余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~   作:月城 友麻

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17. 父の白状

 〈金天秤〉の新しい小帳は、こうである。

 

『十日以内に、エルツベルク子爵家から婚約解消の嘆願が貴族院に出る』

 

 命題側、二十五口、金貨六十枚。

 

 ……当家から、である。花嫁の家が自分から泣きつく方に、王都の二十五人が張った。そう読む材料を、誰かが撒いたということである。撒いた誰かは、材料の効き目によほど自信がおありらしい。

 

 大帳の方は千三百五十口、金貨三千枚まで太った。狂騒は、まだ止まらない。

 

 ――材料の正体は、三日で知れた。父である。

 

 視線が泳ぐ。壺を磨く手が止まらない。夕食の皿が半分残る。夜中に書斎の灯りが点いて、朝まで消えない。極めつけに、私の顔を見ると「なんでもない」と先に言う。まだ何も聞いていないのに、である。

 

 三年間、他人の嘘ばかり読んできた目に、実の父の嘘は、痛いほどよく見えた。

 

 見えたけれど。

 

 ――読み切って当ててみせるのは、やめにした。

 

 読みは、盾にも矛にもなる。けれど、家族に向ける道具ではないのだと思う。母を亡くして五年、この人は心配だけで私を育てた。その心配がいま、私のために何かを呑み込んで、破裂しかけている。当てて楽にして差し上げるのは簡単で――たぶん、少しだけ傲慢なのである。

 

「お父様」

 

 三日目の夜、書斎の戸を叩いた。

 

「当てて差し上げることも、できますけれど。……今日は、お話しくださるのを待ちますわ」

 

 父は、壺を磨く手を止めた。

 

 長い沈黙のあとで、机の奥から古い証文の束を出して、卓に置いた。

 

「……母さんの、療養費の名残だ。あらかた返し終えて、利子の分が、その、残っておってな。先週、まとめて買い取られた」

 

「どなたに?」

 

「使いの者しか知らん。だが、条件を言うてきた。……お前が解消の権利を使えば、証文を破ると。使わねば、耳を揃えて十日以内。払えねば――季次の名簿に、載せると」

 

 名簿。あの方の完済の登記が涼しい顔で載っている、あの公示に、今度は「エルツベルク家、残債あり」の一行が並ぶ。期限の十日は、解消権の期日のすぐ手前である。金額の問題では、初めからない。「金に詰まった花嫁の家」の見出しを、あの帳の締めに間に合わせる――そういう嫌がらせの設計だ。

 

 使わねば、の先まで言わされて、父は三日苦しんだのである。

 

 母の薬代。よりにもよって、そこを買う。

 

 人の家のいちばん柔らかい場所を、帳面の上から正確に突いてくる。これが「賭けを育てる者」の育て方である。指先が、また冷たくなった。

 

「それで、お返事は?」

 

「……まだだ。三日、待たせておる」

 

「では、ご一緒に考えましょう。まず――」

 

「いや」

 

 父が、遮った。父に遮られたのは、初めてかもしれない。

 

「まず、わしが言う。ヘルミーナ。お前がその権利を使いたいなら、お使い。借金なぞ、壺を売れば済む話だ。だが――使いたくないなら、わしのために使うのは、絶対に、ならん」

 

 壺を売れば済む。

 

 蔵に何度も荷馬車を呼びかけた人の、精一杯の宣言である。ここで泣いては、誓いに障る。私は扇を開いて、閉じた。

 

「承知しましたわ。では、お断りなさいませ」

 

「……いいのか?」

 

「借財は当家の勘定ですもの、当家で返します。利子の分なら、当家の蓄えと、わたくしの婚礼支度を少し質素にすれば届く勘定ですわ。壺は、一つも動かしませんの。――それより、お返事の口上を練りましょう。生涯一の場面ですのよ、お父様」

 

 ――翌日、使いの男が返事を取りに来た。

 

 揉み手の丁寧な、目の笑わない男である。応接間に通しもせず、父は玄関で応じた。声は、最初だけ震えた。

 

「か、返事は――否、である。借財は、耳を揃えてお返しする。それと、雇い主とやらにお伝え願おう。……うちの娘は、賭け札ではございません」

 

 使いは眉ひとつ動かさず、一礼して帰っていった。扉が閉まった途端、父は玄関先にへたり込んだ。

 

「い、言うてやったぞ、ヘルミーナ」

 

「ご立派でしたわ、お父様」

 

 生涯一の啖呵(たんか)に、生涯一の腰砕けである。私は父の背中をさすりながら笑って、少しだけ泣きそうになって、誓いに免じて、笑う方だけにしておいた。

 

 ――さて、守りである。

 

 私は家令に文を出し、裏帳場の手口を集めさせた。賭けの誘い、証文、取り立て、醜聞の駒。型を知っていれば、次に柔らかい場所を突かれる前に気づける。届いた一覧は、まず父の書斎に一部。

 

 家令は文の返しに、遠慮がちな一筆を添えてきた。主にお伺いを立てれば、当家がご実家の借財を買い取ることもできますが――と。

 

「伺いませんわ」

 

 と、私は返事を書いた。

 

「買わせませんわ。金で消せば、あちらの圧力と同じ構図ですもの。それに、あの方はいま、盤の向こうで駒を全部下げて待ってくださっていますの。その盤に、こちらから金貨を積んでは礼を失しますわ」

 

 禁は、破られていない。あの方は動いていないし、私も動かさない。三十日の帳の白さは、二人で守るものである。

 

 ――十日目、嘆願は出ないまま、小帳は空振りで精算された。

 

 二十五人の読みは、当家の玄関でへたり込んだ子爵に負けたのである。悪くない負け方だと思う。

 

 手口一覧の写しを検めていて、最後の頁で手が止まった。

 

 この三年で駒にされた貴族の子弟の名前が、並んでいる。数えて、十七人。

 

 十七番目の名は――ルッツ・ラインフェルス、である。

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