国を背負う巨獣が、俺にだけ「痛い」と言う 作:三打して待つ人
ミラは王冠を受け取らなかった。
箱の蓋だけを、自分で閉めた。
「会議を開くために、王家名を使います」
トレアの両手は箱の下にある。
「女王になる気は」
「ありません」
「なら、王冠は」
「背籠の停止鍵として使います。頭には載せません」
王冠を使う。
王冠をかぶる。
同じ物を手にする二つの動作が、別の意味になった。
トレアは箱を引かなかった。
「断るところまで、全員の前で言え」
「はい」
ミラは箱の受領欄へ、所有ではなく一時保管と書いた。目的は公開会議の招集、背籠停止溝の照合。終了時刻は未定。返却先はトレア個人でなく、生存者会の選択先。
王冠を借りたから、国まで借りたことにしない。
*
公開会議は、旧王城の謁見室では開かなかった。
床が十度傾き、天井の三分の一がない。王座だけは残っているが、そこへミラを座らせた瞬間、議題より先に答えができる。
場所は下港外輪の荷捌き場。
登録艇も無籍の荷も同じ床へ一度置き、重さと行き先を測った場所だ。
背籠の受け輪十二が見える。心室の卵温度板も骨伝で届く。退出路は三つ。王座はない。
ミラは王冠を床の停止台へ置いた。
十二の溝が受け輪十二とつながる。
かぶらない。
けれど、隠しもしない。
「ミラ・リュータです」
王女、と自分からは言わない。
「旧王家の生存者として、リュータ生存者公開会議を招集します。招集の効力は、この都市、背籠、卵、記録、避難の処置を決める間だけ。私を女王とする効力はありません」
南東線から、異議。
「王家にそんな分け方はない」
「なら、新しく分けます」
「王家を名乗って、王家の決まりを変えるのか」
「王家の決まりが都市分離を禁じ、避難を遅らせました。同じまま使いません」
声は強い。
王女の美しい命令声、ではない。
招集の範囲、停止、本人名。何を決められ、何を決められないかを先に出しているから通る。
俺の腹は、それでも落ち着かない。
王冠の前へ立つミラが、俺の知らない席へ戻っていくように見える。
昨日まで一緒に滑り板と索を持っていた人が、旧国三十五人の前で名を使う。
帰ってきてほしい、と伝えた直後だ。
帰る先に王座を選ばれたら。
そんな考えが出る。
本人はまだ選んでいない。
俺が怖いから、王家名を使うなとは言えない。使う役割と、かぶる自己像を分ける、と今ここで示している。
なら、見る。
選ぶ前に失ったことにしない。
ミラは俺の方を見ない。
見てほしい、と一瞬思う。
昨日送った言葉を覚えているか、王冠の前でも戻る気はあるか、目で答えてほしくなる。
それを求めれば、公開会議の途中で俺だけの確認を払わせる。
帰ると本人が決めた記録はある。現在の役割が変わっただけで、すぐ失効したことにしない。
俺は卵温度板の前へ座る。
王冠の隣ではなく、自分の持場へ。
参加は前の三十五人。
不参加八へも時刻と議題を送り、途中参加口を残す。追跡不能二十五、生存未確認者は空欄。王家名で呼んだからといって、沈黙を賛成に変えない。
議題は四つ。
背籠を何回使うか。
何を載せるか。
旧王都をどこへ置くか。
卵十六の代理停止を誰が持つか。
ミラの案は、一回だった。
旧王都を運ぶためではない。
心室卵十六を栄養膜と深霧水ごと載せる。
食堂名簿、艇到着記録、都市分離原板、操路音筒、離脱二十四追跡板を原物保全箱と写しに分ける。
盆地内にいる観測・潜航・回収・記録の十九人を、北の乾いた岩棚へ出す。
背籠は荷を降ろした後、ラグナ都市降下へ貸すか、ここへ残すか、図だけ複製するかを別会議にする。
旧王都は十二受け輪から段階的に外し、深霧内の元の支持位置へ戻す。
卵の移載器も図にする。
背籠の生活管外窓四つをつなぎ、一つの浅い水槽にする。現在の深霧水を先に八割入れ、心律管を切らず、死骨側から背籠側へ一本ずつ延ばす。卵は持ち上げず、水位と栄養流を同じにして自分で位置を移せる余白を作る。
十六を個別函へ分けない。
必要な物は内殻布四、透明骨板十二、圧弁八、深霧水十六槽分。現地にあるのは布二、板七、弁六。足りない布二と板五は回収隊の捕獲函を解体すれば出る。
キエラは函解体へ赤。
「帝国保護器材だ」
「買える?」
「銀貨六千」
「払えない。貸与は」
「卵移送の共同監督権」
ここでも条件が出る。
回収員の赤一人が別案を出した。函の外枠を壊さず、内板五枚と濾過布二枚だけ外す。三日以内に同等材返却。卵移載中の観測席は帝国一、生存者会一、ソラネ一。停止は三者の誰でも出せる。
キエラは黄。
生存者会は条件白。
帝国案を丸ごと拒否せず、所有と技術を部品ごと分ける。
「国を沈める案だ」
南東線の老人が言う。
「都市の形は持ち出しません」
「十五年待って、やっと上がった」
「上げ続けると、卵の栄養が現在八割半です」
「卵は国なのか」
「国ではありません」
ミラは答える。「だから、国のために払わせる理由もありません」
言葉だけなら冷たい。
彼女は自分の案の代価も出す。
王城、食堂、下港の形はまた深霧へ入る。次に同じ形で上げられる保証はない。未回収の物、家、遺骨、封じた部屋を置く。三十五人が選ぶ時間は、卵の停止値まで最大二刻。安全に持ち出せる原物は背籠積載の四分の一。
全部は載らない。
持出し順位をミラが決める案でもない。
生存者一人につき、名、物、記録から一つを第一札へ置く。同じ物を選んだ人は共同札。本人不在者の家財は勝手に代理選択せず、位置記録を残す。
俺は背籠の利用希望をもう一度出す。
「ラグナへ持ち出したい。ただし、卵を降ろし、背籠の栄養線を切り離し、安全試験をしてから。今日の一回へ将来利用を混ぜない」
キエラは反対。
「卵を背籠へ載せる工程こそ未試験だ。帝国函なら三日輸送の実績がある」
「群れ栄養膜ごとの実績は」
「ない」
「背籠なら?」
「生活管外窓を水槽化できる。十六位置を保ったまま移せる可能性はある」
帝国技術者としての答えだ。
キエラは自分の回収案に不利な値も言う。
「ただし、旧都を外す間、浮力槽が最低二つ必要。卵栄養は七割まで落ちる。移載完了に三刻。現在の温度停止一では、半数が黄へ入る予測」
その半数が、どの八つかは未確定。
小さい順に弱る、と決めない。位置、管の枝、膜厚が違う。
心室のトレア班から最新値。
栄養八割半。
温度変化なし。
一刻維持の期限まで、残り半刻。
復国側は別案を出した。
帝国予備心律筒四本で暗槽四つを起動。旧王都を北岩棚へ運び、心室卵は帝国保護函へ。王城と食堂を地上保存し、住民百人の試験居住。ミラを暫定女王にし、帝国との契約主体にする。
「暫定はいつまで」
ジオが訊く。
「百人居住が成立し、正式選挙を行うまで」
「選挙人」
「リュータ国籍を証明できる生存者」
無籍だった人がまた外れる。
現在の家で生まれた子も外れる。
「国籍証明を発言条件には使いません」
ミラが線を引く。
「では王家を使うな」
「招集と女王就任は分けます」
同じやり取りは二度目だ。
でも、二度目には選挙人、契約主体、居住試験という新しい結果がある。
焼き直しではない。
復国案へ白十二。
ミラ一回案へ白十三。
旧都を即時降下へ白五。
未決五。
王冠をミラがかぶる案は、別に採る。
白九。
赤十六。
未決十。
復国へ白を置いた十二人全員が、女王就任へ白ではない。王都を残したいが選挙を先にしたい人、王家名を会議だけに使いたい人、トレアのようにミラを許していない人がいる。
逆に、旧都を降ろす案へ白でも、危機中だけ女王権限で強制停止してほしい人が二人。
都市処置と人の地位を一枚へ束ねれば、存在しない多数派を作るところだった。
「女王にならないなら、誰が帝国と契約する」
南東線から問われる。
「生存者会の共同署名」
「三十五人で毎回決めるのか」
「作業契約は選任三人。都市所有、移住、卵処置は全体へ戻す。権限期間と撤回条件を先に決めます」
「遅い」
「遅いです」
ミラは否定しない。「だから緊急停止だけ、王冠の十二溝で私が行います。進路決定には使いません」
速い役割を使いながら、速い人へ国全体を渡さない案だ。
多数決で国を決めない。
卵の不可逆な移送、欠席者の家、王家就任を含む。十三対十二で全部を動かせる話じゃない。
次は、各案の停止条件を詰める。
そう決めた時、王城線が切れた。
見学四人を王城へ入れたのは、公開会議の前だった。
受け輪の損傷を出身者本人が見るため。入口で武器なし、作業鍵なし、二十呼吸ごとの位置報告を条件にした。
艇長副鍵は武器欄へ入らなかった。
旧修繕局印も、記録照合具として通した。
一つずつなら王城を起動できない。
二本の副鍵、修繕局印、所在不明だった心律筒。四つが揃うと副停止台を開ける。
持物検査の失敗だけじゃない。四人が別々の理由を申告し、組み合わせた時の機能を誰も照合しなかった。
俺も見学経路の荷重だけを見て、道具の合成を見なかった。
強行した四人の責任は消えない。
通した側の欠落も、四人の行為を理由に隠さない。
音の断線ではない。
受け輪一、二、四、五の停止溝が、床の王冠から同時に外れた。
誰かが王城側の副停止台を動かしている。
「王城、人数」
外のオドから返る。
四人。
復国側の南東二、上街出身一、第六艇一。会議開始前に現地見学として入り、王家操路室へ移動した。携行は艇長副鍵二、旧修繕局印一、帝国式心律筒一。
最後の一本はどこからだ。
キエラが自分の保守袋を見る。
封は切れていない。
回収員六の鍵も数が合う。
十五年前、王家退避箱には王冠だけではなく予備心律筒が二本あった。トレアの照会記録では、一つは深霧眠者の保温へ使用、もう一つは四年前の箱開封時に所在不明。
「私の班だ」
トレアの板が鳴る。「第六艇の一人。箱を一緒に開けた」
彼女が復国側へ白を置いたことと、強行を許したことは同じではない。
「停止溝を戻せ」
ミラが王家名で送る。
返事。
『女王が国を捨てる前に、国を地上へ置く』
「私は女王ではありません」
『だから、王冠を使う資格がない』
理屈がひっくり返る。
女王にならないなら権限なし。
女王になれば、復国へ従え。
どちらでも本人の選択が残らない。
王城副台が動く。
暗槽一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
キエラの試験では半段で卵栄養八割、最小二つが温度半欠け下がった。
今は一段ずつだ。
背籠の浮力槽八つが、白七、黄一になる。
旧都を支える力は増えた。
受け輪三番六から四。九番五から三。垂れた橋は持ち上がり、倒れた家の一部が水平へ戻る。
安全値だけ見れば改善している。
その分、背籠は心室の死んだ心律管から流れを吸う。
旧王都が一気に半身上がった。
王城の折れた塔が起き、垂れていた橋二本が水平へ近づく。下港の鐘が風ではなく、受け輪の衝撃で鳴る。
人が歓声を上げた。
三十五人のうち四人。
泣いた人もいる。
国が戻ったように見える。
心室から赤が来る。
栄養流、五割半。
卵十六のうち八つで温度一低下。
膜収縮、開始値から一割。
反応間隔が二倍。
衰弱。
死亡ではない。
でも、停止条件へ触れた。
八つの内訳を取る。
最小二だけではない。
王城寄りの栄養枝につながる三、中間管二、外輪管三。大きさは混じる。残り八も安全ではなく、温度低下半分、反応間隔一・五倍。
半数という言葉で、弱った八とまだ白の八を別種にしない。
十六全部が同じ栄養流五割半の中にいる。
「全槽停止!」
床の王冠へミラが手を置く。
十二溝のうち四つが外れている。王冠側だけでは戻せない。王城副台と同時でなければ、暗槽四つは閉じない。
キエラが自分の帝国鍵を回そうとする。
三者封の白糸が張った。
「何をする」
ジオ。
「黄槽を二段上げる。旧都荷重を黄へ寄せ、暗四槽を外せる」
「卵栄養は」
「一時四割。二十呼吸」
温度一低下へ触れた八に、さらに四割。
「赤」
トレア、ネネ、ソラネから同時。
キエラは手を離す。
命令に従ったのではない。自分の案へ外部三停止が出たから止めた。
別案。
王城四人へ停止文。返答なし。
副台へ物理索を送る。外橋十二度、索だけなら届くが、停止桿を戻す力に足りない。
四暗槽の栄養管を閉じる。卵側へ戻るが、都市荷重の逃げ先がなく受け輪一・二・四・五が破断する。
都市を一気に降ろす。古索十二本のうち現在荷重の低い四本から背籠を外せる。ただし順番を誤れば王城が心室へ落ちる。
どれも単独では赤。
必要なのは、荷を離し、次の支点へ渡す順番だ。
王城へ行く経路は、上昇井、水番外管、外橋。
外橋は旧都上昇で傾斜十二。上昇井は浮力中心。水番外管は二百十歩。
また三つ。
今度はミラ一人を帰す道ではない。
王城四人を止め、卵へ栄養を戻し、都市荷重を落とさない工程が要る。
死骨の奥から、長い三打がした。
リュータの現在意思じゃない。
浮力槽の荷重で、十五年前の作業記録が再生されている。
三打。
二打。
その後に、今まで聞かなかった組合せ。
短い一打。
長い一打。
次の支点へ荷を渡す時、古い継骨工が使う符だ。
離す。
次。
死骨が命じているんじゃない。
王冠の十二溝、その五番目の下で、同じ符が反響する。
溝の底へ粉を入れる。
古い刻みが二列ある。
一列目は、区画を所有から外す王家印。
二列目は、次の受け手、停止値、戻し先を書く空欄。
王が国土を捨てる命令じゃない。
誰の物でもなくする穴でもない。
現在の持ち手が離す前に、次に受ける相手と戻し方を置く作業欄だ。
死骨の残響は、その欄へ荷重がかかって再生された過去記録にすぎない。
けれど、初約索引と同じ構造がそこにある。
場所を見つけただけだ。
まだ誰も荷を離していない。次の受け手も、戻し先も選び終えていない。
死んだ骨の音だけで、節を得たことにはしない。
初約索引の五番目。
「別れ」の位置だった。