国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う   作:三打して待つ人

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聞こえない記録官

助けた国で最初に言われたのが、うるさい、だった。

 

正確には、証明のない騒音を声と呼ぶな。

 

ソラネは耳が聞こえない。だから俺の言葉を聞き損ねたわけではなく、通訳僧が一字ずつ伝えたうえで、いらないと言った。

 

腹が立った。

 

翼梁の割れを見つけ、仮継鉄を三本入れ、二万人を載せた国の落下を止めた直後だ。少しくらい、役に立った耳だと認めてもいいだろう。

 

その考えが顔へ出たらしい。

 

ソラネは白粉袋を床へ置き、両手を動かした。

 

通訳僧が読む。

 

「あなたが役に立ったことと、あなたの説明が証明されていることは別です」

 

「翼は止まった」

 

手話へ直される。

 

ソラネの返しは短い。

 

「結果は一件。方法の正しさは未確認」

 

「仮継鉄の位置も、割れの長さも当たった」

 

「どこへ触れ、何で受け、どの時刻に、どの方向の振れを、何と訳した?」

 

答えようとして、詰まった。

 

翼梁へは探り針で触れた。位置は砲弾孔の後ろ側。時刻は二打一打の間。方向は……左翼が上がる時に下側へ引張り、下がる時に上側へ圧縮。

 

何と訳したか。

 

次の大きな羽ばたきで後ろ十九歩が開く、と言った。

 

だが、そのどこまでが針から来た音で、どこからが見た割れと俺の経験なのか、板へ分けていない。

 

「聞けば分かる」

 

言った瞬間、ソラネの眉が上がった。

 

両手が速く動く。

 

通訳僧は今度、ためらわなかった。

 

「それは方法ではない。あなた以外が間違いを見つけられない」

 

胸の奥へ、細い針が入る。

 

痛い場所へ当たったからといって、正しいとは限らない。

 

「じゃあ、あんたはどう測る」

 

ソラネは白粉袋を拾った。

 

ついてこい、と手で示す。

 

左脚は赤だ。

 

俺は杖で歩かず、低板の四隅を修道院の細い床索へ掛けた。巻胴で記録室から翼梁回廊へ滑らせる。ソラネは先を歩き、通訳僧、ミラ、ネネが続く。ジオは帝国回答期限と砲船位置を中央会議へ確認しに残った。

 

 *

 

翼梁回廊は、さっきより水平に近い。

 

エリュンが上昇風床へ腹を預け、左十度で仮座している。落下は止まったが、仮継鉄の残りは百四十息。恒久支えへ替えるには、隠れた割れまで見つける必要がある。

 

ソラネは砲弾孔へ行かなかった。

 

三十歩手前で、床板の継ぎ目へ白粉を細く撒く。

 

粉は風で飛ばない。空苔油を一滴混ぜ、梁の振れだけで移る重さにしてある。縦三本、横八本。格子へ撒き、各交点へ番号札を置く。

 

次に、指二本幅の薄い板を十二枚並べた。

 

板の端に透明な水滴。翼が撓めば、滴が動いた方向と距離を刻み線で読める。

 

最後に、翼梁の下へ長さの違う糸錘を七本吊るす。音は使わない。粉、滴、錘の三つだ。

 

「羽ばたきは止められない」

 

俺が言う。

 

ソラネは頷いた。

 

止める必要はないらしい。

 

翼全体が一度上がる。

 

白粉が格子の一部で割れた。

 

水滴は前側四枚で外へ、後ろ六枚で内へ動く。糸錘は三本目だけ、他より半拍遅れて返る。

 

ソラネは見た順に記録する。

 

上がる時。

 

下がる時。

 

風床へ腹を預けた時。

 

三回。粉を掃かず、前の跡へ別色を重ねる。

 

俺には主割れの大きな音が先に来る。

 

仮継鉄の下で、低い擦れ。後ろ十九歩。見立てどおりだ。

 

その下へ、もっと細い戻りがあった。

 

主割れに隠れ、裸耳でも分けにくい。

 

ソラネはもう地図へ線を引いていた。

 

砲弾孔から前十二、後ろ十九。そこから斜め下へ七歩半。左翼根の石碑庫固定足へ向かう枝割れ。

 

「七歩半?」

 

通訳僧が手話へ直す。

 

ソラネは粉の切れ、六番水滴、三番糸錘を順に指す。三つの交点が同じ場所を示している。

 

「俺には七歩くらいに聞こえる」

 

答えが負け惜しみに聞こえた。

 

ソラネは肩をすくめない。探り針を出せ、と手を伸ばした。

 

俺の針を渡す。

 

本人は音を聞けない。砲弾孔から七歩の床へ針先を当て、反対の指で薄板上の粉を見る。位置を半歩ずつずらす。

 

七歩半で、粉が一筋だけ跳ねた。

 

俺も同じ場所へ針を当てる。

 

主割れとは違う、浅く速い振れ。翼が下がる時だけ、石碑庫の固定足へ引かれている。

 

見えていた。

 

聞こえてもいた。

 

俺が分けられていなかった。

 

「ここへ継鉄を足す」

 

言うと、ソラネが赤を出した。

 

「なぜだ」

 

「石碑庫の荷を先に測る。割れだけ止めれば、固定足へ別の裂けが出る」

 

通訳の声より先に、手の動きで意味が分かった。

 

俺がオルナでやった失敗と同じだ。動かないよう止めれば直ったと思い、成長根の可動域を殺した。

 

ソラネは石碑庫の床粉を測る。固定足四本中、左前へ荷が六、他は三、三、二。砲撃前の記録板では全部四だった。

 

都市荷重を右へ移した時、石碑庫の外箱だけ左へ重しとして残した。全体の傾きは直ったが、左前固定足へ荷が偏った。

 

「俺たちが作った偏りだ」

 

ソラネは否定しない。

 

ミラが右へ移した荷重板と照合する。

 

「石外箱を三分の一、中央へ移します。初約資料の中身とは別です。箱番号と封を記録して、固定足を六から四へ」

 

翼梁工が石箱を台車へ載せる。

 

俺は指示を出さない。

 

ソラネの粉が四へ戻るまで、一箱ずつ動かす。

 

六。

 

五。

 

四。

 

枝割れの浅い振れが半分になる。

 

そこではじめて、仮継鉄を足す。空苔布二枚、浅い継鉄一本。閉じ切らず、翼が下がる時の滑りを半指残す。

 

恒久修繕ではない。

 

だが仮止めの残りは百四十息から、次の上昇風三巡までへ延びた。時間で約六刻。砲撃がなければ、修道会が翼梁全体の荷を組み直せる。

 

ソラネは完成板の端へ、自分の名だけを書かなかった。

 

粉担当、滴担当、錘担当、翼梁工、荷重移動、探り針確認。俺の欄には、接触位置と翻訳過程を書く空白がある。

 

「書けって?」

 

頷く。

 

接触位置。砲弾孔後ろ、主割れ端、探り針。

 

入力。二打一打の翼振れ、低い擦れ、細い戻り。

 

外部観測。目視裂け、白粉、滴、糸錘。

 

翻訳。後ろ十九歩の主割れは次の大羽ばたきで開く。斜め下の枝は七歩程度と仮読したが、外部三観測で七歩半へ訂正。

 

不明。エリュン本人の痛みの位置・意思、砲撃前からの古傷、石碑庫を残す希望。

 

「最後まで書くのか」

 

ソラネの手が動く。

 

「分からない場所を書かない記録は、断言の衣装だ」

 

書き終えると、ソラネは板を伏せた。

 

今度は探り針を三本出す。俺の一本、翼梁工の一本、記録室に保管されていた検査針。太さも長さも違う。どれで触れたか見えないよう、俺の低板と翼梁の間へ灰幕を立てた。

 

「何をする」

 

「同じ振れを、道具が違っても分けられるか。順番は彼女だけが決めます」

 

通訳僧まで灰幕の向こうへ回る。ネネが俺の前へ記録板を置き、ミラが時刻線を引いた。

 

一回目。

 

枝割れの戻りは細い。七歩半。下がる時だけ。

 

二回目は何も来ない。

 

「触れてない」

 

三回目。主割れの擦れに、枝の速い返りが重なる。

 

「二つ。後ろ十九と、斜め下七歩半」

 

四回目は、枝の戻りが遅い。針先が割れ端ではなく、その半歩外へ置かれている。

 

「位置が違う。半歩、翼根側」

 

五回。

 

灰幕が外される。

 

ソラネの板では、一回目が保管針で七歩半。二回目は無接触。三回目が俺の針で主割れ端。四回目は翼梁工の針を八歩へ。五回目は保管針を七歩へ置いていた。

 

五つとも、俺の板と合った。

 

胸の奥で、少しだけ勝った気になる。だがソラネが白を出したのは俺の耳にではない。接触位置を隠し、無接触を混ぜ、別の道具でも同じ区別ができた手順へだ。

 

反対に、最初の七歩という読みは赤線で残った。正解へ直したから消す、とはならない。

 

「間違いまで残すのか」

 

「訂正できた証拠になる。最初から正しかった記録に直せば、次の人がどこで迷うか失う」

 

俺は七歩の横へ、自分で細い線を引いた。削らず、七歩半と書き足す。

 

訂正の線は、失敗を隠す傷ではない。次に同じ振れを拾う者へ、半歩ぶん早く疑う場所を渡す継ぎ目になる。

 

消さなければ、同じ間違いも道具にできる。

 

バシュの工房なら、書き損じた板は炉へ入れた。依頼主へ見せる完成台帳に迷いは要らない、と教わった。きれいな記録は信用になる。少なくとも、あの頃はそう信じていた。

 

きれいすぎる板が、何を燃やしたのか。

 

答えはまだ交換所へ着いていない。

 

腹は立つ。

 

言い方がいちいち硬い。

 

それでも、俺の聞いた音を偽物だと笑ったわけではない。俺一人しか間違いを見つけられない形を、証拠として扱わなかっただけだ。

 

疑うことは、国獣の声を消す行為だと思っていた。

 

バシュも王国も、異常なしと書いた。聞こえないと言われ続けた。だから聞こえる俺が強く言わなければ、また痛みが埋められる。

 

だが全員が俺を信じれば、今度は俺が間違えた時に止める者がいない。

 

ソラネの疑いは、声を消す壁ではなく、俺の口だけを国獣の出口にしないための支えだった。

 

「証明のない騒音は、言いすぎだ」

 

それでも文句は言う。

 

ソラネは少し考え、手を動かした。

 

「証明の途中にある振動」

 

「長い」

 

「記録には長いほうがよい」

 

ネネが笑った。

 

ソラネは笑った声を聞かない。だがネネの肩と床板の揺れを見て、口元を少し動かした。

 

 *

 

初約資料は、中央記録室の一番奥にはなかった。

 

砲撃前は左翼記録庫の石外箱。今は重量分散で、表題を伏せたまま三経路へ分けられている。ソラネだけが封印番号を知っている。

 

「帝国が要求している。見せてくれ」

 

手話へ直される。

 

ソラネは即座に否定した。

 

「エリュンの中立記録。交戦国、王国離反者、身分を名乗る滅国王女、どれにも単独閲覧権はない」

 

「砲撃された側だろ」

 

「砲撃されたため帝国の敵になる、とは記録規則にない」

 

「落とされかけても?」

 

「感情で閲覧先を変えれば、中立記録ではなく戦利品になる」

 

正しい規則に聞こえる。

 

だから腹が立つ。

 

帝国は中立の国へ砲弾を撃ち、初約資料を出せと要求している。ソラネは砲弾孔を測りながら、帝国にも俺たちにも渡さないと言う。

 

「保管してる間に、翼ごと落ちたらどうする」

 

「失う危険と、誰かへ渡す危険を比較する。あなた一人の必要で決めない」

 

俺が全部直す、と似た言葉が喉へ上がる。

 

初約はラグナを救うために要る。セラト、オルナ、砂双国で三節を見つけた。残りがあれば、静釘を外し、国を降ろし、ラグナを帰せるかもしれない。

 

だから俺へ見せるのが正しい。

 

その理屈は、帝国が世界を安定させるため資料を寄こせと言う形と、継ぎ目が近い。

 

「単独じゃない」

 

ミラが王家印を出さずに言う。

 

「修道会の閲覧規則に従います。必要なら帝国要求、私たちの取得三節、ソラネ記録、住民代表を同席させる」

 

ソラネは三経路の封印番号を板へ書いた。

 

閲覧条件は五者立会い。修道会二、記録官一、外部申請者一、住民代表一。原本を一か所へ戻さず、三写しを中央の透明板で重ねる。内容の複写は、表題と構造確認まで。

 

一刻の帝国期限は、あと半刻。

 

五者を集める。

 

左翼仮支え区から住民代表。中央修道会から二人。外部はミラが申請者となり、俺とネネは技術立会い。ジオは命令書の保管を優先し、閲覧席へ入らない。

 

住民代表は、左翼の水槽係だった。砲煙で片方の眉を焦がし、腰へ水袋の口金を下げている。席へ着くなり、俺ではなく修道会の二人へ訊いた。

 

「これを見せたせいで反対翼を撃たれたら、誰が赤を出した記録になる」

 

修道士は答えに詰まった。

 

閲覧は砲撃の原因ではない。撃つのは帝国だ。そう切り分けるのは簡単だが、閲覧が位置を知らせる危険まで消えない。

 

ミラが透明板へ三経路を書いた。

 

「原本は動かさず、写しを同時刻に重ねます。帝国から見える運搬を増やさない。砲口が動けば閲覧を止め、全員が退避します。閲覧継続の白は五者すべて。ひとりでも赤なら開きません」

 

「外から来たあんたも止めるのか」

 

「私が欲しい資料でもです」

 

水槽係は口金を一度握り、白札を置いた。修道士二人、ソラネ、ミラも白。最後の一枚が揃うまで、三つの写しは伏せられたままだった。

 

俺の白は求められない。技術立会いであって、費用を払う五者ではない。初約を一番欲しがっている自分が決定席の外にいる。それでも、席を奪って正しくなるわけではなかった。

 

三つの写しが、別々の経路から届いた。

 

重ねる。

 

初約八節。

 

道、子、荷、声、別れ、傷、降、次。

 

俺たちが見つけた三つと同じ名がある。

 

だが、その下に完成した節文はなかった。

 

各節につき、三つの欄だけ。

 

人間側が提示する複数経路。

 

国獣側の返律を分ける外部観測。

 

選ばれなかった経路と停止を残す検証方法。

 

「全文は?」

 

ソラネが首を横に振る。

 

通訳僧が読む。

 

「最初から保管されていない。これは索引と、節を節として認める試験方法です」

 

古い正解の歌が八つ並び、それを唱えれば国獣と話せる。

 

そんな便利な原本ではなかった。

 

「じゃあ、砂双国の荷は」

 

「十二の交代、複数観測、選ばない道、停止が記録されているなら、索引の検証条件に合う」

 

ソラネは俺たちの「荷」板を重ねた。ネネの左右差、ミラの腹角、両国原板、住民の三経路。俺の響骨がなくても、取得過程を再検査できる。

 

白。

 

初約三節は、俺が聞いたから本物なのではない。

 

俺がいなくても、何をしたか確かめられるから残る。

 

「索引の複写を」

 

ミラが求める。

 

ソラネは赤を出した。

 

「構造確認までが今回の許可。複写と外部持出しは修道会決議が必要」

 

また腹が立つ。

 

敬意を持てることと、相手の中立へ納得することは別らしい。

 

帝国砲船の回答鐘が鳴った。

 

修道会はまだ、引渡しも拒否も決めていない。

 

代わりに、中央交換所の風扉が開く。

 

帝国兵四人が、鎖付きの歩行板を押してきた。

 

板の中央に男が座っている。

 

両手は前で縛られ、道具袋は別の透明箱。短い灰髪、広い肩、潰れた左親指。

 

動像幕より近い。

 

近すぎて、見間違える余地がなかった。

 

バシュ親方が、帝国捕虜として修道院の交換所へ運び込まれた。

 

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