国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う 作:三打して待つ人
東南へ向く翼は、迷わなかった。
出発同意は別に取る。
住民七区へ、旧風路百二十キロ、休翼床二、礫雨、帝国追跡、左翼仮継鉄、引返し北路を送る。白四、黄三、赤ゼロ。黄は医療床、左仮支え、記録庫。患者移動を増やさず、左枝を上昇柱ごとに測り、初約原板を一か所へ集めない条件で白へ移る。
エリュンへ三経路を出す。
東南旧路。
北引返し。
現風床停止。
東南へ腹圧一、右翼指二、左翼四分の一。
北と停止へ赤。
完全な「声」取得には、まだ公開された別観測と継続選択が要る。だが出発工程の白は揃った。
「翼を開く」
ミラが主担当。
右翼の水袋八を三点吊りから元水槽へ二袋ずつ戻す。青栓二本は半欠けのまま、前後差一。左翼は主割れ指半まで、枝浅継鉄一指で赤。古代碑仮覆いは三点浮かせ、検査窓二。
俺は中央の低板。
バシュは公開通廊の作業席。道具袋は別封のまま、翼梁図へ口だけを出す。ジオは帝国兵四人の中立通廊と砲船。ネネは左右帆糸。ソラネは古代碑と骨伝四線。
エリュンが上昇風床を離れる。
右翼が雲を押す。
左翼は遅れて追う。
主割れ、指半。
枝、半指。
都市傾き十三度から九。
上昇柱へ入る。
腹の下で深霧が開いた。
飛ぶ国の下に、さらに空がある。
白い霧の谷。三本の上昇柱。渡り鳥の群れが東南へ線を作り、エリュンの翼端へ近づいては離れる。
過去記録と同じ方向だ。
「砲船二、追尾」
ジオの板。
「距離八キロ。前方船は砲口閉、後方船は測距。増援信号あり」
「最初の休翼床まで?」
「この風なら三刻」
追いつかれる。
最初の上昇柱へ入る前に、左翼を測る。
主割れは指半、枝浅継鉄も半指。だが古代碑の仮覆い左支点が四から五へ上がっている。東南風は下からではなく、翼前から斜めに入る。現風床で揃えた三支点へ、別方向の荷が来た。
「覆いを外す?」
「原板を裸にすれば礫雨で削れる。左支点の外皮索を二つへ分ける」
翼梁工は前索を碑の外輪、後索を主翼梁の無傷部へ取る。どちらも一人の手で同時に締めず、粉板が四へ戻るまで半欠けずつ。
五。
四。
中央四、右四。
検査窓は二つとも開く。古代碑の白・赤・青列は、東南風でも粉を返す。
渡り鳥が翼端へ近づいた。
小型群は白灰の羽で、巣材らしい長い草を持つ。エリュンの翼膜へ降りず、透明な外縁へ三度並び、腹側へ回る。大型群は下の上昇柱を先行する。
「昔の記録と同じ」
ネネが数える。「小さいの百四十くらい。大きいの二十三。卵がある、とは分かんない」
鳥群の同伴は白。
産卵目的は未確認。
エリュンの腹風嚢は出発前より圧二高い。透明膜は外から見えない。都市床を剥がして確かめることもしない。
今ある返りだけを持って、東南へ進む。
エリュンへ急げとは言わない。現在翼角と停止値を公開し、ミラが上昇柱の内外二路を出す。
内側は速い。礫雨がある。
外側は遅い。砲船から見える。
エリュンは内側へ翼を傾けた。
ネネの帆糸、ソラネの粉、透明板が同じ方向。俺の歯へは遅れて長い引き。
進路選択として記録する。
*
造船所は、深霧の中に隠れていなかった。
深霧の上へ、地面のふりをしていた。
黒灰の平板、長さ六キロ、幅三キロ。八本の浮力柱で霧へ脚を下ろし、上には格子状の街路、白い工房、貯水塔、居住箱。中央に巨大な骨組みが横たわる。
国獣ではない。
翼も脚も腹もない。
それでも、国を載せる形をしている。
アトラス外殻。
全長五キロ。楕円の支持殻、十二の可搬都市輪、中央へ八つの空洞。外側の継ぎ目は全部同じ寸法で、壊れた区画だけを抜き、別の区画へ替えられる。
床が揺れていない。
歩く国獣の歩調も、泳ぐ国獣の呼吸も、飛ぶ国獣の翼振れもない。配管は真っ直ぐ。家は同じ高さ。荷重線は色で分かれ、修繕窓が全部、外から届く位置にある。
きれいだ。
継骨工なら、嘘でも嫌いだと言うべきかもしれない。
言えなかった。
あの床なら、茶碗は歩調で棚から落ちない。寝台の脚を毎月削らなくていい。役に立たない日でも家そのものが別の国へ歩いていかない。
俺が欲しかった安定が、そこにある。
「見事ですね」
ミラも言った。
「敵の物だぞ」
「構造の評価と、使い方の評価は別です」
アトラスを作った目的が悪いから、真っ直ぐな配管まで曲がって見えるわけではない。
問題は、何を床の下へ入れたかだ。
造船所には人がいる。
北居住区の食堂煙、三本。洗濯索、十二列。昼の交代鐘で工房から白衣と灰衣が出て、平板の端へ避難する。見える範囲で千人を越える。全員が静釘の設計者とは限らない。配管工、炊事、浮力柱の泥落とし、家族らしい小さい影もある。
「砲撃されたら造船所ごと壊す」は、最初から赤だ。
中央の可搬都市輪では、一つの居住箱を外す試験をしている。
主留め四。
仮留め八。
水、風、排液を外窓で閉じ、箱を隣の輪へ移す。床を切っても生活管が一度で抜けず、仮管へ受けてから本管を外す。
オルナの七可搬村や、セラトの切離し区画で俺たちが一つずつ失敗して覚えた手順が、最初から寸法へ入っている。
「都市を降ろす道具として使えます」
ミラが言う。
ラグナの背上都市を、国獣ごと固定せず降ろす。
俺たちに必要な技術だ。
「だから欲しい」と口にすると、喉が軽くなる。
奪えばいい、という意味ではない。中の職人へ責任がないという意味でもない。欲しい設計を欲しくないふりで遠ざければ、誰が作り、何を材料にし、どう別の使い方へ移すかを調べる道まで消える。
「可搬輪の支点、生活管、外窓を別写し。兵器核と同じ板へまとめない」
ソラネが白を返す。
良い技術を盾に核槽を許さず、核槽を理由に生活技術まで罪へしない。
板を分ける。
ソラネが骨伝板四線を開く。帝国は造船所上空の記録を禁じる信号を送る。修道会は中立公開記録として、位置、時刻、見えた外形だけを送る。推測は別欄。
「搬入口、北に八」
ネネが望遠板の風旗を数える。
「小さい箱が同じ間隔で二十四」
二十四。
すぐ幼獣と決めない。
ミラがオルナで確保した移送原板の写しを重ねる。
幼獣神経索。回収番号二十四。アトラス受領印。日付は十五年前から三年に分散。
造船所の北搬入口札にも、同じ二十四番号がある。
箱そのものは見えない。神経が現在も入っているか、生きた幼獣とつながるか、保存片かは不明。
搬入記録が一致しただけだ。
二十四番号は一から二十四まで連番ではない。
オルナ原板の回収番号を照合すると、欠けている番号が六つあり、代わりに同じ番号の枝札が六組ある。七、七甲。十一、十一乙。十五、十五甲。採取した主体の数と、運んだ箱数を同じ二十四へ丸めた可能性がある。
「幼獣二十四頭が二十四箱に一頭ずつ、ではない」
ネネが自分の板へ書く。
セラトの函十二は一函一頭を呼吸で確かめた。オルナの卵十二も膜と出生を一つずつ追った。リュータ二十四は出た反応数。アトラス二十四は搬入番号群。
同じ数字でも、数えた物が違う。
造船所の搬入時刻は三年に分かれ、最初の年に八、次に十、最後に六。温度欄、呼吸欄、生死欄は望遠写しから読めない。
「受領印があるだけで、生存受領とは書かない」
ソラネが三地域へ送る。
各国で「二十四の幼獣が見つかった」と広がる前に、何が未確認かも同じ速度で出す。
「中央八空洞」
ミラが透明板を向ける。
空洞は心律核槽と記されている。
一つ目、道。
二つ目、子。
三つ目、荷。
四つ目、声。
残りは、別れ、傷、降、次。
初約八節と同じ。
ただし索引の検証欄はない。人間側の複数経路、外部観測、拒否、停止を入れる場所がない。核槽へあるのは、完成律、増幅率、都市命令への変換線。
初約の名を使っている。
仕組みは逆だ。
選択を確かめる節から、返律だけを抜き、動かす命令へ変える。
「盗用と記録」
ソラネが刻む。
「名称一致だけでなく、何を省いたかも」
「外から核槽を見ただけです」
ミラが止める。「内部配線は表示図。実際に動くか未確認」
盗用疑いへ下げる。
正しい怒りでも、見えていない線を見たことにはできない。
造船所から警報灯が上がった。
飛行艇六隻。
砲船二隻より小さく、速い。左右三隻ずつ、エリュンの翼端へ回る。砲口は国獣へではなく、翼梁の修繕索と骨伝板へ向いている。
「記録を切れ。航行禁止区から退去せよ」
「退路三つ」
ミラが赤紐を出す。
一つ、上昇柱を降り、深霧へ隠れる。左翼への湿荷重が赤。
二つ、造船所上を横切り、東の休翼床へ。飛行艇の間を通る。
三つ、西へ戻り、砲船二隻の前を抜ける。
エリュンは二つ目へ翼を傾けた。
逃げるだけでなく、選んだ風路を続ける。
飛行艇が撃つ。
細い索弾。
一発が右翼外輪へ絡み、砲架艇一隻が自分をエリュンへ固定する。二発目は左修繕索を狙い、翼梁工が赤で外索を切る。仮継鉄本体は残る。
「右翼砲架、索荷重六」
ネネ。
「翼が上がれば九。砲架は自動巻きで追う」
「切れる?」
「外輪を切れば翼膜が裂けます」
砲架艇は固定索を支点に砲口を安定させる。エリュンが振っても、自動巻胴が長さを合わせる。
見事な仕組みだ。
だから、壊し方も荷重線に出る。
砲架の主索は右翼外輪。戻り索は艇後部。自動巻胴は二本の差をゼロへ近づける。
「差を逆にする」
俺は透明板へ線を引く。
「右翼を上げる時、主索を緩める。下げる時、外輪を半欠け前へ送る。巻胴は艇が遅れたと思って戻り索を巻く」
「艇が翼へ寄る」
ミラが読む。
「寄せすぎれば衝突する」
「砲架支柱が先に横荷重へ負ける。停止は支柱粉切れ二。翼膜張り七」
俺が現場へ行く必要はない。
ネネが翼角。
ミラが外輪送り。
翼梁工が支柱へ粉矢を撃つ。
ソラネが時刻を合わせる。
エリュンへ入力を出す。
上げる時、主索緩み一。
下げる時、外輪前半欠け。
返り。
右翼が上がる。
自動巻胴が空転。
下がる。
戻り索が一気に巻かれ、砲架艇の尾が翼へ向く。
支柱粉切れ一。
二。
赤。
外輪送りを止める。
砲架の根元が、自分の砲身の重さで折れた。
砲弾は発射されず、砲架だけが艇甲板へ落ちる。固定索の自動切離しが働き、艇はエリュンから離れた。
壊したのは帝国の砲架だ。
乗員を落とす必要はなかった。艇は傾き七、推進継続。火災なし。負傷は外から未確認。
残る五隻が距離を取る。
逃げたのではない。
一隻が砲架破損艇へ救助索。二隻が東の休翼床前へ回り、残り二隻は骨伝板の中継梁を狙う。国獣を落とすより、見た記録を外へ出さない配置だ。
「四線を切られても、写しは?」
ジオが訊く。
「エリュン内三、オルナ線は受領白、砂双線は受領黄、セラト線は応答待ち」
ソラネの手が返る。
全部消される位置には、もうない。
ミラは追撃でなく、東の二隻の間へ三経路を引く。
上。左翼主割れが一指へ近づく。
下。湿荷重が仮継鉄へ入る。
中央。二隻の推進風がぶつかる細い乱流。翼端を畳み、胴の風嚢だけで三十息抜ける。
エリュンは中央へ面振動を返した。
「翼端を畳む。左主割れ指半、右翼外輪張り六。三十息」
飛行艇二隻は、エリュンの全翼を塞ぐ幅ではない。大きな国獣なら翼を広げ続けるという前提で位置を取っている。
右翼が畳まれる。
左翼も仮継鉄の幅を守って半分へ。
エリュンは二つの推進風が作る谷へ胴を滑らせた。
十息。
中継梁へ索弾一。修道士が主板を切らず、送信板だけを外して二重庫へ落とす。
二十息。
右翼外輪張り七。ネネが赤。腹風嚢を一つ開き、速度を落とす。
二十七息で乱流を抜ける。
東の二艇は互いの推進風を避けるため外へ開き、砲口を向け直せない。
戦ったのは一つの砲架だけだ。
残りへ勝ったのではない。相手の配置が届かない形で抜けた。
「左翼」
主割れ指半。
枝浅継鉄、半指。
切った外索一本。仮継鉄四本は白。
新規負傷、翼梁工の左頬擦傷一。住民転倒二、骨傷なし。不明三は更新なし。
俺の身体も再評価する。
低板の止め索を左手で引いたため、掌に赤い線。皮は破れていない。右前腕は細支え内の熱なし、指血色六息以内。左肋は普通息一、深い確認をせず咳なし。左脛の腫れは指一本幅、軸一、表面四。戦いが終わった勢いで歩行白へ変えない。
右翼外輪には索弾の擦り溝、長さ三歩、深さ爪半分。翼膜張りを受ける外側ではなく、無傷部へ薄い空苔帯を巻いて粉を置く。恒久材を塗れば次の翼振れを隠すため、休翼床まで乾式の帯だけ。
切った左外索は一本減。予備索の残数を数える。
主索二。
細索五。
古代碑仮覆いへ二、修繕艇係留へ一を使用中。自由に使える主索はゼロ、細索五。次に同じ索弾を受けても、同じ工程は繰り返せない。
「勝った」と書けば、残りの少なさが消える。
砲架艇一隻を戦闘継続困難。飛行艇五隻は追尾可能。砲船二隻は後方。こちらは左翼仮修繕、主索余りゼロ。
次の安全は、別の手順で作る必要がある。
エリュンは東の休翼床へ向かう。
造船所が後ろへ流れる。
きれいな床も、真っ直ぐな配管も遠ざかる。
あれが欲しい、と認めたからといって、二十四の番号や国獣の返律を床下へ埋めていいことにはならない。
逆も同じだ。
使い方が間違っているから、可搬輪や修繕窓まで壊すべきともならない。
奪われた物を外し、拒否と停止を戻せるなら、技術は別の道へ使えるかもしれない。
「八核槽の記録をもう一度」
ソラネが最後の望遠写しを三分する。
一から三は空。
四の「声」も空。
五から八は封板で中身不明。
その下に、試験核の横槽がある。
表示は、国獣別採取律。
セラト、薄い。
オルナ、薄い。
カロク、フェン、採取開始前。
ラグナ。
右後脚、腹中央、背骨根、首、左肩甲、旧坑、角冠。
七静釘の位置と同じ七入力。
槽の透明線は、半分まで銀色で満ちていた。
ラグナ用の心律核だけが、すでに半分まで満たされていた。