ギルガメッシュという、これ以上ないほど強烈な「悪魔」を仲間に加えた藤丸たちの旅路は、歩みを進めるごとにその賑やかさを爆発させていった。
「おい、そこを退け雑種! 我が歩む道に転がる岩など、すべて宝物庫の塵に帰してくれるわ!」
「ギルガメッシュ、頼むから無暗にゲートを開かないでくれ。ただでさえ地獄の気圧のせいで私の投影魔術の安定性が削られているというのに、君が空間を歪めるものだから頭痛が酷い」
「ハハッ、元天使サマが泣き言かよ。まぁいいじゃねえか。マスター、この先が例の『道徳違反』でハジかれた連中の巣窟だぜ」
不遜に笑うギルガメッシュと、額を押さえるエミヤ。環境への適応力だけは異様に高いクー・フーリンは、ルーンの杖で前方の赤黒い霧を払いながら、藤丸の顔を見てニヤリと笑った。藤丸はふふ、と笑い返す。現世のあの静まり返った白い街の気配が、もう遠い昔のことのように思える。
「……ねえ、前々からちょっと気になってたんだけどさ」
地獄の冷たい空気のなか、藤丸は歩みを止め、隣を歩く黄金の英霊を見上げた。
「ギルガメッシュって名前、社会の教科書に書いてあったんだ。ウルクの王、楔形文字、人類最古の叙事詩……もしかして、あなたがあのギルガメッシュなの?」
黄金の鎧を揺らし、英雄王は傲然と不敵な笑みを浮かべた。
「ふん、今更そのような釈迦に説法を口にするか。そうだ。紛れもなく、我こそがその最古の王ギルガメッシュである」
「じゃあ、」
藤丸は一瞬言葉を詰まらせ、それから、ずっと胸に引っかかっていた疑問を真っ直ぐにぶつけた。
「……なんでそんな偉大な王様が、地獄に落ちるようなことをしたんだ? 何か悪いことでもしたの?」
その問いに、ギルガメッシュの笑みがフッと消えた。紅い瞳が、地獄の深い闇の先を見つめる。
「――時代の流れ、という奴だ」
静かだが、ひどく重い声だった。
「かつて我は、人類最古の英雄王として民から絶大な崇拝を受けていた。しかし、お前が生きる現在の時代において広く信仰されている、あの唯一絶対の神……あの一神教によって、我ら古い神話の王や神は、全て『魔王』や『悪霊』として上書きされ、定義し直されたのだ」
「王の言う通りさ」
横から割り込むように、キャスターの木杖の先がカツンと床を叩いた。フードの奥から、クー・フーリンがどこか冷めた、けれど哀愁を帯びた瞳で藤丸を見る。
「俺たちだって、かつては故郷で英雄や、王や、神様として確かに認識されてた。だがな、全ての民がたった一つの神だけを信仰する世界になっちまえば、その他大勢の古い神話は、全部『人々を惑わす邪教の悪魔』ってことにされる。それが歴史のルールなんだよ」
クー・フーリンは周囲の果てしない闇を見渡した。
「そして、この地獄って場所は、そうやって歴史の表舞台から弾き出された者たちの、本当の『墓場』なのさ。誰も来ない闇の底で、みんな、いつの日か誰かに思い出されることをただ願ってる。……だがな、現世の人間から完全に忘れ去られれば、データが消えて、存在そのものが消滅しちまう奴だっているんだよ」
悪魔にされた神々の孤独と、消えゆく恐怖。二人の英霊が語ったその残酷な真実を、藤丸はただ静かに、その胸に深く刻みつけるしかなかった。
一行が霧を抜けると、そこには地獄の岩肌を荒々しく削り取って作られた、巨大な闘技場のようなエリアが広がっていた。
そこはギリシャや北欧の神話に連なる英雄たちの墓場だった。
「おや、珍しい客人が来たものだ。それも、一人は生きた人間の子供か?」
闘技場の中心。赤黒い炎が燃え盛る篝火の傍らで、長い槍を肩に預けた絶世の美女――影の国の女王スカサハが、不敵な笑みを浮かべて一行を迎えた。
その周囲には、現世の教科書で『残虐の悪魔』と断じられていたギリシャの韋駄天アキレウスや、あまりの愛の重さゆえに『魔女』と貶められた戦乙女ブリュンヒルデたちが、獰猛な、あるいは品定めするような視線で藤丸を見つめている。
これこそが、新たなエリアの洗礼。一歩でも答えを間違えれば、神話級の英霊たちの武器によって魂を消し飛ばされる、極限の『死の選択肢』だった。
「我が宮殿のソファが恋しくなったか雑種」と後ろで腕を組むギルガメッシュ。
エミヤがいつでも武器を投影できるよう身構える中、スカサハがその紅い瞳を細め、藤丸の目の前へと歩み出た。魔槍の先端が、藤丸の喉元へピタリと突きつけられる。
「人間の子供よ。現世の生ぬるい無菌室を捨て、わざわざこの死人の国へ足を踏み入れた理由はなんだ? 己を高めるための試練を欲するか? それとも、己の脆弱な命をここで終わらせにきたか?」
神の領域に達した戦士の、圧倒的な殺気。普通の人間なら、恐怖に平伏して命乞いをするか、あるいは「強くなるための力を貸してください」と、教科書通りの優等生な回答を絞り出すだろう。
しかし、藤丸立香は、喉元に突きつけられた槍の刃を恐れる風もなく、ただ真っ直ぐにスカサハを見つめ返した。登山の時、過酷な絶壁を前にした時と同じ、透き通った瞳だった。
「ううん、どっちでもないよ。俺ね、ただみんなと一緒に、面白いことを見つけながら歩きたいんだ。言葉にするのが難しいけれど、俺は知りたい。自分が何のために泣いて怒って生きるのかを……かつては忘れてしまった、子供の頃には持っていた、世界の全てを肯定できるような、確信めいた何かを思い出したい。」
一切の打算もない、裏表のない純粋な心。
「ただみんなと一緒に、面白いことを見つけながら歩きたい」という藤丸の本音が、闘技場に響き渡った。
一瞬の静寂。
次の瞬間、魔槍の刃がスッと引かれ、スカサハの口から鈴を転がすような笑い声が溢れ出た。
「――クク、ハハハハ! 面白い! 試練でもなく、死への逃避でもなく、ただ『今を面白おかしく生きる』ために地獄を歩み続けるか! 現世の神罰など恐れぬ、とんだ大莫迦者だ!」
「へっ、そういうことならよ、俺も同行するぜ藤丸!」
アキレウスが少年のような笑みを浮かべて藤丸の肩を叩く。
「まぁ……! 私のこの重すぎる愛ごと、連れて行ってください……!」
ブリュンヒルデが手を合わせる。
藤丸の「今を生きる」という圧倒的な包容力の前に、プライドの高いギリシャや北欧の悪魔たちは、一瞬にしてその心を一本釣りされ、気さくな相棒へと変わっていった。
「よし、じゃあみんなで行こう!」
藤丸が元気よく声を上げると、後ろついてくる悪魔たちの列が、さらに長く、賑やかに連なっていく。
「おいアキレウス! それは私が今焼き上げたばかりのパンケーキだ、素手で引ったくるんじゃない!」
「へへっ、早い者勝ちだろ、エミヤ! 影の国の師匠に絞られた後は、この甘い奴が五臓六腑に染みるんだよ!」
「ああもう、そこの戦乙女! 宮殿の絨毯の上でそんな物騒な槍を振り回すのはやめてくれ! ギルガメッシュ、君も面白がって宝物庫から酒樽を次々と床に直置きしない!」
黄金の宮殿の厨房は、もはや戦場という言葉すら生ぬるい大混沌の極地に達していた。
ギリシャや北欧の荒くれ者たちが合流したことで、藤丸のアジトは毎日が修学旅行の夜とお祭りを足して割ったような大騒ぎの空間と化していた。
その中心で、どこからか調達した白いエプロンをきっちりと締め、フライパンを両手で同時に振り回しているのが、エミヤだった。
「やれやれ、これだけの人数分の食事を作るのがどれだけ重労働か、少しは理解してほしいものだな!」
怒鳴り散らし、額の汗を拭いながらも、エミヤの手際は完璧だった。地獄の謎の果実をジャムにし、ふっくらと焼き上げた山盛りのパンケーキに次々とデコレーションしていく。
この地獄の住人たちには、メリットも生産性も一切ない。
ただ美味いものを食べて、大声で笑って、自分のエゴのままに「今」を全力で面白がっている。
(こんなに適当で、自由でいいのか……?)
最初はそう頭を抱えていたエミヤだったが、気づけば、天界で彼の胸の奥を苛んでいたあの痛々しい虚無感は、綺麗に消え去っていた。
「エミヤ、すっごく楽しそうだね」
不意に、キッチンのカウンター越しに藤丸がひょこっと顔を出して、悪戯っぽく微笑んだ。
「なっ……! どこを見て言っているんだい藤丸。私は今、君たちの我が儘のせいで、過労死寸前と言ってもいい限界状態なのだが?」
「あはは、だって、エミヤの声、天界から落ちてきた時みたいに機械っぽくないもん。文句ばっかりだけど、すごく生き生きしてるよ」
藤丸の真っ直ぐな言葉に、エミヤは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
それから、観念したようにふっと優しく口角を上げる。
「……君には敵わないな。確かに、あの退屈な白い檻にいるくらいなら、こうして君たちのために不条理な重労働を強いられている方が――よほど人間らしくて、新鮮で、心地がいい」
天界にとっては致命的な不純物。
けれど、その不純物こそが、エミヤという一人の人間に本物の魂の血を通わせていた。空っぽだった彼の器は、自由という鮮烈なエネルギーで、今や満ち足りていた。
居間の方からは、ギルガメッシュが最高級 の酒杯を掲げて「フハハハ! 雑種ども、我の蔵の美酒を浴びるが良い!」と高笑いする声が響き、それに合わせてギリシャの英雄たちがドッと盛り上がる。
「……ふぅ」
賑やかな宴の喧騒から少し離れた宮殿のテラス。藤丸立香は、手にした温かいベリーティーから立ち上る湯気を見つめながら、静かに息を吐いた。
背後の居間からは、現世の厳しい道徳や倫理から『悪魔』や『魔女』と貶められた者たちが、ここでは誰もが最高に愉快で、温かい同居人として笑い合う声が響いている。
それは、藤丸が心から求めていた、毎日がお祭りのような完璧な「楽園」だった。
けれど、その温もりがあまりにも愛おしければ愛おしいほど、胸の奥にある小さな棘が、チクリと痛む。
(ここに、マシュがいたらな……)
夜空を見上げると、赤黒く燃える地獄の雲の隙間に、ぽつりと冷たい星が見えた。
藤丸の脳裏に浮かぶのは、あのどこまでも白く、機能的で、無菌室のように綺麗な現世の情景。
そして、スケジュールに追われるあまり、いつの間にか会話もしなくなって疎遠になってしまった、学校の友達や同級生たちの顔だった。
置いてきてしまった家族。自分を形作っていたはずの、現世の確かな繋がり。
みんなをこの賑やかな場所に連れてきて、エミヤの焼いた甘いパンケーキを一緒に食べられたら、どれほど幸せだろう。そんな、叶うはずのない未練が、チクチクと心を刺す。
だが――「じゃあ、現世に戻りたいか」と自分に問いかけた瞬間、足の先から冷たい泥のような恐怖が這い上がってくるのが分かった。
戻ればまた、あの息の詰まるディストピアが待っている。
分刻みのスケジュール、将来の目標スコア、徹底された相互監視。
戻ればまた、宿題を忘れ、遅刻をし、縦社会の冷淡な視線に晒されて、自分がどうして辛いのかも分からないまま、あの冷たい病室のベッドへ逆戻りするだけだ。
「……戻りたく、ないな」
ぽつりと漏れた本音は、テラスを吹き抜ける地獄の風にかき消された。
行き場のない寂しさと、現実への深い恐怖。赤黒く燃える楽園の片隅で、藤丸は自分の本当の居場所がどこにあるのかを見失い、静かに揺れ動いていた。
「――お前さん、やっぱりそういうツラをするんだな」
不意に、すぐ横から気楽な、けれどすべてを見透かしたような声がした。
振り返ると、クー・フーリン・キャスターが、ルーンの杖を壁に立てかけ、いつの間にか隣に並んで夜空を見上げていた。
「クー・フーリン……」
「ここにいる連中は、みんなお前が好きだぜ。だがよ、お前さんの魂の底は、まだあの窮屈な世界を諦めきっちゃいねえ。お前さんが本当に会いたい奴が、まだあっちに残ってるだろ」
兄貴は藤丸の頭を、大きな手で乱暴に、けれど優しくガシガシと撫で回した。
「寂しさと、怖さ。どっちも本物だ。だがな、その境界線を踏み越えるだけの根性が、お前さんの足にはあるはずだぜ」
そう言って不敵に笑うクー・フーリンの瞳には、哀れみではなく、確固たる信頼の光が宿っていた。
その言葉の温かさに、藤丸は胸の奥の支えが少しだけ軽くなるのを感じながら、かすかに微笑み返すのだった。