「かつて...ワシらモグマ族はこの火吹き山でおおいに栄えたものじゃ」
モグマの老人は言った。テツジと名乗ったその息子はその隣に腰かけ、リオスと狩人は床に座って話を聞いていた。
「三十年前、『終焉の者』とその軍勢が倒された後、この山がそのままワシらに残されたのじゃ。ワシらは山の上の神殿の全ての財宝を手にすることになった。ワシらは城を建て増し、子を増やし、一族は殖え広がった」
「今でも覚えてるぜ。俺っちはまだ小っちゃかったけどよぉ、ひところはエライ景気良かったもんな」
テツジが呟く。
「ワシは族長として一族を繁栄させることに専心したものじゃ。...じゃが...その繁栄は長くは続かなかった。魔物どもは再びやってきた。それでも一度は奴らを退けたかに見えたが....。今ではこの体たらくじゃ。この山全体がボコブリンどもに乗っ取られてしもうて、城さえも明け渡す始末じゃ」
族長はそう言って首を振ると、悲し気に溜め息をついた。
「ワシらモグマ族は戦う力が乏しい。この牙も爪も戦さで役に立つようにはできておらん。一度は人間たちの助けによって戦うことができたが...今はもうそれもかなわん...」
「あ..あの...族長さま。一度はって...どんなふうに戦ったんっすか?」
リオスは気になって疑問を口にした。すると老人は答えた。
「落とし穴じゃ。ワシら先祖伝来のな。かつてはこれで奴らに煮え湯を呑ませてやったものよ」
老人は昔を思い出したのか、少し元気づいてきた。
「あのラネール港跡地での戦いのときはワシもまだ若かった。三重にも陣地の回りに落とし穴を掘ってじゃな。紐を引けば一気に板が落ちる仕組みで、数え切れないほどの鬼どもを落としてやったもんじゃ」
「な...なら族長さま。また落とし穴で奴らを落としてやればいいんじゃないっすか?」
リオスは言った。すると老人とテツジは揃って首を横に振った。
「それでは到底追いつかんのじゃよ。数が多すぎての」
族長はまた肩を落とした。そして、いかにもおぞましい者の顔を思い出すかのように身震いしながら言葉を継いだ。
「それに....ギラヒムじゃ。あやつが目を光らせておる。ワシらの反抗をあやつに知られたら一巻の終わりじゃ」
「お....終わり?」
リオスは不思議に思った。
「ギラヒムには怪しげな力があっての。ヤツはかつてワシらの前に立ってこう言いおったのじゃ」
老人は顔を顰めながら少し間を置いたあと、口を開いた。
「――――魔族に従って生きるなら命は見逃す。だが逆らうなら、この火山ごと吹き飛ばす――――とな」
「火山ごと...?吹き飛ばす...?どうやってっすか?」
「わからん。じゃが...ワシらは見たのじゃ。ギラヒムがそう言い放ったあと、奴は合図を出すように片手を挙げた。すると、山が突然暴れ出したのじゃ」
族長の手は震えていた。老人は声を低め、押し出すように続けた。
「...地鳴りは獣の咆哮のように響き、火口の噴煙は空を覆い、溶岩の流れは倍にも膨れ上がった。山そのものが怒り狂っているかのようじゃった。ワシらがやめてくれと懇願するまで、奴はそれを高笑いしながら眺めておったものよ」
沈黙がしばらく続いたあと、老人は締めくくった。
「....ワシらにもはや希望はない。戦わずにおれば、ワシらはいずれこの穴の中で滅び果てる。じゃが、戦えばワシらはあのギラヒムに滅ぼされる....どこにも道はないのじゃ」
* * * * * * * * * * * * *
「―――ゴチャゴチャしてて悪りぃな。この部屋、おめぇらで使ってくれ」
テツジは別の小部屋にリオスと狩人を案内した。言葉の通り、樽や箱が乱雑に積み上げられた場所だ。どうやら倉庫代わりにされていたようだ。その中に粗末なベッドが二つ設えられている。壁には小さなランプが灯され、弱々しい光を発していた。
「おっと..長旅で腹減ってるだろ。ちょっと待ってな」
テツジはそう言うと慌ただしく出ていった。すると、入れ替わるように誰かがやってきて部屋の入り口を覗き込んできた。
見ると、子犬のような真ん丸な目をしたモグマの子供たちが、興味深げにこちらを見つめている。
「へへっ...子供ってのは何の種類でも可愛いもんだな」
剣のストラップを外して寛ごうとしていたリオスは思わず呟いた。するとモグマの子供たちのうちのひとりが叫んだ。
「人間のにいちゃん!もしかすると剣士なの?」
「ぁ...?剣士?」
リオスは戸惑った。だが、相手は遠慮会釈なしに近寄ってくると言葉を継いだ。
「すげえや。それ、本物の剣だろ!人間のにいちゃん、やっぱ剣士じゃん!」
他の子供たちも続々と部屋に入ってくる。
「にいちゃん!剣、触ってもいい?触らせて!」
「ぁ?ああ...いいぜ。でも危ねぇから鞘から抜くなよ」
そう言って鞘ごと剣を手渡すと、子供たちはますます興奮して叫んだ。
「うわぁっ...重い!本物の剣ってこんなに重いんだ!」
「にいちゃん、こんなの振り回してんだね。力持ち!」
「ねえ、人間のにいちゃん!鬼、倒したことあるの?」
そう問われてハタと我に返ったリオスは思わず狩人を見た。ラジーブは眉を上げると、軽く首を傾ける。少年は答えた。
「ま..まぁ...あるぜ。一匹、二匹くらいならな」
「すげぇぇぇぇ!」
モグマの子供たちは大騒ぎだった。そこへテツジが戻ってきた。両手に皿を抱えている。
「こらこら、お客さんの邪魔すんじゃねぇぞ!これからメシなんだからよ!部屋に帰ってろ!」
そう叱られた子供たちは渋々顔で帰っていった。テツジは皿をリオスと狩人の前に置いた。
「いい蛇肉が手に入ったんだ。精がつくぜ」
そう言われて皿の中を覗き込むと、魚の切れ端のようなものがいくつか入った豆のスープだ。粗末な木のスプーンも手渡された。
「じゃ...ゆっくりしてけよな。トイレは出たところ左の突き当りだからよ」
テツジはそう言い置いて手を振り、部屋を出て行った。リオスは茫然としながら狩人の顔を見た。だが相棒は短く食前の祈りを捧げると、何の躊躇いもなくスプーンを運び始めている。リオスは尋ねた。
「お...おい...ラジーブ。蛇の肉って.....本当に食べられるのか?」
「..蛇、強い。戦士、好む」
狩人は短く答えると黙々と食べている。リオスは顔を歪めて最初の一口をスプーンに掬い、恐る恐る匂いをかいでみた。そして思い切って食べてみる。その途端少年は声を上げた。
「ぇっ...なんか...意外と旨いな、これ」
リオスはペースを上げて食べ始めた。肉そのものは固く噛みにくいが、味は想像していたよりよほどいける。安心した少年は狩人に話しかけた。
「.....なぁ...ラジーブ」
狩人は咀嚼しながら顔を上げた。リオスは続けた。
「...俺たちで...あいつらを助けてやれねぇもんかなぁ」
そう言ってしまってから少年は気づいた。俺たち、ではない。実質的に彼らを助ける力があるのはラジーブ一人だ。
「...い...いや、分かってるさ。俺なんか役に立てねぇからな。実際はラジーブ、あんたしかいねぇんだけどさ....」
「お前、務め.....」
ラジーブは咀嚼を終えて飲み込むと、木のスプーンでリオスを指した。
「お前、務め、果たす。大事。女神、心」
「...わ...わかってるさ。俺にだってそれくらい....。今ここで余計な危険を冒すより、女神さんが決めた務めってやつのほうが重要だって言いたいんだろ?」
少年は顔を伏せ、またスプーンを運んだ。だが、心は晴れない。何よりも、モグマたちの顔に希望というものが見えないのが痛々しい。そしてまた言った。
「せめて...あの子供たちにはマシな未来を与えてやりてぇもんだよな」
その時、薄暗い部屋のただ中に青白い光が迸るように現れ、次いでケープを纏った少女の姿をとった。
『―――マスター、可能性はあります』
ファイは唐突に口を開いた。リオスは目を丸くして残りのスープを掻きこむと、咀嚼しながら尋ねた。
「どうしたんだよファイ、突然現れやがって」
『マスター、一連の話を分析したところ、矛盾点が見つかりました』
「んぁ?矛盾点?なんだよそれ?」
少年は眉をしかめた。狩人も手を止めて聞き入っている。
『―――マスター。ギラヒムには火山活動を操作する力はありません』
ファイは無機質な声で言うと、こう続けた。
『自然現象を操作する権限を持つのは最高位の精霊のみです。その力は三地方それぞれに配置されている三龍および天空を司るナリシャにのみ許されています』
「そ...それ、本当か?」
驚いて声を上げると少年は狩人と顔を見合わせた。
『ギラヒムは私の兄です。同等の位格を持つ私に気象操作の権限がない以上、当然の結論となります。しかし.....』
ファイは少し間を置くと、言葉を継いだ。
『ギラヒムは魔術を習得しています。その最たるものは幻術です。人の夢に現れたり、幻影を見せる技です』
「で...でもよファイ。火吹き山が暴れるのを見たのは族長ひとりじゃないんだぜ。そんな大勢に一度に幻覚を見せるなんて可能なのか?」
リオスは尋ねた。するとファイは答えた。
『確かに多数の相手に同時に同じ幻覚を見せるのは困難ですが...ある条件が揃えば不可能ではありません』
ファイは片手を挙げた。すると空中に画像が現れた。もうもうと噴煙を上げる山だ。
『....催眠幻覚は受け手が元々抱えている恐怖感を増幅する手口を多用します。火山の麓で生きるということは常に噴火、地震、溶岩流の危険に対する潜在的恐怖感を抱えて生きるということです。それそのものは危機回避のため必要な心理的機能ではありますが、幻術師はそこにつけ込むのです』
「...そ...そんなことできるのか?本当に...」
半信半疑でリオスが呟くと、ファイは付け加えた。
『もう一つありうるのは、実際に幻覚を見せられたのはモグマ族長および指導層のみという可能性です。指導層の抱える恐怖感が伝染し、全体を支配しているのかも知れません』
そこまで言うとファイは掻き消すように姿を隠した。だが、リオスは新たな情報に接して忙しく頭を働かせていた。
「な...なあ、ラジーブ。それがもし本当だったら....」
少年は狩人を顧みた。だがラジーブは顎に手を当てて黙考している。そこへテツジが部屋に入ってきた。
「メシ、終わったか?どうだ、旨かったろ?」
「ああ、ごちそうさん」
リオスと狩人は皿を渡した。そして、テツジが部屋を出る前に少年は声をかけた。
「なあ...テツジさん。あんたら、もう一回あいつらと戦ってみようって...思ったことねぇのか?」
「...ぁあ?」
モグマの若者は振り向くと苦笑いした。
「へへへ...さすがフロウの息子だな。勇ましいもんだよなぁ。だけど...俺らはもう過去の栄光にしがみつくのはやめたのさ。モグマは穴掘りが得意な種族だからよ。これからも穴の中で暮らしていくさ」
テツジはそう言って去った。リオスと狩人はそれぞれのベッドに入って横になった。
ランプの薄明りが壁を照らす中、少年は寝転がったまま思いを巡らせていた。そして自分の無力さを噛み締めた。
ボコブリンの群れをなぎ倒す剣士フロウ。百発百中の狩人リゴール。
そして隣にいるラジーブは、その父リゴールの力の全てを受け継いでいる。だが、自分はそうではない。そのことを思うと涙が出るほど悔しかった。
すると、どこからか奇妙な声が聞こえてきた。思わず身体を起こして耳を傾けると、それは大勢がひそやかな声で歌う歌声のようだった。それが土の壁を伝って遠くから漏れ聞こえてくるのだ。
―――火の粉舞う山並み越え―――
―――古き地中の神殿めざし―――
―――我ら夜明け前に出発せん―――
―――輝く黄金と財宝を求め―――
よく耳を傾けると、その四つの節を繰り返す単純な歌だった。リオスはまた横になり、聞き入った。だがふと隣のベッドを見ると、狩人もまた目を開けている。そして狩人は軽くハミングしながら、そのメロディに合いの手を入れるようにベッドの枠を軽く指先で打っていた。
「ラジーブ...あんた、知ってんのか?あの歌....」
リオスが囁くと狩人は答えた。
「父、教える。我、子供」
それを聞いて少年は納得した。そして寝返りを打つとまた目を閉じた。そして、モグマたちのひそやかな合唱を子守歌のように聞きながら眠りに落ちていった。
* * * * * * * * * * *
「....もう行くのかい。もっとゆっくりしてきゃぁいいのに」
テツジは言ったが、そのあとすぐに頭を掻きながら付け加えた。
「....まぁ、んなこと言ってもこんな穴ん中じゃぁな。見る場所もねぇし、退屈しちまうわな」
翌朝のことだった。リオスと狩人は出発してラネール地方に向かうことで相談をまとめたのだ。そう告げられるとテツジは残念そうにしながらも、ふたりに干し蛇肉を持たせ、入ってきた穴の入り口まで見送ってくれた。
「.....なぁテツジさん」
リオスは
「なんだよリオス。かしこまったツラして」
「俺...さ。思ったんだ」
そう言うと少年は思い切って続けた。
「俺、今はまだ弱いけど.....きっと強くなって戻ってくるからさ。そしたら、あんたらが魔物どもから火吹き山を取り戻すのを手伝いてぇんだ」
「火吹き山を...取り戻す...?」
それを聞いたテツジは目を丸くした。そして、その顔が悲しみに曇った。
「....おめぇの気持ちは涙が出るほど有難てぇよ。でも...俺らなんかのために命を懸けるこたぁねぇさ。リオス、おめぇも将来のある身だろ?嫁さん貰ったり家庭を持ったり、やることは他にも山ほどあるじゃねぇか」
「だけどさ、テツジさん。俺、やっぱり放っておけねぇよ。だって亜人と人間は兄弟みてぇなもんだろ?片方が困ってるのにもう片方がそれを見捨てるなんて、あっちゃいけねぇって...思うからさ」
リオスは赤面しながらも続けた。自分の声が小さくなっていくのが分かった。だが言わずにはいられなかった。
「...リオス、おめぇの気持ちだけは有難く頂いとくぜ。とにかくその、おめぇの務めって奴が上手くいくといいな。そしたら、こんな穴倉で良かったらまた遊びに来てくれよ」
テツジは微笑みながら、リオスの肩を叩いた。少年は頷いた。自分などがこんなことを言い出したところで、モグマ族の中に漂う敗北感と諦念を覆すことはできない。それは痛いほど理解できていた。
その時だった。
廊下の向こうから何者かが慌ただしく駆けてくる。三人がそちらを見ると、ひとりのモグマが四つ足でこちらに走ってきた。
「あんた!あんた!大変だよ!」
そのモグマが声を上げた。高い声からすると女のようだ。
「どうしたってんだよルビー。そんなに慌てちまってよ....あ、紹介するぜ」
モグマの女が息を切らせて足を止めると、テツジはふたりに向き直って言った。
「俺のフィアンセさ。来月結婚する予定なんだ」
「あ...ども」
リオスたちは頭を下げた。だがモグマの女は挨拶を返す余裕もなく顔を上げると叫んだ。
「こ...子供たちが地上に遊びに行ったきり戻ってこないんだよ!それであたしも探しに行ったんだけど、見つからないのさ!」