―――リオスはゆっくりと目を開いた。
だがすぐに頭痛に襲われて呻き、目を閉じた。
そして、もう一度ゆっくりと目を開く。ぼんやりと霞んだ
やがて彼は自分が石の床に横たわっていることに気が付いた。上半身は縄で固く縛られていて、動かすことができない。
だが時間が経つにつれて、だんだんと視野がハッキリしてきた。
時刻は夜中のようだ。
彼は今、石敷きの広場の一角に転がされているようだった。周囲に粗末な天幕が立ち並んでおり、その傍らに点々と篝火が焚かれているのだ。
そして目を凝らして見えてきたものにリオスはギョッとした。
鉈や棍棒を下げたボコブリンどもが整列している。あの巨大な肥満体のモリブリンの姿もチラホラと見えた。
「お目覚めかね、少年」
若い男の声が聞こえてきた。リオスはそちらに顔を向けた。
あのギラヒムと名乗った男だ。リオスは改めて相手の姿を観察した。
最初に会った時の服装に加えて、赤い生地に豪奢な装飾を施したマントを羽織っている。スラリとした体躯はしかし、細身ながら各所に筋肉を纏っており、どう考えても女と見間違えるようなものではない。
「『ラネール地下王国』...そんなデタラメを信じてもらえるとはね。君もつくづく純粋だ。...そうだろ、少年?」
リオスは黙ったままなんとか上体を起こし、床に座った。そして相手を観察し続けた。
その姿は思ったよりもよほど人間らしかった。ファイとは違って、半透明でもない。皮膚も髪の毛も本物だし、その声は間違いなく人間の肉声だ。
「それにしても...この剣だ。まさかこいつにもう一度会うことになろうとはね」
青年は皮肉な笑みを浮かべながら、手に持った剣を眺めた。リオスの剣だ。彼は続けた。
「...僕のあるじである『あのお方』を封じるときにハイリアが使った剣だよ。まったく忌々しいったらありゃしない」
彼はそう言うと、嬉しげに首を傾けてリオスを見た。
「だが...そのハイリアは転生の準備で忙しいのか姿を消してしまったし、持ち主である君はこのざまだからな。ま....僕の書斎の飾りにでもさせてもらおうか」
少年は聞き耳を立てながらも、周囲の様子を伺った。だが立ち並んでいる鬼どもは、いつもの騒がしさとうって変わって一言も発しないどころか、身じろぎさえしていない。リオスは不思議に思った。
「...で、少年。君は何者でどこから来た?だいたいの推測はついてるが、一応教えてくれたまえ」
「...俺の名はムヒラギ。聞いて驚くなよ。なんと、魔界からきた王子さまさ」
リオスは不敵に笑いながら答えた。するとギラヒムはつられたように含み笑いしながら少年の目の前に身体を屈め、目線を合わせた。そしていきなりリオスの頬を平手で叩いた。
思いもかけないほどの痛みに、少年はもう少しのところで呻き声を上げるところだった。
力が抜けているのに、ズッシリと重さが伝わってくる。リオスは一瞬で理解した。こいつに剣を持たせたら、恐ろしく強い。
「...僕は面白くない冗談は嫌いなんだよ。今度からジョークを言うときは厳選したものに限ってくれないか?でないと僕の機嫌が悪くなってしまうからね」
ギラヒムはそう言った。その顔はまだ微笑んでいる。だがその目の奥には隠し切れない残忍さが浮かんでいる。
「なら残念だったな。俺はジョークのセンスはからきしでね。楽しませてほしいんなら他の奴を当たってくれ」
リオスも負けずにそう言い返した。するとギラヒムは身体を起こしながら答えた。
「もう察しはついてるよ。君は浮島から来た。そうだろ?」
少年は口を閉ざし続ける。だがギラヒムは話し続けた。
「あのハイリアが僕らにちょっかいを出すとしたらその手口はわかってる。この剣...。そして浮島に昇った、いわゆる『選ばれた血筋』の者。いかにもあいつの考えそうなことだ。とっくにお見通しだよ」
リオスは、だが口を開かなかった。目の隅で相手との距離、相手の持っている剣との距離、そして鬼たちとの距離を測る。
後ろに回され縛られた手に力を入れてみた。だが縛り方は念が入っている。少しも動かせない。
「...無駄だよ。僕が自分で縛ったんだからね。こういう大事な仕事は鬼どもには任せられない。さあ、少年。君の名を教えてくれ。そして、あのハイリアから何を命じられたのかも、ね」
だが少年は黙っていた。頭の中では忙しく計算を働かせていた。ファイは何をやっているのだろうか。いや、彼女のことだ。きっと手を打っているはずだ。
ギラヒムは言葉を継いだ。
「...フィローネで騒ぎがあった時は、シーカー族の生き残りの連中が暴れてるだけだと思っていたが、オルディンのボコブリンどもが全滅した後、僕は内偵を始めたのさ。もしハイリアの手先なら、僕の事業を邪魔しにくるはずだって確信があったからね。そして予想どおり、君はあの坑道にやってきた」
そこまで言うと青年はリオスに向き直った。
「―――教え給え。君はどこまで知っている?」
少年は黙ったまままた考えた。ゴロン族は今何をしているだろう?もしも戦士長と族長との和解が成立すれば、彼らは総攻撃を開始するはずだ。
「まったく...素直にしゃべればいいものを。そうやって意地を張るから苦痛が長引くんだ」
やがて青年は溜め息をついた。彼が手を上げると、隅に控えていたボコブリンどもが何匹か駆け寄ってきた。
その時リオスはやっと口を開いた。
「しゃべってもいいが...その前に教えてもらいてぇな。今...俺たちがいるこの場所は一体どこなんだ?」
「なるほど、現在地を知って助けを呼ぼうっていうのか?君はまるで諦めていないんだな。悪あがきもそこまでくると立派だよ」
ボコブリンどもは鉈をリオスに突き付けている。ギラヒムは首を振ると、また含み笑いを漏らした。そして眉を上げると軽く頷いた。
「...いいよ。教えてあげよう。ここは『時の神殿』さ。ま、実験を再開すればいずれは君にも分かるからね。見せてあげよう、君の故郷がこれからどうなるのかを」
―――故郷?どうなるか?―――
リオスは不思議に思った。すると、ギラヒムは近くにあった椅子を引き寄せ、剣を地面に置き、気障なしぐさで脚を組んだ。
そして、彼が指し示すほうを見たリオスは驚きに目を見開いた。
そこには、巨大な円形の歯車のようなものが立っていた。
よく見ると、その歯車は薄い青色の光を発しながらゆっくりと回転している。
そして、その歯車の内側が空洞になっており、その中に少し小さい寸法のもう一つの歯車が入っていて逆回転している。その歯車もまた同じように内側が空洞で、逆回転する別の歯車を内部に備えていた。そのようにして、歯車が何重にも重なった向こう側にはうっすらと何かが見えた。
リオスはその何かに目を凝らした。見たことがあるような何かだ。
やがて少年は雷に打たれたように気づいた。
これは、浮島の夜景だ。中央にそびえる女神像と、足元に広がる住居群。それを囲む広大な畑地。
「そう、浮島だよ。もうすでにポータルは開通している。ただ、人員を運ぶのに手間取っていてね」
ギラヒムは心を読んだように説明すると、優雅に指を上げて言葉を継いだ。
「この時空の門はもともと時間を越えるための装置だ。だから、その原理で空間を超越するのは造作もないこと...僕はそう考えてこの事業に着手した。だがどうしたわけか、空間を越えるのは装置の目的外使用なのでエネルギーを異様に消費するらしい。それで、エネルギー源になる時空石の採掘を急がせていたというわけだよ」
「機械亜人を奴隷にして...か。汚ねぇ野郎だ。他人に頼らず自分で掘ればいいじゃねぇか」
リオスは吐き捨てた。だがギラヒムは堪えた様子もなく微笑んだ。
「おや、知らなかったのかい、少年?機械亜人はもともと生まれながらにして奴隷だよ。彼らは借金を返せず自らを売り渡して機械になった者たちなんだ。それをいわば僕が引き取ってあげたようなものさ。責められるいわれはないね」
「俺はまだガキだが、ひとつだけ分かる。てめぇみたいなナルシストは何でも自分の都合のいいように解釈するってな。見下げ果てた野郎だぜ」
少年は不敵に笑いながら言い放った。だが、それでも相手は余裕の表情を崩さなかった。
「そうとも、君はまだ経験不足だ。それにこの世の
リオスは頭の中で勘定し始めた。ドゴロ戦士長はあのあと機械亜人たちを安全地帯まで誘導し、その後ゴロン族の住処に戻ったはずだ。彼が族長と話し合いを行い、総攻撃の準備をするまでにどれくらいの時間を要するだろう?
とにかく時間を稼ぐことだ。少年は決心した。
「―――そんな関係の中でしか自分を見出せないとしたら、哀れな奴だな。どうせてめぇには仲間も友達もいねぇんだろ?」
「やはり君は何も知らない。仲間?友達?そんなものは下等で弱い者たちが傷を舐めあうために持つものだよ。僕はそんなレベルにはいないんだ」
そこまで言うとギラヒムは思い出したように顔を上げた。
「そうそう、思い出した。ちょうど君みたいな剣士が、僕の仕事の邪魔をしに来たことがあったっけな。あれは十年前だったか......」
彼はそう言いながら夜空を見上げた。
「ちょうど今回みたいに、フィローネやオルディンに配置したボコブリンどもが泣きついてきたんだ。強い人間どもに攻撃されたってね。それで僕は一計を案じた。鉱山の機械亜人のうちの一人をわざと逃亡させて、彼のところに向かわせたんだ」
ギラヒムは小さく笑うと目線を下ろした。
「効果はてきめんだったよ。彼は仲間を率いてやってきた。機械亜人を『解放』するためにね。そして...僕が仕掛けた罠に引っ掛かった。いやぁ、あれはスカっとしたよ」
そこまで聞いていたリオスの胸の中に、稲妻のような気づきと、吐き気がするような悪寒が走った。青年は続ける。
「―――仲間...友情...。そんなものに縛られているから人間は愚かな行動を取る。僕がかねがね抱いていた仮説が証明された瞬間だったね、あれは」
「おい...今なんつった?...もう一度...もう一度言え!」
少年は目を見開いて叫ぶと身を起こした。脇にいたボコブリンどもが慌てて押さえつけた。
「ん?どうしたんだ?やけに反応するじゃないか」
ギラヒムは驚いたようにリオスを見やった。そして当然のことのように続けた。
「だから、人間の剣士が身の程知らずにも僕を邪魔しにきたのさ。ちょうど君みたいにね。だから罠にかけてやったのさ」
「ど...どんな罠だ?言え!言ってみろ!」
リオスは乾いた声で叫んだ。
「どんなって...崖の両側を崩したのさ。実に単純な手だよ」
ギラヒムはそこまで言うと、何かに気づいたように手を叩いた。
「そうか...君はもしかしてあの剣士の..............」
だがリオスは最後まで聞いていなかった。凄まじい憤怒と悲しみが腹の底から湧き上がってきた。涙が止まらなかった。胸の中で何かが破裂したような痛みがあった。
歯を食いしばった。縄で縛られた腕が震える。爪が掌に食い込み、血が滲むのが感触でわかった。
「なるほど。やっぱりそうか...これは...これは面白い」
青年は純粋な喜びを顔に浮かべながら身をかがめリオスを覗き込んできた。あの香水の香りが、少年の鼻をくすぐった。だが、その香りはどんなドブ川の悪臭よりもおぞましいものにリオスには感じられた。
「君の反応で確信したよ。あの剣士...彼は君の父親だ。そうだろ?」
リオスは無言のまま泣き濡れた目で相手を見返した。するとギラヒムは顔を輝かせた。そしてさも可笑しそうに身体をのけぞらせながら笑い始めた。
「は...ハハハ...ハァーッハッハッハッ...こいつは...こいつは傑作だよ。なんてことだろう。まさかハイリアのやつ、よりによってあの剣士の息子を送り込んでくるなんて...ああ...面白すぎて死んでしまいそうだ!」
青年はようやく笑いを収めると、指先で涙をぬぐいながら呟いた。
「今まで聞いたどんなジョークより最高だ...。親子そろって僕の玩具になってくれるなんて、君たちも相当な巡りあわせだね。まぁ...有難く最後まで楽しませてもらうよ」
「...てめぇ...てめぇだけは絶対に...許さねぇ」
リオスは押し殺した声で言った。だがギラヒムは自分の額に手をやるとまた笑い始めた。
「人間っていうのは面白いねぇ。この状況に至ってまだそんなことを?いや、むしろ僕にとっては君が僕を憎んで憎んで憎み切ってくれたほうがいい。僕にこびへつらったり哀願する奴はボコブリンはじめ大勢いる。もう飽きてしまったからね」
ギラヒムはそう言うと指を鳴らした。ボコブリンどもが少年の身体を押さえつけてきた。リオスは身をよじらせて抵抗したが、鬼どもはその身体を無理やり床に仰向けに横たえさせた。
「君の魂を抜き取らせてもらう。僕のあるじを復活させるエネルギー源には足りないけど、それでもいろいろなことに使えるからね」
「クソッ...放せ!放しやがれ!」
リオスは叫んだ。だがグルグル巻きに縛られているうえに、数匹のボコブリンが力いっぱい床に押し付けてくる。
「安心し給えよ。この儀式は最初ちょっと苦しいかもしれないが、終わったら楽になるはずだよ。その惨めったらしいチンチクリンの肉体から抜け出せるんだからね」
青年は爽やかな笑みを浮かべながらリオスの顔を覗き込む。
だが、その時だった。迸るような青白い光が突如としてギラヒムの前に現れた。
それを見たボコブリンどもが怯えた表情でリオスから手を離し後じさりする。リオスは暴れるのをやめて目を上げた。
それはファイだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
ケープを纏った少女から発する青白い光は、篝火の灯りを打ち消さんばかりに強かった。鬼どもは、その光を正視することもできない様子だった。腕で顔を覆い、悲鳴を上げて退いていく。
だがギラヒムはそうではなかった。
青年はすぐ目の前にいるファイをまともに見据えた。その顔からは先ほどの薄ら笑いが消えている。
「...やっと出てきたか。ずいぶん遅いお出ましじゃないかね?剣の精霊。...いや」
ギラヒムは傲然と顎を上げながら言うと、言葉を継いだ。
「僕の...『元』妹、というべきかな?なんにせよ久しぶりだね。九百年?いや、もっとかな?」
『―――ギラヒム。あなたの企みはほどなく打ち破られるでしょう。あなたは敗北する運命にあります。それを私は告げに来ました』
ファイは答えた。その語調は無機質で、その表情はいつもと変わらず冷厳だった。だがギラヒムは興味もなさそうに言った。
「まだそんな幽霊みたいな姿でうろついてるのかい?君もそろそろ受肉したらどうだ?楽しいぞ、肉体を持つのは」
青年は自分の手、そして美しく引き締まった腕を見つめながら続けた。
「肉体を持てば、ありとあらゆる肉の快楽が手に入る。それに、僕らのような優れた種族は霊的世界だけでなくこの物質世界をも支配するのが当然のことさ。そうだろ?」
『あなたは破滅への道を選びました。元々決められた自らの場所を捨て、その野望のままに振舞ったからです』
ファイが言う。するとギラヒムは溜め息をついた。
「ハァ....またそれだよ。君は昔からそうだったな。何かと言えば『ハイリアが決めた』『ハイリアが決めた』とそればかりだ。そういうのをなんて言うか知ってるか?―――『思考停止』だよ」
青年は両手を広げて続ける。
「なぜ僕らに自由意志が与えられているのか考えてみたことはないのかい?自ら計画し、自ら造り出し、自ら実行するその能力が与えられているのに、君はそれを行使しようとしない」
ギラヒムは優雅なしぐさで顔を傾けてファイを指さした。
「ファイ、君は自らをハイリアの奴隷の立場に引き下げている。そして、なぜそうしているかも僕には想像がつくよ。それは怖いからさ。だろ?」
リオスはいつしか身体を起こすと、二人の対決を固唾を飲んで見守っていた。周囲の鬼たちも、身じろぎさえせず黙っている。
「自ら責任を取るのが怖い。何も考えず、ハイリアが決めたことにしていればいい。だから、君は自分で判断することをせず言いなりになっているんだ。図星だろ?」
『ギラヒム―――今のあなたが自由意志を持っていると考えるなら、それは自己欺瞞です。あなたはあの「終焉の者」のしもべではないですか。それはすなわち、あの者を突き動かしている....』
ファイがそこまで答えると、ギラヒムは割って入った。
「あのお方の名を汚すのか。いくら君でもそれは黙って見過ごせないな」
青年の顔は今まで見たこともないほど険しい。だがファイが口をつぐむと、ギラヒムはまた平静な表情に戻って話し続けた。
「もちろん僕はあのお方に忠誠を誓っている。だが、それは奴隷になっているというよりは、『推し』ていると言うべきだね。僕はあのお方に憧れ、あのお方と同じような者になろうとしている。そもそもあのお方の素晴らしさを君はわかっていない」
ギラヒムは手を差し伸べ、厳かな語調で語った。
「ハイリアの生ぬるく不完全な統治を見かねて、自ら立ち上がってこの世界を正そうとした。その彼の威光と権能をあのハイリアは妬んで、地に封じ込めたのだ。それでも彼は諦めなかった。僕が惹かれたのはそういうところだよ」
『すなわち、太古の昔から定められたこの世界の
ファイが言葉をさしはさむと、ギラヒムはやや苛立った表情を見せた。だが彼はすぐに笑みを取り戻すと言い返した。
「何を根拠にそんなことを?現にハイリアは姿を消してしまったじゃないか。そして地上世界はそのほとんどがこの僕の支配下にある。あとはあの目障りな浮島を手に入れるだけだ。一体どこに敗北があるというのかい?」
『それは、あなた自身が自らを欲望と劣情に引き渡したからです。あなたはこれらのものの奴隷です。あなたは自分の人格そのものを売り渡しました。これは最初から敗北そのものです』
「い...言ってることがわからないな。...そういえば君は昔から理屈をこねるのだけは得意だったね、ファイ」
ギラヒムは苦笑いすると、少し顔を歪め首を振った。だがファイは続けた。
『繰り返します。ここにあなたの敗因があります。あなたは古代から定められた秩序を認識していながらそれを軽んじ、自らの野望と高慢さのとりことなりました。それによりあなたは自らが賢いと任じながら愚かになっています』
「黙っていればずいぶんな出放題を言うじゃないか、ファイ。敗因だって?決まってもいないことをよくもそんなに自信たっぷり.....」
ギラヒムの笑いがその顔から消え、青年は目を剥くと相手に人差し指をつきつけた。だがファイは容赦せず畳みかける。
『世界の創造は秩序に基づいて行われました。水、火、土。循環するこれらの要素と、内部を行きかう生命たち。それらの存続もまた秩序なしには成り立ちません。どれほど乱れた状態であってもです。そして、その秩序の延長線上に私たち精霊も存在しています。であるとしたら、最初の秩序を定めた太古の神の『意思』に逆らう者が栄え永続することなどありません』
「...まったく生意気なのは相変わらずだな。そうやって僕を言い負かしたつもりになっても、現実は変わらないよ」
青年は苦々しい表情を浮かべながらも議論をやめた。そしてリオスと自分の足元に転がった剣を指さした。
「見給え。ハイリアの選んだ少年はこのざまだ。この剣もこうなってはただのガラクタだ。そうだろ?」
ギラヒムは自らの勝利を確認できて満足したのか、ようやく表情を和らげてこう言葉を継いだ。
「まあいい。君がどう考えようと僕の事業は止まらない。ちょうどいい、これまでの進捗と成果を君たちにも見せてあげよう」
青年は手を上げた。すると、リオスの周囲にいたボコブリンどもが弾かれたように顔を上げた。
「行ってこい。一番乗りの栄誉を与えてあげよう」
ギラヒムが気軽な口調で声をかける。だが鬼どもはモジモジとしたまま動かなかった。
「何をしている。行くんだ。それとも.......」
青年が声を低くしてそう言うと、ボコブリンどもは再びビクっと震え、歩き始めた。だがその顔は恐怖に歪んでいる。
数匹のボコブリンたちが、回転する歯車のほうに歩み寄った。歯車の前の床には階段が設えられている。鬼どもはおずおずとその階段を登ると、歯車の中に入っていった。
だが、その途端に悲鳴が上がった。見ると、歯車の中に最初に足を踏み入れたボコブリンの身体が、まるで炭のように変色し、細かい破片となって飛散し始めている。続く者たちは狼狽の叫びを上げながらおじ惑い、後じさりした。
「勝手にやめるな。行け」
ギラヒムは哀れな部下たちのほうを見もせず、自分の爪の形を眺めながら呟く。すると、後続のボコブリンたちは恐怖の叫びを上げながら歯車の中に飛び込んでいった。そして、その身体が次々と分解していった。
鬼どもの悲鳴がこだまし、消えていく。ギラヒムは独りごとを言った。
「どうも上手く行かないなぁ。出力が足りないのか?....おい、480%に上げろ」
すると、脇に控えていた鬼どもが慌てて歯車のほうに走っていった。だが、操作盤のようなものをしばらく弄った後、主人のほうに向きなおって何事かを言った。
「なんだって?全く少し複雑な作業になるとすぐこれだ。もうちょっと知能の高い部下が欲しいものだなぁ」
ギラヒムはうんざりした顔をしながらも、歯車のほうに歩いていく。
リオスは気づいた。数メートル離れた場所に剣がある。少年は座り込んだまま、ゆっくりと剣のほうに身体をずらしていった。
だが、半分ほど進んだところで、ボコブリンの叫び声とともにこちらに走り寄る足音が聞こえ、リオスは顔を上げた。目の前に鬼が立ち、いきなり蹴りつけてきた。少年はたまらず後ろに倒された。鬼は二・三発ほど続けて蹴りを入れてくると、少年の頭を手で押さえつけ、魔物語で罵り始めた。
「クソッ...ダメか」
口の中で呟くと、リオスは呻きながらも体を横にした。すると、頭が横向きに床に押し付けられるかたちになった。
だがその瞬間だった。
石床を、リズミカルに叩く音が、聞こえてくる。
耳を通してではない。頭の骨を通じて、振動が伝わってきたのだ。
床の下からに何者かがいて、下から指先で叩いている。
それから、誰かが鼻歌を歌っているような音も。
どこかで聞いたことがあるメロディだった。
それは、あの歌だった。