余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~ 作:月城 友麻
招待状の翌朝から、当家は小さな騒動だった。父は「宮中だぞ、宮中」と三度言い、仕立て屋を呼べと言い、呼んでから費えに青くなり、結局いつもの壺を磨き始めた。磨けば気の済む人なので、安い薬である。
レオンティーネ大公妃。
王弟殿下の未亡人にして、宮中の目利き。
噂は、いろいろに聞く。曰く、王弟妃の頃、退屈しのぎに宮中の序列を三日で二度入れ替えた。曰く、気に入りの茶器は、割れた時の音まで気に入っている。曰く――殿下を退屈させた家の招待状は、二度と宮中で開かれない。
恭しく届けられた招待状は、上等の紙に短い文面だった。新緑の宮にて茶会を催す、ついては両名、出席されたし。
末尾に、自筆の添え書きがある。
『茶会は、先々代の式次第で行います。――わたくしを楽しませた者だけが、良い席に座るのよ』
良い席。花嫁の席、という意味だろう。宮中のお墨付きか、宮中の不興か。式を春に控えた婚約者への招きとしては、これ以上なく親切で、これ以上なく物騒である。
――そして王都の賭け好きが、この見世物を見逃すはずもなかった。
〈金天秤〉に、便乗の帳が立った。
『新緑の宮の茶会で、令嬢が三度、作法を誤る』
命題側、六十口、金貨三百枚。受け手側、二十口、金貨八十枚。期日は茶会の当夜、判定は――宮中儀典長の検分である。
帳場で確かめると、ザロモンは眼鏡を押し上げて言った。
「命題の立て手は、大公妃殿下ご本人でございます。ただし、殿下ご自身はお張りになりません。立て手は判定人を兼ねられず、判定は独立の検分役――今回は儀典長様。掟の通りで」
「あら。殿下は、儲けにならないことをなさるのね」
「殿下のお求めは配当ではなく、見物でございましょう。……張っているのは、
王都の帳が痩せたぶん、宮中の暇な方々が乗り込んでいらしたわけである。三百枚。久々に、転ぶ方が肥えた帳だった。
――ここで大事なのは、これが罠ではない、ということである。
先々代の式次第で行う、と招待状に書いてある。隠し事は、ひとつもない。ただ、先々代の作法は六十年前に廃れた作法で、器の置き方から退出の口上まで、現行とはまるで違う。知らなければ誤る。知っていれば誤らない。それだけの、真っ向からの出題である。
出題なら、支度をするまでだ。
翌日から、私は貴族院の書庫に通った。雨宿りの縁の書記官は、今度は傘の要らない日ばかり現れる私を見て、少し笑う。先々代の式次第は、儀典の棚の奥に写本で眠っていた。冬の書庫は、雨の日より静かである。インクの匂いが冷たく締まって、頁をめくる音がよく通った。
器は柄を客へ返す。菓子は塩が先。退出の口上は「お名残を頂戴いたします」。……現行と、ことごとく逆である。ことごとく逆ということは、現行で正しく振る舞うほど、確実に誤るということだ。よくできた出題である。
ただし、紙の上で覚えた作法は、指が知らない。
そこで、劇場である。コンスタンツェの一座は昔、先々代の
「膝を折る深さが違うわ。旧式は、あと二寸沈むの」
女優は稽古となると、舞台の外でも情け容赦がなかった。
「指先。旧式は茶器に指を三本。四本目を掛けたら、それだけで一度目よ」
「……女優というのは、皆さまこうですの?」
「あら。お客の前で誤れない商売は、お互いさまでしょ?」
三日通って、指が覚えた。膝の裏が痛むのは、二寸の差の積み重ねである。体で覚えてみると、旧式というものは現行より、人に対して丁寧にできていた。器の柄を客へ返すのも、要は「どうぞお検めください」の型なのである。……検めさせる作法。妙に、性に合う。
――返書は、連名で出すことになった。
二人での招きに、二人で返す。当然の作法のはずが、書き物机の前で、妙な間が空いた。
「家格の順で、私が先だ」
「ええ、どうぞ。……あら、でも花嫁が先というお作法も、あったような」
「ない」
「ございませんの? 残念ですわ」
当主は名を書き、ペンをこちらへ渡して、それから手元を見ずに言った。
「連名は、初めて書いた」
……この方は本当に、こういうことを不意に落とす。
私は自分の名を、いつもより一画ずつ丁寧に書いた。インクが乾くまでのあいだ、二つの名前が同じ紙の上に並んでいるのを、どちらも黙って眺めている。眺めているあいだ、部屋の時計の音が、いつもより大きかった。
◇
当日の朝、父は玄関で「粗相のないようにな」と五回言った。粗相をしそうなのは、どう見ても父の方である。
――茶会の日は、初冬の晴天である。
迎えの馬車の中で、私は扇を一度だけ開いて、閉じた。庭の奥では、退屈が持病の目利きと、三百枚の期待が待っている。
……受けて立つのは、得意ですのよ。