『―――リオス。あなたはマスターとして承認されました』
ケープを纏った少女が言う。よく見ると、彼女は床に立っているようでいてその実空中に浮いていた。その姿は半透明で幻影のようだ。
「ゆ....ゆ....ゆ....ゆ....幽霊....」
ロドが尻もちをついたままうわ言のように繰り返す。セバルスはズレた眼鏡を直すのも忘れて口を開け立ち尽くしている。
部屋の中は、リオスが手に持っていた物から発する強い青白い光に照らされ、真昼のように明るかった。周囲の壁には文字と絵が一面に刻まれ、奥には石でできた祭壇のようなものがあった。
リオスは口も開けられぬまま、手に持ったものと、目の前に浮かぶ少女の幻影を交互に眺めた。そしてようやく、自分が今引き抜いたものが剣だということに気づいた。
『今よりその務めを終えるまで、この聖剣はあなたを
少女は頭を下げた。リオスは訳もわからず頭を下げ返すと、ようやくのことで口を開いた。
「...あんた.....幽霊?それとも何か別の....」
『申し遅れました。私はファイ。それが私に与えられし名です』
少女の幻影は名乗った。リオスは困惑し切った顔で手に持った剣を一瞥した。青銅製なのか鉄製なのかわからないが、その刀身は鈍く冷たい輝きを放っている。そしてその輝きとは別に、迸るように青白い光を発していた。
「なあ...これってなにかの間違いじゃねぇか?俺、別に特別な人間でもねぇし。あんたの探してるのはきっと他の誰かだ。そうだろ?」
リオスは呟くと、手に持った剣を台座に差し込んだ。それはピッタリと元の場所に戻った。だが発せられる光はいささかも衰えない。少女は続けた。
『いいえ、リオス、あなたがこの剣のマスターとなることは最初から決まっていました』
ファイと名乗った少女は言葉を継いだ。リオスはますます混乱した。何の話をしているのか、まるでわからなかった。
「最初から決まっていた?.....ちょ...ちょっと何言ってるかわかんねぇんだけど」
『この剣はかつてあなたの父に与えられたのです。巫女の血を引く少女を救い出すために。しかし............』
少女は淡々と続ける。
『彼が地上に戻ることを望んだとき、私は告げました。この剣はひとつの務めを果たすため一度しか与えられない、と。そして勇者の胤である彼の息子...つまりリオス、あなたが用意された務めを果たすべきときが来るときまで、この浮島に置かれなければならない、と』
「....ま...待てよ。今なんつった?」
自分の父。地上に戻る。その言葉を聞いた瞬間、リオスは反射的に顔を上げた。
『もう一度説明します。この剣はあなたの父に...』
「デタラメじゃねぇだろうな。俺の親父の名前、なんていうか知ってるか?言ってみろ」
リオスは被せるように問うた。すると少女は淀みなく答える。
『フロウ=ドシュトフロムンド。かつて彼はこの聖剣のマスターでした。そして巫女の血を引く少女を救い出しました。それがあなたの母、リナハです』
その答えを聞いてリオスは驚愕した。確かに名前は合っている。だが現実感がなかった。夢でも見ているのだろうか、と思った。
『女神ハイリアはこのフロウから勇者の胤を起こすことを決められました。ですからリオスよ、あなたはあなたの父の次にこの聖剣のマスターとなり、務めを果たすのです』
「...わけわかんねぇ。まじわけわかんねぇ」
リオスは首を振って呟いた。振り返ると、ロドは既に気絶して床に横たわっている。セバルスはその傍らで青白い顔をして座り込んでいた。
『さあ、リオス。剣をお取りください。そして地上に行くのです。私が案内を務めます』
少女が言った。リオスは意味も分からぬまま再び剣の柄に手を伸ばした。それを引き抜くと、両手で構えてみた。
その途端、溢れるように記憶が蘇ってきた。
父から教わった型。幼かった頃、何度も繰り返し練習させられた。
縦斬り。横斬り。袈裟斬り。そして突き。
身体が勝手に動く。重みのある剣の刀身が空気を裂く音が響いた。それと同時に、急激に涙が溢れてきた。
『―――あなたの父はあなたの運命を知って、できる限りのことをしたのですね』
リオスが素振りを止めて顔を上げると、少女が言った。その声には初めて感情らしきものが漂っている。
リオスは、その手に握られた剣をしばらく見つめていた。その胸の中には同じ疑問が何度も何度も行き来していた。
――父さん。どうしていなくなったの?一体どこに行ったの?――
やがて袖で顔を拭うと、彼は尋ねた。
「なぁ、あんた....親父のこと、よく知ってるんだろ?俺に教えてくれるか?」
すると少女は答えた。
『喜んで。あなたの旅を案内しながらお教えいたします』
* * * * * * * * * * * * * * * * *
少年は夢の中にいた。
奇妙なことに、夢の中なのに自分がいま夢の中にいることがはっきり自覚できていた。
目の前には男女が立っている。自分の視点からはそのふたりを高く見上げるかたちだった。
―――ああ、そうか。これは俺が小さかったころの情景なんだな―――
すぐに少年の脳裏にそんな説明が浮かんだ。
―――行ってくるよ、リナハ。リオスを頼む―――
男がそう言う声が聞こえた。低く、深みのある声だった。
―――苦労をかけてすまない。でも、どうしても彼らを放ってはおけないんだ。アルギレウスの遺志を無駄にしないためにも....―――
すると女は溜め息をついた。だが、やがて彼女は顔を上げて微笑み、相手を見つめた。
―――あんたらしいじゃない。安心して行ってきて。でも....必ず生きて帰ってきてね―――
―――ああ。約束する。必ず生きて帰る―――
男は女をしっかりと抱きしめた。そして今度はこちらのほうにかがみ込んで手を伸ばし、片手で抱擁すると、頭をクシャクシャと撫でてきた。
思わず抱きついた。いつも着ている緑のチュニック。ゴワゴワとした感触がした。
―――リオス、母さんのいう事をよく聞けよ―――
男はそう言うと踵を返し、外の光の差し込む戸口に向かって歩き始めた。
その途端に、声にならない声が胸の底から溢れだしてきた。嗚咽が口から洩れる。必死で男の背中に追いすがろうとする。
すると女が手を伸ばして後ろから抱き上げてきた。
――父さん....行かないで。行かないで!―――
必死で抗い、手足をばたつかせたが、抜け出すことはできなかった。
――父さん...!父さん...!―――
その途端に、自分の叫び声で少年は目を覚ました。
男女の幻はもう影も形もない。視線の先には天井の板の木目が見えるのみだった。時刻はとうに夜明けだ。朝の光が窓から差し込み、壁を照らしている。
「....リオス...起きたんかいのう」
食堂から老人の声が聞こえてきた。だが少年は返事をしなかった。今のは一体なんだったんだろう。
ただの夢なのか?それとも記憶なのか?
「のうリオス....そろそろ畑の雑草とりをせねばならんのだが...お前やってくれんかのう?」
老人がまた言った。リオスはしばらく茫然と天井を見つめていたが、やがてゆっくりと身体を起こした。
身体の横に、見慣れぬ物体が置いてある。鞘に収まった剣だ。
昨夜の記憶が蘇ってきた。
自分は夜半ふたりの仲間たちと一緒に神殿に侵入した。そして秘密の部屋でこれを見つけた。
すると、奇妙な少女の幻影が現れて、理解しがたいような奇妙な話を自分に告げたのだ。
「...リオス...まだ寝ているんかいの?」
老人が寝室のカーテンを軽く開きながら言う。リオスは反射的に吐き捨てた。
「覗いてんじゃねぇよ、クソ爺い」
「...す...すまん。寝てると思ってのう」
老人は慌てて手を引っ込めた。だが、まだ諦め切れない様子で付け加えた。
「...リオス。儂も最近は足腰が思うように動かんでのう...。畑を手伝ってくれるとありがたいんじゃが」
「手伝いも何もほとんど俺がやってるじゃねぇか。んなこともわかんねぇほどボケちまったのか?」
叩きつけるような口調でリオスが言うと、老人は溜め息をついた。
「...そ...そうさのう。じゃから...そろそろ雑草取りをせんと....。収穫に響くからのう」
リオスは返事をせず、天井を見つめながら考えをまとめようとした。だが叶わなかった。何をどう考えても理屈に合わない。
父は、この剣の持ち主だったという。そして父はこれを女神像の足元に残し、ひとり地上へと旅立った。
だが、いったいなんのために?
「のう...儂の畑はいずれお前のものになるんじゃから、今からでもお前に引き継いで...」
老人はカーテンの向こうから歯切れの悪い語調で話し続ける。リオスは溜め息をつくと立ち上がり、荒々しくカーテンを開けた。老人は驚いて立ち尽くした。リオスは大柄なほうではなかったが、それでも背の曲がった老人を見下ろすかたちになった。
「要するに俺に養ってほしいんだろ。正直にそう言えよ。まだるっこしい話してねぇでよ」
リオスがそう言うと、老人は少し
「そ...そうさのう...儂は子供もおらんし...家内ももう死んで久しいからのう...」
「要するにこういうこった。俺はあんたがいなくても生きていける。だがあんたは俺がいないと生きていけない。そうだろ?」
リオスはそう言いながら流しに近づくと、顔を洗い、水を一杯飲んだ。手ぬぐいで顔を拭くと、戸棚からパンを取り出し手掴みで齧り始めた。老人は悲しそうに言った。
「...そ...その通りじゃ。だから...この老いぼれに情けを施すと思って....」
「はっきり言っとくけど、俺はあんたに感謝なんかしていないし、肉親の情もないぜ。親父への罪滅ぼしかなんか知らねぇけど、それはあんたの都合だろ」
パンを食べ終わるとリオスは流しに行って手を洗い、もう一度水を飲んでから言葉を継いだ。
「畑をやれってんならやってもいいぜ。俺も食ってかなきゃならねぇから。だけど俺はもうあんたの昔話も愚痴ももう沢山だ。礼拝がどうとかって指図されるのもごめんだ」
「わ...わかった。わかったからのう。もうお前に細かいことは言わん。だから...」
老人が観念したように両手を上げる。リオスは口の中に残った食べ残しをしばらく舌で弄んでいたが、やがて踵を返すと寝室に戻り、寝間着を脱ぎ始めた。
すると、家の扉を叩く音がする。老人は足を引きずりながら玄関に向かい戸を開くと、驚いた声を上げた。
「おやまあこりゃ神官さま。ようこそおいでで...」
「お宅のリオスはまだ家にいるな?」
問い質すような声が聞こえる。カーテンの向こうで野良着に着替えていたリオスは手を止めて聞き耳を立てた。
嫌な予感がする。マジで嫌な予感がする。
「へ...へぇ。おりますが、あれが何か悪さでも?」
「悪さどころではない。大罪悪だ。あいつが昨夜神殿から宝物を盗んだのを見た者がいるのだ」
神官の声が近づいてきている。老人を押しのけて食堂に入ってきたのだ。
リオスは全速力で服を着ると、サンダルを履き、ベッドに置いてあった剣を掴んで窓に走り寄った。それと同時に、長い祭司服を着た神官がカーテンを開けて寝室に入ってきた。
「待て!その剣を返せ!」
神官が叫ぶ。リオスは
「窓から外に出たぞ!追いかけろ!」
背後で神官の叫び声が聞こえた。家の戸口のほうに、同じような長服を着た助祭たちがたむろしていたが、神官の号令で一斉にリオスのほうを向いた。
少年は走り始めた。怒号が背後から追いかけてくる。だが少年は全速力でダッシュした。
両側に樹木が植わった街道を走り抜ける。左手に市場の茶色い屋根が見えた。走りながら時折振り返ると、男たちが両手を振り回しながら追ってくる。
だが、リオスは徒競走なら誰にも負けないほど足が速かった。おまけに神官たちは裾の長い服が邪魔してうまく走れていない様子だ。みるみるうちに彼我の距離が伸びてくる。
やがて少年は塔の広場に着いた。迷わず針路を左にとり、川沿いに走ると橋を渡った。
逃げながら、少年は忙しく頭の中で計算した。目指すは墓地だ。幽霊のような巨木がのしかかるように生えているあの場所は昼間も人通りが殆ど無いのだ。
橋を渡り切り、風車の丘の下を潜るトンネルを抜けると、リオスは右手にあった柵を乗り越え飛び降りた。
荒い息を鎮めながら左右を見回す。誰もいない。だが念のため、少年は近くにあった墓石の影に隠れると、背中をそれに預けて大きく溜め息をついた。
「わけわかんねぇよ。なんでこうなるんだ?」
小声で呟く。墓地の敷地内は静かだった。目の前には、『幽霊の木』とあだ名される巨木が枝を広げている。
だが、遠くから叫び声が聞こえてきてリオスは顔を上げた。墓石の端から顔を出して様子を伺うと、川の向こう岸に数人の助祭たちがいる。一人が身振りで指示すると、残りが左右に散った。手分けして探すつもりのようだ。
「クソっ。面倒くせぇったらありゃしねぇ」
リオスは毒づくと、左右を見回した。先ほど飛び降りた段差を見やると、岩壁に木の扉が設えられている。リオスは身を低くして墓石の影から出ると、その扉に近づいた。
扉には鍵がかかっていなかった。手をかけると軋んだ音を立てながらスライドする。リオスは中に滑り込むと後ろ手に扉を閉めた。
内部は奇妙な構造だった。人ひとり分くらいのスペースしかない。物置かと思ったらそうではなく、ガランとした床の中央に四角い穴が開いている。
穴を覗き込むと、物凄い深さだった。木の梯子がかけられ、下に降りられるようになっている。
しばらく思案した末、リオスは剣の鞘についたストラップを肩にかけると穴に入って梯子を降り始めた。
梯子は何段降りても続いている。呆れるほどの長さだった。降りるにつれ、下方から吹き付ける風が髪と服の裾を揺らし始める。それと同時に下方からの光が穴の中を照らした。
「外に...繋がってるのか?」
梯子を降りながらも少年は呟いた。だが自分で言ってから奇妙な話だと気づいた。自分はいま、地下に降りているのだ。それなのにどうしてこの穴が外に繋がっているのだろう?
やがて少年はやっとのことで梯子の終端にたどり着いた。
降り立つと、そこは木製のデッキだった。強い風が吹きつけてくる。リオスは思わず腕で顔を覆った。
しばらくして風に慣れてきた少年は腕を下ろし、何気なく周囲を見回した。
そして驚愕のあまり言葉を失い、茫然と立ち尽くした。
眼下には一面の雲。そして頭上には、天蓋のように覆い被さってくる一面の岩。
その岩を下から支えるものは、一切見当たらない。
完全に宙に浮いているのだ。少年は思わず呟いた。
「う...嘘だろ。本当に....浮いてるってのか.......?」