国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う   作:三打して待つ人

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卵一つで冬が三日

卵一つで、三万人の冬が三日減る。

 

ハナは十二の卵を見せてから、そう言った。

 

先に聞いていたら、俺は産室の扉を開けなかったか。たぶん開けた。だから困る。

 

母根共有域の内側は、産室というより温かい洞窟だった。壁も床も濡れた根で、ゆっくり脈打っている。その根の間に、白緑色の膜が十二。大きなものは修繕艇の船室ほど、小さなものでも俺たちの寝台二つ分はある。

 

外から聞いた時は、重なった細律と、一つだけ返る心拍らしい音しか分けられなかった。ここでは違う。

 

ネネが十二本の帆糸を一本ずつ根の窪みへ渡し、ハナが戻し水を半椀だけ流す。温度が届く順に、糸の張りが変わった。

 

一番右が先に丸まり、奥の二つが遅れて押し返す。左下の小さな膜は動きが弱い。それでも隣の揺れを拾ったものではなく、自分の位置から糸を動かした。

 

「十二」

ネネが床板へ印を置いた。

 

「同じ客が十二回来たんじゃない。別々の場所で、別々に返してる」

 

個別の心拍までは読めない。親も、孵る順も分からない。だが、空の卵房を数に入れたわけではなかった。

 

十二の膜が、十二の場所で返している。

 

俺は許可札を握り、奥へ続く根の絞りを見た。産道を塞ぐ固定輪はここからでも三本見える。外回りの戻し水を作り、採液を落とし、根へ育つ幅を返せば通せる。

 

「十二個とも助ける。全部やる」

 

口から出た時は、かなりましな答えに聞こえた。

 

ハナの白い眉は一筋も動かなかった。

 

「水は」

「外回りへ回す」

「一卵につき三十六桶。いま空けられる桶は百八。四つ目から、産湯と飲み水を抜くのかい」

 

「なら、別の水槽を――」

「熱は。膜を産道へ送った後、一昼夜冷やさず運べる熱籠は三基だ。四つ目は何で包む」

 

返す前に、ハナは床へ三本目の線を引いた。

 

「根道は二本ずつ空ける。湯床の送り手八人、見張り四人。菌床四十籠と、根道沿いの百二十人を動かす。十二全部なら、道を使う中央七根村の三万人が順に家と畑を退けることになる」

 

オルナ全体には、その倍ほどが暮らしている。外縁の歩く村は自分の貯水と菌床を持つが、産室の主管へ繋がる中央七根村は違う。ここから樹乳と戻し水を受け、冬蔵を共同で積んでいる。

 

ハナは湿った床へ、最後の数字を刻んだ。

 

「採液を三日落とせば、冬蔵へ入る根粉と乾燥菌が三日分減る。卵一つにつき、三万人の三日だ」

 

十二なら三十六日。

 

次の冬まで余っている分が、そんなにあるはずはない。

 

「子を残す祭りでは、そこまで数えたんですか」

ミラが尋ねた。もう王女の声ではない。根へ屈んで地図板を濡らす、いつもの声だった。

 

「言ったさ。だから私は、孵す卵を減らしてきた」

 

ハナは十二の膜を見回した。目を逸らさないのは、平気だからじゃない。見ないまま決めたことにしたくないのだろう。

 

「帝国の長眠液で残せる膜を残し、冬蔵を割らない数だけ通した。外した卵がどこへ運ばれたかは、知らずにいた。もう同じ選び方はしたくない。だがね、したくないだけで桶は増えない」

 

「三万人は、卵を残す数を知っていたんですか」

ネネが訊く。

 

「祭りで生まれた数は知る。産室で眠らせた数と、帝国が回収した数は、長老会と産師しか知らない」

 

なるほど。住民は生まれた数を祝えても、冬食が三日増えた代わりに何が一つ減ったかを知らない。選ばせなかったのは卵だけじゃない。

 

俺は床の「十二」を見た。

 

「それでも全部だ」

 

ハナの白眉が、今度は上がった。

 

「どの水を切る」

「まだ決めない」

「では何を決めた」

 

言葉が詰まった。

 

全部、と言えば、捨てる数を口にしなくて済む。十二のうち三つを指す手にもならず、冬に空になる椀を見る役にもならない。俺は正しい側へ立って、桶を運ぶ人間に計算を渡せる。

 

ずいぶん楽な言葉だった。

 

「安心したんだな」

ネネが帆糸を巻きながら言った。

 

「何がだ」

「全部って言った時。レン、自分だけちょっと安心した顔した」

 

仕事として雇った息読みは、雇い主の息まで読む。契約に入れた覚えはないが、止める権利は入れた。たぶんその中だ。

 

「……した」

 

認めると、十二が少しも減らないまま戻ってきた。

 

ミラが産室の入口へ目を向ける。外では帝国の公示杭が、一定の間隔で三打を繰り返していた。

 

「私は猶予を取りに行きます」

「帝国へか」

「明日の第一夜鐘で薬と航路を止められれば、数を増やす方法を試す時間もなくなります。身柄の引き渡しには応じず、生存確認と住民協議を理由に期限を延ばせるか交渉します」

 

「一人で行くな」

 

反射で出た言葉に、自分で引っかかった。

 

ミラの琥珀色の目が、まっすぐ俺を見た。王女の名を隠していたことへ、俺はまだ腹を立てている。だからといって、怒りを護衛命令へ作り替えていいわけじゃない。

 

「違う。帝国の記録だけを残させるな。オルナ側の書役と、別の立会人を連れていけ」

 

「シガさんに根議会の記録を頼みます。ジオさんにも、王国側の立会いをお願いしました。テアは帝国現場章で同行します」

 

もう揃えてあった。

 

悔しいので、地図板の角度が悪いことだけ直した。左手でだ。右の前腕は軽く添える以上に使えないし、深く息を吸うと左の肋がまだ刺す。

 

「こちらの数字が要ります」

ミラは言った。

 

「帝国の薬がなければ何個が危険になるのか。期限がどれだけ延びれば、何を試せるのか。希望では延ばせません」

 

「夕鐘までに出す」

「お願いします」

 

ミラは許可札をハナへ預けた。三目的の立入許可を、身柄交渉の通行札には使わないらしい。

 

産室を出る直前、彼女は一度だけ振り返った。俺ではなく十二の卵へだ。

 

その爪先がどちらを向いたかを、俺はもう見落とせない。

 

 *

 

中央七根村の冬蔵前には、昼鐘までに百人以上が集まった。

 

俺が呼んだのではない。ハナが産室の数を隠さないと宣言し、十二枚の白い木札を冬蔵の壁へ掛けたのだ。根議会の一人が外そうとしたが、冬蔵番の老婆がその手を杓子で叩いた。食料を守る道具は、政治にも効くらしい。

 

大きな作業板の一番上へ、俺は左手で書いた。

 

対象、十二。

現在、安全に孵せる数、三。

不足、九。

 

その下へ、水、熱、道、人、冬食、薬の六列を作る。

 

「三つはどれだ」

 

集まった男が真っ先に訊いた。背に菌床籠を負っている。家族の食い分を持ってきた顔で、卵を憎んでいるわけではなさそうだった。

 

「決めてない」

「弱いのを外すんじゃないのか」

 

ハナの口が固くなる。たぶん、今までならそうした。

 

「この三は卵の順位じゃない。いまある水と熱籠と冬食で、安全工程を最後まで通せる数だ」

 

俺は三の周りを四角で囲った。

 

「どれを捨てるかの欄は作らない。足りない九をどう減らすかを書く」

 

「書けば飯が生えるのか」

「生えない。生える場所を使ってる人間なら、俺より知ってる」

 

冬蔵番の老婆が杓子で板を叩いた。

 

「余りは九日。十日じゃないよ。去年の黴を帳面から引いてない」

 

根議会が持ってきた在庫板には十日とあった。冬蔵の奥から黒ずんだ根粉袋が三つ運ばれ、老婆の数字が正しいと分かる。

 

俺は冬食の列を九日に直した。

 

卵一つに三日。いまの三は、熱籠だけでなく、この九日から来ている。

 

「種根を食えば、もう六日ある」

誰かが言った。

 

「春の植え付けを半分にするならね」

老婆が返す。

 

「それは余りじゃない。来年の腹を今年へ移すだけだ」

 

種根の六日は別欄へ書き、赤い線を引いた。使用不可、ではない。使った時に来春何人分が減るか未計算。勝手に安全数へ足さないための線だ。

 

水番は、百八桶という数字にも首を振った。

 

「産湯分を除けば九十六だ。朝の漏れが十二。主管の節を塞がなきゃ、毎日減る」

 

「塞ぐのに何人要る」

「二人と半刻。ただし弁を止める」

 

「何呼吸まで」

「上段が三呼吸で下限。二呼吸ごとなら漏れ止めを替えられる」

 

水の不足は十二桶。漏れを止めればゼロになる。代わりに二呼吸ごとの作業と、上段菌床の監視が増えた。

 

板の前で、できる、できないが何度も入れ替わった。

 

熱籠を編む職人は、三基しかないという産師の数え方へ怒った。

 

「籠は五つある」

「二つは底が割れてる」

ハナが言う。

 

「外皮だ。発酵床を二重にすれば熱は逃げない」

「揺らしたら割れが伸びる」

「だから担ぐな。旧樹洞へ据える」

 

旧樹洞がどこで、床が卵の重さに耐えるかは、まだ分からない。俺は熱の列へ、壊れた二基、と書く。その横に、据置なら再検査、と残した。

 

直ったことにはしない。だが、壊れた物と使えない物も同じではない。

 

根道沿いの住民は、百二十人ずつ動かすという数字へもっと怒った。

 

「一卵ごとに家を往復させる気か」

「産師の今の工程なら」

 

「家は根皮紐で吊ってある。西の板道を外せば、三軒ずつ枝ごと寄せられる」

 

「その西道を薬運びが使ってる」

「帝国に止められたら空くさ」

 

笑いは起きなかった。

 

薬が止まれば道が空く。空いた道で卵を運べる。代わりに、長眠液と人の薬が来ない。得をした欄へ入れるには、代価が大きすぎる。

 

テアの産師団が持つ現場在庫は、命令が来れば封をされる。長眠液なしで膜が何日保つかは、卵ごとに違い、まだ測れていない。薬の列だけは、数字が一つも確定しなかった。

 

「帝国へ王女を渡せば、ここは全部埋まるんだろ」

 

人垣の後ろから声がした。

 

板の前が静まる。

 

言った女は幼い子を抱いていた。隠れもしない。子の口元には霧肺薬の青い染みが残っている。

 

「あの人が大勢を殺したって、公示は言ってた。うちの子の薬まで止めて守る理由を、私は知らない」

 

知らないのは、その人の落ち度じゃない。

 

俺だって、ミラが何を切ったのかまだ聞いていない。泥靴を見たから無罪だと言うつもりもない。帝国が言う「大勢」に誰が含まれるのかさえ、まだ材料がない。

 

「俺も知らない」

 

ざわめきが動く前に続けた。

 

「切断の記録は別に公開させる。身柄を渡すかも、俺が決めない。いまこの板で混ぜたくないのは、卵を何個通せるかと、罪の分からない人間一人を薬の代金にすることだ」

 

「でも、薬がなければこの子が払う」

「そうだ」

 

認めるしかない。

 

「だから薬の不足にも、この子みたいに必要な人数を書く。卵のためなら我慢しろとは書かない。猶予の間に代わりが作れなければ、その事実でまた決める」

 

女は納得しなかった。子を抱いたまま、薬の列へ「霧肺、今夜二匙」と書かせた。

 

それでいい。納得した人間だけ集めた資源表は、作業板じゃなく応援札だ。

 

昼鐘を二つ越えた頃、板には百人分の手跡がついていた。

 

戻し水は漏れ止めで十二桶増やせる。ただし二呼吸ごとに二人。

熱籠は安全三、据置再検査二。

根道は一卵ごとの全退去でなく、家三軒単位の枝寄せを検討。西道は薬路と競合。

送り手は八人十二組ではなく、交代二十四人で三工程まで。四工程目から休息が要る。

冬食は余剰九日。種根六日は来春損失が未計算。

長眠液と霧肺薬は、帝国在庫封印まで残量不明。

 

安全に通せる数は、まだ三のままだった。

 

けれど、最初の三とは違う。

 

最初は、ハナの頭の中と冬蔵の奥だけにある三だった。いまは、なぜ三なのかを三万人が確かめられる。増やすなら、どの列を動かすかも見える。

 

「全部って消すのか」

ネネが、一番上の余白を指した。

 

俺はそこへ書くつもりだったらしい。薄い粉墨で「全」まで跡が残っていた。

 

布で拭った。

 

代わりに、対象十二と、不足九を太くする。

 

全部という言葉を捨てたわけじゃない。ただ、数字の上へ被せない。十二個とも計算から外さないことと、いま十二個とも安全だと言い張ることは違う。

 

冬蔵番の老婆が、九日の横へ杓子を置いた。

 

「明日の朝までなら、菌床一段を休ませても冬は減らない。夜の熱を拾える槽があればね」

 

熱籠職人が旧樹洞の位置を書き足す。

 

まだ道ではない。だが、不足九の端に初めて細い切れ目が入った。

 

そこへ、シガの使いが泥だらけで着いた。

 

「ミラ・セト殿から、確定した数を帝国幕へ持ってきてほしいと」

 

王女名では呼ばなかった。

 

「交渉は」

「猶予の条件が出ました」

 

使いは俺を見ず、板の十二枚の札を見た。

 

「身柄の扱いを除けば、です」

 

 *

 

俺は走らなかった。

 

走れない、と言ったほうが正しい。左の肋は早足だけでも鈍く刺した。作業板は根道の住民四人が運び、ネネがその前を歩く。雇い主が置いていかれそうなのは、格好がつかない。

 

帝国幕は外周根の上にあった。白い布壁、同じ高さの支柱、泥へ沈まない骨板。動く森の上でも、ここだけは揺れない国を演じている。

 

入口でジオの部下が武器封を見せた。黄と白の二重封は切れていない。

 

「王国側記録、継続中」

ジオが短く告げる。

 

幕の中央では、ミラとテア、シガが長机を挟んで座っていた。向かいに帝国の白襟が三人。誰も声を荒らげていない。怒鳴る必要がない側の静かさだった。

 

机には二枚の契約板がある。

 

一枚目は、次の第一夜鐘までだった最後通告を、明後日の第一夜鐘まで延ばすもの。延長中は産師派遣、現場の長眠液と人用薬、保護航路を停止しない。猶予は一日。旧樹洞を調べ、熱槽を一つ試す時間にはなる。

 

その代わり、オルナは卵数、薬量、作業者名、産室経路を帝国へ開示する。

 

嫌な条件だが、範囲と閲覧者を削れば交渉はできる。

 

二枚目は違った。

 

「資源表です」

 

俺は運んでもらった板を机の横へ立てた。

 

「卵は十二。個別の心拍は未確認だが、十二か所で独立した膜反応がある。現在の安全工程は三。明朝までに戻し水の漏れ止めと、据置熱槽の検査ができる。期限延長が必要だ」

 

白襟の男は、板の三だけを見た。

 

「では、三卵を処置し、残る九卵を休眠管理へ戻せばよい」

「休眠の自然発生は証明されていません」

テアが言う。

 

「副長、あなたの異議は記録済みです。残る膜を保全するには、帝国薬が要る。その事実に異議は」

「ありません」

 

正しい部品で、また同じ形を組んでくる。

 

「三は選別数じゃない」

俺は板の不足九を指した。

 

「現在の設備上限だ。住民が資源を出すか、工程を変えるか、明日の作業で増える。九を休眠へ戻す同意は取ってない」

 

「では、三万人の冬を削る同意は」

「それもまだだ。だから板を公開した」

 

白襟の男は、初めて俺を見た。

 

「未決定を並べるために猶予が必要だと」

「決めたふりをしないために要る」

 

隣でネネが鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。帝国の三人は笑わなかった。

 

ミラは資源表を端から読んだ。霧肺、今夜二匙。その一行で指が止まる。

 

「人用薬の現場残量は」

彼女が訊く。

 

白襟の一人が別板を返した。

 

「長眠液は十二卵へ四日。霧肺薬は中央七根村へ一日半。帝国との通常航路があれば補充可能です」

 

「猶予中は補充されますか」

「一巡分を認めます」

 

一日半が、一日延びるだけだ。猶予が終われば、また同じ首へ紐が掛かる。

 

「身柄の扱いを除く条件なら、延長は何日です」

 

俺が訊くと、シガが目を閉じた。

 

「ありません」

白襟は答えた。

 

机の二枚目を、ミラが自分の前へ寄せた。

 

リュータ操路切断責任者ミラ・リュータは、明後日の第一夜鐘までの供給継続と引き換えに、期限到来後、帝国産律院の保護拘束へ自ら入る。

 

オルナ域での逮捕ではない。本人が同意して外へ出るから、ジオの言った逮捕権も関係なくなる。

 

ずいぶん丁寧な捕まえ方だ。

 

「待て」

 

俺の声に、ミラは顔を上げなかった。

 

「これはまだ条件案です」

「署名板を自分の前へ置いて言うことか」

 

「猶予があれば、明朝までの試験と住民協議ができます」

「あんたの身柄を冬食の列へ足すな」

 

言ってから、俺は自分の作業板を見た。

 

人を荷のように数えるな。それは正しい。だが、本人の選択だから触るなと離れれば、ミラは一人で三万人分を払える欄へ自分を置く。

 

逆に板を奪えば、また俺が彼女の進路を決める。

 

必要なのは命令じゃない。代わりに動かせる列と、断った後の退路だ。

 

まだ揃っていない。

 

ミラは赤い操路紐を解いた。

 

第三の結びを逆へ返す。産室を開けた時と同じ、リュータ王家の署名形だった。

 

白襟の男が、二枚目の契約板を彼女の前へ正しく揃える。

 

泥の乾いた指が、署名溝の上へ降りる。

 

あと指一本だった。

 

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