火吹き山の山頂の神殿前は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
宿営に立てられた天幕からは、ボコブリンどもが喚きながら次々に飛び出してくる。だが次の瞬間には額に矢を受けて倒れていく。
「―――こっからがお楽しみだぜ!」
リオスは立ち上がり、剣を抜き放つと叫んだ。傍らにいるラジーブは動くもの全てに手あたり次第に矢を射かけていた。
―――ブォォォォ.....ブォォォォ.....―――
角笛の音が響く。下の斜面からだ。神殿前の広場の端に目をやると、次々と新手のボコブリンどもがよじ登ってくる。どれほど射ても到底追いつかないほどの数だ。
「行く。逃げる!」
ラジーブが叫んだ。リオスは周囲に目を走らせた。宿営の東側に溶岩の川を渡る木の橋があり、その先に続く道が洞窟に入っている。
「ファイ!東に逃げるぞ!経路を調べてくれ!」
リオスは叫んだ。
『了解しました。マスター』
すると青白い光に包まれた少女の姿が空中に現れ、先導するかのように浮遊していった。
少年と狩人は隣り合って後じさりし始めた。その時、天幕の陰からボコブリンが鉈を振り上げながら飛び出してきた。
近い。リオスは相手の斬撃に合わせ思い切り剣を振って弾くと、剣の柄頭でボコブリンの鼻柱を痛撃した。よろめいたところで袈裟斬りをかける。さらに逆袈裟斬りで追撃し、蹴倒すと剣を逆手に持ってとどめを刺した。
「時間、ない!お前、戦い、早く!」
ラジーブは矢を次々と射ながら叫び、後じさりしながら木の橋に向かっていた。
「いけね!次は気を付けるからよ!」
リオスはそう叫び返すと、剣を構えながら狩人の隣に並んだ。
もはやボコブリンどもの数は数十匹に増えていた。棍棒や鉈を振り上げながら押し迫ってくる。
宿営を通り抜け、木の橋に差し掛かる。狩人が合図し、リオスは先に橋を渡った。やがて矢が散発的に飛んでくるようになった。狩人も敵に向かって矢を射ながら橋を渡ってくる。少年は敵群のほうを注意深く観察しながらも叫んだ。
「ファイ!脱出口はあるか?」
『マスター、ないこともありません...が』
「なんだよ!歯切れ悪いな!早く言え!」
空気を裂く音を立てながら矢が飛んでくる。少年はよく見極めて避けながら言った。狩人が橋を渡り切り、二人は踵を返して走り始めた。道は洞窟に入ったが、洞窟はすぐに終わり、短い鉄製の橋が奈落の上にかかっている。
『ここから先に超高温地帯があります。そこを越えたところに下方に滑り降りるスロープがあり、そこから麓に向かうことができます』
リオスとラジーブは鉄製の橋を渡ると、対岸の岩壁に空いた穴から広い洞窟に駆け込んだ。だが鬼どもの喚き声もまた背後から接近していた。既に鉄の橋を渡ったようだ。
「超高温地帯?なんだそれ?」
洞窟の内部は広い円形の広場のようになっており、中央には巨大な縦型の筒状に岩が盛り上がっている。その中心から熱風が噴きあがっているようだ。
そして奥の壁にも大きな横穴が開いている。そこから先に進もうとして足を速めたリオスだったが、近づいてみてふと立ち止まった。立ち止まらざるを得なかった。
異様なほどの熱気が漂ってくる。穴から向こうを覗き込むと空気が揺れて見えるほどの温度差だ。穴の奥の壁が赤黒く光っている。リオスは思わず呟いた。
「な?...なんだよこれ....?」
『お伝えした通り、ここから先は超高温地帯です。この先に脱出口がありますが.....』
振り返ると、ボコブリンどもの先兵が洞窟広場に入ってきた。怒声と喚き声が壁にこだまする。ラジーブは再び弓矢を構え、射撃を開始した。矢を受けた鬼どもがひとり、またひとりと倒れる。だが増援が続々と駆け付け、一向に減る様子もない。
『超高温地帯で人間が耐えられる時間は5秒程度です。それ以上の時間が過ぎると衣服に着火します』
「クソッ.....」
ボコブリンどもは一斉に叫び声をあげ、武器を振り上げると突進してきた。リオスは叫んだ。
「おいラジーブ!行くぞ!」
少年は息を思い切り吸い込み、踵を返すと横穴に飛び込んだ。
ほとんど狂気のような高温だ。思わず片手で顔を覆った。壁という壁が赤く光っており、そこから耐えがたいほどの熱気が生じていた。
『マスター!右の岐路を!』
ファイの声が聞こえた。背後から狩人が飛び込んできた。リオスと同じように片手で顔を覆いながらついてくる。
手に握った剣の柄がみるみる加熱し、火傷を負いそうなほど熱してきた。
――――右。....右だ...!――――
少年は念じた。だがもはや目を開けていることすら困難だった。身に着けた服の繊維から煙が発し始めている。だが曲がりくねる道なりに進むと、やがて右に抜ける横穴が見えた。
リオスは最後の力を振り絞り、その横穴に飛び込んだ。低くなった砂地に着地する。と、少年の身体は滑りやすい砂に横倒しになり、みるみるうちに斜面の上を流され始めた。
「う...うわ...ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
熱気が背後に去っていくと同時に、少年は砂だらけの斜面を高速で滑っていった。頭上が開け、太陽が見えた。野外に出たのだ。
途端に少年の身体が宙に浮いた。放物線状に飛んだかと思うと、また砂地に投げ出された。やはり急な斜面だ。高速で滑っていく。背後からは、狩人が滑ってくる音が聞こえる。だが振り返る余裕もない。
滑っている斜面は両側に護岸のように岩壁がそそり立っている。途中に何本か岩の柱のようなものも立っていた。山頂の方面からはひっきりなしに角笛の音と鬼どもの喚き声が聞こえる。
『マスター!右へ!』
ファイの声が聞こえた。我に返って前方を見ると、斜面が二手に分かれている。リオスは手で背後に合図しながら右側に体重をかけて針路を変えた。右手の岐路に入る。そのまま滑り続けると、やがて少年の身体はまた空中に投げ出された。
眼下は地面だ。数メートルを落下すると、リオスは着地しそこねて転がった。すぐ背後にラジーブが着地する。こちらは猫のように優雅な着地だった。
「いててて...何とか助かったな」
リオスは剣を鞘に納めると顔をしかめながら立ち上がった。だがラジーブは厳しい表情で山の方を仰ぎ見た。
「敵、気づく。来る。すぐ」
角笛の音がこだまし続けている。今立っている場所は下方に溶岩の川があり麓側に進むことができない。リオスは尋ねた。
「ファイ。こっからの進路は?」
『背後の洞窟に入り左に進んでください』
山側を振り返ると言われたとおり洞窟がある。リオスは狩人に合図すると中に駆け込み、左に進んだ。
息を切らせながら走る。洞窟から抜けると、そこにある広場から鉄の橋が南側に伸びている。
―――麓は近い―――
そう思った瞬間だった。広場の北側にある別の洞窟から湧き上がるように鬨の声が聞こえてきた。かと思うと、ボコブリンどもの群れが雪崩のように飛び出してきた。
「まずい!行こう!」
リオスは叫んだ。だが、二人が橋に到達する前にボコブリンたちが散開し押し迫ってきた。
「クソッ...どきやがれ!」
少年は剣を前に構えて叫んだ。だが狩人はその裾を引いて言った。
「こっち!下がる!」
「な...なんでだよ!麓はあっちだぞ!」
「いい!早く!」
リオスは剣を構えたまま尋ねたが、狩人は聞かない。だがラジーブは洞窟に戻るのではなく、岩壁沿いに南に向かっている。
鬼どもが怒りの形相で喚きながら武器をかざして距離を詰めてくる。やがて少年と狩人は崖の端に追い詰められた。
「ど...どうすんだよラジーブ!逃げられなくなっちまったぞ!」
少年は構えながらも、敵の方と相棒とを交互に見やった。ラジーブはやおら身をかがめると、足元にあった丸い木の実のようなものに手をかけた。
それは地面に生えた草についた実のようだ。狩人はそれを捻ってもぎ取ると、高く掲げた。
「トマ・エスト!」
ラジーブは大音声で呼ばわると、その実を敵の群れに向かって放った。ボコブリンどもは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにこちらに向き直った。だが数秒が経過したときだった。
爆発音が響き、何匹かの鬼が悲鳴を上げて倒れた。狩人は近くにあった同じような木の実を地面からもぎ取ると次々と投げつけた。
またも爆発が起きる。敵の群れに動揺が走った。ラジーブは手で合図すると、敵の囲みの薄くなった場所に突進した。
「来る!早く!」
「な...なんなんだよ、あれは!」
リオスは追随しながらも尋ねた。ラジーブは片手に短剣を抜いていた。前方にいた鬼の横面を左手の弓で張り倒し、右手の短剣ですれ違いざま首筋を斬り裂く。横から別の個体が棍棒を振り上げてきた。リオスの剣が一瞬早かった。胸を逆袈裟斬りされた鬼が動きを止めると、少年は喉めがけて突きを放ち、また走り始めた。
「爆弾花!摘む、爆発!」
ラジーブは叫んだ。殺到してくる鬼どもを、弓と短剣で次々となぎ倒す。リオスも必死で剣を振るった。縦に横に襲ってくる棍棒や鉈を回避し、相手に剣で深手を与えると、そのまま振り向きもせず前進した。
二人はジリジリと橋に接近していった。だが山からは角笛の音がひっきりなしに響く。増援のボコブリンどもが続々と到着する。
「お前、先!」
いつしか少年と狩人は背中合わせに戦っていた。斬りかかってきたボコブリンの斬撃を狩人がギリギリで回避し足払いをかけると、倒れかかった鬼の胸にリオスが剣を突き立てる。リオスの背中目掛けて棍棒を振るうボコブリン。だが狩人は振り向きもせず弓を前後逆に持つと矢をつがえて放った。こめかみを射抜かれた鬼が動きを止めて立ち尽くす。
「お前、先!生きる!務め、大事!」
ラジーブが弓を持ち直しながらもう一度叫んだ。だがリオスは力の抜けた鬼を蹴倒し、叫び返した。
「バカ野郎!相棒を置いてけるかよ!」
斬りかかってきた鬼の鉈を剣先を下にして受け、すかさず肩口に斬りつける。そして身体を縦軸で回転させながら首筋を払った。殆ど頭が首の皮一枚でつながっただけの鬼がゆっくりと倒れる。
背後に気配を感じた。目の前に棍棒がある。咄嗟に剣で受けた。だが間に合わない。相手の勢いに押されよろけた。だが追撃を与えようとして振りかぶった鬼の左胸からラジーブの短剣の剣先が飛び出る。
リオスは狩人を援護しようと構えなおした。だが狩人は短剣を逆手に持ったままもう一度叫んだ。有無を言わさぬ語調だった。
「お前!行く!我、無事!」
「ほ...本当に大丈夫なのか?」
リオスは剣で周囲を牽制しながらも尋ねる。
「我、シーカー!普通、戦士、ない!」
狩人は橋の方角に向き直ると矢継ぎ早に矢を射た。額に喰らった鬼どもが白目を剥いて次々に倒れる。
「行く!今!」
狩人は少年の襟首を掴むと押しやった。リオスは迷った。だがほんの一瞬だった。
「死ぬなよ!後でな!」
少年は剣を振り回すと、居並ぶボコブリンどもに突進した。鉈で斬りつけてくるのを身を伏せて躱し、胸を一突きにすると、押しのけて橋に走り寄る。
囲みを突破したリオスは鉄の橋を渡り切り、曲がりくねる坂道を駆けていった。麓は近い。浮橋を渡り、段差をいくつも登って、今朝子供たちをさらった鬼どもと戦闘した小道に入った。もはやボコブリンは近くにいない。
だが、異様な物音を聞いて少年は立ち止まった。今立っている場所からは、ちょうど山の斜面を山頂の神殿まで見上げることができた。
その物音は、空気を切り裂くような甲高い音だ。
空中に真っすぐ打ち上げられた矢が見えた。その矢の先端についた笛のようなものから音が聞こえてくる。
――――まさか――――
嫌な予感が少年の胸を満たした。
その甲高い音が山にこだまし、やがて消え去ったかと思うと、今度は山頂の神殿の方面から轟くような音が聞こえた。
爆発音だ。それも何度も立て続けに。
爆発の音は、止んだかと思うと、また響き渡った。黒煙が薄っすらと神殿の前から上空に向かって立ち昇り始めている。
――――まさか...ラジーブの奴...!――――
リオスの背筋に悪寒が走った。
またも爆発音が響く。かと思うと、神殿の足元の斜面数か所に唐突に横穴が開いた。そこからオレンジ色に輝く溶岩が流れ出してきた。
溶岩の流れは、最初ささやかなものだったが、数秒経つとみるみるうちに勢いを増していき、やがて迸るように噴出し始めた。
ドドドドドドドドド.....
地鳴りのような音とともに、溶岩が斜面を下り始める。粗末な木の砦がたちまち飲み込まれ、炎上したかと思うと、バラバラに崩壊していった。
「ラジーブ!嘘だろ!まさか...まさか...」
リオスはうわ言のように叫んだ。溶岩流が斜面から溢れると、登山道に侵入していく。やがて、ラジーブが戦っているはずの広場に入りきらず後方に控えていた鬼どもが溶岩に気づき、悲鳴を上げながら逃げ惑い始めた。
だが、全ては手遅れだった。ボコブリンどもは次々と溶岩に飲まれていく。断末魔の叫びが山にこだました。
だが少年は額に汗を浮かべ、驚愕に目を開いたまま立ち尽くしていた。溶岩流が登山道に溢れると、今度は洞窟を抜けていく。
「ラジーブ!バカ野郎!」
リオスは声も枯れんばかりに叫ぶとガックリと膝をついた。そしてヨロヨロと立ち上がると、来た道を戻ろうと歩き始めた。
だが顔を上げた瞬間だった。
少年には見えた。対岸の登山道を猛スピードで駆け下ってくる者がある。
―――狩人だ。
リオスの胸に安堵と喜びが湧き上がった。狩人は信じられないほどの速度で道を下り、段差を飛び降りて浮橋に到達した。
だが、溶岩の川の水位がみるみるうちに増し、浮橋は沈み始めていた。
しかしラジーブは迷うことなく浮橋に足を踏み入れると、まるで鹿か何かのように跳躍し、溶岩流の上に辛うじて残っていた橋げたの上を飛び移っていく。
「ラジーブ!早く!」
リオスは叫んだ。狩人はこちらの岸に到達すると、段差を登ってリオスのところまでやってきた。
眼下の溶岩流は急激に盛り上がり、浮橋は完全に水没した。狩人は息を整える間もなく言った。
「急ぐ!ここ、沈む!」
少年は我に返った。狩人が走り始め、リオスも追随した。曲がり道を疾走し、段差を越え、木小屋の広場を越え、溶岩の池の広場に到達する。
そこの溶岩の水位も上昇していた。狩人が身軽に溶岩だまりを飛び越え、リオスはおっかなびっくりその後を追った。
ふたりはとうとうモグマたちの穴の入り口に着いた。だがラジーブは歩調を緩めない。さらに飛び石を渡り、段差を登ると、最初に着いた広場に出た。
「溶岩、来る!登る!」
狩人が言う。リオスは頷くと、南側の背の高い岩壁を狩人の後に続いて登り始めた。
だが背後から形容しがたい音が聞こえた。粘度の高い溶岩が押し迫る音だ。凄まじい熱気も。
「急ぐ!急ぐ!」
ラジーブがしきりに促す。二人はとうとう向こう側に抜ける割れ目に辿り着いた。ラジーブがその中に身を滑り込ませると、リオスも続こうとした。
だが何気なく振り返ると、信じがたい光景が見えた。
溶岩の水位が洪水のように上がっている。もはや道もなにもなかった。そして山の斜面も全てオレンジ色に輝いている。
「急ぐ!」
狩人が裾を引っ張ってくる。リオスは慌てて岩の割れ目に避難した。
その瞬間だった。
―――ドウッ....ン....―――
山の上からの溶岩が流れ込み、溶岩流が一気に溢れ眼下の広場を浸した。飛び散った溶岩が空中を舞い、ふたりが隠れている岩壁にも降りかかった。
「あ...あぶねぇとこだった....な」
リオスは呟いた。だが狩人は冷静な声で言った。
「作戦、成功。お前、考える。我、仕上げ」
ラジーブは片方の眉を上げると親指で自分を指した。
「仕上げって...よぉ。いくらなんでも無茶苦茶だぜ。溶岩流の目の前で戦うなんてよ..」
リオスは半ば呆れて言った。だが思い直すと、手を伸ばして相棒の肩を叩いた。
「へっ...借りが出来ちまったな。いつ返せるかわかんねぇけど、強くなったら、な」
だが狩人は面白くもなさそうに続けた。
「お前、頭、作戦、強い。身体、弱い」
「またそれかよ。まあ俺もわかってるけどさ...」
リオスは溜め息をつく。だが狩人は畳みかけてきた。
「―――明日、特訓。地獄。できる?」