余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~ 作:月城 友麻
恋文というものは、書かれた相手より、回された先で威力を出す。
署名のない熱烈な文面が、写しになって社交界を巡っている。曰く「あなたの瞳は夜の湖」。曰く「壁際に咲く花を、私だけが見ていた」。曰く「あの侯爵に、あなたの何が分かるのか」。
……お上手なこと。夜の湖ですって。
最初の一枚は、父が持ってきた。骨董仲間の茶会で回ってきたのを、真っ赤になって握り潰して帰ってきたのである。皺だらけの紙を卓の上で伸ばしながら、父は「お前はそんな娘ではない」と三度言った。
「ええ、違いますわ。……それにしてもお父様。湖、ですって」
「わしの娘は、沼でもない!」
論点が、もう分からない。ともあれこの調子で、宛て名の本人より先に、王都の半分が読んでいる勘定である。
狙いは読むまでもない。花嫁には隠れた恋人がいる、という筋書きの種蒔きである。放っておけば写しは増え、
――ならば、日向に引きずり出すに限る。
私は、招待状を出した。曰く。
『このたび出回っております力作について、朗読の会を催します。せっかくの文才、皆さまでご一緒に味わいとう存じます』
招待状が届いた翌日、〈金天秤〉に九枚目の帳が立った。
『朗読会の夜までに、恋文の主が実在の恋人と立証される』
命題側、二十口、金貨四十五枚。受け手側、四十口、金貨百枚。判定は、主の名乗り出、または密会の検分。
期日の場を、私が自分で立てた形である。逃げも隠れもしない、という看板ほど、醜聞に効く薬はない。
◇
――朗読会の午後は、よく晴れた。
開け放した窓から夏の庭の緑の匂いが入り、冷やした果実水の硝子が汗をかいている。集まったのは夜会の常連と、社交紙の書き手が二人。皆さま、扇の陰の目が期待で光っていらっしゃる。
「では、一通目ですわ」
咳払いをひとつ。たっぷり、朗々と、読み上げる。
「――あなたの瞳は、夜の湖。星も月も、沈めて返さぬ夜の湖」
会場が、ぶっと噴いた。
「沈めて返さないんですって。物騒ですこと。湖というより、沼ですわね」
二通目は、壁の花をあなただけが見ていた、の段である。
「三年、どなたにもご覧いただけませんでしたのに、あなただけ? ……ずいぶん空いた壁際で、よくお隠れになれましたこと」
三通目の、あの侯爵に何が分かるのか、に至っては、読み終える前に会場が笑い出した。分からないのは、どうやらあなたの方ですわ。
読むほどに、笑いは育っていく。恋文というものは、宛て名の本人が大真面目に読み上げると、どうしてこうも間が抜けるのか?
四通目の途中で、私は手を止めた。
「それにしても、皆さま。……この文、どこかでお聞きになった覚えは?」
扇を頬に当てて、首を傾げてみせる。
「三連で畳みかけて、大仰な喩えで落とす。この癖――あの夜の求婚の口上と、同じ手ですわ。『一目見た時から、あなたを想っていました』。……ね? 同じ工房の品ですのよ。わたくし、頂くのは二度目ですもの。仕立てで分かりますわ」
どっと来た。
賭けの余興と同じ筆が書いた恋文が、いったい何の証拠になるのか? 写しの束は、その場で今年一番の笑い話に変わった。醜聞は、隠すと肥える。笑うと、痩せる。
ただ、読み上げながら、ひとつだけ白状しておきたい発見があった。
三年前の私なら――偽物と分かっていても、こういう紙を、
……妙な言い方だけれど、そういうことなのだと思う。
当夜、名乗り出る恋人は現れなかった。密会の検分も、影も形もない。……当然である。いないのだから。
ザロモンの口上は、涼しい顔で夜風に乗った。
「本帳、期日をもって不成立。命題側二十口・金貨四十五枚は没収、口銭を引いて受け手四十口へお配りします。配当、三割増し」
客の引けた広間で、当主が写しの一枚を摘まみ上げた。しばらく眺めて、それから、ぽつりと言った。
「……本物は、もっと下手だ」
「あら。お詳しいの?」
「いつか書けたら、直接渡す」
それだけ言って、写しを卓に戻す。残っていた二、三人には気の利いた冗談に聞こえたらしく、軽い笑いが上がった。
私にだけ、冗談に聞こえなかった。
裏書きを検める。白紙である。白紙の上に、予告だけがぽつんと載っている。恋文の品評なら今日一日で二十通もこなした私が、まだ書かれてもいない一行の前で、扇の角度を見失っている。
……書けなくて、結構ですのよ。当分は。
果実水の氷が、硝子の中でからりと崩れた。夏の午後の、行儀のいい音である。
◇
――さて、工房。
同じ筆は、二度あれば三度ある。求婚の口上、恋文。次に何を書かされるかは知らないけれど、書き手その人は、紙の外で生きて暮らしているはずである。
コンスタンツェの楽屋の耳と、家令の筋に、私は同じ注文を出した。
三連で畳みかけて、大仰な喩えで落とす癖の筆を、探してくださいまし。