国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う 作:三打して待つ人
滅びた国を持ち帰るには、何人いればいい。
王女一人。
王冠一つ。
昔の形をした都。
それで足りるなら、話は簡単だった。
実際に要るのは、濾過、水、食料、寝床、夜番、荷重表、そして「持ち帰りたくない」と言える席だ。
浮かんだ旧王都には、そのほとんどがなかった。
*
背籠が深霧面から出たことで、食堂側の圧は一まで下がった。
心室から地上へ出る経路は三つ。
回収隊の穿孔穴。近いが一人幅で、穿孔機が倒れている。
食堂入口から旧潜航路。長いが既測定、骨橇が通る。
背籠中央保守井。上へ百二十歩、未測定。
卵を残して全員出る案はない。
十六の温度、栄養流、圧、背籠出力を測る班が必要だ。
トレアと回収員二人が心室残留を選ぶ。ジオは武器封とキエラ鍵を監視。ソラネ、キエラ、俺は骨橇で食堂側から地上へ。残り回収員四人のうち二人は穿孔穴の逆流止め、二人は外板側待機。
役割を俺が配ったのではない。
必要仕事と危険を出し、本人が札を置いた。
トレアは銛を心室入口へ立て、卵へ向けない。
「戻る時刻は?」
「六十呼吸ごとに板。温度一低下、栄養八割、破断八で全体停止」
「会議が長引いたら」
「会議を止める」
国を決める話が、卵の一呼吸より偉いわけじゃない。
骨橇が浮上した旧食堂へ出る。
窓から日が入っていた。
十五年前に閉じたはずの場所へ、深霧を通さない白い朝日が差している。長卓二十六と椅子百八十二は横倒しのまま。赤実蜜の函は封が残り、青い茶碗も壁際にある。
都が戻ったから、食卓が戻ったわけじゃない。
豆を煮る人も、椅子の持ち主も、今日の食事数もない。
外へ出る。
王城の塔が三本。
一本は途中で折れ、一本は横の住居区へ刺さっている。最後の一本だけが立っていた。橋は四本のうち二本が空へ垂れ、下港外輪は半分が逆さだ。
遠くから見れば王都。
足元だけ見れば、大きな漂流物だ。
十二可搬区画を一周する。
王城一、上街四、下層三、貯水二、工房一、下港一。
受け輪へ正しく載っているのは七区画。三つは片側だけ。二つは古索で隣の区画へぶら下がっている。
歩ける道は全体の四割。
屋根の残る寝床候補は百十六室。ただし床の水平、空気、飲み水を測れば、今夜使える部屋はゼロ。
遺体反応はない。生体反応も、ミラが通った水番外管と心室卵以外では拾えない。だから誰もいない、と確定はしない。倒れた家具の下、封じた地下、深霧眠。探索していない区画を無人へ塗らない。
下港の鐘だけは、風で鳴った。
低い一打。
トレア班の作業信号ではない。吊り軸が傾き、風が当たるたび同じ間で鳴っている。
それでも外の観測棚から三人が振り向いた。
昔の鐘を知る身体は、原因を測るより先に反応する。
ミラは外艇から仮橋を渡ってきた。
「負傷再確認」
「手の擦れ二。皮膚破損なし。肋、脚、腕はありません」
俺の文章の返事は訊かない。
彼女も言わない。
いまはそれでいい。
二人で背籠の外輪へ行く。
受け輪は十二。旧都市の十二可搬区画を、中央籠へ一本ずつつないでいる。輪ごとに生活管外窓、水、濾過、荷索の四口がある。
アトラスで見た可搬都市輪と同じだ。
違うのは、こちらには心律核槽がない。
命令核もない。
背籠は国獣を作る道具じゃない。都市荷重を一時的に受け、別の場所へ降ろす道具だ。
ラグナの町を降ろせる。
吊街、王都、農村。全部は無理でも、十二に分ければ、還り前に人と生活管を移せる。
欲しい。
喉の奥に、その言葉が出る。
リュータの生存者より先に、ラグナへ持ち帰りたい。
背籠があれば、最大三十三日の準備を短くできる。王城六区画の可搬継ぎとも合う。アトラス十二輪へ渡すより、命令核のないこちらの方がいい。
技術者として正しい評価だ。
生活者としても欲しい。
背籠の受け輪へ吊街の床を載せ、生活管外窓へ水と濾過をつなぐ。俺の部屋の青い茶碗を函へ入れ、工房の曲がった棚をそのまま運ぶ。
全部は無理だと分かっている。
なのに、リュータの旧王都が形を戻しただけで、ラグナの町も同じように持ち上がる絵が浮かぶ。
目の前の卵が栄養を払っていることまで、設計上の解決待ちへ押しやりたくなる。
利害としては、俺がこの遺骸から背籠を持ち出したい側になる。
「会議で先に言う」
ミラへ伝える。
「何を?」
「ラグナへ欲しい。だから俺が旧王都を残すか運ぶかに意見を出す時、偏ってる」
「使い道があるから?」
「町を降ろすため。期限は最大三十三日。背籠を運ぶ代価も未計算」
ミラは白を置かない。
「私も偏っています」
立った塔を見る。「ここを残したい気持ちと、残した形に縛られたくない気持ちがあります」
王女だから、故国へ中立ではない。
二人とも偏ったまま、どこが偏っているかを板へ出す。
*
生存者会の連絡は、昼前に五本つながった。
盆地外観測棚の七人。
南東落着地の十一人。
北霧港の八人。
西の移住区から九人。
所在追跡できる四十三人のうち、遠距離・病床を除く三十五人。本人出席二十七、代理を本人が指定した八。残る八人は不参加で、賛成にも反対にも入れない。
第六艇だけの会議にはしない。
第一、第三、第五艇の生存者と、艇へ乗らず地上へ逃れた二人もいる。旧上街出身は四。下層出身二十三。登録、無籍の別は発言権へ使わない。
トレアは心室から骨伝で参加する。
会議の最初に、俺の利害を出す。
「俺はラグナの都市降下に背籠を使いたい。残り最大三十三日。持ち出し、安全設計、複製を優先して読む偏りがある」
次にキエラ。
「帝国回収局は背籠と卵群を保護回収し、アトラス予備資産へ接続したい。現地安定化の設備と技術者を出せる。帝国所有を主張する」
最後を濁さなかった。
ミラ。
「私は旧王家の生存者で、主索を切断した本人です。王家所有として背籠や都市を請求しません。記録の照合と会議招集のために名を使うかは、別に決めます」
三人とも、意見の前に自分の取るものを出した。
生存者側から最初に来たのは、泣き声でも万歳でもない。
「水は出るのか」
北霧港の女が訊く。
「出ない」
「何人住める」
「現在ゼロ。生活管未接続、濾過なし、浮力槽四つ暗。背籠の積載上限も未測定」
「王城は立ってる」
「塔一本だけ。居住安全とは別」
夢を壊すための言葉じゃない。
住める国と、国に見える物を分ける。
南東落着地の老人が言う。
「形があるなら、戻せる」
「何を?」
「国をだ」
「人、仕事、税、王家、食堂、領域。どれを戻す?」
「全部だ」
全部。
俺も使う言葉だ。
全部助ける。全部直す。全部持ち帰る。
言った本人だけ先に安心できる。
ただ、老人の声を甘い復国願望として切れない。
彼は十五年、南東の石棚でリュータ語を子供へ教えてきた。共同食の最初に食堂番の木札を回し、死者名を一年に一度読む。国の形がなくても続けてきた仕事がある。
「戻すものを一つずつ出してほしい」
俺は言う。「全部という札の下で、払う物を隠さないために」
老人は王城、と書く。
別の人は食堂名簿。
一人は下港の鐘。
三人は、何も持ち帰らない。今の家が国だと書いた。
二人は、都市を地上へ置けるなら移住したい。
五人は未決。
西移住区の男は、王都を地上へ置くなら見に来るが住まないと言った。
「十五年かけて井戸を掘った。子供は西の土しか知らん。帰国と言われて、また家を捨てる気はない」
南東の若い女は反対した。
「その子供へ、リュータ人だと教えてきた。国が戻った時だけ違うと言うのか」
「教えた言葉と、住む場所は同じか」
「違う。でも場所が要らないとは言ってない」
二人は声を荒らげない。
同意もできない。
国を欲しい人が、現在の家を軽んじているとは限らない。現在の家を守る人が、故国を捨てたとも限らない。
北霧港の八人は、都市より先に食堂名簿を地上へ出す案へ白を置いた。王城がまた沈んでも、名前の写しを五地点へ残すため。
下港の鐘を求める二人は、鐘自体でなく鳴らし方の図だけでいいと修正した。
持ち帰る物は、話すほど小さくなるものもある。
小さくなって、失われにくくなる。
同じ生存者でも、帰る先は一つじゃない。
キエラが協力案を出す。
暗い浮力槽四つを帝国の予備心律筒で起こす。黄槽一を白へ。十二受け輪の荷重を均し、旧王都を盆地北の乾いた岩棚へ移動。生活管外窓へ帝国標準濾過を接続する。
期間三日。
居住試験は百人。
交換条件は、卵十六と背籠の帝国・生存者会共同管理。アトラス中央保護院への移送権。ミラの任意証言。
「共同管理の停止権は?」
ジオが訊く。
「帝国、安全管理者、生存者代表の三者」
「卵本人の反応は」
「孵化前につき代理を置く」
「誰が代理?」
「中央保護院」
帝国が設備を出し、帝国が卵の代理をし、帝国が移送先を決める。
共同という名前でも、止める側が同じだ。
それでも、案の全部が嘘ではない。
予備心律筒で暗槽を起こせる。
標準濾過は実在する。
三日で百人居住試験まで進められる技術と物資を、トレア班だけでは用意できない。
「卵を移送せず、設備を買う案」
「代価を払えるか」
「何が要る」
キエラは数を出す。
予備心律筒四、濾過器十二、技師二十四人、護衛二艇、三日分の深霧油。帝国銀貨で四万二千。加えて技術秘匿契約。
生存者会に払える金じゃない。
俺たちにもない。
「卵の値段を四万二千にしたのか」
「卵だけではない。背籠の共同権、追跡記録、帝国救護費を相殺する」
数字は正確でも、売っていい物の確認がない。
心室からトレアの板が鳴る。
『栄養流八割半』
九割から下がった。
会議を止める。
浮上した都市は風を受ける。西住居区が半歩揺れ、受け輪九番の荷重が五から六へ上がった。背籠が補正し、心室から栄養を余計に引いている。
王都をこの形で浮かせているだけで、卵が払う。
「都市を下ろす」
俺が言うと、復国側から赤が三つ来た。
「今すぐではなく、停止値へ触れる前に。下ろす場所は元の遺骸、北岩棚、十二分割で別棚。三案」
キエラは別案。
「暗槽一を起動すれば補正が減り、栄養九割へ戻る」
「起動時は?」
「一時八割」
温度停止は一低下。
現在十六は温度変化なし。
暗槽一を半段試験する。心室のトレア、外輪のオド、槽前のキエラ部下、ネネの帆糸、俺の床板。五観測。
半段。
栄養八割。
最小卵二つが温度半欠け低下。
受け輪九番は五と半分。
補正は効く。
もう半段なら、荷重は五へ戻る予測。卵温度は一へ触れる可能性。
停止する。
半段を戻す。
栄養八割半。
温度は開始値へ戻る。
帝国案が完全な嘘ではないことも、卵へ代価が出ることも、同じ試験で残った。
キエラの部下の一人が、自分の隊長へ赤を出した。
「標準函の濃度五では、最小二個体の移送開始値を満たさない」
さっき心室で現水試験を拒んだ隊だ。
現場値を見て意見を変えた。
キエラは赤を取り上げない。「なら二個体は現水函。他十四は標準」
「群れの栄養膜を切り分ける試験がない」
「中央で行う」
「切った後では戻せません」
帝国内でも同じ案ではない。
回収員の異議を、こちらの正しさの証人へ勝手に迎えない。彼は帝国所属のまま、移送自体には白で、切分け順だけに赤を置いている。
その細さを残す。
会議を再開する。
持ち帰り方は三つになった。
旧王都の形を保ち、帝国設備で地上へ運ぶ。早い。百人試験ができる。卵移送権と背籠共同権を渡す。
都市を元の深霧へ下ろし、必要な記録と物を生存者本人が選んで段階搬出する。卵を守りやすい。町の形は失う。
十二可搬区画を分け、生活に要る区画だけを乾いた棚へ置く。背籠は空けて卵と記録を運ぶ。何を国として残すか選ばなければならない。
どれも持ち帰る方法だ。
誰かの望む全部ではない。
四つ目として、都市も背籠も卵も帝国へ渡さず、現状維持する意見が出た。
一刻で栄養流が八割半まで落ちた現状を、維持とは呼べない。
反対者へそう返すと、彼女は「なら下ろすまでの間も帝国鍵を抜け」と修正した。
キエラは拒否。いま鍵を抜けば黄槽が閉じ、受け輪三番が再び七へ上がる。
鍵を持たせ続ける危険と、抜く危険が両方ある。
ジオが鍵の周りへ三者封を追加する。鍵は刺したまま。キエラの指が一欠け動けば白糸が切れ、ソラネと生存者会へ同時記録。抜去は黄槽荷重を別支えへ移してから。
嫌いな相手の手を装置へ残す工程もある。
安全は、きれいな陣営分けを待たない。
決定は次の会議へ送る。
ミラの王家名を使わず集めた臨時会では、都市所有と移住、卵の代理、王家継承を同時に決められない。出席できなかった八人、追跡不能二十五人、生存未確認者もいる。
急ぐ卵の栄養は、会議の完全を待てない。
だから現在形を一刻だけ維持し、その間にミラ名で公開会議を招集するか、背籠を段階降下するかを先に決める。
トレアが心室残留を別の人へ交替し、地上へ上がってきた。
防霧衣の下に、細長い箱を抱えている。
「それは?」
ミラが訊く。
「第六艇の王家退避箱」
トレアは箱を地面へ置く。鍵は壊れている。封は十五年前に開かれ、内容物の照会記録が三巡分ついていた。
中に、白金の輪がある。
尖った飾りはない。内側に王家操路印、外側にリュータの十二可搬区画を刻んだ古い王冠。
宝石は一つもない。
代わりに、区画ごとの停止溝が十二ある。王が戴く飾りというより、背籠と都市を同時に止めるための環状鍵に近い。
王冠にも実用がある。
実用があるから、かぶる人を必要とする仕組みが正しいとは限らない。
「あんたの父が、王城から第六艇へ載せた」
「なぜ今まで」
「王家へ返せば、私たちを捨てた国へ戻る。捨てれば、私たちが国を終わらせる。どっちも私一人では決められなかった」
トレアはミラを許していない。
夫と息子の札も腰袋にある。
それでも、浮かんだ王都を地上へ置きたい側へ白を出した。
「ダルとユンがいた上街も、あそこにある」
トレアは傾いた橋を指す。「身体があるとは思ってない。戻るとも思ってない。それでも、落ちた場所をもう一度、地図の外へ沈めたくない」
復国を望む理由が、王家への忠誠とは限らない。
失った場所を見える所へ置きたい。
同じ願いでも、卵へ払わせていいかは別だ。
「復国会議を、王家の名で開け」
「女王になれと?」
「その話を、全員がいる席で断るなら断れ」
トレアは膝をつかない。
王冠を頭上へ掲げもしない。
両手で箱ごと、ミラへ差し出した。