駆け寄ってきたモグマの女は、リオスに挨拶を返す余裕もなく顔を上げると叫んだ。
「こ...子供たちが地上に遊びに行ったきり戻ってこないんだよ!それであたしも探しに行ったんだけど、見つからないのさ!」
「な...なんだって!地上に?」
テツジは驚いて尋ねた。女はうろたえたように首を振って続けた。
「....『剣士ごっこしたい、剣士ごっこするんだ』って寝る前にしきりに話してたから、もしかするとあの子たち地上に木の枝でも探しに....」
「なんだって?それ、本当か?」
リオスは反応した。みるみるうちに顔が険しくなっていくのが自分でもわかった。少年は呟いた。
「...俺のせいじゃねぇか...剣を触らせたりしたから...」
「い...いや...おめぇが責任を感じるこたぁねぇよ。俺たちの躾が悪かったのさ。とにかく俺っちが探しに....」
テツジが言うと、モグマの女はその腕にすがりついた。
「で...でも!もし鬼どもがうろついてたら、あんたまで....!」
「いや、テツジさん。俺が探しに行くよ」
リオスは
「リオス、お前、優しい。我、分かる」
ラジーブは少年の目を見つめたまま少し間を置き、言葉を続けた。
「....お前、死ぬ、務め、できない」
それを聞いた少年は深呼吸すると、相手の手をゆっくりと取り除けながら答えた。
「わかってる。ムチャはしねぇよ。ただ探しに行くだけさ」
それを聞いた狩人は数瞬黙っていたが、軽く溜め息をついて言った。
「―――我、行く」
「お?一緒に来るなんて、あんた、親切なんだな」
リオスが面白ろそうな顔で言うと、相棒は苦い表情で首を横に振った。
「違う。お前、死ぬ。我、名折れ」
少年と狩人が来るときに入ってきた場所あたりまで行くと、テツジが天井に穴を開けてくれた。
「....く...くれぐれも無理はしねぇでくれよ。あんたらにまで何かあったらシャレんなんねぇからな」
リオスは頷くと、穴に手を掛けて外に這い出した。狩人が素早く後に続く。だが二人が走り出そうとした瞬間、テツジが慌てて声を掛けて来た。
「ま...待て!やっぱ俺っちも行くよ。客人のおめぇらに任せっきりなんて無責任なこたぁ..」
「で..でもあんた...」
女が心配そうに言うとテツジは請け合った。
「大丈夫だってルビー。なにせあのリゴールの息子とフロウの息子が一緒なんだぜ?百人力、いや、二百人力ってもんじゃねぇか。なあ、おめぇら?」
フロウは苦笑いした。ひどい誤解が全く解けていない。だが今は弁解している時間はなかった。テツジが穴から這い出すと、リオスたちは駆け出した。
少年と狩人は曲がりくねる道を進んでいった。モグマの若者は四足歩行でついてくる。一行はすぐに、あちこちが溶岩で浸された広場に出た。
「....いないな。ていうか...木の枝どころか、草一本生えてなくねぇか?」
リオスは周囲を見回しながら呟く。それを聞いていたテツジが答える。
「この先に昔人間の鉱夫たちが建てた小屋なんかがあるんだ。もしかするとそこに...」
少年はすぐダッシュした。溶岩溜まりを避けて道を進み、岩壁に空いた穴を潜ると、円形の広い空間に出た。確かに、木造の粗末な小屋がいくつか建っている。だが、そのどれを覗き込んでも子供たちの姿はなかった。テツジの目に次第に狼狽が浮かんできた。
「も...もしかすると..本当に鬼どもに....」
「なあテツジさん。鬼どもって普段はどこにいるんだ?」
リオスが尋ねると、モグマの青年は答えた。
「あいつらの本拠は山頂の神殿前なんだ。だけど山腹にも幾つか小さな砦を建ててるし、そっから定期的に見回りに来るから....」
少年は再び走り始めた。向こう側の壁に空いていた穴から道なりに進むと、曲がりくねる道が二手に分かれた。その分岐の間には巨大な石組みの塔が聳え立っている。
「左は行き止まりだよ。て...ていうかリオス!こっから先はマジでヤベェぜ!」
テツジが警告するので少年と狩人は立ち止まった。モグマ青年は塔を指さした。
「この塔が元・俺らの城さ。でもあんまり奴らがたびたび来るもんだから、もうモグマは誰もここにゃ寄り付かねぇ」
テツジは顔を歪めて唸った。
「や...やべぇことになっちまったなぁ....もし子供らがこっから先に連れてかれちまってたら...」
その時だった。
空気を裂くような悲鳴。子供の声だ。
右手の道からだった。リオスは考えるより先に走り始めた。目の前の段差を飛び降り、それから前方に現れた段差をよじ登り、両側を岩壁で挟まれた小道に出た。
その小道が曲がって行く先が見えなくなるあたりに、三体のボコブリンたちのがいた。それぞれの肩に小さな生き物を担いでいる。
モグマの子供たちだった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「放して!放して!」
「ママぁ!怖いよぉ!」
子供たちの泣き声と哀願する声が岩壁に反射して響く。ボコブリンたちは馬鹿笑いしながらも、それぞれの獲物を捕まえて離さないまま、山の方に向かって悠々と道を歩いていた。
それを見た瞬間に、リオスの胸の中に形容しがたいほど凄まじい憤激が走った。
「う゛ぉら゛ぁ゛!おめぇら゛!待ちやがれ゛!」
考えるより先に、口から吠えるような叫び声が迸った。
怒鳴り声が岩壁に何度も反響した。それを聞いた鬼どもは一瞬振り返った。リオスはすかさずもう一度叫んだ。
「待てっつってんだろ゛ぉがこのボケナスが!耳ついてんのか?」
ボコブリンたちは少年たちの姿に気づいたようだ。立ち止まり、怪訝な顔をしながらこちらを見ている。
リオスはそのまま足早に歩み寄っていった。その目線は相手に真っすぐ据えられていた。
「おい。その子供たち、置いてけ。そうすりゃ命だけは見逃してやる」
少年はボコブリンたちを睨みつけながら言った。鬼どもは意外な展開に数秒の間呆気にとられたような顔をしていたが、やがてケラケラと笑い出した。
「笑ってられんのも今のうちだぜ。最後の警告だ」
リオスはそう言うと背中に手を伸ばし剣を抜いた。それで鬼どももやっと事態に気づいたようだった。初めて警戒の色がその顔に浮かんだ。
「―――子供たちを放せ。でなきゃその腕斬り落としてでも放させてやる」
低い声でリオスがそう続けると、ひとりのボコブリンが抱えていた子供を放り出し、担いでいた棍棒を構えた。硬い茨を巻き付けた粗い造りの棍棒だ。その他の個体も次々にそれに倣う。
先頭の一体が武器をこちらに向け、何か罵るような言葉を吐いた。だがリオスは、片手に持った剣を下げたまま進み続けた。間合いがみるみる縮んでいく。
ボコブリンたちは怪訝そうな顔をした。そして、先頭の一体が驚いた表情をし、自らを鼓舞するようにまた何かを喚いた。
だが、リオスはそれでも武器をだらりと下げたまま距離を詰めた。
もはや互いの攻撃が届く間合いだ。すると、ボコブリンたちは怯えた表情を浮かべ後じさりし始めた。信じがたいといった様子でリオスを見つめている。
リオスは先頭の一体の目をまともに睨みつけながらもう一度言った。
「子供たちを置いて、消えろ。わかったか?」
ボコブリンは驚愕の面持ちで少年を見返していたが、やがてその目に怒りの炎が燃え上がってきた。そいつは喚き声を上げると、一歩前に出ながら棍棒を振りかぶった。
―――縦に、来る―――
リオスの目に、零コンマ秒後に襲い来るであろう攻撃の軌道がはっきり見えた。
少年は軽くステップすると、自分の身体の縦軸を中心に体を回転させた。数センチ前を棍棒が唸りを上げて通り過ぎる。自らの勢いで泳いだボコブリンの身体が目の前に来た。
思い切り振り被った剣を相手の首筋に叩きつけた。鈍い音とともに黒い血が飛び散る。振り抜いた剣を、今度は返す刀で反対側の首筋に叩きつける。
首の両側を深く斬られたボコブリンがフラフラと後退する。その目はもはや力を失っていた。
だが、我に返った二匹目が怒声を上げながら棍棒を振り回してきた。
―――横―――
リオスは半ば無意識に身を伏せた。頭上を棍棒が通り過ぎる。目を上げると、相手の顔がすぐ真上にある。
少年は飛び上がるようにして頭突きを敵の顎に叩きつけると、よろめいた相手に袈裟斬りを浴びせ、左胸めがけ突きを繰り出した。剣先が深く突き刺さる。
二匹目が崩れ落ちる。三匹目のボコブリンは戦意を失ったらしい。慌てた様子で後じさりし始め、ついに踵を返した。
その刹那だった。飛翔物が空気を裂く音がしたかと思うと、逃げかかったボコブリンの背に矢が命中した。二の矢がその後頭部に突き刺さる。
最後の一匹が倒れると、異様な静寂が辺りを覆った。聞こえてくるのは遠くから聞こえてくる火吹き山の唸るような鳴動だけだった。
だが、モグマの子供たちのひとりが啜り泣き始めると、伝染したように全員が泣き出した。
「よぉしよぉし、怖かったろ。今家に連れてってやるからな」
リオスは剣を鞘に納めると、子供たちを抱き寄せた。するとラジーブが駆け寄ってきて声をかけてきた。
「敵、本拠、すぐ。逃げる。急ぐ」
「ああ、わかってる。テツジさん、手伝ってくれ」
リオスは道の向こうでこちらを見つめていたテツジに声をかけた。驚愕に目を丸くしていたモグマの青年は我に返ると駆け寄ってきた。
「ま...マジかよ...本物を見ちまったぜ...まさにレジェンドの再来じゃねぇか」
子供たちを抱きかかえながらもテツジはうわ言のように繰り返す。リオスは苦笑した。
「そんなんじゃねぇって。俺、駆け出しどころか素人に毛ぇ生えたようなもんだよ。さ、行くぜ」
テツジが両腕に子供たちを一人づつ抱え、リオスが一人を抱き上げた。狩人が後方を警戒しながら最後尾を務め、一行は急ぎ足で来た道を戻り始めた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「あんた!無事だったんだね!」
一行が穴に戻ると、モグマの女はテツジに抱きつき熱い接吻を浴びせた。そして子供たちの顔を撫でながらとろけそうなほどの安堵の表情を浮かべた。
「この子たちも全員無事なんて...夢みたいだよ。ほんとに良かったわ」
「全部このリオスのお陰さ。あ...あとラジーブもな」
テツジは少年と狩人の肩に腕をかけながら言った。騒ぎを聞きつけた他のモグマ達が続々と集まってくる。子供たちの母親も駆けつけ、それぞれの子を抱き寄せるとともに厳しい口調で叱責し始めた。子供たちは別の理由で泣き出すことになった。
「リオス、ラジーブ。おめぇらのしてくれたこと、忘れねぇ。いつか恩返しするよ」
モグマの青年は言った。だがリオスは首を横に振った。
「テツジさん、そいつは大げさだよ。俺は別に当然のことをしただけで...」
その時だった。狭いトンネルにひしめいたモグマたちの間を縫うようにして誰かが近づいてきた。
族長だった。両脇を若い者たちに支えられ、やっとのことで歩いている。
「おい親父!起きてきたのか?無理すんじゃねぇぞ、俺が後で報告に....」
テツジが声をかけると、モグマの老人は顔を上げ、震えた声で尋ねてきた。
「お...おぬしら...も.....もしかすると....鬼どもを殺したのか?」
リオスとラジーブは顔を見合わせた。だが少年がすぐに答えた。
「ああ。俺が二匹。ラジーブが一匹。それがどうかしたかい、爺さま?」
すると、老人は目を大きく見開き、悲鳴を上げるように喉を鳴らしながら息を吸った。
「ど...どうしたんだよ、爺さま?」
リオスは驚いて駆け寄った。モグマ族長は手を震わせている。少年がその顔を覗き込むと、族長は途切れ途切れにしゃべり始めた。
「ああ........えらいことになったもんじゃ。これは.......タダではすまんぞい...」
「タダではすまないって...どういうことだよ、爺さま」
リオスが怪訝に思って尋ねると、老人は擦れた声で言った。
「ふ...復讐じゃ!奴らは必ず復讐に来るんじゃ!以前もそうじゃった...奴らから城を取り戻そうと落とし穴を仕掛けたら....」
モグマ族長は両手で頭を抱えながら座り込んだ。若い者たちが慌ててその身体を支えると、老人はようやく息をついて立ち上がった。だがその目は恐怖に揺れている。
「や...奴らは溝を掘ってワシらの住処と畑に溶岩を流し込みおったのじゃ。あの恐ろしさは忘れられん....。じゃが、三匹も殺したとあってはもっと酷い嫌がらせをしてくるに違いないのじゃ!ああ....困ったことになった...」
リオスは茫然となった。そして背中が寒くなった。
自分はやってはいけないことをやってしまったのか?
初めて狩人の助力なしで敵を倒した誇らしさも、本物の剣士と見上げてくれる子供たちの前で面目を施したという安堵感も、まるで冷や水をかけられたかのように萎んでいくのを感じた。
「お...親父!しっかりしろよ。まだ決まったわけじゃねぇだろ。第一まだ連中にバレてさえいねぇんだからよ。なあ?」
テツジが慌てて励ましたが、族長は聞く耳を持たない。
「息子よ、お前は若いから知らんのじゃ!あいつらがどれほど狡猾で、恨みを決して忘れぬ恐ろしい連中かということを。ああ、今に恐ろしいことが起こるのじゃ。この一族にとって未曾有の惨事が始まるのじゃ....」
その場に集まってきていたモグマ族たちの反応は様々だった。
女たちは皆一様に子供たちの帰還を喜び合っている。若い男たちは、吉報に喜ぶ半面、族長の意外な反応に戸惑っている。
だが年長の者たちは互いに何かを囁き交わしながらリオスと狩人を見ている。その目には明らかな非難の色が浮かび始めていた。
「俺....なんか悪いことしたのかな...」
少年が呟くと狩人が小声で答えた。
「お前、行く。務め、大事。臆病者、捨てる」
「そ.....そんな!薄情だろ、いくらなんでも!」
リオスが思わず声を上げると狩人は顔を近寄せ、冷厳な表情で続けた。
「お前、選ぶ。務め、行く。戦う、この場所」
少年が狩人の顔を見ると、ラジーブはこう締めくくった。
「お前、戦う、選ぶ....死ぬ、生きる、知らない。持つ、覚悟」
それを聞いた少年は、ゆっくりと目を閉じた。耳には周囲のモグマたちのざわめきと、族長の苦悶に満ちた繰り言が聞こえる。
「...あの栄光の時代に戻ろうなどと願うこと自体が間違いじゃったのじゃ。昔はあの溶岩渦巻く山頂の神殿に自由に出入りし、財宝を愛でたものじゃ。じゃが、命を失ったら財宝が何になろう?たとえ鬼どもに組み敷かれながらのこの穴倉での暮らしも、命が保てるのなら幸いじゃったんじゃ.....」
数分が過ぎたような気がした。あるいは数秒だったかも知れない。
リオスはやがて目を開き、声を上げた。
「なあ、爺さま。それにテツジさん。聞いてほしいんだ、俺の案を」
「あ...案じゃと?」
族長が面食らって我に返った。テツジも尋ねる。
「案....って何か名案、あんのか?」
「ああ」
リオスは頷き、深呼吸すると続けた。
「俺を...縛り上げてボコブリンどもに引き渡すんだ」