階段を転落し、採掘場まで転げ落ちたリオスは、さらに十メートルほど転がったところで、ようやく止まった。
「痛てて...畜生」
顔を上げたその瞬間、階段上に大サソリがぬうっと姿を現す。
「リオス!リオス!」
リメイラの叫び声が遠くから聞こえる。
だが、大サソリは少年目掛けて凄まじい速度で駆け下りてきた。
時間がない。
少年は咄嗟に近くの穴に飛び込んだ。その上を禍々しい鱗を持つ化け物の腹が通過していく。
だがそこにじっとしていては狩られる。リオスは懸命に穴から這い出ると剣を構えた。
大サソリは多脚を動かし、ゆっくりとこちらに向き直ってきた。
―――ズシ..ン....ッ...―――
だが、ひときわ大きな岩鳴りが聞こえてきたかと思うと、周囲の壁が再び崩壊し始めた。
振り返って目を上げる。だがリオスは目にしたものに驚愕した。
階段の上にある登り坑道の入り口が閉ざされていく。天井となっていた岩盤が崩壊し、次々と岩の塊が積み上がっているのだ。
再び、リメイラの声が聞こえたような気がした。だがそれはすぐに岩に遮られてしまった。
「―――お前と俺...二人きりってわけか...」
やがて崩落が収まってくると、リオスは剣を握り直しながら化け物に話しかけた。相手は牙をギシギシと鳴らしながら隙を伺うように身構えている。
――――!?――――
だがリオスは気づいた。
大サソリの頭部。以前には見当たらなかった『目』が、赤い憎悪を宿らせランランと輝く目が、そのど真ん中にある。
少年は電撃のように思い出した。
狩人が頭部を正面から射ても、矢はまるで通じなかった。
だが、化け物の二つの巨大な鋏の間についていた目。その部分は攻撃が通じた。
つまり、化け物は鋏の間についていた目で物を見ており、頭部についていた目は固く閉じていたのだ。だから狩人の矢は通じなかったのだ。
「なるほど....な」
少年はニヤリと笑った。そして身を低くして剣を腰だめに構えながら囁いた。
「来いよ。白黒つけようぜ」
化け物はギシギシと牙を鳴らし、高く掲げた棘付きの尻尾を揺らしている。
「来いや!」
少年が叫ぶと、大サソリは金属が軋るような奇妙な吼え声を上げ、突進してきた。
みるみる距離が縮む。
だがリオスは、自分をねめつけるその憎悪に満ちた『目』をめがけて、突きを繰り出した。
剣が突き刺さった。だが相手の勢いが止まらない。少年は突き飛ばされ、背後にあった岩の塊に叩きつけられた。
「クソッ....」
痛みに呻きながらも、剣を杖代わりに身体を起こす。見ると、胸当てに大きな亀裂が走っている。
だが、大サソリが受けた苦痛はそれを遥かに上回るもののようだ。化け物は目から血を流しながら痛みに悶絶し、身体をくねらせていた。
「ヘヘヘ...親父。お陰で助かったぜ」
リオスは引き裂かれた胸当てを脱ぎ捨てた。そして深呼吸すると、もう一度剣を構え、化け物に近づいた。
だが大サソリは戦意を失ったのか、リオスの姿を認めると後じさりし始めた。少年は反射的にダッシュした。
『目』を狙って突きを繰り出す。再び剣先が突き刺さる。
大サソリは凄まじい悲鳴を上げた。
空気を裂く音とともに何かが近づいてくるのを感じ、リオスは身を伏せた。頭の上を巨人の棍棒のような尻尾が通過する。
だが、回避したと思ったらもう一度逆方向からそれが迫ってきた。少年は咄嗟に前に出た。背後を化け物の武器が再び唸りを上げて通過する。
しかし、化け物もまた諦めてはいないようだった。『目』を固く閉じたまま、頭部を突き上げるように頭突きを繰り出してきたのだ。
まるで牛に押されたようにリオスは背後に突き倒された。そしてその上に大サソリがのしかかってきた。
だがリオスは倒れたままで剣を逆手に持ち替えた。
あと一手で決まる。確信があった。
牙の生えた大サソリの口が左右に大きく割れながら目の前に迫る。
だが、その口の上の、鎧のような瞼に覆われた単眼。少年はそれを一心に見つめて待ち受けた。
全てがスローモーションだった。牙が少年の左右から迫ってくる。
あと数センチ。
そして、その瞬間、大サソリが瞼を開いた。リオスには、その目に浮かんだ勝利を確信したような奢りまでもがハッキリと見えた。
「そこだぁぁぁぁッ!」
少年は腕を振り上げると剣を突き立てた。剣が深く、鍔まで埋まらんばかりに突き刺さる。
――――ギャァァァァァァァァァァッ!――――
恐ろしい悲鳴が響き渡り、反響した。大サソリは身体を大きく反らすと、跳ねるように少年の身体の上から飛び下がり、その脚を痙攣させ始めた。
リオスはヨロヨロと立ち上がると、黒い血のついた剣を手に持ったまま、化け物が悶絶するさまを眺めていた。
大サソリはやがて身を細かく震えさせ、そして地面に崩れ落ち、息絶えた。するとたちまちその身体が崩れ始めた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
荒い呼吸を沈めながら剣を血払いし、鞘に納めると、再び地鳴りが聞こえてきた。
壁からパラパラと石が落ちてくる。かと思うと、足元が振動し始めた。
「ファイ!こっから出る経路がないか、探してくれないか」
リオスは呼びかけた。すると、青白い光が迸るように出現し、少女の姿をとった。
『―――了解です。これほど大規模な採掘場の場合、通風孔も含めて複数の経路が確保されていることが通例です』
「だよな。頼む」
リオスが言うと、ファイは空中に浮遊しながら去っていった。
だが、周囲の壁からひっきりなしに石片が転がり落ち、地面は断続的に揺れている。気分の良いものではない。
リオスはとりあえず坑道の奥に向かって進んだ。かなり激しく崩落したので、逆にそれ以上の崩落はないと推測したからだ。
岩がそこらじゅうに転がる中を苦労して進む。だが、落石のせいで、各所にあった灯火の多くは消えていた。リオスは剣を抜いてみた。幸いなことに、戦闘で使ったときの残滓らしき光を薄っすらと発している。少年は剣をかざしながら、歩いていった。
「ファイ!どうだ?見つかったか?」
『もう少しお待ちください、マスター』
ファイの声が聞こえてきた。少年は溜め息をつくと続けた。
「じゃあ俺も自分で探してみるよ。後で合流する地点を決めよう」
『それには及びません、マスター。私には、マスターがどこにいてもその剣の位置が目印となりますので』
「わかった」
会話を終えると、リオスは崩落した岩に塞がれていない壁を探り始めた。ところどころ横穴が空いている。だが、ほとんどは倉庫代わりの狭い小部屋だ。
だが、その時だった。
リオスの耳に、その場所にあるはずのない物音が聞こえてきた。
啜り泣く声。高い。おそらく、子供か、女性だ。
機械亜人が残っていたのだろうか?
だが、それにしては声が生々しい。
リオスはその源を探すため聞き耳を立てた。岩に覆われていない横穴を一つ一つ確認していく。
そして、見つけた。
ある横穴を覗き込むと、数メートルの先にあった小部屋に、誰かが座り込んでいる。
剣をかざしてみると、そのシルエットがぼんやりと見えた。
長い髪。ドレスのような服装。華奢な体格。
若い女だ。
* * * * * * * * * * * * *
その女は肩を震わせながら泣いていた。リオスは思わず声を掛けた。
「お...おい、あんた。大丈夫か?」
するとその女は悲鳴に近い声を上げながら息を呑み、少年のほうを振り向いた。その目が恐怖に大きく開かれているのが薄暗がりの中でもわかった。
「お...おい。こんなところにひとりで...よく生きてたな、姉さん」
少年は驚きながらも横穴に足を踏み入れた。その途端に女が叫んだ。
「近づかないで!....私に近づかないでください!お願い!」
意外な反応に戸惑いながらも、リオスは言葉を探した。だがその間に相手がまた口を開いた。
「あなたはいったい何者なのです?...我が王国の者ではありませんね?」
「俺?俺ぁ...リオスってんだけど。何者って言われてもなぁ.........」
少年は兜の上から頭を掻きながら言葉を継いだ。
「まぁ...剣士見習い...みたいな?別に怪しいモンじゃねぇよ。とって喰いやしねえから安心してくれよ」
「剣士...?私は剣士などという者を信用はしません。剣をもって暴虐を働き、あまつさえ人を殺すこともあるのでしょう?なんという恐ろしい....」
女は怖れと軽蔑の入り混じった目でリオスを見つめた。少年は慌てて両手を上げた。
「そ...そんなことするわけねぇだろ。なんか誤解してるぜ。俺は魔物としか戦ったことねぇよ。そもそも剣士になったのも十日前くらいだからな」
リオスは困り果てながらも続けた。
「なぁ...姉さん。こんな場所にひとりでいたら危ないぜ。この坑道はさっきまで鬼だらけだったんだ。今は逃げたとはいえ、まだそこらに隠れてるかも知れねえ。な?俺と一緒に地上に出る方法を探そうぜ」
少年が手を差し伸べ近づこうとすると、女は叫んだ。
「なりません!」
女は自分の両肩を抱きながら後じさりし、こう言った。
「私に近づかないでください!私はそもそも男性に近づかれたことがないのです」
「そ...そんなこと言われてもよぉ...」
リオスは溜め息をついた。そして、暗がりに慣れてきた目で女を見ているうち、感嘆の念がその胸に湧いてきた。
美しい。どこをどうとっても完璧な美女とはこういうものなのか。
「私から離れてください。お願いです。それに.....」
女は目を伏せるとこう言った。
「―――もはや希望はありません。わが故郷は滅びました。私は王女として、故郷とともにここで朽ち果てるだけです」
「ど...どういうことだよ?」
少年が驚いて尋ねると、女は少し間を空けてから話し始めた。
「....私はラネール地下王国の王女、グウィネヴィアです...。女神ハイリアが浮島を造り人々を避難させたあと、選ばれなかった者たちが、危険を避けるためここ地下に住み着きました。それが三十年前のこと。私はその後生まれました。ですから一度も太陽を見たことがないのです」
「そ...そうなのか。でもどうしてあんたの王国は滅んじまったんだ?」
リオスは尋ねた。すると王女は悲し気に溜め息をついた。
「ここ最近、落石や崩落が続いており、私たちは移住先を真剣に考え始めていたのです。ですが、つい先ほどの落盤で、私たちの居住区は一気に壊滅してしまいました。あまりに突然のことだったので備えることができなかったのです」
それを聞いたリオスの背筋を冷たいものが通り過ぎた。
―――俺たちが大サソリと戦ったせいなのか?―――
「私は偶然助かり、地下道をさまよっているうちここに...。しかし、父も母も死にました。私ひとり生きている意味など...もはやありませぬ」
女は俯くと、消え入りそうな声でそう締めくくった。
リオスは拳を握った。そしてその胸の奥から湧き上がってきた形容しがたい感情に突き動かされるままに叫んだ。
「―――そ...そんなことねぇだろ!」
リオスが声を上げると、女は驚いて顔を上げた。
「わ..悪ぃ。大声出しちまって。...でも...そんなことねぇよ、絶対。あんたは生きてるべきだよ。なぁ...聞いてくれるか?」
少年は再び足を踏み出した。だが女は首を振ると、手を前に出した。
「近づかないで。特に....そんな恐ろしい剣を持った人と私は話などできません!」
「わかった。わかったよ」
リオスは溜め息をつくと、剣を背後の地面に置いて、ほんの少しだけ女に近づいた。すると女は言った。
「その剣を、私の目から見えないところに置いてくださいな。そうすれば、私に近づくことを許しましょう」
「わぁった。仰せのままにするよ」
「それと、兜は脱いでください。あなたの顔が見えませぬから」
「了解。...お姫さまの言うとおり」
少年は剣を背後の岩の影に立てかけ、兜を脱ぐと、横穴に入って女の数メートル手前に腰かけた。
「なあ、姫さん。聞いてくれ。俺、五歳の頃に親父が行方不明になって、お袋も病気で死んだんだ。だから、それ以来ずっと『なんで俺だけこんな目に』って思いながら生きて来た。だけど.....」
リオスは言葉を探しながら、話し続けた。
「だけど...いろんなことがあって、こんな弱い俺にも少しはできることがあるってことがわかってきたんだ。俺、今までこんな風には考えたことなかったんだけど....今は思うんだ。俺が生まれてきたのは、女神さんに何か考えがあってのことだ...ってな」
少年は顔を上げて、グウィネヴィアと名乗った女を見た。彼女も真剣な面持ちで耳を傾けているように見えた。
「だから...それはあんたも同じだって、俺、思うのさ。あんたが今こうして生きているのも絶対に何かの意味があるって。生き続けていれば、将来誰かと出会って誰かの人生を変えるかも知れない。誰かを助けるかも知れない。だから...自分自身のことをそんなふうに思わねェで欲しいんだ」
リオスが言葉を切ると、グウィネヴィアと名乗った女はしばらく顔を伏せて考えていたようだった。だが、彼女はやがて小さく頷くとこう言った。
「...わかりました。...あなたと一緒に、地上に参りましょう」
「そうこなくちゃ」
リオスは微笑むと、立ち上がって女に近づき、手を伸ばした。女はしばらく動かずにいたが、やがて顔を上げ、リオスの手を取りながら立ち上がった。
香水の香りが少年の鼻をくすぐった。そのあまりの芳しさにリオスは思わず動きを止めてしまったほどだった。
だが、その時だった。
横穴の外の坑道が青白く強い光で照らされ、リオスたちがいる場所にもその光が射し込んできた。
振り向くと、ファイが空中を浮遊しながら猛烈な勢いで接近してくる。リオスは声を掛けた。
「ファイ!経路は見つかったか?」
『マスター!すぐにその男から離れてください!今すぐに!』
ファイが言った。リオスは意味が分からず聞き返した。
「男?何いってんだよ。女だろ」
『今すぐに!』
その刹那、リオスは首筋の後ろにチクリと何かが刺さるのを感じた。
驚いて振り向くと、グウィネヴィアと名乗った女が手に針を持っている。その顔は能面のように無表情だった。
「な...なにすんだよ姫さ....」
そう言おうとした途端、力が抜け、少年は膝から地面に崩れ落ちた。
顔を上げると、女が自分の長い髪に手を掛けるのが見えた。その髪の毛はいとも簡単にずれ落ち、その下から気障に整えられた男性風の髪が出てきた。
次に女は自分のドレスに手をかけると無造作に脱ぎ捨てた。その下にあったのは身体にピッタリと張り付いた風変りな男物の服装だった。
「...お...男...?」
リオスはかすみはじめた目で相手を見上げた。その『男』は、しばらくの間俯いていたが、やがて堪え切れなくなったように笑い始めた。
「ハァッハッハッハッハッ...あぁ傑作だ!こんなにうまく行くとは思わなかったよ!」
その声はいつの間にか青年の力強い声に変わっている。
「どうも...初めまして」
青年はゆっくりと優雅な仕草で体を曲げ、礼をした。だがその頃にはもうリオスは自分の身体を支えることすらできなくなっていた。
「僕の名は魔族長ギラヒム。以後お見知りおきを.....」
薄れゆく意識の中、青年がそう名乗るのが聞こえた。
だが視界が揺れる。右に、左に。
そして少年は冷たい床にゆっくりと崩れ落ちていった。