国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う   作:三打して待つ人

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王女の正しい脅し方

王女の正しい脅し方を、俺は牢の中から教わった。

 

まず、声を張り上げない。

 

ミラは共有荷台の中央で王家印を一度鳴らしたあと、返事を待った。広場にはフェン兵、カロクの杭隊、ジオの部下、それぞれの記録係がいる。誰か一人へ向かって大声を出せば、残りは相手側の話だと聞き流せる。

 

だから全員が黙るまで待った。

 

「要求する身柄は、レン・カーヴ一名です。爆破現場の証拠、白管の原板、共同測定板の引渡しは求めません」

 

次に、欲しい物を増やさない。

 

「レン・カーヴはカロク、フェン、ヴァルド、リュータの四者に関係する共同証言技術者です。いずれか一国だけの裁判で処刑すれば、証言を失わせた国へ残る三者が説明を求めます」

 

最後に、脅す相手へ逃げ道を残す。

 

「今夜、釈放せよとは言いません。拘束の記録を維持したまま、明日の正午鐘まで身柄移送、処刑、単独尋問を停止してください」

 

格子の隙間から見えるのは、ミラの背中半分だけだった。赤紐は腰ではなく地図板へ結ばれている。王家印を掲げても、頭へ載せる物は何もない。

 

エマの操路杖が甲板を一度叩いた。

 

「滅びた国の継承者が、フェンの牢へ命令できると思うか」

 

「いいえ」

 

即答だった。

 

「ですから命令ではなく、停止条件を提示しています。フェンが拒否するなら、その拒否と時刻を共同板へ残します」

 

「残したら、どうなる」

 

「リュータ王家の証言保全要求を承知したうえで、フェンが唯一の技術証人を失わせた記録になります。私はそれをオルナ、カロク、ヴァルドの立会記録とともに、次に会う帝国艇へ渡します」

 

フェンを侵略国だとは言わない。処刑すると決めたとも言わない。ただ、今ここで俺が死ねば、誰の板へ何が残るかだけを並べる。

 

修理で言えば、壊すぞと槌を振るうんじゃない。この鋲を抜けば、お前の足場も一緒に落ちると荷重線を見せるやり方だ。

 

俺ならたぶん、そこまで説明したところで余計な一言を足す。

 

ミラは足さなかった。

 

ヤシュが赤い肩布を握った。

 

「カロクは証人の引渡しに同意する。ただし、フェンからリュータへ移す途中で王国警備へ奪われるなら反対だ」

 

「私も、王国へ移送するための引渡しには同意しません」

 

ジオが格子の横に立つ。

 

「現状、カーヴは王国警備官である俺の手続き拘束下にある。リュータ王家を名乗る者へ移せば、受領権限と護送路の確認が要る」

 

「確認してください」

 

「リュータ王国は十五年前に消滅している。現存する役所も、受領印を押す官吏もいない」

 

「ですから、私へ渡せとは言っていません」

 

広場で小さくざわめきが起きた。

 

俺も一拍遅れた。最初に身柄引渡しを要求したはずだ。

 

「引渡し先は、四者共同の証言席です。場所はこの牢で構いません。扉の封も警備章もそのまま。フェン、カロク、ヴァルド、リュータから一人ずつ立会人を置き、質問と回答を同じ板へ記録する。それを身柄の共同管理とします」

 

牢から出すのではない。

 

牢の持ち主を増やす。

 

エマは石輪の一つを杖から外した。まだ渡さず、掌の上で転がす。

 

「王女の名を出せば、今後も同じことができると思われるぞ。水の交渉でも、土地の交渉でもな」

 

「思わせません」

 

ミラは折畳み地図板を開いた。透明板の下に、白い紙を一枚挟む。

 

「明日の正午鐘までに、レン・カーヴが爆破を準備できなかったこと、王国修繕局材が使われたこと、帝国管制手順と外門破壊の目的がつながること。この三点のうち二点以上を、四者の記録で確認します」

 

「できなければ?」

 

エマの声は低い。

 

「この交渉におけるリュータ王家継承者の称号使用を撤回します。砂双国の水、進路、国境に関する今後の交渉でも、同じ称号を根拠に席を求めません」

 

ミラは王家印を紙の上へ置いた。

 

「期限までに証拠を示せなければ、私が名を使った事実と、使う資格を立証できなかった事実を、両方残してください」

 

正しい脅し方の最後は、自分の足場も同じ図へ載せることらしい。

 

王女の名は、ミラが嫌になれば脱げる外套じゃない。オルナの記録庫では、十五年前に切られた索と七百三十一人の名がその後ろへつながっていた。名を使うたび、助かった者の数も、助からなかった者の数も、勝手についてくる。

 

それを俺一人の明日へ掛けた。

 

胸の奥に出た熱を、肋の痛みと間違えるには位置が高すぎた。

 

「ずいぶん大きな担保だ」

 

ヤシュが言う。

 

「大きくなければ、処刑を国際問題にはできません」

 

「本当に処刑するかは決まっていない」

 

ジオの指が警備章の縁へ掛かる。

 

「だから今、止めるんです。決まったあとでは遅い」

 

ミラはジオを責めなかった。命令を受けた者が、決まっていないことを決める前に、板と立会人を増やす。それはジオ自身がずっとやってきた抵抗と継ぎ目が合う。

 

ジオは部下四人を見た。

 

四人とも黄封と白紐を残している。一人は王国、一人はフェン、一人はカロクの記録板を持ち、最後の一人が空の共同板を持っていた。

 

「共同管理中、扉の封は誰が破れる」

 

「四者のうち三者が、同じ理由へ署名した時だけ。火災、浸水、国獣の転倒が迫る場合は、最寄りの一人が開け、あとから理由を記録します」

 

「逃走があった場合は」

 

「私の立会印も不履行として残す」

 

ミラは逃げないと約束しなかった。俺が逃げる権利まで自分の名で売らず、逃げた時に自分が払う記録だけを出した。

 

エマが石輪を共同板へ置く。

 

「フェンは正午までの停止へ一輪を預ける。容疑を消したわけではない」

 

「カロクも水守印を置く」

 

ヤシュは封じた信号筒から印だけを外した。

 

ジオは最後まで黙ったあと、牢の封へ掛けていた警備章を外さず、同じ章の写し印を板へ押した。

 

「王国警備は共同立会いを受け入れる。拘束は継続。移送、処刑、単独尋問を芽吹き月三十六日正午まで停止する」

 

ミラが王家印を四つ目へ押す。

 

広場の息が一度に戻った。

 

俺の処刑がなくなったわけではない。

 

正午まで、決められなくなっただけだ。

 

でも今は、その半日が要る。

 

 *

 

立会人を残し、兵が広場の外へ下がったあと、ミラが格子の前へ来た。

 

「右腕は?」

 

「軽い物なら持てる。肋も平常呼吸一段。さっきから変わってない」

 

「よかった」

 

そこで会話が切れた。

 

いつもなら、俺は何か言って切れ目を埋める。王女様の臣下になった覚えはないとか、牢付きの共同証言技術者は賃金が出るのかとか。言えばミラも、臣下ならもっと姿勢のいい者を選ぶ、と返すかもしれない。

 

返しが想像できた。

 

だから使わなかった。

 

軽口を置けば、助けられた恥ずかしさを笑える形へ削れる。そのついでに、ミラが嫌う名を担保へした重さまで小さくなる。

 

「助かった」

 

喉が妙に狭い。

 

「ありがとう」

 

ミラの指が赤紐の結びへ触れた。ほどかず、締め直しもしない。

 

「どういたしまして」

 

「あの名を使わせた分は、俺の借りにしていいのか」

 

「よくないです」

 

答えは早かった。

 

「あなたを助けるか、助けないかを私が選びました。借りにすると、返し方をあなたが決めて、私の選択をあなたの荷物にできます」

 

耳に痛い。骨ではなく、もっと直しにくい場所へ入る。

 

「でも、代価はある」

 

「あります。私が払います。あなたは正午までに、自分の仕事をしてください」

 

「証拠を見る」

 

「それと、生きていてください」

 

命令ではなかった。

 

赤紐は格子へ結ばれない。ミラの地図板へ戻り、俺の届かないところで揺れた。

 

俺は返事を一つだけした。

 

「分かった」

 

一人で全部払う、とは言わなかった。ミラの代価を勝手に肩代わりする約束もしない。正午まで生きて、証拠を見る。それなら俺が引き受ける荷だ。

 

ミラは共同板の写しを格子から差し入れた。爆破材の三枚の記録、点検時刻、命令書の発送刻印。それだけでも期限の三点中、二点はかなり固い。

 

「外門の裏側を、朝二鐘に点検した門番から聞き取り中です」

 

「交替空欄の朝三から四鐘に、誰が通ったかだな」

 

「フェン側の水位走りが二人、荷車を見ています。ただし霧で顔は見ていません」

 

「車輪幅と荷重痕を採れる。俺が行かなくても、寸法を取ってくれれば比べられる」

 

牢の中でも仕事はできる。

 

その言葉を口へ出す前に、右奥歯が鳴った。

 

高い音ではない。

 

底板から上がった低い二つの律が、歯の奥で重なった。

 

一つは長い。押され、止まり、もう一度長く踏む。カロクの多数の脚が西へ荷を返す時の音だ。三節目だけが北西へ引かれているので、前後の継ぎ目で律が千切れる。

 

もう一つは短い。二拍ずつ、間を空け、また二拍。フェンの円環脚が南東へ荷を逃がしている。

 

二頭が互いへ進んでいるなら、床へ来る踏み音は近づく向きへ揃うはずだ。

 

逆だった。

 

カロクは西へ、フェンは南東へ。互いから離れる側へ踏ん張っている。

 

なのに、甲板全体は北西へ傾き続ける。

 

「待ってくれ」

 

共同板を寝台へ置き、左の奥歯を床板へ近づけた。右手は着かない。左膝と肩で体を下げると、肋が二段まで上がった。

 

「レン?」

 

「二頭が押し合ってない」

 

言い切った直後、言葉を止める。

 

俺一人の歯だ。

 

国獣の恐怖を聞いた、と書けば強い。強い言葉は、証拠が少なくても人を動かす。さっきミラが王女の名で半日を動かしたのと同じだ。

 

だからこそ、俺の感覚だけで決めてはいけない。

 

「そう聞こえる。ただし仮だ。三つ確かめたい」

 

ミラはすぐ地図板を開いた。

 

「何を測りますか」

 

「ネネの帆糸をフェンの外側脚、前と後ろへ一つずつ。エマの石輪で円環板の傾きを二点。同じ鐘で、ヤシュにカロク三節目前後の水膜の寄りを読んでもらう」

 

「結果がどうなら、仮説が残りますか」

 

「フェンの糸が南東へ倒れ、石輪の後ろ側が重い。カロクの水が西へ寄り、三節目だけ北西へ落ちる。三つが同時なら、二頭は互いから離れる荷を出してる」

 

「恐れている、というのは?」

 

「まだ書かない。離れる荷だ。痛みか、地形か、衝突を避けてるかは次」

 

俺には恐怖に聞こえた。

 

オルナが卵の圧線を避けた時とも、ラグナが胸の杭から逃げられず踏み直した時とも違う。相手を押し返す律ではない。自分の脚を引き抜こうとして、塔の一打に消される律だった。

 

だが「怖い」は、俺が国獣へ置いた人語だ。

 

それで兵を止めるなら、外から触れる数字を一緒に出す責任がある。

 

ミラは立会人四人の前で測定条件を読み上げた。俺が牢内で出した仮説、測る前の予想、外れた時は撤回することまで板へ書く。

 

ネネはもう仮待避所へ戻っていたが、夜番の仕事として新しい札を出した。子ども四人は呼び戻さない。フェンの脚糸はネネと成人の水位走り、カロク側はヤシュと管番が測る。危険線へ入らず、一鐘ごとに同時の色札だけを返す。

 

結果を待つ間、床の律は三度来た。

 

長い踏ん張り。

 

短い二拍。

 

その直後、操路塔の単一律が上から落ち、両方を潰す。

 

甲板がまた北西へ半指傾いた。

 

水椀の縁から、一滴が牢の床へこぼれる。

 

最初の札はフェンから来た。白。外側前脚の帆糸は南東へ四目盛り、後脚は二目盛り。円環板の石輪は後ろへ一欠け移動。

 

次はカロク。白。水膜は西へ三目盛り寄り、三節目の前だけ北西へ六目盛り落ちた。

 

三つ目は、ネネの灰札だった。

 

「二頭とも、近づく向きへ踏んでない」

 

本人の字で、それだけ書いてある。

 

仮説が一段残った。

 

俺の奥歯が拾ったものは、進めという命令ではなく、進みたくないという拒否だった。

 

「共同板へ」

 

俺は言った。

 

「国獣二頭は互いから離れる方向へ荷重を返している。衝突方向への移動は、自発的な踏み律と一致しない。恐怖という訳は技術記録に入れない」

 

ミラが書き終える前に、地面の下で乾いた音がした。

 

木が割れるより重く、骨が裂けるより遠い。

 

カロク側の札持ちが広場へ転がり込む。

 

「三節目、北側の短脚が四本沈んだ! 根元から血が出てる!」

 

続いて、フェンの円環城から警報が一打だけ鳴った。

 

エマが石輪を拾い上げる。

 

「前左脚の接地板が一枚割れた。後ろへ踏んだ荷を、塔の引きが戻した」

 

二頭は拒んだ。

 

操路塔は、その拒否をなかったことにした。

 

カロクの三節目だけを北西へ引き、後ろの脚が踏ん張るほど前の短脚へねじれを集める。フェンは南東へ逃がした荷を接地板で受け止め、押し戻された分だけ左前へ割れが走る。

 

相手へ向かって歩いているように見えて、二頭とも自分の脚を壊されている。

 

「塔を止める」

 

ヤシュが広場の外へ走りかけた。

 

「待て。白杭十六本を一度に抜けば三節目が落ちる」

 

格子を掴みそうになり、右手を止めた。

 

「順番を出す。塔の律と脚の沈みを同じ鐘で取ってくれ。今抜ける杭を決める」

 

牢にいるから遅い、ではない。牢から出れば俺の身柄を巡って四者が動く。その時間で脚がもう一本裂ける。

 

俺が今ここで代われない仕事は、聞こえた律と外の数字をつなぐことだ。

 

ミラが地図板を格子へ立て、エマとヤシュが左右から覗く。ネネの帆糸、石輪の欠け、水膜の傾き、塔の一打。四つを一枚へ重ねる。

 

その時、広場の端で鳥刻印の骨輪が鳴った。

 

さっきの王家印ではない。

 

ジオの部下が持つ、王国の伝令輪だった。

 

黒い筒が一つ、フェン側の渡り籠から届く。封は王国警備局。宛名はジオ個人。発送は午後四鐘、ミラが名乗ったより前だが、爆破後の時刻だった。

 

ジオは受領時刻を板へ書いてから、四者の前で封を切った。

 

紙は短い。

 

読むほどの行数もない。

 

ジオの目が最初の行で止まり、二行目で右手が紙の端へ食い込んだ。

 

「何て書いてある」

 

エマが問う。

 

ジオは隠さなかった。

 

共同板の灯りへ命令書を置く。

 

『身柄引渡しの要求があった場合、移送前にレン・カーヴを牢内で射殺せよ。逃走を図ったためと記録せよ』

 

王国は、俺の処刑が国際問題になるより先に、牢の中で終わらせろと命じていた。

 

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