる日が来るとは思いませんでしたね」
「黙って掴まってろ」
口調は乱暴だったが、その動きに迷いはなかった。
オレは即座に出口までの経路を頭の中で組み立てる。
地下通路には感圧エリアが残り、
破裂した蒸気管と崩れた配電盤が道を塞いでいる。
それらすべてを突破しなければ、地上へは戻れない。
鬼龍院が叫んだ。
「地下設備室が爆発すれば、中央管理棟の基礎ごと崩落する!急げ!」
全員が一斉に走り出した。
赤い非常灯と白煙、火花、高温の蒸気が入り乱れる通路へ飛び込む。
学校の地下そのものが、限界を迎えようとしていた。
【02:36】
「石崎!」
龍園が怒鳴る。
「先に行け!」
「は、はいぃっ!」
石崎は半泣きのまま走り出した。
だが、恐怖によって限界を超えたのか、その足は普段よりも遥かに速い。
伊吹は通路を横切る破裂した配管を飛び越え、
鬼龍院は走りながら安全な経路を指示し続ける。
【01:07】
「右へ行け!左側の床は崩れ始めている!」
高円寺は天井近くのメンテナンスフレームを使い、
常人では考えられない速度で前方へ進んでいた。
「なかなか刺激的ではないか!」
「楽しんでんじゃねぇ!」
龍園の怒声が響く。
その時、地下設備室の奥から巨大な低音が鳴り始めた。
空気が振動し、通路内の温度が急激に上昇する。
壁面へ走った亀裂の奥からは、赤い光が漏れ出していた。
鬼龍院の顔色が変わる。
「まずい!冷却系統が止まり、熱暴走を起こしている!」
表示がゼロへ到達した。
警告音が長く響いた次の瞬間、地下設備室内部で、最初の爆発が起きた。
――ドガアアアアアァァァァンッ!!
凄まじい衝撃波が地下通路を真正面から貫いた。
空気そのものが巨大な拳になったような圧力が背中へ叩きつけられ、
全員の身体が前方へ吹き飛ばされそうになる。
通路壁面の配電盤が連続して破裂し、
青白いスパークが豪雨のように地下空間を埋め尽くした。
蒸気管が次々と弾け飛び、超高温の白色蒸気が視界を完全に飲み込む。
熱風で地下通路の空気が歪み、呼吸するだけで肺の奥が焼けるような激痛が走った。
さらに遅れて、設備室天井そのものが崩落し始める。
巨大なコンクリート塊が地下通路へ雪崩れ込み、
床を叩き割りながら猛烈な土煙を噴き上げた。
ゴゴゴゴゴゴッ!!
建物全体が悲鳴を上げている。
地下そのものが潰れ始めていた。
「走れぇぇぇっ!」
南雲が怒鳴った。
龍園は坂柳を背負ったまま、全力で通路を駆け抜ける。
人一人を背負っているとは思えないほどの速度だった。
坂柳の杖が激しく揺れるが、龍園は決して足を止めない。
「振り落とされたくなかったら、しっかり掴まってろ!」
「……ええ。善処します」
さすがの坂柳も、普段の余裕ある笑みを失っていた。
通路の先に、地上へ続く最後の階段が見える。
だが、その直後だった。
――ドゴオオオオオオオオォォォォォッッ!!!!
世界が白く弾け飛んだ。
凄まじい爆炎が地下通路そのものを呑み込み、
赤黒い火柱が猛スピードで一直線に突き進んでくる。
圧縮された爆風だけで通路壁面が内側から砕け、
コンクリート片と鉄骨が弾丸のように射出された。
天井配管が一斉に破裂し、
火花と蒸気と炎が混ざり合った灼熱の濁流が地下空間を埋め尽くす。
熱圧で照明が連続して爆ぜ、赤い非常灯すら吹き飛び、
地下通路が爆炎だけの色へ染まった。
爆風によって床そのものが波打つように隆起し、
亀裂が蜘蛛の巣のように一気に広がっていく。
崩落したコンクリート塊が爆炎に押し流されながら転がり、
後方の通路を完全に押し潰した。
轟音はもはや音ではない。
内臓そのものを揺らし、脳を殴り潰し、
空気ごと命を引き裂こうとする破壊の塊だった。
火災によって熱せられた鉄骨が限界を超え、
赤熱しながら捻じ曲がり、悲鳴のような金属音を地下全体へ響かせる。
炎は猛烈な速度で通路を駆け抜け、
逃げる綾小路たちの背中を焼き尽くそうと迫っていた。
「飛べぇぇぇぇっ!」
龍園が叫ぶ。
地上出口へ続く最後の階段を、全員が一気に駆け上がった。
オレ、堀北、伊吹、鬼龍院、高円寺、石崎、南雲、
そして坂柳を背負った龍園が、出口の向こうへ身体を投げ出す。
背後の地下通路が、爆炎そのものに呑み込まれた。
地下から噴き上がった超巨大爆発が
中央管理棟の基礎部分を内側から吹き飛ばし、
建物全体が悲鳴を上げるように激しく歪む。
直後、中央管理棟の一階窓ガラスが一斉に粉砕され、
赤黒い爆炎が巨大な火柱となって校舎内部を貫きながら上階へ突き抜けた。
爆風で外壁パネルがまとめて剥がれ落ち、
鉄骨フレームが捻じ曲がりながら露出し、
崩れたコンクリート片が雨のように校庭へ降り注ぐ。
さらに遅れて、建物中央部分が耐え切れなくなったように沈み込み、
上層階そのものが轟音と共に内側へ崩落した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッ――!!
巨大な黒煙が噴火のように空へ噴き上がり、
燃え上がる火炎と粉塵が夜空を完全に覆い尽くしていく。
崩壊した中央管理棟の鉄骨が連続して折れ曲がり、
赤熱した金属が火花を撒き散らしながら次々と地面へ落下する。
熱風は校庭全体を薙ぎ払い、
砂埃とガラス片と燃えた書類を巻き上げながら、
生徒たちの髪と制服を激しく叩きつけた。
そして最後に。
中央管理棟そのものが、巨大な爆炎の中で完全に崩れ落ちた。
オレたちは地上へ転がり出た。
咳き込み、耳鳴りに耐え、熱気と焦げ臭さへ包まれながら地面へ倒れ込む。
それでも、全員が生きていた。
龍園は背負っていた坂柳を慎重に地面へ下ろした。
「……生きてるか?」
「ええ」
坂柳は乱れた呼吸を整えながら、僅かに微笑んだ。
「少々、刺激的ではありましたけれど」
石崎は地面へ大の字になり、力の限り叫んだ。
「も、もう嫌だぁぁぁ……!」
伊吹もその場へ座り込み、鬼龍院は燃え上がる中央管理棟を見上げた。
地下出口からは、今も大量の黒煙が噴き上がっている。
高円寺だけは、爆発を見物するように楽しそうだった。
「最後を飾るに相応しい花火だったねぇ」
龍園が呆れたように吐き捨てる。
「やっぱり頭がおかしいだろ、お前」
そう言いながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
オレたちは、地獄と化した地下から全員で生還した。
◯
地下設備室から地上へ出た頃、空は既に薄暗くなっていた。
黒煙に覆われた校舎の向こう側では、夕焼けの赤い光が微かに滲んでいる。
消防車の赤色灯と救急隊の照明が校庭を照らし、
規制線の内側では教師や警備員、消防隊員が慌ただしく走り回っていた。
その周辺には、疲労しきった生徒たちが集められている。
高度育成高等学校は、わずか一日で全く別の場所へ変わっていた。
「……終わったんすよね」
石崎が、崩れた校舎を見ながら呆然と呟いた。
その声には、安堵と限界まで積み重なった疲労が混ざっている。
地下から戻ったオレたちの姿は酷いものだった。
制服には煤や埃が付着し、汗で肌へ貼りついている。
袖が裂けている者もいれば、擦り傷や軽い火傷を負っている者もいる。
誰一人として無傷ではない。
それでも全員が生きている。
今は、その事実だけが異様なほど重かった。
伊吹は燃える校舎を見上げながら、深く息を吐いた。
「……本当に最悪な一日だった」
「一日で済んでよかったと思え」
龍園が低く返す。
「あと数時間続いてたら、本当に死人が出てたぞ」
伊吹は何も返さなかった。
否定できないからだ。
今回の事件は、何度も紙一重のところまで追い込まれていた。
ほんの僅かに判断が遅れていれば、誰か一人でも恐怖に負けていれば、
白波千尋も、佐藤麻耶も、山村美紀も、池寛治も助からなかった可能性がある。
あるいは、その場にいた別の誰かが命を失っていた。
高円寺は、惨状の中でもいつものように髪を整えている。
「なかなか刺激的な一日だったねぇ」
石崎が心底引いた顔をした。
「その感想が出てくること自体が、マジで怖いんすけど……」
「だが」
高円寺は、燃え続ける校舎へ視線を向けた。
「最後まで誰も切り捨てなかったことだけは、少しばかり美しかった」
その言葉に龍園が鼻で笑う。
「お前からそんな感想が出るとはな」
「私自身も驚いているよ」
高円寺は本気でそう言っているようだった。
鬼龍院は救急隊へ地下の状況を説明し終えると、こちらへ戻ってきた。
「残存していた仕掛けも、ほぼ処理が終わった。南雲たちが最終確認を続けている」
「そうか。教師側は、これから相当揉めるだろうな」
鬼龍院は焼け落ちた中央管理棟を見つめた。
「学校内部へ、これほど大規模な仕掛けを持ち込まれた。
単なる責任問題では済まないだろう」
当然だった。
今回の事件は、ただの校内トラブルではない。
学校機能そのものが破壊され、多数の生徒や教師の命が危険へ晒された。
しかも、その発端にはこの学校の退学制度がある。
山内春樹は、実力主義によって切り捨てられた生徒だった。
だからこそ、この事件は高度育成高等学校の根幹へ突き刺さっている。
「綾小路くん!」
呼びかける声に振り返ると、一之瀬帆波がこちらへ走ってきていた。
その後ろには白波、軽井沢、櫛田、平田、そして堀北たちもいる。
一之瀬はオレの前で足を止めた。
顔色は悪く、疲労も隠しきれていない。
体育館で長時間にわたって避難誘導を続けていたのだろう。
それでも、その瞳には確かな安堵が浮かんでいた。
「……無事でよかった」
一之瀬は小さな声で言った。
「そっちもな」
白波が涙ぐみながら深く頭を下げる。
「助けてくれて、本当にありがとう……。綾小路くんたちが来なかったら、私……」
言葉の途中で声が震えた。
一之瀬が、白波の肩をそっと抱く。
「もう大丈夫だよ」
白波は頷いたが、涙は簡単には止まらなかった。
あれほどの恐怖が、事件の終了と同時に消えるはずもない。
軽井沢がオレを睨むように見た。
「アンタさぁ……」
「何だ」
「地下まで行ってたんでしょ?」
「まあな」
軽井沢はしばらく口を閉ざした。
やがて、視線を逸らしながら呟く。
「……無茶しすぎ」
怒っているというよりも、怖かったという感情を隠すための言葉に聞こえた。
櫛田も疲れた表情で苦笑した。
「みんな心配してたんだよ。特に堀北さんがね」
堀北が即座に櫛田を睨む。
「余計なことを言わないで」
「えー?」
だが、完全には否定しなかった。
それ自体が堀北にしては珍しい。
平田も疲れたように笑った。
「本当に、よく戻ってきてくれたよ。地下へ向かったと聞いた時は、正直……」
最後まで言わず、言葉を濁す。
戻ってこられない可能性を考えていたのだろう。
龍園が一之瀬たちへ顔を向けた。
「よう。お前らも生きてたか」
軽井沢が露骨に嫌そうな顔をする。
「その言い方、どうにかならないの?」
「生きてんだから、それでいいだろ」
「よくないし」
伊吹が小さくため息を吐いた。
「本当に騒がしい」
だが、その表情は僅かに緩んでいる。
全員が生きて戻った。
それだけで、張り詰めていた心が少しだけ解ける。
その時、別方向から杖をつきながら歩いてくる坂柳の姿が見えた。
その後ろには山村美紀がいる。
山村は坂柳を見ると、再び目に涙を浮かべた。
「坂柳さん……」
坂柳は穏やかに微笑んだ。
「よく頑張りましたね」
その一言を聞いた瞬間、山村の目から涙が零れた。
坂柳は頭を撫でることも、抱き締めることもしなかった。
それでも、その短い言葉には山村が欲しかったものがすべて含まれていたのだろう。
「綾小路くん」
坂柳がオレを見る。
「随分と派手な一日になりましたね」
「そうだな」
「ですが、最後まで誰かを比較し、切り捨てる選択を拒んだことは、
少しばかりあなたらしくありませんでした」
龍園が鼻で笑う。
「確かにな。昔のお前なら、もっと簡単に誰かを切ってたかもしれねぇ」
軽井沢が嫌そうに龍園を見る。
「そういう言い方、やめてくれない?」
「事実だろ」
「事実でも嫌なの!」
そのやり取りによって、張り詰めていた空気が僅かに緩んだ。
しかし、その時、遠くで救急車の扉が閉まる音がした。
全員の視線がそちらへ向く。
警備員たちに囲まれた山内が、救急車へ乗せられようとしていた。
抵抗する様子はなく、暴れることもない。
ただ俯いたまま、静かに歩いている。
少し離れた場所には池寛治が立っていた。
目が赤い。先ほどまで泣いていたのだろう。
山内が救急車へ乗る直前、池は一歩前へ出た。
「春樹!」
山内が足を止める。
だが、振り返らなかった。
池は唇を震わせながら叫んだ。
「俺、もう逃げないから!今度はちゃんと、お前と話すから!」
山内はしばらく動かなかった。
やがて、肩がほんの僅かに動いた。
頷いたのか、それとも再び泣いたのか、距離があるため正確には分からない。
そのまま山内は救急車へ乗せられ、扉が閉じられた。
赤色灯が回転し、救急車はゆっくりと学校を離れていく。
誰も、すぐには口を開かなかった。
一之瀬が小さな声で呟く。
「……山内くん」
軽井沢も珍しく黙っていた。
龍園は校門の方向を見ながら、低い声で言う。
「結局、最後までガキだったな」
「だが」
鬼龍院が静かに続けた。
「最後のボタンは押さなかった」
龍園は鼻を鳴らす。
「それだけだ」
確かに、それだけだった。
だが、決定的に重要な違いでもあった。
最後にスイッチを押していれば、今日の結末は全く別のものになっていた。
そこへ茶柱が歩いてきた。
顔には深い疲労が刻まれている。
限界へ達しているのは、生徒たちだけではない。教師たちも同じだった。
「綾小路」
「何ですか」
「すぐに医療確認を受けろ。胃の件も含めてだ」
「分かっています」
茶柱は一度口を閉ざした。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で言う。
「……よく戻った」
それは教師としての指示ではなく、一人の人間として漏れた言葉に近かった。
オレは短く頷いた。
その時、堀北がこちらを見た。
「綾小路くん」
「何だ」
「今回の件を、あなたはどう思った?」
曖昧な質問だった。
事件そのものについてなのか、山内についてなのか、この学校の制度についてなのか。
おそらく、そのすべてを含んでいる。
オレは黒煙に覆われた空を見上げた。
夜が近づき、煙の向こうでは太陽が沈みかけている。
「この学校は、人間を選別する」
オレが静かに言うと、誰も口を挟まなかった。
「必要な人間と不要な人間。優秀な者と劣っている者。そうやって、すべてを分けていく」
僅かに間を置く。
「今回の事件は、その歪みが表へ出ただけだ」
一之瀬が俯き、堀北も黙ったまま聞いている。
坂柳だけが、表情を変えずにオレの言葉を待っていた。
「だが、それでも最後には誰も切らなかった」
龍園が小さく鼻を鳴らす。
「綺麗に締めやがるな」
「事実だ」
「……まあな」
誰か一人を切り捨てれば、もっと簡単に済んだ場面は何度もあった。
しかし、最後まで誰もその選択をしなかった。
それは、合理性だけでは辿り着けない結末だった。
高円寺が楽しそうに笑う。
「それなら、この学校も少しは美しくなったのかもしれないねぇ」
「どうだろうな」
「少なくとも」
坂柳が穏やかに微笑んだ。
「以前よりは、人間らしくなっています」
オレは答えなかった。
遠くでは救急車のサイレンが小さくなり、
消防隊員や教師たちはまだ校内を慌ただしく動き回っている。
学校の混乱は、完全には終わっていない。
それでも、黒煙の向こうでは夜空が少しずつ姿を現し始めていた。
長かった一日が終わろうとしている。
高度育成高等学校は、明日から再び新しい一日を始めるだろう。
深い傷跡を残し、壊れかけた部分を抱えたまま、
それでも生き残った者たちとともに前へ進んでいく。
堀北が空を見上げた。
「疲れたわ」
「ああ」
軽井沢も全身から力を抜き、疲れ切った声を漏らす。
「もう今日は、何も考えずに寝たい……」
「同感です」
坂柳が珍しく即答した。
一之瀬が小さく笑い、白波も涙の痕を残したまま僅かに笑った。
その小さな笑い声が、夜の校庭へ静かに広がっていく。
人間は変わるのかもしれない。
少なくとも、今日のオレたちは以前とは少しだけ違っていた。
合理性だけでは辿り着けない結末が、確かにここにある。
それが本当に正しかったのかは、まだ分からない。
だが、最後まで誰もボタンを押さなかった。
今日を境に、オレたちはほんの僅かだけ、人間らしくなったのかもしれない。
完
「実力教室大爆破」完結です。
本作では死者は一人も出ておりません。
死者が出てしまうと山内が本当に悪人になってしまうからです。
山内は確かに許されない行為をしたのですが、少し同情の余地を残しました。
高育の存在意義を問う少し深めのテーマも盛り込みました。
退学した生徒の未来を守ることも学校はするべきでしょうね。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
次回作はよう実とマブラヴオルタネイティヴのクロスオーバーになります。
綾小路たちが戦術機を駆り、東京お台場でBETAと戦うストーリーになります。
【挿絵表示】
途中までですが、試し読みとして第1話「ようこそ高度育成衛士高校へ」をどうぞ。
◯
人類が地球の支配者ではなくなってから、すでに長い年月が経過している。
かつて大陸に存在していた無数の都市は地図から消えた。
国境も、文化も、歴史も。
地表を埋め尽くす異形の群れによって、等しく踏み潰された。
人類は彼らを、BETAと呼んだ。
Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race。
人類に敵対的な地球外起源種。
意思疎通は成立しない。
降伏もない。
交渉もない。
ただ地上へ現れ、人間の築いたものを破壊し、進み続ける。
現在、人類が生存圏として維持できている地域は限られている。
日本も例外ではなかった。
帝都東京は、多重防衛線と戦術機部隊によって辛うじて守られている。
東京湾沿岸部には巨大な防壁が築かれ、
埋立地の各所には砲台、監視塔、地下格納庫が並んでいた。
かつて観光客で賑わっていた湾岸地域は、今では首都防衛の最前線だ。
その東京湾に浮かぶ巨大な人工島。
外周を高い防壁で囲まれ、島内に学校、居住区、
演習場、軍港、滑走路、戦術機格納庫を備えた特殊教育施設がある。
高度育成衛士高等学校。
将来、日本を背負う衛士を育てるために設立された、全寮制の国立教育機関。
卒業生には進学も就職も保証される。
正確には、卒業できれば、だが。
オレ――綾小路清隆は、その学校へ向かう軍用バスの最後列に座っていた。
窓の外には灰色の海が広がっている。
東京湾を横断する専用橋梁の両側には、
巨大な防潮壁と対BETA障害物が延々と並んでいた。
一定間隔で配置された無人砲台が、海面と空を監視している。
そのさらに向こう。
薄い雲の切れ間から、帝都の高層建築群が見えた。
戦争が始まる以前の東京を、オレは知らない。
資料映像で見たことはある。
空を埋める旅客機。
観光船。
夜になると無数の光を放つ街。
現在の東京湾に飛ぶ航空機の大半は軍用機であり、
海上を進む船も輸送艦や哨戒艇ばかりだった。
バスの車内には、オレと同じ制服を着た新入生が乗っている。
誰もが多少なりとも緊張していた。
当然だろう。
この学校へ入学するということは、
戦術機衛士になる可能性を受け入れたということだ。
衛士とは、戦術歩行戦闘機――通称、戦術機を操縦してBETAと戦う兵士を指す。
人型兵器の操縦者。
人類防衛の英雄。
子供向けの宣伝番組では、そう紹介される。
実際には、生存率の低い最前線兵士だ。
軍はその事実を積極的には語らない。
語らなくても、大半の人間は知っている。
オレの隣の座席に、黒髪の少女が座っていた。
背筋を伸ばし、端末に表示された学校案内を無言で読み続けている。
周囲の生徒とは一切会話を交わそうとしない。
顔立ちは整っているが、近づきやすい雰囲気ではなかった。
「何か用かしら」
視線を向けていたことに気づいたらしい。
少女は端末から目を離さずに言った。
「いや」
「そう」
会話はそれだけで終わった。
しばらくして、バスは人工島へ続く検問所へ到着した。
銃を携えた警備兵が乗車し、全員の身分証を確認していく。
バスの床下には爆発物検知装置が走り、車体の周囲を小型無人機が旋回した。
学校へ入るだけとは思えない警備だ。
もっとも、この人工島には衛士候補生だけでなく、
最新鋭戦術機の試験設備や軍事機密も集められている。
当然の措置ともいえる。
検問を抜けると、巨大な防壁の一部が左右へ開いた。
その先に高度育成衛士高校の全景が現れる。
中央には校舎と学生寮。
東側には陸上演習場。
西側には軍港と補給施設。
そして北部には、何棟もの巨大な格納庫が並んでいた。
格納庫の前を、多数の整備車両が行き交っている。
開かれたハンガーの中に、人型の巨大な影が見えた。
戦術機。
距離があるため機種までは判別できない。
それでも、初めて実物を見る生徒たちには十分だった。
車内のあちこちから、息を呑む音が聞こえる。
「すげぇ……」
前方の座席にいた赤髪の男子生徒が窓へ身を乗り出した。
大柄で、制服の上からでも鍛えられた体格が分かる。
「おい、見ろよ!本物の撃震だ!」
「座ってください」
車内放送から機械的な声が流れた。
男子生徒は舌打ちしながら席へ戻る。
隣の黒髪の少女は、呆れたように小さく息を吐いた。
「騒がしい人ね」
「知り合いか?」
「違うわ」
少女はようやく端末を閉じた。
「ただ、ああいう人間と同じクラスにならないことを願っているだけ」
その願いは、おそらく叶わないだろう。
根拠はない。
だが、なぜかそう思った。
バスは校舎前で停止した。
新入生たちは案内表示に従い、巨大な講堂へ移動する。
講堂には一学年分の座席が用意されていた。
正面には大型スクリーン。
左右には日本国旗と高度育成衛士高校の校旗。
校旗の中央には盾を模した校章が描かれている。
盾の内側には、交差する翼と剣。
さらにその中心には、小さなチェスのキングを思わせる意匠があった。
後にクラスルーム中隊の象徴となる図柄だが、この時のオレたちはまだ知らない。
指定された席へ向かう。
オレはDクラスだった。
先ほどの黒髪の少女も同じ列へ座る。
赤髪の男子もいる。
どうやら予想は当たったようだ。
「最悪ね」
少女が呟いた。
「何がだ?」
「独り言よ」
Dクラスの生徒たちは、全体的に落ち着きがなかった。
入学初日から大声で話す者。
椅子へ深く座り、退屈そうに欠伸をする者。
周囲の女子へ積極的に声をかける者。
一方、前方に座るAクラスの生徒たちは静かだった。
整列も早く、教官が指示を出す前から端末を机上へ揃えている。
クラス分けに何らかの基準があることは明白だ。
だが、その基準は事前に説明されていない。
やがて講堂の照明が落とされた。
ざわめきが静まる。
壇上へ、一人の男性が姿を現した。
坂柳成守。
高度育成衛士高校の理事長であり、この人工島全体の司令官。
軍服ではなく、落ち着いた色のスーツを着ている。
軍人らしい威圧感はない。
むしろ学校の式典に現れた温厚な教育者に見えた。
坂柳理事長は演台の前に立ち、新入生全体をゆっくりと見渡した。
「皆さん。高度育成衛士高等学校への入学、おめでとうございます」
穏やかな声だった。
しかし、広い講堂の隅々まで明瞭に響いた。
「皆さんはこれから三年間、この島で学びます。
通常の教科だけではありません。戦術、体力、精神力、連携。
そして戦術機の操縦技術を学んでもらいます」
大型スクリーンに戦術機部隊の映像が流れた。
荒野を跳躍する不知火。
海岸線へ降下する撃震。
砲撃を続けながら後退する陽炎。
映像の奥には、無数のBETAが押し寄せている。
訓練映像ではない。
実戦記録だ。
「皆さんの中には、衛士になることを夢見て入学した方もいるでしょう。
家族を守るために来た方もいる。将来が保証されるという理由で、
この学校を選んだ方もいるかもしれません」
一部の生徒が気まずそうに目を逸らした。
「理由は何でも構いません」
坂柳理事長は否定しなかった。
「最初から立派な覚悟を持つ必要はありません。
恐怖を感じることも、迷うことも、逃げたいと思うこともあるでしょう。
それは人間として自然なことです」
スクリーンの映像が切り替わる。
戦闘を終えた衛士たちが、損傷した戦術機から降りてくる。
互いの肩を支えながら歩く者。
帰還した仲間を迎える整備兵。
静かに敬礼する指揮官。
「この学校は、皆さんに命を捨てる方法を教える場所ではありません」
坂柳理事長の声が、わずかに強くなった。
「生きて帰る方法を教える場所です」
講堂の空気が変わった。
「一人で生き残るのではありません。隣にいる仲間と共に帰る。
そのための知識と力を身につけてください」
オレの隣に座る少女が、僅かに顔を上げた。
赤髪の男子も、先ほどまでとは違い、黙って壇上を見ている。
「皆さんには、多くの失敗を許します。
訓練で失敗してください。迷ってください。時には衝突しても構いません」
坂柳理事長は少し微笑んだ。
「ただし、自分自身を見限ることだけは許しません」
その言葉には、不思議な重みがあった。
威圧しているわけではない。
声を荒らげてもいない。
それでも、聞き流すことはできなかった。
「三年後、皆さんがどのような道を選ぶかは分かりません。
しかし私は、ここにいる全員が無事に卒業することを願っています」
一度言葉を切る。
「ようこそ、高度育成衛士高等学校へ」
拍手が起こった。
最初はまばらだったが、すぐに講堂全体へ広がった。
オレも周囲に合わせて手を叩く。
坂柳理事長は一礼し、壇上を降りた。
◯
最後まで書かれた完全版の第1話は本日、午前0時に投稿してあります。
よろしくお願いします。
一日一話で三作品を投稿するのは多いですか?
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いいぞ、どんどんやれ
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多い!読みきれない