「俺を...縛り上げてボコブリンどもに引き渡すんだ」
リオスがそう言った途端、周囲にいたモグマたちが一斉に喋るのをやめて静かになった。
「...な...何言ってんだよリオス...おめぇ正気か?」
テツジは驚きの余り目を丸くしながら尋ねる。少年は手を上げて制した。
「テツジさん、最後まで聞いてくれ。話がちょっと長くなるからさ」
リオスは周囲のモグマ達の顔を見回すと、改めて口を開いた。
「あのボコブリンどもを一掃する作戦があるんだ。その作戦のための囮として、俺はあんたらに縛られて引き渡される。そういう意味で言ったのさ」
「い....一掃するじゃと?そんなことできるわけがない。倍返しされるのがオチじゃ!」
族長は恐怖に顔を歪めながら言う。だがリオスは宥めた。
「まぁ聞いてくれって。俺が奴らに引き渡されたらどうなると思う?奴らはボコブリン殺しの下手人を確保したってことで満足するだろ?だから、あんたらにはもう被害は及ばねぇ。そうだな?」
「そ...そうだけど、リオス..今度はおめぇが殺されちまうじゃねぇか」
「そうさ。そのままにしてたらな。...だけど、こっからが肝心だ」
リオスはテツジに向き直ると言った。
「テツジさん。あんたらモグマは山の頂上の神殿に何度も入ったことがあるんだろ?」
「そ...そりゃ昔はな。今は鬼だらけだから誰も行かねぇが....」
少年は石の破片を拾い上げると土の壁に山の絵を描き始めた。
「神殿には溶岩溜まりがあるって話だったよな。テツジさん、そっから穴を掘って山の斜面に溶岩が流れるようにするには何時間くらいかかる?」
「ま....まあ、元々神殿に抜ける穴はもう掘ってあるからな。せいぜい二・三時間もあれば....」
戸惑いながらテツジが答えた。だがモグマ青年は途中で何かに気づいたかのように驚愕の表情で口を開けた。
「ま...まさか!」
「そう。そのまさかさ。俺が引き渡されたらテツジさんが穴を掘り始める。その他のモグマは避難してくれ」
ここでリオスは狩人に向き直った。
「そして、ラジーブが俺を救出に来る。で、俺らふたりでできるだけ多数の鬼どもを殺しながら山の麓まで降りる.....そんで最後に...」
リオスは壁に描いた山の頂上から足元に向かって何本も線を引いた。
「麓までボコブリンどもが押し寄せてきたら、テツジさん、山の斜面に溶岩を流してくれ。俺とラジーブはここに来た時に通った岩壁に登って避難する」
そこまで言うと、少年は口を閉ざした。他の者たちも沈黙した。唾を飲み込む音さえ聞こえてこない。穴の壁にかけられたランプの弱い灯りだけが揺らめいている。
その時だった。
薄暗い穴の中に青白い光が浮かび上がったかと思うと、それがケープを羽織った少女の姿となった。
それを見た族長は恐怖の叫び声を上げて倒れ伏した。テツジは顔を覆うようにして後じさりする。
『―――マスター、作戦の内容を分析しました』
ファイは無機質な声で言った。その場は騒然となった。他のモグマたちも、驚きの声を上げ、あるいは茫然と立ち尽くしている。
「みんな、怖がることはねぇよ。こいつはファイ。俺らの味方さ」
リオスがそう声を掛けると周囲はようやく鎮まった。ファイはまた口を開いた。
『マスター。この作戦には大きな欠点が存在します。特に、マスターがボコブリンに引き渡されてからすぐ処刑されてしまったら、打つ手はなくなります』
それを聞いた少年は周囲のモグマを見渡しながら答えた。
「そうなったら、すぐ作戦中止にすりゃぁいい。モグマ族は以前と同じように生活できる。悪りぃ話じゃぁねぇだろ?」
『了解しました。それを踏まえるなら作戦の成功率は55-60%程度です。マスター、それでも実行しますか?』
そう尋ねられると、リオスは数秒間考えた。空気が重く沈む。だがやがて少年は答えた。
「ああ。半分以上の確率があるんだったら悪くねぇさ。賭ける価値はあるってもんじゃねぇか?」
少年がラジーブに目を向けると、狩人は腕組みしながら黙考していた。だがやがて彼は顔を上げた。
「我、作戦、好む。成功、鬼、倒す、多数」
「決まりだな。―――あとはテツジさん、あんた次第だぜ」
リオスに声を掛けられたテツジは驚愕の面持ちで宙を見つめていたが、やがて答えた。
「わ...わかったよ。俺っちも黙っておめぇが処刑されるのを見てるわけには行かねぇ」
「じゃが...テツジ!奴らを怒らせたらわが一族はどうなるか.....」
族長が髭を震わせながら声を上げた。するとテツジは父親に向き直り、静かな声で言った。
「...親父。俺に任せてくれ。今の俺は族長代行なんだぜ?必ずこの一族を救ってみせらぁ」
* * * * * * * * * * * * * * * * *
テツジは若者数人を集めると、溶岩を流す穴の掘削手順の相談を始めた。リオスは剣のストラップを解くと、鞘ごと狩人に渡した。
「頼むぜ。俺が死ぬ前に来てくれよ」
狩人は苦笑しながらそれを受け取った。
「お前、作戦、頭、強い。身体、弱い。心配」
「へッ....余計なお世話だっつうの」
リオスは減らず口を返す。だが、ふたりはやがて頭上が騒がしくなってきたことに気づいた。
「リオス...早速奴らが集まり始めたみてぇだぜ」
テツジは仲間との相談をまとめると戻ってきて言った。少年は頷くと両手を揃えて前に出した。
「わかった。じゃ、やってくれ」
数人のモグマの若者たちがロープを持ってきて少年の上半身を縛る。それが済むと、テツジは天井に爪を立てて穴を空け始めた。
穴が開くと、途端に鬼どもの喚き声や走り回る足音が聞こえてきた。テツジがそこから顔を出すと、鬼が気づいたのか、怒声とともに数匹が駆け寄ってくる音が続いた。
「待て!待て!待ってくれ!今あんたらに犯人を引き渡すから!」
テツジが叫ぶ。リオスは前に出ると、モグマの若者たちに押し上げられながら地表に出た。そしてテツジが続いた。
―――ブォォォ...ブォォォ...―――
不気味な角笛の音が山にこだまして聞こえてくる。道の上には棍棒や鉈をひっさげたボコブリンどもが続々と集まってきていた。
「あ...あんたらの仲間を殺したのは俺たちモグマじゃねぇ!この人間だ!こいつを引き渡すから、俺らのことは見逃してくれ!」
集まったボコブリンどもがあっという間に取り囲んでくると、テツジは必死の叫び声を上げた。
弁解を聞いたボコブリンたちはテツジとリオスを交互に見ていたが、魔物と言えども多少は言葉が分かるらしい。一匹がテツジを脇に押しのけると、喚き声を上げ、棍棒の先でリオスの頭を小突き始めた。
たちまち他の者どもも憎悪の叫びを上げた。いまや十匹以上の鬼たちが少年を包囲している。その目には言い知れぬほどの憎しみと侮蔑が浮かんでいる。
誰かがいきなり背中から少年を蹴り倒した。思わず前に倒れたリオスは、もろに地面に顔を埋めることになった。土が口に入った。
痛みに呻きながら顔を上げると、腰に角笛を下げた首領格らしきボコブリンが号令をかけた。リオスは乱暴に引っ張り起こされると、ボコブリンどもに連行されていった。
* * * * * * * * * * * *
ボコブリンどもの群れに引っ立てられたリオスは、溶岩の川を渡る浮き橋を越え、そこから段差を登り、さらに奈落に渡された渡り廊下を進むと、今度は急な斜面を登らされた。
息を切らせた少年が歩調を緩めると、容赦なく棘のついた棍棒で頭を小突かれる。そして斜面の途中に築かれた簡易な木の砦からは、ボコブリンどもが顔を覗かせ野次を飛ばしてきた。
「ヘッ...俺も随分人気者になったもんじゃねぇか」
リオスは自分を鼓舞するように呟いた。斜面の上には鬼どもの宿営があった。だがそこを通り過ぎると、リオスはもう一つ斜面を登らされた。
目を上げると、斜面の上に巨大な建造物が見える。その威容を見た少年は囚われの身であることを一瞬忘れた。
金色と赤を基調とした壮麗なファサードが聳え立ち、その右手には装飾された柵と、祈りを捧げる際に使うと思われる舞台が設えられている。
再び頭を小突かれて少年は我に返った。息を切らせながら斜面を登り、途中の砦から飛んでくる罵声を背中に受けると、とうとう山頂に出た。
近くで見る神殿は想像を超えるほど豪奢なものだったが、それを楽しんでいる暇はなかった。リオスは神殿前に設営された宿営に連行され、天幕の一つに乱暴に放り込まれた。
「痛てて....ちったぁ丁重に扱えっての。人を荷物みてぇに...」
少年が身体を起こそうとすると、天幕の中に鉈を持ったボコブリンが入ってきた。
―――まさか...もう処刑される?―――
背中を冷や汗が走った。だが、鬼は少年に近づくと、その髪の毛を鷲掴みにして鉈で乱暴に断ち切り始めた。
「おい!何しやがる!」
リオスは叫びながら身じろぎした。だが鬼はニヤニヤ笑って相手にしない。しかし、鈍い刃では思うように切れないと気づいたのか、今度は力任せにリオスの髪を引っ張り、半ば毟るようにしながらそれを引き切っていった。
「くそッ...ただじゃ殺さねぇってか?上等じゃねぇか」
リオスは吐き捨てた。あらかた髪の毛が切られてしまうと、鬼は満足した様子で立ち去っていった。だが今度は別の鬼どもが天幕に入ってきて、リオスの頭を指さしながら侮蔑し始めた。
さらに、何匹かが代わる代わるに少年の顔を平手で叩き始めた。これは流石に応えた。顔がみるみるうちに腫れていくのがわかった。そして鬼どもは仕上げとばかりにリオスに唾を吐きかけ、一匹が腰蓑を下ろし小便をひっかけてから出ていった。
「あの野郎ども...ぜってぇ許さねぇからな」
屈辱と怒りに腸が煮えたぎる思いだった。だが少年は心のどこかで冷静に計算していた。
―――どうやら処刑はまだまだだな。多分全員を集めてからだ。夕方、あるいは夜か―――
テツジの言った通り、鬼どもの本拠は神殿前だった。ラジーブは迷うことなくこの場所に辿り着くはずだ。
だが、目を上げた瞬間に、あるものを見た少年は驚愕した。
鬼どもが大きな鍋を火にかけている。互いに何か喚き合いながら、ある者は薪を火に放り込み、別の者は汲んできた水を鍋に足している。
そしてその足元には、巨大な肉切り包丁がいくつも転がっていた。
一匹の鬼がリオスの前までやってくると、身振り手振りで少年を指さし、次いで大鍋を指さし、そしてゲラゲラと笑った。
―――ま...まさか...鍋に入れて俺を喰うつもりなのか―――
背筋を悪寒が覆い、そして絶望感で目の前が暗くなった。
鬼どもは、人間を敵として処刑するなどといった大層な手間は取らない。ただ単に食料にするつもりなのだ。
他の鬼どもも寄ってきた。少年の顔に初めて狼狽の表情が浮かんだのを見てとったのか、いかにも嬉しそうにこちらを指さして囃し立てる。ある者は手に掴んだ何かを旨そうに喰う仕草をしてみせ、別の者は自分の指先で首筋を切って白目を剥く演技を始めた。
―――く...くそッ...。まさかこんな死に方するなんてな―――
リオスは座り込んだまま宙を見つめた。勝ち誇ったような声を上げたボコブリンが、いきなり近づいてきて少年を蹴倒した。抵抗できないまま、リオスは地面に転がった。
―――こ...これで終わりなのか。俺、死ぬのか........―――
イリーナの顔が頭に浮かんだ。生きて帰ると約束したのに。果たせなかったら、きっと彼女は悲しむだろう。
だが、最初の絶望と悲しみの波が過ぎ去ると、不思議なことに平安が少年の心を満たし始めた。
オルディンに来てからの自分の行動を思い返す。
子どもたちを救った。
モグマたちに塁が及ばぬよう、自らを差し出した。
何一つ、恥じることはない。そう心から思える。
「....親父...俺...意外と悪くねぇだろ?弱いなら弱いなりに、一生懸命やったぜ」
リオスは横たわったまま呟いた。目から涙の筋が流れ落ちてきた。
だがすぐに気づいた。
泣いていることを鬼どもに気取られたら、また痛めつけられる。リオスはさりげなく体を横に向け、顔を背けた。
すると、頭を横ざまに地面に押し付けるかたちになった。
その瞬間、音楽のようなものが聞こえてきた。耳を通してではない。頭の骨を通じて、振動が伝わってきたのだ。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
―――……ン……ン……ン……―――
地面の奥底から、低く、震えるような音が伝わってきた。
まるで、地面そのものが歌っているような。
リオスは怪訝に思った。そして数秒後気づいた。
「まさか!....あの歌!」
少年は側頭部を強く地面に押し付けた。
聞こえてくる。ぼんやりとだが、昨夜聞いたのと同じ歌だ。
―――火の粉舞う山並み越え―――
―――古き地中の神殿めざし―――
―――我ら夜明け前に出発せん―――
―――輝く黄金と財宝を求め―――
そして、歌に合いの手を入れるように地面を踏み鳴らし、あるいは土を叩く音も。
「な...なんだよ。思ってたよりよっぽど早えぇじゃねぇか」
リオスは含み笑いをしながら独り言を言った。目から安堵の涙が溢れてきた。
鬼どもはまだ鍋の周りで騒いでいて、気づいていない様子だった。だが、一匹が戻ってくると乱暴にリオスを立ち上がらせた。
天幕から少年が引き出されると、ボコブリンどもが一斉に歓声を上げた。鍋の前に陣取っていた者たちは両手に持った包丁を打ち合わせ、舌なめずりしている。
「なあ、お前らの寿命あと、何年くらいあるか、当ててやろうか?」
両脇から引っ立てられながらも、少年は不敵に笑うと、そう声を上げた。鬼どもは不思議そうな顔をして見て来る。
「ズバリ....あと五分だ!俺のカン、よく当たるんだぜ」
リオスは続けた。その途端、ボコブリンどもは怒りの声を上げた。一匹が少年を地面に突き倒すと、仲間から肉切り包丁を受け取った。
そのボコブリンは怒り心頭の表情で何事かを喚くと、包丁を振りかざした。だが、そのポーズをとったまま途端に動かなくなった。
他のボコブリンどもは怪訝な様子で互いに顔を見合わせた。
すると矢が空気を裂く音が聞こえた。包丁を持った鬼の後頭部に矢が刺さり、その先端が顔面から抜ける。そいつがバタリと倒れると、背中にも矢が刺さっているのが見えた。
宿営はハチの巣をつついたような大騒ぎとなった。
ボコブリンどもは料理どころではなくなったのか、慌てふためいて武器を手にとり右往左往している。
だが矢が次々と飛来し、そのたびごとに鬼どもが倒れる。すると、リオスの目の前の地面が盛り上がり小さく割れ、中から犬のような濡れた鼻、次いで丸い黒目が覗いた。
「大丈夫かい、リオス!随分やられちまったみてぇじゃねぇか」
心配そうな声でテツジが言った。だが少年は答えた。
「なんてこたぁねぇよ。それよりずいぶん早かったじゃんか、テツジさん」
「元々この辺りは俺らのトンネルだらけだからな。さ、今切ってやる」
テツジは答えると、穴の中から手を伸ばしてリオスを縛った縄を切った。
矢が飛ぶ音が響く度に、ボコブリンの悲鳴が上がる。その中でリオスは縄を解いて身体を起こした。
「おい!ラジーブ、どこだ?」
少年は周囲を見回した。すると、上方から声が聞こえた。
目を上げると、宿営の隅に立てられた高い櫓の上に狩人がいて手を振っている。彼は滑るように櫓を降りてくると、駆け寄ってきた。
「お前、動く、できる?」
ラジーブは背負っていた剣を投げてよこすと尋ねた。
「心配ねぇさ。手足は無傷だからよ。顔だけさ、酷く見えるのは」
少年は剣のストラップを装着しながら答える。そうしている間にも狩人は振り向いて矢を放った。こちらに向かって武器を構えたボコブリンがたちまち立ち尽くし、ゆっくりと崩れ落ちる。
「おめぇら、溶岩を流す穴が開通するまであと三十分持ちこたえてくれ」
テツジが地中から声をかけてきた。それを聞いたリオスは驚いた。
「そ...そんなに早くできるのか?」
「若けぇモンが大勢手を上げてくれたからな。それに仕上げには秘密兵器を使うぜ」
モグマの青年はウィンクすると小さな袋を持ち上げた。
「爆弾花さ。こいつがあれば倍の速度で掘れるってやつよ。じゃ、おめぇら死ぬなよ」
テツジが地中に姿を消すと、リオスは剣を抜き放った。
「―――さぁ...こっからがお楽しみだぜ!」