浮島のリオスと地上の旅   作:nocomimi

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第三章: オルディンの隠れ住む民
悪の広がる場所


―――お父さんはそれでね、最初の見張りに立ったんだ。その間にほかのみんなが寝たんだよ―――

 

リオスは父の声に耳を傾けていた。自分は父の膝の上に座ってその顔を見上げている。

 

―――どうして起きてなきゃだめなの?みんな寝てるなら一緒に寝ればいいのに―――

 

何気なく心に浮かんだ疑問を口にすると、父は笑って答えた。

 

―――寝ている間に魔物が襲ってきたら危ないからさ。だから、必ず誰かひとりは起きていて番をしなきゃならないんだ―――

 

―――ふうん...そうなんだ―――

 

相槌を打つと、台所の方から母の声が聞こえてくる。

 

―――二人とも、もうご飯よ―――

 

―――リオス、続きはまた明日にしよう―――

 

―――うん!約束だよ!―――

 

リオスは父の膝から滑り降り食堂に駆けて行こうとしたが、ふと我に返った。

 

―――おかしいだろ。親父もお袋ももういないはずなのに?―――

 

その瞬間だった。

 

まるで深い水の中から浮き上がるときのように自分の身体が上昇していく感覚に包まれた。

 

そして、リオスは身じろぎし、目を開いた。目の前の地面には焚火が焚かれている。日は暮れて辺りは真っ暗だ。空には無数の星が瞬いている。

 

* * * * * * * * * * * * * * * 

 

身体が冷えてしまっている。リオスは起き上がって身震いすると、背中に背負ったパラショールを広げて体に羽織った。

 

やっと落ち着くと、焚火の前で座り込んでいるラジーブの背中に声をかけた。

 

「悪りィ...あのまま寝ちまったみたいだ」

 

すると狩人は肩越しに振り向き、軽く首を振った。そして呟いた。

 

「―――お前、弱い。戦う。我、尊敬」

 

焚火に照らされたその口元は、ほんの僅かだが、微笑みの形をとっているように見えた。

 

「弱いのに必死で戦ったから尊敬するってか?んなこと言われても嬉しくねぇんだけどな」

 

リオスがぼやくと、狩人は焚火の前に置いてあった葉の包みを取り上げ、振り向きもせず差し出した。受け取って開けてみると、芋を焼いたものだ。

 

「ありがてぇ。そういや死ぬほど腹ペコだったぜ」

 

少年はかぶりつくように手掴みで食べた。狩人は、同じように革製の水筒を差し出してきた。リオスが貪り飲もうとすると彼はこう釘を刺した。

 

「水、少ない。節約」

 

「わ...わかったよ」

 

我慢して少しだけの水で口を潤すと、リオスは焚火の前にいざり出て狩人の横に並んだ。

 

ラジーブは短剣を取り出して痛んだ矢の矢柄を修理している。焚火の爆ぜる音を聞きながらそれを見ていると、リオスは美しく湾曲した短剣の刃に彫られた銘に目を引かれた。「リゴール・エルカザドール」と彫られている。

 

「その短剣...あの族長の爺さまの名前じゃねぇか。ラジーブ、あんた跡継ぎなのか?」

 

何気なくそう言うと、狩人は作業しながら答えた。

 

「我、息子」

 

「へえ。ずいぶん歳離れてんだな」

 

あの老人と、年齢より老けているとはいえそれでも十六歳のこの狩人が親子とは意外に思ってリオスは声を上げた。

 

「我、六男」

 

「マジで?んなに兄弟たくさんいんのかよ。スゲエな」

 

少年は笑った。狩人は淡々と続けた。

 

「我、持つ、兄五人。四人死ぬ」

 

それを聞いた瞬間、リオスは言葉に詰まった。沈黙が続く。するとラジーブは修理し終わった矢の束を手に持ち、地面にトントンと打ち付けて揃えながら言葉を継いだ。

 

「ふたり、死ぬ。あの戦さ。ふたり、死ぬ。村、守る。兄、ひとり、生きる。跡継ぎ」

 

「そ.......そうだったのか.....」

 

少年は辛うじてそう返事をした。だが、焚火を見つめること以外はできなかった。

 

狩人は矢を矢筒に仕舞うと、焚火に枝を足しながらリオスに言った。

 

「我、寝る。お前、起きる。できる?」

 

「あ...見張りだな。ああ。わかった」

 

それを聞くと、狩人は自分のマントにくるまって横になった。だが、彼が目を閉じる前にリオスは声をかけた。

 

「ラジーブ。あんたに頼みがあるんだ」

 

眠ろうとしかかっていた狩人が薄目を開け少年を見る。リオスは続けた。

 

「お...俺に戦い方を教えてくれねぇか?」

 

* * * * * * * * * * * * * * * 

 

交代で睡眠を取り夜を明かすと、二人は宿営を後にした。崖の上の茂みからさらに奥に進むと、獣道のような未整備の道が通っている。狩人と少年はそこを進んでいった。

 

木立がところどころ生えているが、見晴らしが極めて良い。暗かった空が濃い青に変わっていく。東側は茜色だ。そして遥か遠くに雄大な山々が見える。

 

狩人は平原を移動していた時と比べるとリラックスした様子だった。背後から付き従っているリオスもまた気を緩め、時折遠くの景色に目をやりながら歩いた。

 

だが、数時間歩いたところで、突然ラジーブが右手を上げ立ち止まった。追突しそうになったリオスが文句を言おうと口を開けると、狩人は人差し指を口に当て厳しい視線を向けてきた。

 

何事かと思って見ていると、狩人は弓を肩から下ろし、矢をつがえ、獣道の脇の茂みに向けている。そしてネコ科の獣のようにゆっくりと近づいていった。

 

その途端、茂みが激しく揺れ、中から何かが飛び立った。狩人は素早く狙いを変えて矢を放つ。その何かは急速に勢いを無くし、地面に落下した。

 

鳥だ。胸を正確に射抜かれている。狩人は無造作にそれを拾い上げ、刺さった矢を引き抜くと、リオスのほうに丸ごと突き出した。

 

「ど...どうしろってんだよ、こんなもの」

 

「火、焼く。あとで」

 

困惑した少年に短く指示を与えると、狩人はまた歩き始める。リオスは目を白黒させながら鳥の両脚を持って肩から担いだ。

 

だが、そのズッシリした重みを感じた少年は気づいた。ランチは豪勢になる。そう思うと俄然元気が出た。

 

足早に歩く狩人についていきながら時折振り返ると、あの巨木が遥か遠くに霞んで見える。そして前方に目を転ずると、大地そのものがうねりながら続いているかのような雄大な山脈。高く昇った太陽に照らされ、その山脈の間から覗く遠くの地平線が薄い金色に染まっているのも見えた。

 

すると狩人が立ち止まり、山脈の中にあるひときわ大きな山を指さした。

 

「火吹き山。仲間、いる」

 

「へえ.......」

 

リオスは手のひらを額にかざし目を凝らした。はるか遠くで赤黒い煙を上げる山が巨大な壁のようにそびえ立っている。

 

「仲間っつったよな。あんたの一族か?」

 

リオスが尋ねると、狩人は焚火用の枝を集めながら答えた。

 

「違う。亜人。モグマ、昔、同盟」

 

「そろそろ昼飯か。待ってましたって奴だな」

 

少年も枝拾いを手伝うと、二人は焚火を熾した。狩人は手際よく野鳥の皮を剥ぐと部位ごとに解体して小枝に刺した。少年はそれを焚火にくべる。腹が鳴るのを我慢して肉によく火を通すと、勢いよく喰らいついた。

 

リオスが腹いっぱい食べて休んでいると、狩人は余った肉が焼けたのを見計らって木の葉に包み、それを少年に持たせて歩き始めた。

 

焚火を片付け、後を追う。そうして夕暮れまで歩いていったところ、尾根は次第に下り始め、やがて広々とした岩棚に辿り着いた。そこここに生えた灌木のお陰で風もしのげそうだ。

 

リオスが野営地を整えていると、今度は狩人が太く長い枝を二本集めてくるよう言ってきた。指示通りに探して持ってくると、彼は一本を少年に投げて寄越し、構えるよう言った。

 

「お?早速稽古してくれんのか?」

 

リオスの胸は期待に満ちた。これで強くなれる。そう勇み立ちながら構えると、相手は片手に持った木剣替わりの枝をだらんと下げながら、もう片方の手で手招きしてくる。

 

「お前、打つ。いつでも」

 

「いつでも掛かってこいってか?よぉし」

 

少年は意気込むと両手で枝を持ち、すり足で近づいた。そしてやおら気合を発しながら、縦斬りを浴びせようと踏み込んだ。

 

だがその瞬間だった。狩人は、身体の縦軸を中心にほんの僅かに体をずらして回避した。空振りした少年が泳いだ身体を立て直そうとしている間に、狩人の枝が頭をしたたかに打ってきた。

 

「痛てッ....」

 

「お前、もう一度」

 

少年はもう一度、もう一度と打ち込もうとした。だがその度ごとに回避されて反撃を喰らってしまう。

 

リオスは驚愕の思いで相手を見つめた。狩人の動作は、昨日の戦闘で見せた電光石火の動きとは違い、ゆっくりしている。それなのに躱されてしまうのだ。

 

「な....なんなんだよ。魔法か?なんでそんなゆっくりなのに避けられるんだ?」

 

「我、お前、足、見る。動き、見える」

 

「....あ....足を見てるだけであんたには俺が次にどう動くか分かるってのか?」

 

狩人の言葉に驚いていると、相手は頷き、人差し指で自分の目を指し、次いで少年の目を指しながら続けた。

 

「我、お前、目、見る。心。見える」

 

「なっ....目を見てるだけで心の中も分かるってのかよ.....!」

 

「お前、身体、弱い。お前、心、弱い。練習、いっぱい」

 

狩人は訥々とした調子で言葉を続けた。リオスは悄然と肩を落とした。

 

「身も心も弱いってんじゃぁ、いいとこひとつもねぇじゃんかよ...じゃあいったいいつになったらあんたみたいに強くなれるんだ?」

 

『―――マスターの現在の戦闘能力はラジーブの5パーセント程度です。同レベルに到達するには集中した修行が最低でも五・六年は必要でしょう。参考になれば』

 

するとファイの声が聞こえてきた。思わずリオスは赤面して叫んだ。

 

「余計な参考入れんな!もっと落ち込むじゃねぇかよ」

 

「練習、いっぱい。お前、強い」

 

狩人は片眉を上げながら、リオスの肩を叩く。少年は溜め息をつくと居住まいを正して言った。

 

「―――ラジーブ。明日も、稽古頼むよ」

 

すると狩人は答えた。

 

「我、教える。我、死ぬ、お前、生きる。お前、戦う」 

 

「万が一、あんたが死んだとき俺が戦えるようにって教えてくれるのか?縁起でもねぇこと言うなよ。それにあんた叩き殺しても死なねぇようなゴツイ(ツラ)してんじゃねぇか」

 

「戦士、死ぬ。いつ、知らない」

 

相手の返事に軽口で応じたリオスは、続く言葉を聞いた瞬間に口を閉ざした。

 

ラジーブの語調には悲壮感も誇張もない。ただ淡々と真実を言っているのだ。そして、その真実を知っていることこそが彼をして異様なまでに冷静かつ意思堅固な戦士たらしめているのだということも、リオスは気づいた。

 

* * * * * * * * * * * * * * 

 

ふたりはその場で野営すると、翌朝早く出発した。

 

岩棚から慎重に降りていくと、木立ちに囲まれた谷川のほとりまで辿り着いた。清い水が流れている。岩場の隙間で湧き水を見つけると、少年は水を貪り飲んだ。

 

岩場を過ぎると、やがて道程のほとんどは平地となった。だが、道路は全く整備されていない。深い草むら、岩場、そして沼地。道なき道を強引に進んでいく。

 

だがリオスはペースの早い狩人に苦労して追随しながらも不思議に思った。あまり警戒しているようには見えない。

 

「なあ、ここらへんってボコブリンどもはあんまりいないのか?」

 

少年が声を掛けると、ラジーブは前を向いたまま答えた。

 

「いる、少し。群れ、ない。住処、ない」

 

「いることはいるけど数は少ないし、ここらへんには奴らの拠点がないってことか」

 

自分なりに解釈しながら呟くと、ファイの声が聞こえてきた。

 

『マスター、ご推察の通り、この地域ではそれほど警戒の必要はありません』

 

「へえ、でもヘンじゃねぇか?地上のほとんどはボコブリンどもに支配されちまってるんだろ?ここは例外なのか?」

 

リオスが疑問を口にすると、ファイが出現した。彼女は少年の横を浮遊しながら続けた。

 

『マスター、魔族の基本的な行動パターンをご説明する必要があります。彼らは原則として、人間や亜人がいない地域には興味を示しません』

 

「それってもしかして....あいつらは自分で畑を耕したりするんじゃなくって、人から奪うことしか興味がないっていうことか?」

 

『まさにその通りです』

 

リオスは合点がいった。そして、浮島にもそういうタイプの人間たちがいたことを思い出して、顔を顰めた。

 

やがて一行は草原に差し掛かった。狩人が休憩を告げると、リオスは地面に座り込みながら周囲を見回した。

 

北の方角にはあの赤黒い煙を吐く山が見える。前に見た時よりかなり近くなってきていた。

 

「...じゃあ...仮にだ。このあたりに人間が住み着いて、村を造って、畑を広げたりしたら、遅かれ早かれボコブリンどもがやってきて....」

 

『その通りです。現状のままなら、その村は一世代持たないでしょう』

 

「クソッ....ふざけやがって」

 

ファイの答えを聞いたリオスは口の中で罵った。すると狩人が静かに言った。

 

「我、兄弟たち、村、守る。多い、犠牲」

 

『シーカー族の能力は人間の間でも飛びぬけています。しかしその彼らをもってしても、犠牲を払わず村を存続させることは難しいようです』

 

それを聞いた少年は目を伏せた。昨夜、狩人の言葉を聞いた時生じた胸の痛みが蘇る。兄弟を何人も失ったラジーブが、いままさにこの弱い自分のために危険を冒し、任務を全うできるよう助けてくれているのだ。

 

だが、リオスはふと思いついて顔を上げた。

 

「なあ、ファイ。じゃあもしも人間と、その亜人ってやつらも、みんなして浮島に昇っちまったらどうなんだ?魔族どもは奪う相手もいなくなってそのうち飢えてみんな死んじまうんじゃないのか?」

 

『もう一つご説明を要する事項がありますね』

 

ファイが口を開いた。

 

『マスター。魔族の増殖の原因は、第一に人の心の悪にあります』

 

「......はぁ?言ってることよくわかんねぇんだけど」

 

理解できずリオスが聞き返すと、ファイは平静な口調で補足した。

 

『マスター、魔族は受肉した霊的存在ですので、必ずしもその身体の保持は物理的栄養に依存しません。対照的に、彼らに最も栄養を与えるのは人の心の悪から生ずる"魔瘴気"です』

 

「....ま?ましょう...き?なんだそれ?毒ガスみたいなもんか?」

 

リオスはますます戸惑った。ファイは言葉を継ぐ。

 

『人の心に悪が満ちると、それは外に溢れ出ます。そして、魔族にとって格好の栄養分となります』

 

その時、狩人が空を指さしながら呟いた。

 

「我、見る。紫、霧、下りる。雲、上」

 

『相当の霊的感覚を持っていなければ物理的に見ることはできませんが、人によっては紫色の霧のように見えることもあります。ラジーブはそれを見ることができるようですね』

 

「ちょ......ちょっと待った!」

 

リオスはそれを聞いて驚愕に目を見張った。そしてファイと狩人を交互に見やった。

 

「じゃ...じゃあ....その霧って...まさか浮島から.....!」

 

『その通りです、マスター。残念ながら』

 

ファイは無機質な声で答えた。

 

『浮島の住人の間にはここ二十年で急速に悪が広がり始めています。特に神官たちの間でそれが顕著です』

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