余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~   作:月城 友麻

17 / 23
18. 母親たちの網

 『解消権の期日前日までに、侯爵が子爵家の門をくぐる』

 

 命題側、三十口、金貨八十枚。判定は、社交紙の張り番である。

 

 ……禁を破るに決まっている、という読みだ。三十日も待つだけの我慢が利く男はいない、期日が迫れば談判に来る、その瞬間を紙面が押さえる――そういう筋書きに、三十人。

 

 おかげで当家の門前には、朝夕交代の張り番が住み着いた。物陰の帽子が、日に日に寒そうになっていく。雨の日は軒下、風の日は壁際。壁際の住み心地なら王都で私が一番詳しいのだけれど、教えて差し上げる筋合いもない。三日目、父が見かねて白湯(さゆ)を持って出ようとしたので、止めた。餌付けをして、どうなさいますの?

 

 ――さて、こちらの仕事である。

 

 手口一覧は、父の書斎に置くだけでは勿体ない。

 

 十七人の名前には十七の家があり、十七の家には、十七人の母親がいる。

 

 私は、お茶会を開いた。名目は、秋の菓子の披露。お招きしたのは、一覧に名のあった家の奥方たちである。皆さま、息子の借金や醜聞で、多かれ少なかれ肩身の狭い思いをしてこられた方々だ。

 

 茶菓子が一巡りしたところで、私は一覧の写しを、卓の真ん中にそっと置いた。

 

「ご参考までに。……型、と申しますの。賭けのお誘いが来て、証文に変わって、醜聞の駒に育ちますの。うちの義弟になる方も、この型にはめられましたわ。皆さまのご子息が弱かったのではありませんのよ。型が、よく出来ておりますの」

 

 しばらく、誰も口を利かなかった。

 

 やがて、いちばん年上の奥方が写しを手に取り、眼鏡を掛け直して、最後の頁まで読んだ。読み終えて、ひとこと。

 

「……うちの息子は、弱いのではなかったのね」

 

「ええ。型が、上手でしたの」

 

 奥方は写しを畳んで、袖に納めた。拝借しますわ、妹の家にも息子がおりますの――それが、網の最初のひと結びだった。

 

 誰を訴えるでもない。誰の名も挙げない。挙げられる証拠も、まだない。

 

 ただ、型をお見せしただけである。

 

 ――母親というものを、私は少し、見くびっていたのかもしれない。

 

 一覧は写しに写しを重ねて、半月で社交界の裏側を一巡りした。効き目は、招待状の数に出た。とある筋の集まりから、客が減る。とある筋の縁談が、音もなく引く。出入りの商人が、青札の匂いのする取引から手を引き始める。

 

 誰も裁いていない。誰も訴えていない。ただ王都中の母親が、息子の財布と縁談の紐を、同時に締めただけである。

 

 裁きより静かで、裁きより、よほど速い。

 

 効き目のほどは、思わぬ筋からも聞こえてきた。〈金天秤〉のルッツ様の耳である。曰く、川向こうの取り立てが、この頃は手ぶらで帰ってくる。曰く、青札を嫌がる質屋が増えた。曰く――新しいお客が、この半月、ひとりも来ていない。

 

          ◇

 

 裏帳場の帳面に、この秋、新しい頁ばかりが増えていく。貸し倒れ。貸し倒れ。また貸し倒れ。取り立てに行った先では、母親が仁王立ちしている。誘いの文は開かれもせずに暖炉へ入り、若い客は来ず、古い客は逃げ、青い札の束は棚で埃をかぶり始めた。それでも帳面の主は、表の大帳への積み増しをやめない。やめれば、負けを認める勘定になるからである。

 

 ――大帳の方にも、変化が出た。

 

 千三百五十口まで膨れた命題側から、五十口がまとめて「降り」たのである。締切前なら、口銭一割を払って降りられる規則だ。儲け損なうより、一割の損で逃げる。玄人の判断である。素人はまだ「行使に決まっている」と笑っている。傾いた帳から先に逃げるのは、いつでも玄人の方なのだ。受け手は四百口、金貨千四百枚。

 

 降りた五十口の顔ぶれを、私は掲示の前で読んでみた。読める。読めてしまう。いずれもモーリッツ様のお仲間筋――内輪の事情に近い方々である。内側から先に、信心が折れ始めているのだ。

 

 ――その週、借財の返済の手続きで、父の名代(みょうだい)として貴族院に出向いた。

 

 廊下の向こうから、見覚えのある長身が歩いてきた。

 

 公務である。向こうは書類を抱え、こちらは帳面を抱えている。立ち止まれば、張り番の思う壺。声を掛ければ、禁の際を踏む。

 

 当主は歩調を変えず、すれ違いざま、遠目のまま浅く一礼した。

 

 私も、扇の角度だけで返した。

 

 廊下の高窓から、秋の薄い日が落ちている。靴音が二つ、重なって、離れていく。ただそれだけの音である。

 

 それだけである。それだけのことが、妙に、三日ぶんくらい効いた。効いた、というのがどういう勘定なのか、名前はあいかわらず分からないままである。歩き去る背の伸びた後ろ姿を、振り返らずに済んだ自分を、少しだけ褒めておく。

 

 ――前日の夜が、来た。

 

 侯爵は、門をくぐらなかった。

 

 張り番の帽子が、街灯の下で所在なげに濡れている。小帳は空振り。三十人の描いた「我慢の利かない男」は、王都のどこにもいなかったのである。

 

 明日は――期日である。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。