「―――儂はもともとシーカー族の出身での」
リゴールと名乗った老人はゆっくりと広場を歩きながら言った。傍らを歩くリオスは、相手が片脚を引き摺っていることに気づいた。
「こいつは魔物にやられたのじゃ。お陰で立つのも歩くのも一苦労じゃわい」
少年の視線に気づいた老人は付け加えると、また前を向いて言った。
「儂は訳あって一族から出奔したのじゃが、族長のインパが若い者たちを寄越したのじゃ。儂の血筋が途絶えないようにと、な。いけ好かない女じゃったが、あやつなりの気遣いだったんじゃろ。それがこの村の始まりじゃ」
広場の中央では、先ほどリオスを連行してきた男たちが並んで射撃練習をしようとしていた。的を何本も立て、そこから離れた場所に横並びしている。
「あ...あの....シーカー族って何っすか?」
少年はおずおずと尋ねた。昨夜から新しい情報が目白押しで頭が破裂しそうだ。
「王家を影ながら守護する一族。警護、偵察、ときには暗殺をこととする集団じゃ」
老人はそう説明すると、男たちの方に向かって何事か指示を与えた。すると、射手の背後に控えていた者たち数名が前に出てきて、射手と的の間に立った。
リオスが立ち止まって見ていると、射手たちはそのまま弓に矢をつがえ弦を引き絞り始めた。
「え...?あ...ちょっとちょっと!あれ!危ないじゃないっすか!」
少年は慌てて声を上げた。だが老人は含み笑いをすると首を振った。
「曲がり撃ちができんようじゃわが一族とは言えん。真っすぐ撃つだけならこの村の者は幼児でもできるわい」
射手達が一斉に矢を撃つ。リオスはそれを驚愕の眼差しで眺めた。放たれた矢は大きな放物線を描き、あるいは的との間に立った者の横をかすめて曲がり、過たず命中している。
「....やべぇ。やべぇ村に来ちまったよ俺....」
リオスは覚えずして呟いた。すると老人は満足そうに頷き、こう言った。
「リオスとやら。お前、父親のことを知りたいと申したな」
「は...はい。あの...一緒に戦ったって言ってましたよね」
少年は我に返ると答えた。
「そうじゃ」
老人は腕組みして立ち止まり、遠くを眺めた。その双眸には、先ほども浮かんでいた形容しがたい感情が見え隠れしている。しばらくの時が経ってからようやく彼は口を開いた。
「....最初に奴と共に戦ったのは、奴が十三のときじゃった」
「え?...じゅ....十三?」
少年は愕然とし言葉を失った。俄かには信じられない。
「十三って......まだホンのガキじゃないっすか!」
「そうじゃ。奴も最初は剣もロクに扱えない役立たずのガキじゃった。ところがじゃ」
老人はまた笑うと言葉を継いだ。
「奴はひと月足らずの旅で戦いを覚えた。乱戦でどう動くか。巨大な敵の弱点をどう突くか。それらを全て身体で学んだんじゃよ。旅の最後のほうでは弓矢も使いこなしておったのう」
老人の顔には誇らしげな表情が隠し切れず表れている。リオスは心に浮かんだ推論を口にした。
「も...もしかして、あんたが...いや、爺さまが戦い方を教えた...とか?」
「そうじゃ。その通りじゃ。奴ほど物覚えの良い弟子もなかなかいなかったわい」
わが意を得たりとばかりの顔で老人が言う。リオスは、相手に親しみを感じ始めると同時に、自分も誇りが胸に溢れてくるのを感じた。
―――親父...すげぇ奴だったんだな―――
「そ..それで爺さま。確か、終焉とかいう悪い奴が出てきたから、喰い止めるために戦ったんっすよね?」
リオスは重ねて問う。だがその名を聞いた瞬間、老人の顔が一気に引き締まった。彼は考え込むように少し黙った後、広場の隅にある住居に向けて歩き始めた。リオスがついていくと、彼は歩きながらこう言った。
「あれは三十年ほど前のことじゃ。儂らはラネール港の跡地に陣取って奴らの軍勢を迎え撃った。儂もまだ若く向こう見ずでの。今やれと言われたらとても無理じゃて」
「軍勢って...どれくらいの数だったんすか?」
「十万じゃ」
何気ない問いの答えに、リオスはまた絶句した。そして慌てて言葉を継いだ。
「で..味方は?三万くらいはいたとか?」
すると老人はニヤリと笑いながら振り向いた。
「三万?そんなにいたら勝てたじゃろう。こちらの軍は人間が四名。ゴロン族が五十一名。工兵としてモグマ族が若干。もっとも、途中からシーカー族七十名が加わったがな」
「は....はぁ?じゃあ、百二十人ちょっとってことっすか?」
リオスはほとんど呆れ顔で言った。手で何度計算してみても、釣り合う数字ではない。
「儂らは一晩中戦った。そしてもはや持ちこたえることができなくなった時.....助けは来たのじゃ」
老人はそう言いながら大きな家の前まで来ると、中に入りながらリオスに手招きした。入っていくと、粗末な外見とは裏腹に清潔な板張りの内装だった。
「女神ハイリアは地を見捨ててはおられなかったのじゃ。終焉の者は倒され、鬼どもは逃げ散った...だが」
老人は家の奥まで進むと、壁に掛けてあった短剣を手に取った。
「だが...犠牲は大きかった。儂は無二の親友をその戦さで亡くした。これが形見じゃ」
老人は鞘に収まった短剣を引き抜いた。鈍く光る刀身には銘が彫られている。『アルギレウス・エレンディア』と読めた。
「そ...そのあとは...どうなったんっすか?世界は平和になったんっすよね?」
「十年の間じゃ」
リオスが問うと、老人は溜め息をつき短剣を鞘に納めながら答えた。
「...十年の間平和が続いた。そして、フロウは浮島に昇った。その恋人、リナハを連れてな」
老人の顔には懐かしそうな、それでいて寂しそうな笑顔が浮かんでいる。
だが、その時だった。
部屋の空中に青白い光が迸るように浮かんだかと思うと、ケープを纏った少女の形をとった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「ファイ!」
リオスは思わず叫んだ。そして文句が口を突いて出て来た。
「ったく、一体どこ行ってたんだよ。こっちは大変な思いしてたのによぉ」
だが、彼女は答えずに老人の前にゆっくりと降り立った。すると老人は丁重に膝を曲げて挨拶をした。
「―――お久しゅうございます、ファイ様。この老いぼれ、今一度お目見えできるとは思いませなんだ」
『狩人リゴール。いえ、今は族長リゴールと呼ぶべきでしょうか。息災のようで何よりです』
ファイは挨拶を返したがその声音は相変わらず無機質だった。
『リゴール、あなたに頼みがあります。聞いて下さいますか?』
「なんなりと。儂にできることでしたら」
老人は再び頭を下げる。するとファイは振り向いてリオスを顧みながら言った。
『我がマスター....リオスは助け手を必要としています。一族のうち誰かを、その旅に同行させて欲しいのです』
「喜んで。最も腕の立つ者をつけましょうぞ」
そう言うと老人は戸口に向かい、大声で誰かを呼んだ。すると何秒も経たないうちに、先ほどリオスを連行してきた者たちのリーダー格の男が家に入ってきた。
老人が何事か手短かに言うと、男は
「な....なんだよ。なんか文句あんのか?」
リオスはややムッとして睨み返した。すると相手は唐突に口を開いた。
「我、ラジーブ。我、戦士。お前、旅。我、一緒」
「な...なんだ。結構喋れるじゃんか。俺、リオス。よろしくな」
意外な展開にリオスはホッとして自己紹介した。すると男はさらに続けた。
「お前、弱い。我、守る」
「ず...ずいぶんハッキリモノを言うじゃねぇか」
リオスは鼻白んで言った。するとファイがまた口を開いた。
『終焉の者が倒された後、十年の平和な時が経過しました。しかしおよそ二十年前、再び魔族の活動が活性化し始めたのです』
「そ...そんな。親玉がやられたのにまだ諦めてねぇってのか?」
驚いたリオスが思わず漏らすと、ファイは答えた。
『ギラヒムです―――彼はその後も活動を続けてきました』
それを聞いた老人は厳しい表情を浮かべながら言う。
「....やはり奴だったのですな。魔物どもの背後で糸を引いていたのは....」
『地上の生き物たちは再び魔物に悩まされるようになりました。そしてリオス、あなたの父は彼らの苦境を知り、十年前に浮島を降りることを決断したのです』
少年は喰いつくように尋ねた。
「それで...それでどうなったんだ?親父はどうなったんだ?」
『リゴール。説明をお願いします』
ファイが老人を促す。
すると、老人は溜め息をつき、重々しい口調で話し始めた。
「....奴が戻ってきたとき、儂が真っ先にしたのは奴の顔を張り飛ばすことじゃった。儂は怒り狂って奴を問い詰めたものじゃ。なぜ平和な生活と妻子を捨て、この修羅の庭に戻ってきたのか、とな」
短い沈黙の後、老人はまた話し始めた。
「じゃが奴はこう言って譲らなかった。『亜人と人間との絆を保つためには、今彼らを見捨てるわけにはいかない。それではアルギレウスの遺志も無駄になってしまう』と。儂は渋々ながら奴を受け入れた。そして再び共に戦うことになったのじゃ」
一同が車座に向かい合うなか、リオスは老人の声に一心に耳を傾けた。
「そして儂らは反転攻勢に出た。フィローネ地方の敵を打ち払い、オルディン地方でもモグマ族の助けを借りて敵に大打撃を与えた。勝利は近いかのように思われた―――じゃが、それは錯覚じゃったのだ」
老人はいっそう低くしわがれた声で静かに言った。
「あれはラネール地方での戦いじゃった。ゴロン族も戦列に加わり、儂らは敵の軍勢と正面からぶつかった。味方の士気は高かった。奴は...フロウは...人の勇気を奮い起こすのも得意じゃったからのう」
リオスは生唾を呑み込んだ。老人は言葉を切り、しばらく宙を見つめたあと言葉を継いだ。
「――じゃが敵方は罠を仕掛けていたのじゃ。合戦の行われていた谷の左右の崖が崩れ、味方の多数が倒れた。あれは知能の低い鬼どもにできる芸当ではない。そして総崩れになったわが軍は撤退した」
「....で...親父は....?し...死んだんですか?」
少年は思わず尋ねた。だが老人は静かに首を振った。
「ひどい混戦じゃったから、儂にも奴の行方はわからんかった。ただ、その遺体は見つかっておらん。あるいは生き延びたのかも知れん。じゃが...いずれにせよ魔物どもを打ち滅ぼす戦いは失敗に終わった。世界は再び闇に包まれたのじゃ」
老人はそう言うと口をつぐんだ。重苦しい沈黙が部屋を支配する。
「我、知る。フロウ。勇士。我、尊敬」
するとラジーブと名乗った男が呟くように言った。すると老人は微笑んで顔を上げた。
「あの戦いがあった頃、こやつはまだ幼かった。この村に滞在中、フロウはよく面倒を見てやっていたものじゃ」
「え?じゃああんたいま一体いくつなんだよ?」
リオスが男に尋ねると相手は平然と答える。
「我、十六」
「はぁ...?嘘だろ?...俺の....たったイッコうえ?」
リオスはもはや眩暈がした。男の厳しい目つき。逞しい筋骨。その外見は何をどうとっても成人にしか見えない。
「ハハハ.....リオスよ、浮島と違ってこの森での暮らしは厳しい。この村の男は五歳で狩りを始め、十歳で魔物と戦う。仲間の死を見ることもある。お前と顔つきが違っても驚くことではない」
老人はそう言うと、真顔に戻ってファイに向き直った。
「ファイさま。貴女が降りてこられたということは.....あのギラヒムがなにか大きなことを企んでいると考えて間違いありませんな?」
『その通りです』
ファイは言うと、片手を上げた。すると皆の目の前に映像が映し出された。
『ギラヒムは現在ラネール地方に拠点を置き勢力を蓄えています。しかし、その目的はおそらく地上の制覇に留まりません。彼はかつてラネールで隆盛を極めた科学技術の発掘に手を伸ばしています』
荒れ果てた大地の映像が浮かび上がっていた。砂色の地表。ひび割れた峡谷。そして、そこここに散らばった瓦礫がかつて文明が栄えた跡を示していた。
『なかでも、時の神殿の周辺には工業施設が集中しています。高密度のエネルギー源を精製する練石場です。そして時の神殿には時空の門が置かれています』
「時空の門?」
リオスが尋ねると、ファイがもう一度手を上げた。白い石造りの壮麗な建物の映像が浮かび上がる。
『時を超える門です。その機能は久しく失われていますが、ギラヒムがそれを蘇らせ自らの計画に利用しようとしている形跡があるのです』
「そんなものを使って一体何を......」
少年が戸惑って尋ねたとき、老人が腕組みし顎に手を当てながら呟いた。
「時空の門が越えられるのは時だけではない。その原理を考えれば、空間もまた自在に超えられるはずじゃ。そうだとすれば....奴の狙いはただ一つじゃな」
『そう。ギラヒムが狙っているのは―――』
ファイがもう一度手を上げると、そこには宙に浮いている巨大な島が現れた。
『浮島への侵攻です。猶予はあまりありません』
* * * * * * * * * * * * * * * * *
リオスはその夜、リゴール老人の家に泊まった。初めての戦闘と慣れぬ経験の連続による疲労感のおかげですぐに眠ることができたが、翌朝は暗いうちに目が覚めてしまった。
毛布を取り除けて起き上がり、家から出ると、老人が広場に立って空を見上げている。リオスは近づいて挨拶した。すると老人は言った。
「今でも思い出すのじゃ。儂は最初、奴のことを役立たずと決めつけ散々にこき下ろしていた。それなのに奴は儂のことを兄も同然に慕ってくれたのじゃ」
老人は微笑んでいたが、その目には涙が浮かんでいる。
「奴はまた、愛する者のためならどんな危険をも厭わぬ勇気を持っていた。今思えば、それが奴の強さの秘密だったんじゃろうの」
リオスの脳裏に母の言葉が浮かぶ。
―――お前の父さんはとても勇敢で立派な人だったのよ―――
「母さん。嘘じゃなかったんだ...ね」
少年が呟くと、老人はその肩に手を置いて付け加えた。
「リオスよ、お前は若い頃の儂と同じ匂いがする。自らの不幸に憤りを抱え、周囲を見下して生きている。図星じゃろう?」
「なッ......」
少年は心臓を射抜かれたような気がした。老人は笑うと、リオスの肩から手を離して続けた。
「なら、お前の父と同じ道を歩いてみるがよい。同じ血が流れているのなら、お前の中にもまた同じ勇気が眠っているはずじゃ。その時、お前はなぜ父がそう生きたのかを知るじゃろう」
「は...はい」
リオスは神妙に頷いた。頭上の空はゆっくりと深い青色に変化している。東の方面は茜色に染まっていた。
夜が明けてくると同時に村人たちが表に出てきた。男たちは弓矢を地面に並べて狩りの準備をし、女たちは火起こしや調理に立ち働く。
するとラジーブと名乗ったあの男も、手に木の葉の包みを持って近づいてきた。
「お前、支度。飯、食べる。出発」
男が差し出してきたのは、芋や鶏肉を焼いた食事だった。朝食を手早く済ませると、少年は装備品を点検し、剣のストラップを身体に固定した。
「武運を。先に待ち受ける危険は多いが、お前には女神と精霊のご加護があろう。そしてお前の父の消息が分かることを祈っておる」
老人が言う。リオスは頭を下げて礼を述べた。ラジーブは弓矢を担ぐと、ついてくるように顎をしゃくってきた。
その先導に従って歩きながら、少年は深呼吸をした。
―――父と同じ道を歩む。―――
―――そんなこと、俺にできるのか?―――
様々な思いが胸の中を渦巻く。
だがリオスは頭を振ると、森の中に足を踏み入れていった。