国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う 作:三打して待つ人
幼なじみが俺を逮捕したのは、フェン兵の槍がヤシュへ届く三歩前だった。
「レン・カーヴ」
ジオは幼名で呼ばなかった。
「フェン貯水槽外門爆破、および国獣衝突工作の容疑で拘束する。右前腕の支えは外さない。拘束索は左手前。異議と負傷は記録する」
白い拘束索が左手首へ一周し、ジオ自身の警備帯へつながる。
締め方を知っている結びだった。手首二本をまとめず、引けば輪が広がり、逃げようとすれば狭くなる。吊街で人を捕まえる時、役人が使う結びだ。ジオが警備へ上がる前から練習していたのも知っている。
それが俺の手へ来た。
裏切られた、という言葉が先に出た。
頭の中でだけだ。口にすれば、今までの命令と迷いと四軒の住所を、全部この一周へ押し込むことになる。それでも手首の白索は、子どものころから知っている相手に捕まった事実をよく伝えた。
フェン兵の先頭が槍を止める。
「カロクの水守も共犯だ!」
「ヤシュの信号筒は発火板を外し、爆発前から共有板上へ封印されている」
ジオが答える。
「赤い導火索が出た!」
「索の色は出所の確定ではない。現場を踏むな。被害確認、消火、破片の位置記録を先にしろ」
命令する権限はない。だが俺を拘束した王国警備が、同じ口で証拠を踏むなと言うと、フェン兵は足を止めた。容疑者を奪い合うより、捕まえた者を見張る形のほうが安いらしい。
エマも操路杖を横へ置き、兵士たちへ二拍を鳴らした。
「外門の死者は」
「なし。裂傷四、耳鳴り七。門番一人が落下して左足を折った。貯水槽本体に漏れなし、外門の開閉軸が片側破断」
人が死ななかったのは運だ。水が漏れなかったのは、爆破した側が外門だけを狙ったからかもしれない。
兵士のうち十人は外門へ戻り、残る者はヤシュと白管を囲んだ。赤い導火索という一つの物が、子ども四人の測定板より大きな声を持ち始めている。
ネネが工事板を外さず、四枚の停止札を順に裏返した。
爆発で白管の圧は七から六へ低下。受け袋に裂けなし。仮槽への水は両側とも百二十椀で停止。船が管を引いた形跡なし。緊急停止条件へは届かないが、子どもを残す理由もないので観測作業を終える。
「賃金はここまで?」
カロクの見習いが訊いた。
「爆発までじゃなく、板を閉じた時まで」
ネネはエマとヤシュへ終了時刻を書かせた。逃げたから半額、という欄を作らない。四人は測定板の写しを一枚ずつ持ち、フェン側二人は円環城の家へ、カロク側二人は共有荷台の仮待避所へ分かれた。
兵士はカロクの子を捕まえろと言いかけたが、エマの杖が床へ二拍を落とす。
「雇ったのは私と水守だ。管へ入れず、時刻を測らせた。異議があるなら、先に私の石輪を外せ」
ヤシュも発火板を外した信号筒を頭上へ置いた。赤い索を持つ唯一の道具が、爆発前から封じられていたことを全員へ見せる。
二国の代表が仲間になったわけではない。互いを疑うために作った共同板が、今だけ子どもと水路を兵士の槍から離した。
ミラは赤紐でネネと四人の子どもを、白管の裏へ退かせた。管制薄板の鏡写しは三か所に分けたまま。自分だけこちらへ来る。
「拘束理由を共同板へ」
「書く」
ジオが答えた。
「爆発前に届いた逮捕命令も並べてください」
「原本の封はもう開いている。受領時刻と発送刻印を写す」
ミラは俺を連れていくなとは言わなかった。今ここで取り返そうとすれば、拘束索を境に王国、フェン、カロクが三方向から武器を抜く。
ジオは部下四人へ、武器の黄封と白紐を確認させた。一人を爆破現場の立会い、一人を負傷者記録、一人を代替水路、一人を俺の拘束記録へ置く。家族を脅されている四人を、俺一人の監視へ集めなかった。
「歩けるか、カーヴ」
「先に測る」
ネネが呼吸板を持ってくる。爆風のあと、浅い呼吸十回。左膝は曲がる。肩は上がる。肋は深く吸えば三段痛むが、平常呼吸では一段。脚渡りの後と同じ範囲まで戻っている。新しい骨擦れの音はなく、歩行だけ黄から白へ戻した。
「牢まで何歩」
「三百二十」
エマが言う。
「途中で一回止まる」
容疑者が休憩を指定するのは格好がつかない。格好で肋はつながらない。
ジオは拘束板へ停止点を書いた。
俺たちは、円環城の兵士たちが抜かなかった槍の間を通った。
索の向こうで、ジオの歩幅は俺より半歩短かった。
逃げられないよう引くのではない。俺が走れない速さへ合わせている。
気づいたからといって、裏切られた感じが消えるわけではなかった。
*
フェンの牢は、昔の共有荷台の内側にあった。
国境を越えた荷と人を一晩置くための部屋だ。壁は灰黄色の甲板、扉は水で膨らむ木格子。鉄を使えば砂霧で冷えて割れるので、太い水紐を乾かして閂にする。
中には床板と水椀、それから片側だけ低い寝台がある。
「ずいぶん親切だな」
「寝台は荷物用だ」
ジオは低い寝台を靴先で示した。
「人より荷物のほうが待遇がいい」
「荷物は逃げない」
昔の返し方だった。
一瞬だけ、追われる前の吊街へ戻りそうになる。だから笑わなかった。今のジオは扉の外、俺は中だ。幼なじみの軽口で拘束をなかったことにするのは、俺にもジオにも安すぎる。
拘束索は扉の内側へつながれず、左手から外された。右腕の細支えもそのまま。代わりに木格子へ警備章の封が掛かる。
「正式拘束なら、俺の道具は」
「目録にする。地図板と透明板はミラ本人の物だ。ネネの帆糸も触らない。お前は粉墨、探り針、小瓶。小瓶は未開封のまま別布へ入れる」
ジオは一つずつ読み、部下と俺の印を並べた。逮捕命令へ従った姿だけなら、ずいぶんきれいだ。
「四軒を守るためか」
訊くと、粉墨を包む手が止まった。
「それもある」
否定しなかった。
「俺を王国へ送るのか」
「今は送れない。二頭の間の古道は操路塔でずれている。警備艇はカロク尾側だ。お前を移送するには、フェン兵とカロク兵の両方へ通行を求める必要がある」
「手間が掛かるから待つ?」
「手間の記録が時間を買う」
ジオは格子の前へ座った。俺から鍵が見える位置だ。隠す気がないというより、勝手に開ければ封を破った事実まで見える置き方だった。
「外では、フェン兵がヤシュを爆破犯として拘束しろと求めている。カロク側は赤い導火索が偽装だとして、兵を呼ぶ準備を始めた」
「俺を捕まえれば止まるのか」
「両方が、お前を自分側の証人だと思っている。カロクは水交換の構造を見つけた継骨工。フェンは帝国管を暴いた外部者。王国は衝突工作犯と命令してきた。三者が欲しがる一人を手続きに載せれば、今すぐ相手の兵へ踏み込む理由を一つ減らせる」
囮だ。
しかも、よく出来た囮である。
俺を牢へ入れれば、フェンは容疑者を確保したと言える。カロクはヤシュが捕まっていないので兵を待てる。王国へは逮捕を実行した記録が返る。帝国管の証拠は、ミラ、エマ、子どもの板へ残る。
「最初からそのつもりだったのか」
「爆発前は監視だけで補記を待つつもりだった」
「爆発して、俺がちょうどいい荷物になった」
ジオの口元が硬くなる。
「そうだ」
そこで優しい理由へ言い換えなかった。
腹は立った。四軒のためなら仕方ないと、俺から許す形にもしたくない。だが、ジオが俺を売って自分だけ命令の内側へ戻ったわけでもなかった。警備章を扉へ掛け、外の三者が来る場所に自分も座っている。
方法が違う。
それだけで目的まで裏返ったと決めるのは早い。
幼いころのジオは、決まりを破らない奴ではなかった。
下層吊街の通行板を一枚しか持っていないのに、俺と二人で上の配管路へ入ったこともある。見つかった時、俺は足場の穴から逃げようとし、ジオは板へ二人分の名を書いた。二人で叱られれば半分になる、ではない。誰が入ったかを隠せば、次に足場を直す人が人数を間違えるからだと言った。
俺は当時、それを要領が悪いと笑った。
今も要領は悪い。俺一人を黙って王国へ渡せば、命令へはきれいに従える。代わりに爆破現場、白管、子どもの測定、四軒の住所を全部同じ板へ載せた。自分の逃げ道まで塞ぐやり方だ。
だから信用する、とはならない。
白索を掛けられた手首はまだ熱い。四軒のために俺を荷物へした事実も残る。信頼と腹立ちは、同じ板に並んでいていい。片方を消さなければ仕事ができないほど、俺たちは子どもではなくなった。
「で、囮に何をさせる」
「証拠を見る」
ジオが立ち、格子越しに共同板を差し入れた。
逮捕された人間へ証拠調べを頼む警備官は、たぶん上ではあまり評価されない。
「正式拘束中の容疑者に捜査させるのか」
「お前しか分からない材料がある。作業として依頼する。拒否は記録する」
「賃金は」
「払えない」
「王国警備、無一文の雇い主より悪いな」
「お前は雇い主でも無一文だろう」
今度は少し笑った。
拘束が消えたからではない。消えていないまま、仕事の条件を言い合えたからだ。
*
爆破現場から来た物は、三つだった。
赤い導火索。外門軸へ残った灰色の充填物。破裂筒の薄い外皮。
全部、位置と回収者と時刻が板にある。ジオの部下、フェン門番、エマの三者が別々に印を押していた。
「触るぞ」
「左手だけ。削らない」
格子越しに浅い木箱を受け取る。
赤い索は、カロクの信号筒と同じ色だった。だが撚りが違う。ヤシュの索は長い律を送るため、太糸二本、細糸一本を遅れて巻く。現場の索は三本とも同時に撚ってある。
「色を似せただけだ」
「それはエマも確認した」
ジオが板へ追記する。
灰色の充填物は、指で押しても崩れない。表面に薄い膜が張り、中だけまだ柔らかい。爆破前に外門軸の隙間へ詰め、乾かして固定したものだ。
「これ、仕込んでからどれくらい要る」
「最低で半日。砂霧が濃い場所なら一日」
ジオは黒い命令書を開いた。
受領は午後一鐘。発送刻印は朝四鐘。俺たちがフェンへ渡り始めたのは昼鐘前で、外門へ近づいたのはその後だ。
爆薬は、俺がフェンへ来る前に仕込まれていた。
さらに妙なのは、命令書の罪名だった。国獣衝突工作。外門爆破とは書いていない。爆発より前に俺を犯人として送り、爆発が起きたあと、その命令をちょうどいい逮捕理由へ変えられるようになっている。
「王国は爆発を知っていた?」
「断定できない」
ジオはすぐに否定も肯定もしなかった。
「知っていた者が王国の伝令経路を使った、王国側が帝国計画に合わせた、別の工作に出した命令が偶然使えた。三つとも残す」
俺たちは破裂筒の外皮を見た。
薄い黄布の間へ、黒い砂粒が織り込まれている。触る前から知っていた。ヴァルドの修繕局が、古い固定鋲を抜く速割粉を包む防湿布だ。黒粒は火を遅らせ、黄布が湿気を吸う。下層の工房へは中身だけ小分けで来るが、王国の大修繕班は筒ごと持つ。
「似た布は」
「市場でも作れる。でも、この端を見ろ」
布端に三つの欠け、そのあと一つ空けて二つ。修繕局南第三庫の切り目だ。棚から出す時、管理簿と同じ欠けを付ける。
ジオは自分の部下へ、警備艇の応急修繕筒を持ってこさせた。黄封を切らず、外布の端だけ並べる。
三つ欠け、一つ空け、二つ。
同じだった。
布だけなら、盗んだ修繕筒を使った可能性がある。
次に灰色の充填物を水へ一粒落とした。表面の膜だけ白くなり、中の粒は底へ沈む。カロクの信号火薬なら油が浮く。フェンの門割り粉なら赤砂が残る。これはどちらでもない。
警備艇の応急修繕筒は開封できないので、ジオの部下が外側の使用説明板を写した。速割粉は王国の固定鋲へ合わせ、重い黒粒が底へ沈み、遅火膜だけが水面で白くほどける。現場粒と同じ順だ。
「量は分かるか」
ジオが訊く。
外門軸の破れは片側だけ。鋲穴三つが外へ開き、内側二つは形を残している。速割粉を一筒まるごと入れれば門と貯水槽壁まで割る。使ったのは四分の一ほどだ。
「水を漏らすためじゃない。門を開かなくする量だ」
「救護水を外から入れる理由が増える」
帝国管制薄板の手順とつながる。外門が使えなければ、フェンは自国の貯水槽を配れない。衝突後に来る救護船の給水所へ、人が並ぶしかなくなる。
ただし、王国材を使った者が帝国計画の実行者だとは限らない。帝国が王国材を入手した。王国側が置いた。両方の仕事を知る別の者が偽装した。ここで絞れるのは材料と目的だけだ。
「準備時刻も、もう一度出す」
充填物の外膜は、爆風にさらされた側だけ乾き、門軸の裏へ入った部分はまだ指跡を残す。フェンの夕方の湿度なら、表面がこの厚さになるまで最短六刻。昼前に詰めても間に合わない。
外門の点検板には、朝二鐘に異常なしの門番印。その次は朝三鐘から四鐘の交替空欄だった。その一刻に仕込まれた可能性が高い。
俺たちの修繕艇がカロクへ着いたのは朝五鐘。
爆薬を仕込んだ時、俺はまだ二千歩の向こうにすらいなかった。
爆破材は、ヴァルド王国修繕局から出たものだ。
俺が持ち込んだ証拠にはならない。修繕艇の二重庫は未開封で、俺の目録に速割粉はない。だが王国が無関係だという板も、もう作れない。
「これを外へ出せば、王国兵が爆破したと言われる」
「出さなくても、カロク兵がやったことにされる」
「だから三枚作る。原物はフェン、写しはカロクとミラ。俺の警備記録にも入れる」
ジオは手続き拘束を解かなかった。
俺へ謝りもしない。
代わりに、自分の国へつながる証拠へ警備章を押した。
その時、牢の外で鳥刻印の骨輪が鳴った。
ミラの王家印だ。
「フェン国老操路士、ヴァルド王国警備官、カロク国水守へ申し入れます」
声は格子の向こうではなく、共有荷台の広場全体へ向けられていた。
「リュータ王家最後の正統継承者、ミラ・リュータの名において、共同証言技術者レン・カーヴの身柄引渡しを要求します」
ジオが立ち上がる。
俺の逮捕は、幼なじみ二人の話ではなくなった。
滅びた国の王女が、俺を国際交渉の席へ載せた。