余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~   作:月城 友麻

15 / 22
15. 認定

 晩夏の貴族院は、光の角度が変わる。

 

 高窓の日射しが議場の床へ長く伸びて、廊下には夏の終わりの匂い――乾いた石と、焼けた芝の名残――が漂っていた。

 

 手続きの子細は、書いても仕方がない。物証が三種、検分が二度。そして、証言がひとつ。

 

 証言台に立ったのは、〈金天秤〉の丁稚である。

 

 傍聴席は、夜会より混んでいた。扇の鳴る音、衣擦れ、囁き――それが、丁稚が壇に上がった途端、ぴたりと止んだ。静けさにも種類がある。あれは、嗤う支度の静けさではなかった。

 

 壇上のルッツ様は丁稚の日焼けした顔のまま、まっすぐ前を向いている。

 

「僕が受け取った申し出は、『求婚を打てば、証文を一枚破る』でした。……あの口上は、僕の声で読まれた、他人の言葉です。読んだ罪は、僕のものです。書かせた方の名は、僕には明かされませんでした。ですが申し出の筋は、この書付の通りです」

 

 言い終えて、頭を下げる。詫びの夜会の壇上より、深い辞儀だった。

 

 嗤い声は、どこからも上がらなかった。自分の恥を公式の記録に彫り込む人間を、人は嗤えないのである。

 

 壇を下りぎわ、ルッツ様は傍聴席に私を探して、小さく礼をした。

 

 期待は、先に張るもの。詫びの夜に張った一口へ、今日、最初の配当がついたのである。

 

 扇は、開かなかった。開けば、目元を隠したくなりそうだったからである。泣かない誓いは、まだ生きている。生きているけれど――この頃、少しだけ窮屈だ。

 

       ◇

 

 ――認定は、その日のうちに下りた。

 

 最初の求婚は、賭けの余興である。貴族院がそう認めた瞬間、あの夜の悪ふざけは公の事実になり、そして私の手に、ひとつの権利が落ちてきた。

 

 帰責の条項。認定から三十日のあいだ、私は違約金なしに、名誉金つきで、この婚約を一方的に解消できる。

 

 名誉金、という言葉の座りの悪さときたら? 嗤われた側の名に付く、慰めの配当である。三年前の廊下では、私に張ってくれる札など一枚もなかったのに――要らなくなった頃になって、配当だけが遅れて届くのだ。

 

 選べるのに選ばない――それが本当の言葉になるためには、まず「選べる」が本物でなくてはならない。その本物が、今日、来たのである。

 

 子爵家へ戻ると、父が玄関で待ち構えていた。認定の報せはとうに届いていて、腕に壺を抱いている。今度は詫びの品ではなく、心の支えらしい。

 

「ヘ、ヘルミーナ。お前、まさか」

 

「お父様。お話は、まず壺をお置きになってから」

 

 ――当主は、その足で子爵家へ来た。

 

 貴族院からまっすぐ、どの報せの使いよりも早く。三日目の朝と同じ応接間で、同じように余計な音のない所作で座って、彼は静かに切り出す。

 

「認定が下りました。あなたには、選ぶ権利がある」

 

「ええ。伺いましたわ」

 

「三十日、私は何も仕掛けない。訪問も、文も、贈り物も、使いもだ。……今日のこれが、最後の訪問になります」

 

 裏書きを検める。白紙である。

 

 白紙の、なんと重いこと。

 

 この方は、二度目なのだ。最初の日、帰責の条項をわざわざ教えたのも、この方だった。逃げ道を先に差し出して、選ばせる。囲わない。飾らない。三十日、盤の向こうから駒を全部引き上げて、私の手番だけを残して待つと言うのである。

 

「承りましたわ」

 

 私は、それだけ返した。返してから、付け足した。

 

「……三十日は、長うございますわね」

 

「長い」

 

 即答だった。即答の後で、当主は初めて、少しだけ困った顔をした。理詰めの人の帳簿から、また一語、はみ出したのである。

 

 見送った応接間に、晩夏の西日が長く差し込んだ。三十日。あの所作の静かな人が、この部屋に来ない三十日である。……扇を握り直す。手番は私にある。焦る勘定では、ないのだ。

 

      ◇

 

 ――同じ日の夕刻、〈金天秤〉の前に人垣ができた。

 

 認定は、走っている帳の前提を変える。帳場は命題を差し替えて、公示し直した。

 

『貴族院の認定から三十日以内に、令嬢が解消権を行使する』

 

 期日は三十日目――数えれば、ちょうど収穫の舞踏会の当日に当たる。旧い帳の張り手は、新しい命題への移行か、口銭天引きの返金かを選ぶ。

 

 そして、狂騒が始まった。

 

 命題側、四百口、金貨九百枚。開帳のその日のうちに、である。行使するに決まっている、しない理由がない、余興で始まった婚約に義理はあるまい――王都中の「分かっている」お顔が、こぞって財布を開けた。受け手側も二百口、金貨七百枚。こちらも過去最大である。

 

 帳が、化け物になっていく。

 

 人垣の口々の声を、扇の内で拾う。行使に決まっている。三十日ももつものか? 名誉金まで出るのだぞ。――皆さま、他人の胸の内に、よくもまあ九百枚。胸の内の判定条件は、まだ誰にも――当の私にも、開示しておりませんのに。

 

         ◇

 

 〈金天秤〉の店先は、夜半まで人が絶えなかった。移行の列と返金の列がもつれ、白墨の数字は一刻ごとに書き換わる。九百、九百五十――帳場主は膨れていく数字を眺め、口銭の欄を確かめ、それから若い衆に短く言った。「板を、もう一枚出しなさい。……大きい帳は、帳場を肥やすか、潰すかだ」。真鍮の天秤の看板が、宵闇の中で鈍く光っていた。

 

 三十日。

 

 王都中が、私の手の内を張り合っている。答えを知っているのは、私だけ――いいえ。

 

 ……言葉にしたことが、まだ、ないのである。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。