重々しい足音の主が、開いた戸口にヌウッと姿を現した。
現れたのはゴロンと見まごうほどの巨体を持つ鬼。
しかもそれが三体並んでいた。
酷く腹の出た肥満体だ。その肌は赤く、顔は醜い。
それぞれが片手に木の盾を持ち、もう片方の手に槍を構えていた。
生き残りのボコブリンどもが手振りで『行け』とばかりにけしかけると、巨大鬼どもは唸り声を上げながら部屋に踏み込んできた。
最初の一体が床を揺らしながら槍を突き出し迫ってくる。その目は血走り、口から唾を垂らしていた。
「残りは任せたわよ!」
リメイラが弾かれたようにダッシュした。空中に跳躍し、大きく振りかぶったハンマーを巨大鬼の上から振り下ろす。
―――ドゴォ...ッ―――
ひときわ激しい衝突音がし、巨大鬼の頭が揺れ動いた。だが倒れてはいない。
巨大鬼は槍を手放すと、片手を伸ばして空中にいるリメイラに掴みかかった。
「姉さん!」
リオスは叫んだ。だがリメイラは驚くべき動きを見せた。伸ばされた腕に片脚をひっかけると、そこを中心にして身体を回転させて飛び上がり、相手の背中にとりついたのだ。
ゴロン娘はハンマーの柄を相手の首にかけ一挙に締め上げた。モリブリンと呼ばれた巨大鬼は赤い顔をさらに赤く染めてもがき始めた。
二匹目がリメイラに手を伸ばす。その瞬間ラジーブが矢を放った。二匹目の片目に矢が命中し、そいつは軽く呻き声を上げ顔に手をやった。
だが三匹目が無傷だ。そいつは仲間たちを押しのけると出番だとばかりに部屋に突入し、リオスたちに目線を合わせるとニヤリと笑った。
だが少年はまともに相手の目を睨み返した。反射的に吠えるような叫びが口から飛び出る。
「来いや!」
見上げるばかりに巨大な鬼が槍を構えながら走り寄ってくる。
リオスはその槍の穂先の軌道を見極めると、相手が突きを繰り出した瞬間に身体を捻った。
胸当てと槍の穂先が擦れて暗がりに火花が散る。だが相手の身体が泳いだ。目の前には壁のような木の盾が迫ってくる。
リオスは咄嗟にその盾に手をかけてしがみついた。殆ど人間の身長と変わらない大きさだ。少年の身体がすっぽり隠れてしまい見失ったのか、モリブリンは突進を止め戸惑った様子で辺りを見回し始めた。
「バカ野郎が!」
リオスは盾の真ん中の継ぎ目に足をかけると、壁を越えるように一挙に跳躍し盾の上縁に立った。目の前に巨大鬼の無防備な上半身がある。
剣を逆手に持つと、ジャンプして相手の首の横に突き立てた。歯を食いしばって深く剣先を突き刺す。
巨大鬼が呻き声を上げた。だが、肉が厚すぎて刃が心臓に届いていない。
モリブリンは武器を手放すと苦し紛れに少年を掴もうとする。リオスは剣を鬼の傷口から抜くと床に飛び降り、横に転がった。またも敵を見失った巨大鬼が周囲を見回す。
立ち上がると、少年は相手の横から駆け寄った。
分厚い脂肪に覆われた身体。だが、肋骨の形状がわずかに見える。そこだ。
剣を平らにし突きを放つ。再び深く押し込む。鬼がまたも苦痛の呻きを発した。だが、巨大鬼は盾を放すと手をデタラメに振り回した。丸太のような上腕に吹き飛ばされ、リオスは壁に叩きつけられた。
「クソっ....」
クラクラする頭を振ってどうにか身体を起こす。
目を上げると、リメイラはまだ最初の巨大鬼に取りついて首を締めあげている。相手は辛うじて立っているが、口から泡を吹いていた。その次の鬼は、両目、両耳、両鼻孔、さらに口に矢を喰らった状態で右往左往していた。その頭頂部にはラジーブが馬乗りになって、ゼロ距離で矢を射込もうと弓を引き絞っている。
だが、リオスが相手をしていた三匹目は嗜虐的に笑いながら悠然と近づいてきた。首と脇腹から血を流しているのに、堪えた様子もない。
「...あいつらに負けてられっかよ」
リオスは呟くと立ち上がった。巨大鬼は唸り声を上げながら両手を伸ばして捕まえにくる。
頭を下げて巨大鬼の手をかいくぐると、前転してその両脚の間を通り抜けた。立ち上がると敵の膝の裏に思い切り突きを入れ、さらに足首の辺りを撫で斬りにした。
後ろに飛びのく。巨大鬼はゆっくりと振り向いた。怒りに顔を歪めている。
「このノロマのデカブツが!てめぇなんかに捕まるかよ」
リオスは片手を顔の脇でヒラヒラと振り、思い切り舌を突き出した。侮辱は伝わったようだ。モリブリンは吠えながら突進してきた。
身を低くし、ギリギリまで引き付ける。剣を払いながら横に跳んだ。感触があった。立ち上がり相手に向き直る。巨大鬼もこちらに方向を変えようとしているが、片脚を引き摺っている。
今しかない。リオスは剣をだらりと下げると相手に近づいた。モリブリンが手を振り上げると横に払ってきた。身を伏せて回避する。今度は上から手のひらを叩きつけてきた。サイドステップして躱すと、巨大鬼の手首に渾身の斬撃を叩きつけた。ザックリと刃が食い込む。
モリブリンは傷ついた手を見つめながら、ようやく痛みに顔を歪め始めた。だがまだだ。飛び下がって呼吸を整える。
巨大鬼は手をデタラメに振り回しながら迫ってきた。振り返ると背後にあの井戸が見える。リオスは井戸に駆け寄ってその縁に飛び乗ると、天井から下がっているロープを掴んだ。
モリブリンがヨタヨタとした足取りで突進してくる。体当たりを喰らった少年は後ろに飛ばされた。しかしそれでもロープにしがみつく。
巨大鬼は勢い余って前向きに転倒する形になった。井戸にその上半身がすっぽりと入った。振り子運動で前に出た少年は、慌てて身をもがき始めた巨大鬼の上に思い切り飛び降りた。
「あばよ、デカブツ!」
巨大鬼の身体が開口部にずり落ちていく。リオスは手を伸ばして井戸の縁を掴んだ。足の下から響くモリブリンの叫び声が遠くなっていき、やがて激しい衝突音とともに途絶えた。
剣を井戸の外に放り出し、やっとのことで這い出す。目を上げると、リメイラと狩人も一匹づつの巨大鬼を倒したところだった。ボコブリンどもは悔しそうな喚き声を上げながら撤退していく。
「―――テツジさん?」
リオスは剣を拾い上げると周囲を見回した。すると、返事があった。部屋の隅で頭を抱えながら震えている。モグマ青年は顔を上げると言った。
「お..めぇら...生きてる...よな?」
「当ったり
少年は不敵に言い放つと、肩に剣を担いだ。するとリメイラが不思議そうな顔でリオスを見つめる。
「なんか...あんた変わったね。この一時間くらいで」
「ぁ?そうかい?」
少年は言うと、鬼どもの死骸の間に転がっていたあの日記を拾い上げた。狩人は早くも部屋中に散らばった敵の死骸から矢を回収し始めている。
「なぁ...姉さん。気になるんだ」
「何がよ?」
リオスが問うとリメイラが近寄ってきた。テツジも恐る恐るの様子で立ち上がる。
「...あの機械亜人の日記さ。あれを見れば謎が解けるんじゃねぇのかって」
「理屈はわかるけど...次の敵がいつ来るかわかんないわよ」
顔中についた返り血をハンカチで拭いながらリメイラが答える。
「ゆっくり読書するわけにゃ行かねぇのはわかるよ。でもなんでここに機械亜人どもがいるのかを....」
少年は日記をパラパラとめくった。そして、ある文字が目に入ってきたとき、凍り付いたように手を止めた。
―――『ギラヒム殿との契約』――――とあったのだ。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「―――『ギラヒム殿との契約締結。報酬は王家専属時代の三倍。同期のRS13万番台からも多くの応募者あり。採掘の滑り出しは上々。十五トン以上の成果。...』どういうことだよ、ギラヒムと契約って」
リオスが呟く。リメイラは横から覗き込みながらも狩人に言った。
「ごめん。悪いけどあんた出入口見張ってくれる?」
ラジーブは頷くと、弓に矢をつがえ素早く戸口に向かった。リオスはページを繰った。
「―――『坑道に警備員配属される。だがどう見ても鬼。しかし、これまでの鬼と違って機械亜人を襲うことはないとの説明...』なんなんだよ?鬼が警備員?意味わかんねぇ」
リメイラもじれったそうに手を伸ばすとページをめくった。
「ねぇ。ここら辺から筆跡乱れてない?読んでみて?」
「わかった。....ええっと」
リオスは目を走らせた。確かに、文字の跡が急に走り書きに変わっている箇所がある。
「―――『恐るべき事実露見す。警備員の任務は、外部からの侵入者ではなく内部からの脱走者を取り締まることであったと判明。報酬支払は停止。数名の脱走者が連れ戻され見せしめとして処刑さる。ギラヒム殿が来訪し宣言。...魔族の栄光のため未来永劫働くという栄誉を与えん、と』...ってこれ...要するに...」
「...奴隷...だわ」
リメイラも半ば茫然として呟いた。リオスはゆっくりと日記を閉じると、それをそっと持ち主である機械亜人の腕の中に置いた。
「...許せねぇな」
「...許せないわね」
ふたりは同時に言った。
その時だった。テツジが手を上げ、ふたりを差し招いた。
「おい、おめぇら...ここに来て聞いてみろ!」
テツジは井戸の縁に手をかけ、中を指さしていた。
リメイラとリオスが傍に行くと、モグマ青年は手を耳の横に当てる仕草をした。真似をして耳を傾けてみると、遠くからかすかに奇妙な物音が聞こえる。
―――呻き声。
―――嗚咽の声。
―――苦痛の叫び。
それと同時に、金属と岩石が当たる音もだった。採掘具を振るっているようだ。
だが、やがてラジーブが慌ただしく駆け戻ってきた。
「敵、隊列。来る。時間、少し」
「ちッ...もう増援が来たか」
リオスはモグマに向き直った。
「テツジさん、ここの土を掘って廊下までの抜け穴を開けるのに何分くらいかかる?」
「ぇ?ぁあ、そうだな...手袋使えぁ五分ちょっとで....」
「三分でできるよな?奴らが突入してきたとき裏手に回りたいんだ」
「わ...わぁったよ」
リオスは狩人に合図すると、戸口に向かった。扉を閉め、後ろから鬼どもの武器を閂代わりに嵌める。モグマは壁際に行き猛スピードで穴を掘り始めた。
やがて、廊下の向こうから鬼どもの号令の声と、大勢の足音が聞こえてきた。
「もうすぐできるぜ」
穴の中からテツジが声をかけてきた。仲間たちが穴に身を滑り込ませると、リオスは手近にあった箱を周囲に並べて偽装し、後を追った。
リメイラは穴の中を進みながら感心しきりだった。
「...へえ、シゴデキじゃん、モグマのおじさん」
「お...おじさんッて!」
前方で穴を掘りながらも、テツジはショックを受けた様子だった。
「おい、俺っちまだ二十九歳だぜ?おじさんはねぇだろおじさんは」
だがリメイラは聞いていない。そして数瞬考えたあと彼女は付け加えた。
「この作戦、頭いいけど...戦わないで逃げるってのはゴロン的にはちょいマイナスね」
「この際それはいいだろ、なあラジーブ?」
「逃げる、賢い」
リオスと狩人は囁き交わす。四人が穴の中を進んでいる間、ドヤドヤとした足音が上から響いてきた。
何かの道具で激しく扉を叩く音。やがて扉が破れる音が響く。
さらには、弓矢の一斉射撃の音が聞こえてきた。
「テツジさんがいなけりゃ今頃ハチの巣だったぜ。なぁ?」
リオスは含み笑いした。廊下の真下に辿り着いた先頭のテツジが穴の天井に少しづつ開口部を造ると、そっとそこから様子を伺った。
「いいぞ。鬼どもは全員部屋の中だぜ」
テツジが言う。内部に誰もいないことに気づいたのか、鬼どもは怪訝そうな喚き声を上げている。四人は足音を潜めて廊下に出ると、そのまま坑道の奥に進んでいった。
* * * * * * * * * * * * * * *
坑道は螺旋を描くように曲がりながら下降していった。
ところどころに横穴が空けてられていて、戸が設えられている。だが中を覗いても、雑然と機械亜人の死骸や廃棄された機材が置かれているだけだ。
だがやがて坑道の突き当りに辿り着くと、その先には巨大な地下空間が広がっていた。
下方を覗き込んでみると、あちこちに設えられたランプが発する弱々しい光の中、小さな人型の者たちが動き回っていた。機械亜人だ。ツルハシやシャベルを振るって採掘をしている。
さらに、要所要所にボコブリンが立っている。不思議なことに他の鬼どもとは違い、きちんとした制服を着て、頭にゴーグルまでつけている。その手には警棒のようなものが握られていた。
その一角から突如悲鳴が上がった。リオスたちは思わず注目した。一体の機械亜人がボコブリンに殴打されている。鬼の警棒からは小さな稲妻のようなものが発していた。
ボコブリンは執拗に犠牲者を殴りつける。やがて機械亜人は倒れ伏して動かなくなった。
その脇を、岩塊を乗せた手押し車を押しながら別の機械亜人が通った。彼が倒れた仲間に思わず目をやると、その途端暴行をしていた鬼が振り向いて喚きながら武器を振り上げた。運搬係の亜人は震えあがった様子で前に向き直り、歩き続ける。
彼は壁際まで行くと、天井から下がったロープに等間隔で吊られた大きなバケツに鉱石を放り込み、再び元の持ち場に戻っていった。ロープは機械仕掛けで動いているらしく、バケツはゆっくりと移動しながら天井に吸い込まれていった。
四人は少しの間茫然としていた。
まるで地獄絵図だった。そこらじゅうから機械亜人たちの嘆きの声、嗚咽、呻きが聞こえてくる。
「リオス。我、射つ。できる」
ラジーブが弓に矢をつがえ、目に怒りを宿らせながら呟く。だが、その時テツジが鼻と耳を動かしながら周を見回した。
「....な...なんかヤベェ雰囲気がするよ...。ここ、長居しねぇほうがいいぜ」
「ヤベェって...当たり前だろテツジさん。魔物だらけなんだからよ」
リオスは我に返って答えると、言葉を継いだ。
「でも、ここを出るのはあの機械亜人たちを解放してからにしようぜ」
「ドゴロ兄ぃたち、いったいどこ行っちゃったんだろ。兄ぃだったらこんな好き勝手、許すわけないわ」
リメイラも言った。彼女はハンマーを担ぎ直すと片眉を上げ、リオスに向き直った。
「しょうがないわね。あたしたちの出番?」
「おい、おめぇら、話しを聞けって」
慌ててテツジが言った。
「...ヤベぇっつったのは魔物じゃねぇんだ。岩がギシギシ言ってんだよ、そこらじゅうで」
「岩が?」
他の三人が注目すると、モグマ青年は続けた。
「この坑道、下が岩盤だから今までもってたようなもんさ。ああやって岩を穴だらけにしちまってたら長くはもたねぇぜ。俺っち、耳もいいから聞こえちまうんだよ、岩の悲鳴が」
四人は黙り込んだ。だがリオスはすぐに顔を上げた。
「よし、俺が先に降りて囮になる」
リメイラが驚いて少年の顔を見た。狩人は表情を変えない。だがテツジは心配そうに言う。
「お...おいリオス...おめぇ..本気か?あの数だぜ?」
眼下に目をやると、鬼どもの数は百を下らない。だがリオスは言葉を継いだ。
「まずはあいつらを全員をひきつけるんだ。そこでリメイラ姉さんが飛び出してやつらをぶっ飛ばし、ラジーブが上から援護。これなら何時間もかけて坑道を掃討しなくて済むだろ?」
仲間たちの顔を見回す。数秒間のあと、全員が頷いた。
「よし、決まりだな。頼んだぜ」
リオスは身を低くし、目の前にあった階段を足音を忍ばせて降りて行った。
掘削の行われているフロアまで降りると、少年は大声を上げて両手を振った。
「おぉぉい!間抜けで臆病者のボコブリンども!俺はここにいるぞ!いいのか?侵入者だぞ侵入者!」
各所に立っていたボコブリンどもが一斉にこちらを向いた。リオスの姿を認めると怒りの声を上げる。手にしていた武器のスイッチを入れたのか、電子音とともにその警棒の周囲に小さな稲妻のようなものが走り始めた。
「バーカバーカ!無抵抗の人間しか殴れねぇんだろ。お前らなんか怖くねぇぞ!」
少年はそう言うと、背を向けて自分の尻を叩いた。
鬼どもはいきり立った。喚き声と足音が岩壁に反響する。
―――ギャアッ...ギャアッ...ギャアッ...―――
ボコブリンが群れをなして押し迫ってくる。その数は、総勢百匹にもなりそうだ。
「―――来い!」
だがリオスはそう叫ぶと剣を抜いた。