国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う   作:三打して待つ人

45 / 51
翼を直す間に裁判する

期限まで十九息。

 

裁判を始めるには短い。

 

砲弾を避けるには、もっと短い。

 

両方やる時間としては、たぶん足りない。

 

「三つへ分ける」

 

俺は低板の上で作業板を返した。

 

「砲口と風路はミラ。右翼の荷重と翼振れはネネ。公開審理はソラネ。ジオは帝国兵と住民退避。俺は左右の数字を同じ板へつなぐ」

 

「継鉄は」

 

翼梁工が訊く。

 

「バシュに聞く」

 

言ってから、呼び方が変わったことに自分で気づいた。

 

親方ではない。

 

まだ本人へ向けた言葉でもない。

 

バシュ親方は鎖付き歩行板の上で、俺を見た。何も言わない。

 

「帝国囚へ作業をさせない」

 

兵隊長が赤を出す。

 

「手は出させない。構造照合だけだ。断るなら、断った時刻を審理へ入れる」

 

「脅しか」

 

「記録だ」

 

ソラネの通訳僧が、そのまま帝国席へ刻んだ。

 

残り十八息。

 

ミラが透明板を窓へ立てる。砲船の砲口、エリュン右翼の端、都市中央輪を三点で結ぶ。

 

「今の線なら右翼根から前へ百六十歩。砲弾は翼膜を抜け、右翼梁の上三割へ入ります」

 

左翼は仮継鉄四本で上昇風三巡。右翼まで割られれば、エリュンは両方の揚力を失う。

 

「国ごと横へ避けられる?」

 

「十九息で胴四キロを、ですか」

 

ミラは無理、とだけ言わない。赤紐を三本出す。

 

一つ、右翼の風袋を全開し、翼を上へ逃がす。必要振れ七、現在四。届かない。

 

二つ、中央都市の可動荷を左へ戻し、右翼を持ち上げる。左仮継鉄の荷重上限を越える。

 

三つ、右翼を下げ、砲弾を上へ通す。健全翼へ人間側から逆荷重を入れるため、エリュン本人の面振動が赤なら中止。

 

「三つ目」

 

ネネが帆糸を七本、右翼床へ流す。「上げる返りはない。右の前が下へ三、後ろが下へ二。エリュンが今してるのと同じ向き」

 

「本人が砲弾を避けたい、とは書かない」

 

「分かってる。今の翼振れと同じ、だけ」

 

残り十六息。

 

ミラが右翼の風袋を二つ閉じ、後縁の空苔水槽から水袋八つを中央へ吊るす。捨てない。砲撃後に戻せる三点吊りへ移す。

 

右翼が一度、下がる。

 

砲口線との差は、まだ指半分。

 

「足りません」

 

「左へ荷は戻せない」

 

左翼仮継鉄の枝一本が、砲弾を待たずに浅く鳴る。俺の歯だけでは決めない。ソラネの粉板が同じ位置で切れ、翼梁工の滴板も外へ二目盛り。

 

左へは載せられない。

 

バシュ親方が、透明箱の中の道具袋を顎で示した。

 

「空苔栓。青い頭の三本」

 

「何に使う」

 

「右翼後縁の風抜きへ入れる。全部塞がず、三本を一欠けずつ。前後の下がりを三へ揃える」

 

「右翼材を見たことがあるのか」

 

「十八年前、渡り鳥の衝突修繕で一季いた。構造が変わっていなければだ」

 

変わっている可能性を残す。

 

翼梁工が現物を確認する。風抜き五口、青栓と同じ径。ただし現在の縁は当時より半指厚い。

 

「三本一欠けは赤。二本半欠けなら白」

 

「それでやれ」

 

バシュ親方は命じない。翼梁工が決め、ミラが風路、ネネが面振動を止める。

 

青栓二本、半欠け。

 

右翼前後が下へ三で揃う。

 

砲口線との差、指一本。

 

残り十二息。

 

砲船の発火輪が白から黄へ戻った。

 

狙いを外したから諦めたのではない。砲身横の測距板が閉じ、別角度で開く。新しい右翼位置へ照準値を取り直している。

 

「再照準に最短、半刻」

 

ミラが透明板の振れを読む。「一隻目が観測を渡せば短くなります。十二息後に撃てないだけです」

 

回答鐘は予定どおり鳴った。

 

修道会の回答は、初約資料を渡さない。

 

砲船はその場で撃たず、二隻の間に細い測距光を張る。猶予をくれたのではない。こちらが動かした指一本半を、殺せる数字へ直している。

 

半刻、右翼を下げたまま保つ必要がある。

 

水袋八つの三点吊りは、前索四、中央索二、後索二。どれか一本が切れれば荷が一か所へ走る。ジオが帝国席へつくため、主索は右翼工二人、中央は水槽係、後ろは修道士へ渡す。ネネの帆糸七本は前後差が一を越えたら赤。

 

左翼では、枝割れの浅継鉄一本を二十息ごとに粉と滴で測る。滑り半指が一指へ広がれば、右翼を戻して砲弾より先に自壊を止める。

 

「レンは交換所から動かない」

 

ミラが言う。

 

「言われなくても」

 

「さっき、右翼へ行く板を探しました」

 

低板の巻胴線を見られていた。

 

俺が右翼へ行けば、左脚荷重を避ける運搬索と二人が要る。現場を見られる代わりに、三点吊りから人手が減る。数字へすれば赤だ。

 

「行かない。報告は前、後、左枝の三つ。違う値も消すな」

 

右翼前、下三。

 

右翼後、下三。

 

左枝、粉切れ一、滴外二。滑り半指。

 

三枚を同じ板へ置く。翼を自分の目で見ないことを、仕事をしていない意味へ変えない。

 

ネネは審理で話す時も帆糸を手放さない。ミラは証言席と透明板の間へ立つ。ソラネは通訳僧だけに記録を預けず、床粉で砲撃振れも同時に残す。

 

一人が一つだけ、ではない。

 

一人が全部、でもない。

 

「審理を開く」

 

ソラネが骨伝板を叩いた。

 

砲弾を避けてから、ではない。

 

避ける作業と、撃たれている理由を残す仕事を同時に始める。

 

最初はジオ。

 

ヴァルド王立操路警備隊、元現地指揮。

 

警備章を床へ置く。王国現地指揮は離脱したが、章を捨てず証拠として持っている。三者封の革袋を開き、介入密命、逮捕・四家連座命令、牢内射殺・逃走偽装命令を順に出す。

 

「私はレン・カーヴを無同意の囮として逮捕した。即時戦闘を遅らせる目的だったが、本人へ目的を知らせず身柄を使った。射殺命令は拒否し、原本を保管した。拒否したことで、逮捕の責任は消えない」

 

骨伝板四線へ短く分けて送る。

 

逮捕した。

 

囮にした。

 

射殺命令を受けた。

 

拒否した。

 

命令原本あり。

 

帝国席が赤を出す。

 

「王国内部の話だ」

 

ジオは帝国黒管と王国命令に共通した中央番号を示す。

 

「同一番号が当該命令経路で使われた。王国と帝国の全組織が共謀したとは断定しない。番号管理者、送信者、受信者の開示を求める」

 

帝国席、回答拒否。

 

一つ目の証言が四線へ渡る。

 

ネネが右翼の帆糸を持ったまま、審理板へ自分の作業札を置く。

 

「息読み、ネネ。弟子じゃない。有給。止めていい」

 

セラト幼体函十二。

 

自分の鼻、帆糸、腹毛の動きで個別呼吸を見た。全頭生存。弱い一頭。親群は未確認。

 

オルナ卵十二。

 

帆糸、水位、温度、卵膜の押し返しを見た。十二頭が産室を出た。セラト十二頭との同一性は未確認。

 

リュータ幼獣二十四。

 

ミラの証言とオルナ交換記録で、主索切断後に二十四反応が深霧へ出た。本人は見ていない。現在地、生死、自由は未確認。

 

「子ってまとめない」

 

ネネは三つの板を離して置く。「十二、十二、二十四。助けた話にも、薬にしていい話にも、一つへ足さない」

 

帝国の心薬、保護採取、長眠液は実際に命を支えた。

 

同じ制度が、幼体を函へ入れ、卵由来神経をアトラスへ運び、ネネの名を移管番号へ変えた。

 

効いた薬の数で、材料になった主体の拒否は消えない。

 

二つ目は、ネネ本人の名で渡る。

 

ミラが赤紐を置く。

 

「ミラ・リュータ。十五年前、十二歳。リュータ中央主索を切断した本人です」

 

声が震えないことを、平気の証拠にはしない。

 

上層に数百から千人超が残り、主索を切れば崩落まで最短一鐘へ縮むと知っていた。公式死亡確認七百三十一。集計外、非切断時の結果、全員への直接因果は未検証。

 

下層艇と幼獣二十四を通す第三経路を選んだ。帝国の中央結節、王家の非常鍵、切断命令を出した設計責任とは分ける。それでも桿を下ろした自分の名は消さない。

 

「私は生き残った人と幼獣を、失った人への支払いには使いません。失った人数も、生き残った主体を拘束する理由には使わせません」

 

ソラネが十五年非公開と五年生存秘匿を自分の欄へ接続する。

 

ミラは彼女を許したとは言わない。

 

同じ板へ証言を載せることと、関係の決着は別だ。

 

三つ目には、ミラ本人の署名がつく。

 

砲船の発火輪が白くなる。

 

「右翼、あと半指」

 

ネネが叫ぶ。

 

「風袋をもう一つ閉じれば、翼根が逆へ折れます」

 

ミラは二つ目の道を使わない。

 

代わりにエリュンへ面振動を返す。

 

右翼前、下三。

 

後ろ、下三。

 

人間側は風抜き青栓二本、半欠け。水袋八を中央三点吊り。停止可能。

 

エリュンの返りは、一度。

 

右後縁が、さらに指半分下がる。

 

本人が砲弾の意味を受け取ったとは書かない。人間の入力へ同方向の翼振れが返った。それだけで、砲口線との差は指一本半になる。

 

審理の途中にも、砲船の測距光は短くなる。

 

バシュ親方の番だ。

 

帝国兵は歩行板を引く。ソラネが止めない。返還決議へ従うなら、審理終了と同時に外へ出る。

 

「静釘を鎮動杭として三本設置した」

 

バシュ親方は座ったまま言う。

 

一基目で背上の揺れが三割減り、倉庫と三十七人の仕事が戻った。

 

二基目で交易索が安定し、薬便と穀物便が通った。

 

三基目で異常を知り、一度赤を出し、その後の再開へ白を出した。内側六人を退避済みとした虚偽印を追認。事故後、死亡日、主卓上書き、両親の除去試行、自分の停止を隠した。

 

帝国契約で六百十二人の雇用、薬、食事、初等札を守った。

 

「守った人数を、六人を隠した免責には使わない。レンを育てたことも使わない。七年後に告発試料を送ったことも、七年黙った期間から引かない」

 

「親方」

 

いつもの呼び方が口まで上がる。

 

止めた。

 

「バシュ」

 

本人へ向けて呼ぶ。

 

バシュの顎髭が少し動いた。

 

「一緒に翼を直すことと、あんたの責任が消えることは別だ」

 

「分かってる」

 

「俺が親方と呼ぶ日があっても別だ」

 

「ああ」

 

「公開裁判へ出ろ。帝国へ戻されても、逃げるな」

 

「戻されなくても出る」

 

その答えを、許しには使わない。

 

一緒に直せる可能性だけを、今の板へ残す。

 

四つの本人証言が揃った。

 

骨伝板の遠端から、照合が戻る。

 

セラト。

 

心薬試料の出荷簿は、差出人払い、価格空欄、代金受取先なし、公衆鑑定窓。バシュの告発目的と一致。ただし荷を受けた市場制度が自動で出品者へ変え、競売候補に置いた事実も残る。

 

オルナ。

 

リュータ切断記録は、ミラの署名位置と公式七百三十一を確認。下層艇の生存人数は原板にも空欄。幼獣二十四は切断後の反応までで、現在生存の証明ではない。ネネとミラの未確認欄に一致。

 

砂双国。

 

王国速割粉の切目、帝国黒管の逆送、塔杭十二本。バシュが塔を爆破した物証はなし。拘束・移送表示の時刻は、外門爆破の準備完了より前。ただし帝国側の拘束原板がないため、本人否認は白でなく検証待ち。

 

王国へ戻る警備艇。

 

射殺・逃走偽装命令の写しと、ジオの受領・拒否時刻が一致。原本はエリュンの革袋。中央番号の管理部署は未回答。

 

どの返りも、味方だから白を出す形ではない。

 

合う場所。

 

足りない場所。

 

本人の話と食い違う場所。

 

今のところ大きな食い違いはない。だから四人が正しい、と結論を急がない。帝国、王立局、リュータ被害者、名前のない下層艇の席は空いている。

 

ソラネは空席を白紙でなく、未接続と刻んだ。

 

「裁判なのに、誰も裁かないの?」

 

水槽係が訊く。

 

「今日は証拠を消さず、身柄を証言から切り離さないための公開審理です」

 

ミラが答える。「判決を急げば、来られない人の席を、今いる私たちだけで埋めることになる」

 

「その間、捕虜はどうする」

 

「帝国にも王国にも渡さず、エリュンが所有もしない。本人の移動希望、逃亡防止の必要、証言保全を別に決める」

 

バシュ親方は口を挟む。

 

「逃げないと言っただけで鎖を外せ、とは言わん」

 

「あんたの言葉だけで決めない」

 

俺が返す。

 

ソラネは、公開通廊内の移動、道具袋別封、帝国兵と外部証人の異議席、毎刻の本人継続確認を暫定条件へ置いた。英雄の帰還にも、敵捕虜の保管にもさせない。

 

修道会の追加決議が届いた。

 

住民七区。審理停止の赤ゼロ。公開範囲を狭める黄二。避難・修繕優先の白五。個人名と退路を伏せ、構造、命令、本人証言を公開する。

 

修道会十二席が再採決した。

 

初約資料の帝国引渡し、拒否九、保留三。

 

バシュ返還、拒否七、賛成四、保留一。

 

理由は帝国の敵になるためではない。公開審理の本人証言と反証条件が未完了で、砲撃を交換条件にした移送は中立記録の保存を破る。身柄をエリュンの所有物にせず、本人の公開審理出席と、帝国・王国双方の召喚席を保証する。

 

ソラネは前の返還印を削らない。

 

返還決議。執行前に再審理。撤回。

 

順番を全部残して、新しい拒否へ印を押した。

 

帝国兵隊長が剣の封紐へ手を掛ける。

 

ジオは抜かない。住民代表が風扉を閉じる赤を出し、修道士二人とミラが別巻胴を同時に回す。帝国兵を捕らえるためではなく、砲撃時の減圧を止める防火扉として閉じる。帝国兵四人の退路は、反対側の中立通廊へ白で残す。

 

公開審理を始めて半刻。砲船が撃った。

 

白い火が空を横切る。

 

右翼は下へ指一本半。

 

砲弾は翼膜の上を通る。

 

「避けた!」

 

誰かが叫んだ。

 

違う。

 

ミラが透明板を伏せず、砲弾の線を追う。

 

「砲口が最後に下がっています」

 

発射直前、三度。

 

右翼を狙っていた線から、翼下へ。

 

俺たちが下げた分では足りない。最初から翼を撃つ軌道ではなくなっている。

 

エリュンの腹側には、上昇風を分ける古い石柱がある。中央修道院より古く、文字のない記念碑として翼下へ吊られていたものだ。

 

砲弾は、その碑へ入った。

 

石が割れる。

 

衝撃でエリュンの全翼が跳ね、左仮継鉄四本のうち浅い一本が半指滑る。停止余白内。翼梁工が赤を出し、追加締めをせず荷を戻す。

 

古代碑の外皮が、雲へ落ちた。

 

中から現れたのは、文章ではない。

 

長さの違う溝。

 

三点で支えられた薄い骨板。

 

粉を置く浅い窪み。

 

翼が上がる時と下がる時で、別の列へ振れを渡す枝道。

 

人間の言葉へ訳す前の、振動そのものを並べて残す構造だった。

 

ソラネが床へ膝をつく。

 

耳ではなく、足裏と白粉で最初の列を受ける。

 

ネネが帆糸を重ねる。

 

ミラが上昇と下降を別の透明板へ写す。

 

俺の右奥歯にも、同じ三列が来た。

 

誰かの声ではない。

 

命令でもない。

 

同じ振れを、違う身体と道具で確かめるための文字だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。