国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う 作:三打して待つ人
同じ振れを、違う身体と道具で確かめる。
古代碑の中身は、そういう文字に見えた。
見えた、という言い方からして怪しい。
俺が受けたのは右奥歯の三列。ソラネが見たのは白粉の跳ね。ネネは帆糸の遅れ。ミラは溝の横に残った古い刻みを読む。
四人とも、同じ物を見ているとは限らない。
「先に触るな」
バシュの声が公開通廊から飛んだ。
「親方みたいな言い方をするな」
「呼ばれなくても仕事は変わらん。砲弾を受けた直後だ。外皮が落ちたから、内側が持つとは限らん」
正しい。
腹が立つが、正しい。
翼下の古代碑は、長さ十二歩、幅三歩。外皮の石板は半分が雲へ落ち、残りが割れた留め輪へぶら下がっている。内部の薄い骨板は三点で支えられ、砲撃の衝撃で左支点が指半分ずれた。
俺は交換所の低板から動かない。
翼下へ降りるのは、ソラネ、ミラ、ネネ、翼梁工二人。バシュは公開通廊、ジオは帝国兵四人の退路と砲船監視。俺は骨伝板越しに報告を受ける。
自分だけ碑へ触れない配置だ。
正しい。
腹が立つ。
「左支点、荷三。中央五。右四」
ソラネの記録を通訳僧が読む。
「外皮落下前の刻みは四、四、四。左だけ下がっています」
「先に戻す?」
ネネが訊く。
「戻さない。今の形を写してから、荷を逃がす。動かしたら砲撃後の振れが消える」
俺の指示を、翼梁工が白。ソラネも白。ミラは支点から三退路を出す。
一つ、残った外皮を先に切り離す。内板の荷は軽くなるが、砲撃時の位置が失われる。
二つ、外皮を別索へ移し、内板三支点を現在位置のまま保持する。
三つ、全体を触らず遠隔写しだけ取る。次の翼振れで左支点が外れる危険。
二つ目。
外皮を主索と戻り索へ分け、荷を翼梁へ逃がす。内板へは薄い粉板だけを近づける。手で押さえない。
「帝国砲船」
ジオの報告が別線へ来る。
「後方船は発射後に高度五上昇。前方船と合流。砲口は閉じたが、測距光は継続。再装填は未確認」
逃げてもいない。
もう撃たないとも言っていない。
住民七区は防火扉と退避路を維持。右翼の水袋八と青栓二本はそのまま。左枝浅継鉄は半指滑り、粉切れ一、滴外二から変化なし。
碑だけを見て翼を忘れない。
「これ、本当に古いのか」
俺が訊く。
帝国は初約資料を要求し、古代碑へ狙いを変えた。中から都合よく検証装置が出た。罠や偽物を疑うほうが筋だ。
ソラネは古いという札を白へしない。
外皮石の内側に、薄い苔層が九つ。現在のエリュン修道会が使う空苔とは胞子の向きが違う。三点支えの留め具は鉄でなく、翼梁が自然に落とした古い透明骨を熱で曲げている。現在の修繕法では、割れを呼ぶため禁止された型だ。
ミラは文字の削り順を見る。
「初約索引より古いとは断定できません。ただ、リュータ王家の古語より二段階前です。『次』の刻みが、現在の三画ではなく五画あります」
バシュ親方は公開通廊から留め具寸法を読む。
「俺が十八年前に来た時、外皮は開いてない。だが右下の補修栓は見た。記録では三百十二年前の渡り礫傷だ」
「記録は?」
「修道院の翼下保守簿。俺の記憶だけを使うな」
ソラネが保守簿を照合する。
補修栓の位置、深さ、当時の石粉。現在の割れ面に残った古い粉層と一致。少なくとも三百十二年前には外皮が閉じ、内部の三列板があった。
三百年以上前。
古代、と呼ぶ範囲には入る。
それでも初約を作った時代そのものとは確定しない。後世の写し、練習具、検査具かもしれない。
「帝国は中身を知ってた?」
ジオが砲弾の最終照準記録を出す。
発射前に下三。右翼梁から古代碑中央へ、ずれは半歩以内。偶然翼を外した線ではない。
「狙ったことは確定。中身を知っていたかは別だ」
破壊したい理由も、碑そのもの、内部の資料、上昇風の分岐柱、修道会の象徴と複数ある。
帝国が狙ったから本物、にはしない。
古いから正しい、にもならない。
「写しを始める」
ソラネが床板を一度叩いた。
三列へ、別色の粉を置く。
左は白。
中央は赤。
右は青。
エリュンの翼が上がる。
白列は短い溝を三つ飛び、中央支点へ戻る。赤列は一つ目で止まる。青列は端まで行き、二つに分かれる。
翼が下がる。
今度は赤が端まで進み、白は二つ目で止まる。青の二分は逆から同じ窪みへ合う。
ソラネは上と下を別板へ写した。
同じ模様を一枚へ重ねない。
「レンは何が来た」
俺は右奥歯へ薄い検査板を当てる。
古代碑から骨伝板、中継梁、交換所床。直接接触ではない。途中で変形する。だから接触位置と経路を先に書く。
翼が上がる。
短い圧。
空く。
長い引き。
二つへ分かれ、片方だけが戻る。
「白、短三。赤は止まり。青は二分。片方が戻る」
翼が下がる。
「赤、長い。白は短二。青は二つが一か所へ戻る」
ソラネの粉と合う。
だから正解、ではない。
俺は通訳僧が読んだ形を聞いてから答えた。同じ情報を先にもらっている。独立観測にならない。
「順番を変える」
次は俺の板を伏せ、通訳線を切る。ソラネの粉記録はミラが封じる。ネネだけが帆糸を見て、誰にも言わない。
エリュンの翼が二回動く。
上。
下。
俺は圧と引きだけを書く。
ソラネは粉の移り。
ネネは帆糸の遅れと戻り。
三枚を同時に開く。
上昇時、左短三、中央停止、右二分。
下降時、中央長一、左短二、右合流。
合った。
一度合っただけでは足りない。
ソラネが三列の入口へ、薄い差込板を置く。碑へ振れを足さず、どの列を塞いだかだけをミラが封じる。
一回目。
翼は上がる。俺には短三、停止、二分。さっきと同じ。
粉板は白列の二つ目で止まった。ネネの短糸も二打で止まる。
俺だけが三と書いた。
差込板は白列の三つ目を塞いでいた。
俺は前の形を聞いた。
実際の振れではなく、来るはずの三つ目を歯の奥で足した。
「訂正。白二。俺の予想混入」
二回目は、ネネへ前の板を見せ、俺とソラネには伏せる。
差込板は赤列の入口。
ネネが長一と書く。帆糸は動いていないのに、前の下降記録を写した。
「見たつもりだった」
ネネは自分の板へ赤を引く。「糸じゃなくて、さっきの数字を見た」
三回目はソラネ。
通訳僧が意図的に、青列二分、と先に手話へ入れる。実際は右の差込板で青列全部が止まっている。
ソラネは粉停止と書いた。
先に渡された言葉へ引かれなかった。
聞こえないから、ではない。視覚の粉と手話を別の場所へ置き、記録順を決めているからだ。
四回目は、誰にも前情報を渡さない。差込板なし。
白三。
赤停止。
青二分と遅れ一。
俺、ソラネ、ネネの三つが合う。
「三人いれば正しい?」
水槽係が骨伝板越しに訊く。
「違う」
ミラが答える。「同じ板を見て写した三人なら、一人と同じです。違う入力経路で、互いの答えを伏せ、同時刻を照合する。人数ではなく観測種が三つ以上」
俺の骨伝。
ソラネの粉移動。
ネネの帆糸。
ミラの古語は、振れの数を測る観測ではない。残された分類を読む第四資料だ。
全員が同じ役をする必要もない。
同じ間違いへ全員で白を出さない形が要る。
「ミラの古語は?」
溝の横には文字が八つある。
初約索引と同じ古い筆順。ただし節文ではない。
人。
示す。
外。
分ける。
返る。
止まる。
残す。
次。
「文章にすると?」
ミラはすぐに答えない。
「人が示す。外から分ける。返りと停止を残し、次へ。そう並べられます。ただし主語も時制もありません。『人が正しく示せ』とも、『国獣が返る』とも確定できない」
俺なら、声を聞く手順、と書きたくなる。
ソラネなら、振動を検証する記録、と書くかもしれない。
帝国なら、初約律を再現する装置、と呼べる。
同じ八語へ、欲しい答えを継げる。
「文章にする前の形を残す」
ミラが古語八つを別々の札へ写した。
並び順は記録する。だが接続語を足さない。
ネネが青列の帆糸を指で弾く。
「これ、二つじゃない」
「何が」
「上がる時の青。最初は二つだけど、片方が途中で息を休んで、三つ目が後ろから来る」
俺には二分にしか聞こえなかった。
ソラネの粉も二本に見える。
ネネは長さの違う帆糸を三本に替えた。短い糸は最初の跳ね。中は戻り。長い糸だけ、半拍遅れて一度揺れる。
碑の奥、翼膜側から来る別の振れだ。
「風?」
「風なら三本とも同じ向き。これは長いのだけ下から」
ソラネが粉の粒を軽いものへ替える。青列の分岐奥。最初の二本が通ったあと、別の窪みから一粒だけ上がった。
俺も接触経路を変える。交換所床ではなく、骨伝板の右支点へ歯を当てる。
半拍遅れ。
小さい。
確かに三つ目がある。
「聞き落としてた」
言うと、胸の内側が冷える。
ネネが見つけたことは嬉しい。
俺がいなくても、国獣の振れを分けられる。
それを望んでいた。
俺だけを声の出口にしない制度が要ると、何度も言った。
なのに、自分が最初でないと分かった瞬間、仕事台を一枚抜かれたように足元が沈む。
左脚は最初から床へつけていない。それでも落ちる感覚がした。
「どうした」
ジオが訊く。
「別に」
作業語へ隠しかける。
エリュンへ取りつく時に、同じ隠し方をしたばかりだ。
「俺が聞けなかったのを、ネネが見つけた」
「うん」
ネネは慰めない。「レンが先に二つって書いたから、違うのが分かった。何も書いてなかったら、三つとも風だと思った」
俺の間違いも使われた。
いらなくなったわけではない。
特別な一人でなくなることと、仕事がなくなることを、同じ箱へ入れていた。
「三つ目を追加。最初の二分読みは消さない」
「もう書いた」
ネネの板には、レン二、ネネ三、粉再試験三、と別々にある。
少しだけ、息が戻る。
安堵だけではない。悔しい。次は自分で拾いたい。
その悔しさまで善い制度のふりで消さない。
*
初約索引の「声」欄を開く。
人間側が提示する複数経路。
外部観測三種以上。
同じ核へ一致した部分と、一致しない部分。
返律。
拒否。
停止。
次回へ残す未選択路。
古代碑の三列は、索引の検証欄と同じ順だった。
「声」は、聞こえる人間が正しい文章へ訳す節ではない。
訳す前に、何をどの経路で受け、別の道具でどこまで一致し、どこから一致しないかを残す。
少なくとも、そこまでは四人の板が合う。
ソラネが初約板へ白を半分だけ引いた。
「半分?」
通訳僧が読む。
「人間側の検証方法は再現した。国獣側の返答を、選択と拒否を含め確認していない」
「今の翼振れは」
「通常の上昇・下降。こちらが経路を示して選ばせた返りではない」
都合よく「声」を取れたことにはしない。
初約は三節と、半分。
取得数は3/8のままだ。
骨伝板の外側で、修道士の一人が膝をついた。
古代碑は、文字のない記念物として三百年以上吊られていた。砲撃で中身が出て、初約索引と同じ八語が見つかった。祈りたくなる気持ちは、俺にも少し分かる。正しい手順が昔から残っていたと思えば、自分たちで迷わずに済む。
「聖文として中央礼拝室へ移すべきです」
別の修道士が反対する。
「砲撃を受ける位置へ戻せない。原板は三分して保管を」
どちらも、もう動かす話をしている。
ソラネが赤を出した。
「現在位置、支点、翼上昇・下降との接続が記録の一部。板だけ外せば同じ振れを再現できない」
「では信徒を翼下へ?」
「信仰の対象と、検証具としての扱いを同じ決議にしない」
俺は初約索引の写しを見た。
古いから従うのではない。三列板が今ここで別観測を分け、俺とネネの予想混入を見つけた。その働きがある。
「原板は動かさない。砲弾で開いた外皮は、次の砲撃から守る仮覆いだけ。透明板、粉写し、支点寸法を三経路へ複製する」
俺の案へ、ソラネが一つ足す。
仮覆いは振れを殺さない三点浮かせ。閉じたあとも外から粉板と帆糸を差し替えられる検査窓を残す。
翼梁工は荷重上限を出す。覆いと三写しで荷二。左支点を四へ戻せば持つ。砲撃直後の三を記録してから、外皮別索を一欠け緩め、左支点へ透明骨の薄片を一枚入れる。
三、四。
中央五から四。
右四。
三支点が揃う。
古代の形を元どおり石で塞がない。
壊れた結果を飾って開け放しにもせず、次に検査できる覆いへ直す。
バシュ親方が公開通廊から寸法を確認した。
「検査窓は二つにしろ。一つが固着した時、開けるため碑を割ることになる」
「採用。だからって免責は一つも増えない」
「作業案に免責欄はない」
本当に面倒な親方だ。
「エリュンへ進路を出す」
中央修道会は、砲撃後の安全路を三つ準備していた。
帝国航路へ戻り、修道国の中立を再交渉する西風路。
帝国線から外れ、南の無国籍風床で恒久修繕する迂回路。
現在の上昇風床へ三日留まり、都市を降ろしてから飛ぶ停止路。
ミラが赤紐で三経路を翼前へ示す。
代価も出す。
西は砲船と再交渉、南は食料と空苔不足、停止は上昇風三巡を越える左翼恒久支えが先。
三経路。
外部観測は、ソラネの粉、ネネの帆糸、ミラの透明板。俺の骨伝は四つ目として別欄。
エリュンの返りを待つ。
右翼は下三から一へ戻した。
左翼浅継鉄は半指滑りで安定。
翼を広げられる最低値へ入る。
中央修道院の鐘が、出発白を鳴らした。
エリュンは翼を広げなかった。
西へも、南へも、停止風床へも面振動を返さない。
左翼の傷が痛くて動けない、と書けば簡単だ。
だが通常の上昇・下降は続き、右翼前後差は一、左枝の滑りも増えていない。飛べることと、今すぐ三経路のどれかを選ぶことは別だ。傷が原因でないとも、傷だけが原因だとも、まだ言えない。
修道会は出発鐘を二度目へ進めなかった。ミラも最短路を足さない。俺も聞こえた拒否へ理由を縫いつけない。
拒否が確かでも、その理由はまだ空欄のままだ。
今は誰にも埋められない。
代わりに、三本の赤紐すべてへ、短い拒否の振れが返った。