浮島のリオスと地上の旅   作:nocomimi

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隠れ住む民

「―――ちょ......ちょっと待った!」

 

リオスは驚愕に目を見張った。そしてファイと狩人を交互に見やった。

 

「じゃ...じゃあ....その霧って...まさか浮島から.....!」

 

『その通りです、マスター。残念ながら』

 

ファイは無機質な声で答えた。

 

『浮島の住人の間にはここ二十年で急速に悪が広がり始めています。特に神官たちの間でそれが顕著です』

 

少年は言葉を失ってしまった。そして故郷での光景を思い出した。

 

煌びやかな衣装をまとい、礼拝を司る神官や助祭たち。

 

だが、リオスは悪友のセバルスから聞いて知っていた。民に道徳と感謝を説く彼ら自身が最も放埓かつ強欲な暮らしをしているということを。

 

信心深い者たちは、彼らの言葉巧みな勧奨に応じて、礼拝のたびごとに持てる限りの穀物、果物、酒、油、ときには家畜を捧げ物として神殿に持ち込む。それらは全て神官階級の腹の中に納まる。それだけではない。神官たちは若く美しい娘に目をつけると、神殿で働くよう誘い、実際には愛人として囲っているということもリオスは聞いていた。

 

「じゃ....じゃあ....安全に暮らしてる浮島の連中がまき散らすその瘴気が原因で....地上のボコブリンが元気になっちまってるっていうのかよ?.....」

 

『―――その通りです』

 

リオスが擦れ声で言うと、ファイは冷厳に答えた。

 

「....ふ...ふざけんなよ。じゃあ、なんで女神さんはあいつらに罰を与えないで、地上の連中ばっかりが苦しんでるのを放置してるんだ?」

 

少年は唸るように言った。そして拳を握ると続けた。

 

「いや...そんなことだったらもう浮島なんて落としちまえばいいだろ。そんでボコブリンどもが襲ってきたら自分で自分の身を守らせればいい。自分で蒔いた種なんだから。そうだろ?」

 

『ハイリアはお決めになりました。ご自身が将来、巫女の血を引く者の中に受肉されることを。ですから、そのことが成されるまで浮島は空に留まります。巫女の血筋を絶えさせないためです』

 

ファイの答えを聞いたリオスは黙った。形容しがたい怒りと苦しみと痛みが胸の中に満ちていくのを感じた。

 

「じゃあ...俺たち浮島の人間のせいなのか?ラジーブの兄弟たちが死んだのも....」

 

「兄弟たち、戦士、持つ、覚悟。他人、ない、責任」

 

すると狩人が言った。だがそれを聞いてもリオスの心は晴れなかった。狩人が出発を告げ、一行は立ち上がり歩き始めた。

 

夕方まで歩くと、また宿営を張る。ふたりは野鳥の肉を食べ尽くし交代で睡眠をとった。翌朝また歩き始める。

 

リオスは気づいた。顔を上げると、赤黒い煙を吐く山が前に見た時よりかなり近くなってきている。輪郭が昨日よりもはっきりとしていて、まるでこちらを睨み返しているかのように迫っていた。 

 

ひたすら平原を進んだ。歩いているうちに、いつしかリオスは地の振動を感じ始めた。

 

「おい!地面が...揺れてる!」

 

「火吹き山。生きる。唸る」

 

狩人が言う。見渡す限りの草原に、いつの間にか赤黒い岩の姿が目立つようになってきた。急ぎ足で進みながら狩人が告げる。

 

「―――今夜、する。稽古」

 

「よし来た。次は一本くらい取らせてもらいてぇな」

 

リオスは勢い込んで答えた。狩人は続けた。

 

「お前、習う。構え」

 

「構え?構えから覚えろってのか?まぁ確かに基本だもんな」

 

「違う。構え、ない」

 

「..ぁ?どゆこと?構えるけど構えない?禅問答か?」

 

会話していても要領を得ない。やがて一行は背の高い岩の壁に行く手を阻まれた。狩人は休憩を告げると、リオスが持っていた稽古用の枝の一本を手に取った。

 

「お前、構える」

 

「わ.....わかったよ」

 

少年は自分も中段に構えた。するとラジーブはすぐ首を振った。

 

「違う。構え、ない」

 

「ど....どういうことだよ。構えろって言ったり違うって言ったり」

 

困惑していると、狩人は言葉を継いだ。

 

「お前、最初、考える。守る。お前、弱い」

 

それを聞いて、少年の心の中にやっと何かが浮かび上がってきた。

 

「つ...つまり最初っから守りに入ってるから弱いって..ことか?」

 

すると狩人が頷き、言った。

 

「お前、構え、ない。守り、忘れる」

 

「わかったよ....え..ええっと....」

 

リオスは枝を握った手をだらりと下げた。すると狩人が手招きする。

 

慎重に近づいていくと、相手がいきなり少年の頭をコツンと打ってきた。

 

「痛ってぇ!」

 

「お前、死ぬ」

 

「当ったり()ぇだろ!構えねぇで近づいたらそりゃやられるわ」

 

リオスは呆れて笑いながらも文句を言った。

 

「違う。お前、見る。敵、動く。お前、打つ」

 

狩人は真顔で言う。そして手振りを交えて続けた。

 

「敵、動く。守り、ない。お前、打つ」

 

「な...なんかすっげぇ高度なこと言ってねぇか?...相手が動いて隙が出た瞬間を読んで打つってことだろ?」

 

リオスは唖然として呟いた。だが狩人は当然のように頷く。

 

「お前、恐れる。見ない、相手。お前、弱い」

 

図星だった。それを言われた少年は胸を射抜かれたような気がした。

 

「怖がって相手をちゃんと見ていないから相手の動きが読めない....んだな、俺。言われちまったよ」

 

だが、その日は何度試しても狩人が一方的にリオスの頭を小突くばかりで終了した。

 

日没にはまだ早かったが、ふたりはそこで宿営を張った。地面に横になりながらも、リオスの胸の中には言い知れない怒りと、悲しみと、そしてもう一つの今まで経験したことのない想いが沸々と湧き上がっていた。

 

―――放っておけねぇ。こんな世界―――

 

だが少年は寝返りを打った。

 

一体自分に何ができる?剣ひとつまともに扱えないのに?

 

目を上げると、ラジーブは弓に軽く手を添え、油断のない視線を周囲に投げかけている。暮れていく空の下、火吹き山から響く地鳴りの音が遠雷のように聞こえてくる。その音の中でいつしかリオスは眠りに入っていった。

 

* * * * * * * * * * * 

 

翌朝ふたりは出発した。高い岩壁を狩人の先導で登っていく。少年は相棒の動きをよく観察しながら真似ていった。岩の突端に手足を掛け、三点を保持しながら上がっていく。中腹まで登ると、狩人は狭い岩の裂け目に入っていった。その後に続くと、両手足を壁に突っ張りながら奥に入っていく。

 

進めば進むほど、地鳴りの音が大きくなる。熱気の籠った風も吹きつけてきた。

 

「もうすぐ。鬼、いる」

 

狩人が警告してきた。少年は苦労して後を追いながらも頷いた。

 

ふたりはやがて岩の壁の裂け目を抜けた。向こう側も切り立った崖だ。そこを慎重に降りいていくと、ゴツゴツした岩に囲まれた広場に出た。

 

目を上げると、途方もない高さの山が聳え立っている。その頂上からはもうもうたる煙が絶え間なく立ち昇っていた。

 

驚くほどの熱風が時折吹き付けてくる。視線を下ろすと、広場の先にはオレンジ色に輝く何かが見える。その輝くものは液体のように流れていた。

 

「あ...あれもしかして溶岩かよ....」

 

「落ちる、お前、死ぬ」

 

驚愕してリオスが呟くとラジーブは淡々と言った。狩人は近くの岩陰に隠れながら手振りで姿勢を低くするよう指示してきた。リオスは我に返って身を低くし、相棒に倣った。

 

ラジーブは前方に広がる山の斜面を指さす。

 

「モグマ、住み家。探す」

 

「....わ...わかった」

 

返事しながらも、少年は戸惑って尋ねた。

 

「...なあラジーブ。そいつらどんな奴らなんだ?外見は?」

 

「犬」

 

狩人は簡潔に答えると、慎重に前進し始めた。リオスは戸惑って聞き返した。

 

「い....犬...?犬なのに言葉を喋るのか?」

 

だが相棒は返事をしない。静かに広場を横切ると、その先の段差を下った。

 

後から従って進もうとしたリオスは思わず足を止めた。すぐ先は、溶岩が流れる大きな川だ。そしてその『川』の上を丸く平たい岩が飛び石のように並んで浮いている。その飛び石は左右二つの方向に点々と続いていた。

 

狩人が右手に針路を取り、急ぐよう手で合図した。少年は慌ててついていった。

 

ラジーブは猫のように身軽に飛び石を飛んでいく。リオスは顔を引き攣らせながらもその後から飛び石を渡った。だが着地するとグラグラと揺れる。少しでも足を滑らせれば、凄まじい熱気を発する溶岩の流れる『川』に真っ逆さまだ。

 

やっと向こう岸に着くと、段差の上に道が続き、それが自然岩でできたアーチを潜って前方に伸びている。

 

ラジーブは一層警戒を強めた表情をしながら、慎重に進んでいった。時折立ち止まっては聞き耳を立てている。

 

リオスも何気なく真似すると、遠く山の斜面から声が聞こえてきた。ボコブリンどもの耳障りな笑い声だ。そこらじゅうに立ち並ぶゴツゴツした岩の塊に遮られてか、姿は見えない。

 

狩人は、聞いただろ、とでも言いたげに目線を送ってきた。リオスは唇を噛み締めて頷いた。次にラジーブは身を屈めると、地面を手のひらで軽く叩き始めた。

 

「な.....なにやってんだよ」

 

リオスは言った。だが狩人は返事をせずそれを続けた。何かのリズムを奏でるように、軽やかに地面を連打している。

 

しばらくすると、足元の地面が僅かに盛り上がってきた。かと思うとそれが割れ、中から何かが鼻を突き出した。犬のような濡れた鼻だ。そして次に顔が地面から出てきた。

 

その顔は、どう見ても犬にしか見えない。リオスは不思議に思いながら、その「犬」の顔と相棒とを交互に見比べた。

 

その時だった。

 

「お...おい...マ...マジかよ!なんで人間がここにいるんだ?」

 

その「犬」がいきなり声を発した。リオスは驚きの余り固まってしまった。

 

「我、味方。リゴール、息子。望む、隠れ家」

 

狩人は相手に顔を近寄せて囁く。その「犬」もまた驚いた顔で数瞬固まっていたが、やがて慌てた様子で穴の中に引っ込んでいった。

 

「い...今...しゃべった...よな。あの犬」

 

茫然とリオスが呟くと、狩人は首を振った。

 

「犬、違う。亜人」

 

「仲間...って...あいつがそうなのか?」

 

少年が尋ねると、狩人は周囲に用心深い視線を配りながらも説明した。

 

「昔、同盟。我、父、親友。モグマ、族長」

 

「あんたの親父さんが昔の戦さで一緒に戦った...仲間ってことか」

 

リオスは自分なりに解釈して口の中で呟いた。だが、喋る「犬」が人間とともに戦う光景を想像してしまい、かえって頭が混乱してしまった。

 

その時だった。先ほど地面が割れた箇所が急速に崩れ、人ひとり入れそうなほどの穴が開いた。

 

「お前ら、急げ!あいつらに見つかったら面倒だからよ」

 

穴の内部から、誰かが手招きするのが見えた。目を凝らした少年はますます驚いて口を開けてしまった。

 

そこにいたのは、頭だけは犬そのものなのに、肩幅が広く、腕の長さが大人の人間並みの奇妙な生物だ。身体全体のつくりも人間そっくりだ。

 

ラジーブが目で合図してきたので、少年は慌ててその穴に飛び込んだ。狩人は周囲を警戒しつつも後に続く。

 

そして、その「犬」は急いで周囲の土をかき集めて積み上げ、天井を塞ぎ始めた。

 

* * * * * * * * * * * * * * * 

 

「なんだって?おめぇ、あのフロウの息子なのかぁ?」

 

その「犬」は目を丸くして大声を上げた。少年と狩人が暗い穴の中に潜り込むと、その「犬」は蝋燭を取り出して火をつけてくれた。そして全員が改めて自己紹介したのだ。

 

「...こいつは驚きだぜ。伝説の狩人リゴールの息子と伝説の剣士フロウの息子に同時に会うなんてよ」

 

リオスは薄暗い灯りの中に浮かぶ相手の姿をまじまじと見つめた。その長い口吻から覗く犬歯。短いが密生した毛。濡れた鼻先。それなのに、彼の人間なみの大きさの身体には、立派にベルトが締められている。おまけに腰に付けた道具入れを吊り下げるためのストラップまで身に着けている。

 

「俺っちはテツジってんだ。よろしくな」

 

少年が何かを言う前に、その亜人は手を伸ばしてきた。反射的に握手する。だが、その指は先端に鋭い鉤爪がつき、硬く節張っている。爪が皮膚に食い込んで痛かったが、リオスは我慢した。相手は手を離すと、感慨深げに首を振って呟いた。

 

「....しっかしよぉ...まさかあのフロウに息子がいたとはな。レジェンド続きだぜ、まさに」

 

「あ....あの....親父って..そんなに凄かったんっすか?」

 

リオスはおずおずと尋ねた。すると相手は目を上げて熱弁し始めた。

 

「そんなにって?いやぁそんなにもどんなにも、ハンパなもんじゃねぇぜ。ボコブリンどもが群れをなしてんのをバッサバッサっと斬り倒すわ、あのデカブツのモリブリンまでも一人で倒しちまうんだぜ?」

 

彼は唾を飲み込むと、言葉を継いだ。

 

「んでもって、そのフロウに戦い方を教えたってぇのが、あの狩人リゴールさ。こっちときたらもう、人間のレベル超えちまってたな。何しろ百発百中どころか、見えないくらい遠いところの鬼に矢を当てちまうわ、木の向こうに隠れてる奴に矢が曲がって当たるわ...」

 

テツジと名乗った亜人は手振りを交えてひとしきり熱心に説明すると、穴の奥の方にふたりを誘った。

 

「ま、とにかくこの穴の中にいりゃ安心だ。取り敢えず親父のところまで案内するぜ」

 

「え?あの....もしかするとテツジさんの親父さんって..............」

 

「族長さ」

 

リオスが何気なく尋ねると、相手はそう答えた。穴の大きさは、人が通れるほどとはいえ、天井は低く身を屈めないと頭がつかえる。だが、亜人は前足を地面につき巧みに四足歩行しながら進んでいく。少年と狩人はその後をついていった。

 

トンネルは蛇行しながらも続いている。そして、壁にはそこここに横穴が開き、小部屋に続いているのが見えた。その中には、テツジと同じような外見をした亜人たちが座り込んでいた。だが、その顔は一様に生気がない。彼らにとって珍客であろう狩人と少年の姿を見ても、一瞬目を止めるだけで直ぐに顔を伏せる。

 

「....みんなちぃっと今、調子悪いのさ。いくら穴に慣れてるとはいってももう七年近くになるからな」

 

テツジが誰にともなく言う。三人はやがて寝床の設えられた小部屋に辿り着いた。

 

「親父..!お客さんだぜ!」

 

小部屋に入ると、寝床の上に年寄りのモグマ亜人が寝ている。テツジが入っていくと、老人は身じろぎして薄目を開けた。

 

「お....おぉ...こりゃ珍しい。人間のお客さんかのう?」

 

「そうさ。さっきも言ったろ?さ、起きれるかい?」

 

息子に手を貸された老人は、大儀そうに身を起こし、ベッドに腰を掛けた。狩人はその傍らに寄って跪く。リオスもそれに倣った。

 

「我、ラジーブ。息子、リゴール族長。昔、同盟、感謝」

 

「お....おお.....なんと.....。お主がリゴールの息子か」

 

老人は手を伸ばすと、狩人の頭に触れた。そして次にリオスに向き合った。

 

「お....俺、リオスって言います。フロウ...ドシュトフロムンドの息子っす。よろっす」

 

少年はぎこちなくも挨拶した。すると、老人は目が霞むのか、しげしげとリオスの顔を眺めていたが、やがて静かに嗚咽し始めた。リオスは戸惑い、そしてテツジと狩人の顔を見た。

 

「い...いや...すまんのう...思い出してしもうて......」

 

老人は手で涙を拭きながら言うと、溜め息をついて話し始めた。

 

「フロウは...幼い頃から勇気のある子じゃった。ワシは感銘を受けたものじゃ。愛する者を救うため、どんな危険にでも立ち向かっていったあの勇気に。...そのフロウの息子がお前さんかと思うと、込み上げるものがあってのう....」

 

それを聞いたリオスはますます困惑した。そして胸が詰まる思いがした。父にどれほど勇気があったとしても、それは自分には受け継がれてはいない。今までの旅でそのことを思い知らされていたからだ。

 

「じゃが...お前さんたちには申し訳ないが...今のワシらには大したことはしてやれん。この一族は....」

 

老人は言葉を切った。そして(しばらく)くの間躊躇(ためら)うように黙っていたが、やがて続けた。

 

「この一族はいずれ滅びる...。その運命は避けられんのじゃ」

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