杜野凛世が大人としてメッセージを送る話です。
杜野凛世が大人としてメッセージを送る話です。
「どうしても……テレビで、見たいのです」
その日最後の仕事を終えた杜野凛世は、プロデューサーにそう伝えて、自宅ではなく事務所まで送り届けてもらった。
今日は凛世が出演する番組の放送日だった。徳島にある高校の卒業式に、凛世がサプライズで登場するという内容だ。
到着するなり、凛世はそそくさとテレビをつけた。スタジオでのトークの途中で、出番はどうやらまだ先のようだった。それでも彼女は、じっと画面を見つめる。
プロデューサーには、彼女がここまで熱心になる理由に心当たりがなかった。現場で困ったような様子もなく、撮影も滞りなく終わった。
「……飲み物を持ってくるよ。麦茶でいいか?」
それなら何も聞かないでいよう、とプロデューサーは決めた。きっと、誰にも見えない凛世だけの想いが、この番組には込められている。無用な心配をして詮索するのは、無粋に思えた。
彼女も大学を卒業した、立派な大人なのだから。
「プロデューサーさま……はい、構いません」
運ばれてきた麦茶に一度口をつけた凛世は、再びテレビに釘付けになる。番組が始まるのをいまか、いまかと待ち続ける様子は、プロデューサーには忠犬のように見えた。
「お、始まるな」
「……はい」
番組はスタジオでのトークが終わり、徳島の風景や名産品が紹介され始めた。
記憶を、想いを、不安を振り返りながら、凛世は画面の中の自分が話し始めるのを見つめていた。
凛世がこのオファーを受けたのは、自分が重なって見えたからだった。かつて抱いていた感情が、呼び起こされるような感覚があった。
あのころ、自分より少し年上の大人の言葉が、どれだけ勇気を与えてくれるかを凛世は知っていた。
世界の広さを教えてくれた人のように。
最高の舞台に連れていってくれた人のように。
自分の言葉が誰かに勇気を与えられたなら、それはとても素晴らしいことだと思えた。
『ええ…はい…』
画面の中の凛世は、校長の話に耳を傾けていた。部活に励んで成果を出した生徒や、有名な大学に進学する生徒。人それぞれの三年間が、そこにはあった。
このとき、凛世は考えを巡らせていた。
この話に出てこない三年間もあるのだろう、と。そんな生徒に向けて、自分は何を伝えればいいのだろう、と。
番組は、宿泊先で祝辞を考える凛世の様子を映してからCMに入った。
送る言葉が浮かばない長い夜があったことは自分しか知らないのだろう、と凛世は思った。
「凛世。麦茶、新しく持ってこようか?」
プロデューサーに軽く肩を叩かれて、はっとした凛世は自分の手元を見た。ほとんど減っていない麦茶のコップが、手の中ですっかり汗をかいていた。
「……ありがとう、ございます」
コップを渡し、じっと濡れた手を見つめる。目にごろごろした違和感を覚える。凛世はそれでようやく、自分がかなり張り詰めていたことに気付けた。
「はい、氷も入れておいたぞ」
プロデューサーに手渡された麦茶に口をつける。喉をつたって、胸の奥に溶けていく冷たさに、凛世は大きく息をついた。
「凛世はもっと、この番組を楽しんでもいいと思う」
ひとりごとのように、プロデューサーが呟いた。
「だって、反省会や振り返りじゃないんだからさ」
願いごとをしているように、凛世には聴こえた。
「……確かに、そうでございました」
凛世は鞄から目薬を取り出す。きっともうすぐ、CMが明ける。冒頭を多少は見逃すことになるかもしれないが、凛世は目薬をさした。
番組を楽しむなら、いまはこれが正解な気がしていた。
凛世が再びテレビに目を向けると、体育館の舞台袖で出番を待っている自分が映っていた。
壇上では校長が式辞を述べている。このあと、来賓からの祝辞として、凛世が登壇する予定になっていた。
そして、ついにそのときがやってきた。
校長に呼ばれて舞台袖から凛世が現れると、体育館はどよめきに包まれた。カメラに映る卒業生の反応は様々だった。喜んで興奮する生徒、感極まって涙を流す生徒、中には状況がわかっていないような生徒もいた。
『卒業生のみなさま、ご卒業おめでとうございます。そして、保護者のみなさまにも心よりお祝い申し上げます。放課後クライマックスガールズの杜野凛世でございます』
凛世が祝辞を述べ始めると、かすかに続いていたどよめきは嘘のように収まった。
その振る舞いは堂々としたものだった。プロデューサーから見ても、感心するほどだった。
一方、凛世は内心、迷いを捨てきれないままだった。
『今日という日を無事に迎えられたのは、みなさまの日々の努力はもちろんのこと、深い愛情を持って育ててくださったご家族の方々……』
本当は卒業生ひとりひとりに、自分の言葉で、勇気を与えたいと思っていた。
しかし、そのための時間も、機会もない。明日には東京に戻って、別の仕事をしなければならなかった。
いま、誰かのための言葉を届ければ、それ以外の誰かを取りこぼすかもしれない。みんなのための言葉では、届かない誰かがいるかもしれない。
いま、ここにいる自分は、かつて憧れた大人にはほど遠い気がした。
『……卒業とは出会いだと、凛世は思います』
ほど遠いなら、近付きたいと思った。
取りこぼすことよりも、届かないことよりも、何も与えられないことの方が怖いと感じた。
気付くと、書き記していない言葉を口にしていた。
『別れのあとには、新たな出会いがあります……その先に何があるのか、まだわからない出会いが……』
まず、本当によく見知った四人の顔が浮かんだ。
それから、孤独を分け合って暮らした仲間たちの顔が、あだ名で呼んでくれる学友たちの顔が浮かぶ。
『出会いを振り返ってみたとき、よかった、と思えるかどうかは……きっとみなさま次第です』
上京しなければ誰ひとりとして出会えなかっただろう、と改めて噛みしめる。
『……最後に、みなさまよりも少し年上の、大人として。凛世からひとつ、助言を』
どうか、誰かに、何かを与えられますように。
祈りを込めて、大きく息を吸った。
『自分を突き動かすものを、大切にしていただけたらと思います……それはきっと、知らない世界を生きていくための、力となります』
『卒業生のみなさまの輝ける未来と、ご来場のみなさまのご多幸を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は、ご卒業おめでとうございました』
体育館が大きな拍手に包まれる中、凛世は舞台袖へと下がっていた。拍手はしばらくの間、途切れなかった。
番組はスタジオでのトークに切り替わった。涙もろいことで有名なタレントが、凛世の祝辞について涙を浮かべながら語っている。予想外の反応に、凛世は目を丸くしながら麦茶に口をつけた。
「凛世、どうだった?」
「……」
プロデューサーへの返答に困ってしまう。きっと、そんな様子だったから声をかけられたのだと凛世は思った。
番組を面白くするために必要なものと、自分の不甲斐なさを飲み込むために必要なものは、まったく別だと理解はしている。実際、番組の内容は何も問題なくまとまっていた。
「凛世は……良き出会いになれたのでしょうか……」
それでも、せめて。
あの日の自分の言葉に、答えが返ってきてほしかった。
「……もしかしたら、わかるかもしれないぞ」
「え……?」
プロデューサーの言葉に、落としていた視線を上げる。
スタジオでのトークが終わって、画面にはつい最近の日付が映されていた。
『あれから月日は流れ……』
ナレーションに合わせ、番組のスタッフが訪れていたのは、とある大学だった。
『お久しぶりです!』
サークルの部室らしき場所までやってくると、ひとりの学生が挨拶をしてきた。凛世はなぜか、彼女の顔に見覚えがあった。
「先ほどの……」
雰囲気は垢抜けたが、卒業式で凛世が登壇したときに泣いている顔が映されていた生徒に間違いなかった。
『こちらは何のサークルですか?』
『……軽音サークルです!』
おぼつかない手つきで真新しいギターを取り出すと、彼女は照れくさそうに笑った。彼女は大学に入ってからギターを始めたことを、ナレーションが教えてくれた。
『本当はずっとやりたくて、でも踏ん切りがつかなかったんですけど……自分を突き動かすものを大切に、って杜野さんが言ってくれたので』
それから、ギターのネックを握る手に力を込めて、彼女は言った。
『どうしてもやりたい、って両親にお願いしてギターを買いました。指は痛いけど、家でも毎日練習してます』
その言葉が胸を満たした瞬間、凛世の中で何かが変わった気がした。なんだか懐かしい感覚だった。
「凛世、どうだった?」
プロデューサーがもう一度、凛世を呼んだ。
まるで、読み聞かせを待つ子どものような表情だった。
「……良き出会い、でした」
「そんな顔をしてる、って思った。安心したよ」
プロデューサーも、自分の様子に不安を感じていたのだろう。自分より少し年上の大人も、ときには悩むことがある。うまくいかないことがある。
誰もがそうやって少しずつ大人になっていくのだと、凛世は思った。
「……プロデューサーさま、よろしければ」
「ん?」
「……もう少し、ゆっくりと、お話がしたく……」
「……いいよ、どんな話だ?」
「凛世が……少し大人になった、という話を」