余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~   作:月城 友麻

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1. 余興の求婚、受けて立ちます

 夜会というものは、壁際がいちばんよく見える。

 

 春の大夜会。磨き上げられた床に、シャンデリアの光が二百人ぶんの見栄を照らしている。床の真ん中は昼のように明るく、壁際は夕方のように薄暗い。私、ヘルミーナ・エルツベルクの定位置は、今夜も柱の横の壁際である。三年通って、席は一度も変わらない。

 

 変わらないおかげで、目だけが肥えた。

 

 視線には、流れがある。扇には、角度がある。囁きには、間合いがある。三年も壁際で眺めていれば、誰が誰を狙い、誰が誰に張ったか――声を聞かずとも読めるようになる。言葉より先に、視線が動くのだ。財布はその次。口は、いちばん最後である。

 

 たとえば、今夜。

 

 柱の陰に、三人。

 

 揃って口元を扇で隠し、視線だけが同じ場所へちらちらと走る。囁きの間合いが妙に短い。あれは内緒話ではなく、勘定の相談の呼吸である。

 

 視線の先で、若い紳士がひとつ咳払いをした。

 

 侯爵令息、ルッツ・ラインフェルス様。その手に、薔薇が一輪。

 

 ――あら。

 

 張りましたわね、あの方たち。

 

 令息が歩き出す。人垣が割れる。囁きが波になり、波の先が、私の壁際で止まった。楽の音が途切れ、二百人ぶんの視線がこちらへ集まる。肌がちりりと熱い。壁際の住人には、浴び慣れない量の光である。

 

「ヘルミーナ・エルツベルク嬢!」

 

 令息は私の前で床に片膝を突き、薔薇を捧げ、朗々と歌い上げた。

 

「一目見た時から、あなたを想っていました。どうか私と、結婚してください!」

 

 満座が、しんとする。

 

 三年間、踊りの申し込みひとつ来なかった壁の花に、侯爵家の令息が満座の求婚である。信じる者がいたら、その方の目は飾りだ。

 

 柱の陰で、指が三本、折られるのが見えた。賭け金の勘定である。座興の題目は、聞かなくても分かる。壁の花は泣くか、逃げるか。三日と保つか。

 

 泣いて逃げれば、残るのは「賭けに嗤われた令嬢」の名だけ。

 

 ――ならば。

 

 母の形見の象牙の扇が、掌の熱をゆっくり吸って、返してくる。心臓がひとつ、大きく鳴った。武者震いである。ほかの何かでは、ない。

 

 私は扇を、ぱちりと閉じた。

 

「お受けいたしますわ」

 

 ニッコリとほほ笑む私に、満座が二度目のしんを迎えた。

 

 一度目より、深い。シャンデリアの硝子が鳴りそうなほどの静けさである。

 

「……え?」

 

 令息の口から、口上にない音が漏れた。

 

「ですから、お受けいたしますと申し上げました。求婚のお返事に、二度目を求められるとは思いませんでしたわ」

 

「い、いや、あの」

 

「まあ。まさか、お戯れでして?」

 

 にっこり笑ってみせる。令息の顔から、見る間に血の気が引いていく。白い。舞台の幕のように白い。脚本に「受諾」の頁は、なかったらしい。

 

 柱の陰の三人が、扇を取り落とさんばかりに固まっている。折っていた指も、開きかけのまま止まっている。

 

 結構。皆さま、そのお顔が見たかったのです。

 

 ――ここで、この国の作法をひとつ。

 

 公の場で、貴族三名以上の前で交わされた求婚と受諾は、家門と家門の婚約として貴族院に登記される。三百年前、満座の約束を反故(ほご)にした家門同士が戦を始めて以来の、由緒正しい法である。

 

 個人の悪ふざけでは、もう済まない。

 

 しかも笑ってしまうことに――貴族院への「見届けの届出」を出したのは、柱の陰のお三方だった。座興の精算には受諾の公式な記録が要る、という帳場向けの検分のつもりらしい。

 

 余興を法にしたのは、(わら)った側である。

 

 会場を辞す時、背中に視線の雨を浴びた。三年間、誰も見なかった壁際の花を、今夜は二百人が見送っている。今夜だけは、壁際が客席で、床の真ん中が私の舞台だった。

 

 ――帰りの馬車は、夜の匂いがした。

 

 窓の外を、灯りの点り始めた王都が流れていく。揺れる車内で目を閉じると、遠い夜がひとつ、勝手に戻ってきた。

 

 十七の、初陣の夜会である。生まれて初めて踊りを申し込まれる、その直前に、私は聞いてしまった。柱の向こうの笑い声を。「壁の花と踊れるか」という、賭けの題目を。

 

 あの夜の私は、断って、逃げた。裏口までの廊下は長く、燭台の火がやけに揺れて、自分の靴音だけが追いかけてくる。翌週には「逃げた壁の花」の笑い話だけが社交界に残った。嗤った側の名前は、誰も覚えていない。嗤われた側の名前だけが、残るのだ。

 

 私はあの廊下で泣いて、それきり泣くのをやめた。涙は、客席のある場所で流すと見世物になる。そして壁際で、目だけを肥やして三年――今夜、あの題目がもう一度、私の前に立ったのである。

 

 二度目は、逃げない。それだけの話だ。

 

「お父様。婚約が決まりましたわ」

 

「なっ……ど、どこの、誰と!?」

 

「ラインフェルス侯爵家ですの」

 

 父は壺を抱くような手つきで胸を押さえ、しばらく動かなかった。心配性の父には、順を追って話すべきだったかもしれない。

 

 ――翌朝。

 

 侯爵令息ルッツ様、夜明け前に領地へ出立。俗に言う、雲隠れである。

 

 そして昼前、エルツベルク子爵家に一通の来訪状が届いた。

 

 差出人は、ラインフェルス侯爵家当主。

 

 逃げた令息の――兄君だった。

 

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