余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~ 作:月城 友麻
新緑の宮は、名前に反して、冬枯れの庭の奥にあった。
ただし茶会の間は、硝子張りの温室である。冬の低い日射しが硝子で温められ、緑の匂いが薄く漂う。外は霜、内は春。季節を財力でねじ伏せる造りに、宮中というものの本気を見る。
卓は、六十年前の流儀で組まれていた。銀器は古く重く、磨きだけが今朝のものである。
上座に、その方はいらした。
レオンティーネ大公妃。小柄で、背筋がまっすぐで、目が若い。歳月はこの方の髪を白くしても、目だけは忘れたらしい。
「よく来たわね、賭けの花嫁どの」
「お招きにあずかりまして、光栄に存じます」
「堅苦しいのは結構。……わたくしね、退屈が持病なの。退屈はね、老いより先に人を殺すのよ。だから、わたくしを退屈させた者から先に殺すことにしているの」
物騒な冗談に、お供の宮中筋が上品に笑った。目は、どなたも笑っていない。皆さま、お手元の三百枚の行方を見にいらしたのである。
席に着くなり、大公妃はこちらの手元をちらりと見た。
「あら。いまの扇の角度、『ご趣味の悪いこと』と読んだけれど?」
「……恐れ入ります。以後、角度を慎みますわ」
「慎まなくてよろしい。趣味が悪い? ええ、宮中で一番よ」
扇を、読まれた。読まれたのは、生まれて初めてのことである。この方の退屈は、目の良すぎる者の退屈らしい。
茶会が、始まった。
湯気の向こうから、三百枚ぶんの視線が手元に刺さる。壁際で浴びた流し目とも、床の真ん中の日射しとも違う。的にされる視線というものを、私はこの冬に初めて知った。それでも指先は、冷えていない。三日分の稽古が、指の中でまだ温かいのである。
器は、柄を客へ返す。指は三本。菓子は塩が先。膝は、あと二寸深く。……三日間、指に覚えさせた旧式が、ひとつずつ番を迎えては、ひとつずつ通り過ぎていく。
見物の視線は、途中から様子が変わった。誤りを待つ角度が、だんだん、見入る角度になっていくのである。
――波乱は、茶の二巡目に来た。
「恐れながら」
検分役の儀典長が、静かに手を挙げたのである。初老の、几帳面を絵に描いたような方だ。
「ただいまの器の返し、柄が客側にございました。現行の式次第では、柄は主人側。……一度目の誤りと、検分いたします」
温室が、しんとした。
三百枚の側の扇が、いっせいに角度を上げる。来た、という角度である。
初めの山が来た――――。
私は大きく息をつくと器を置いたまま、頭だけを下げた。
「恐れながら、儀典長様。先々代の式次第では、器は柄を客へ返すのが正でございます。第十二段、茶器の項に。現行に改められましたのは、先代の御世の火事の後と、写本にて拝見いたしました。本日の茶会は、先々代の式次第にて――と、招待状に」
「……しばし」
儀典長は席を立ち、控えの間から書き物の箱を抱えて戻った。古い綴りを繰る。指が一箇所で止まり、それから、この几帳面な方は綴りを開いたまま一礼した。
「検分を、改めます。先の検分は――検分役の、誤りにございました」
判定人が、公の記録で自分の判定を検め直す。帳場の掟の言う「独立の検分」とは、こういう画のことである。
三百枚の側の扇が、今度は音もなく角度を失っていった。
残りの式次第は、波もなく流れた。菓子の二の膳、香の順、そして退出の口上――「お名残を頂戴いたします」。稽古のとおり膝をあと二寸沈めて、私は六十年前の作法を最後まで納めた。検分の記録に、誤りは――ゼロである。三度どころか、一度も差し上げなかった。
大公妃が、破顔した。
「合格。――三度誤る、の帳は、わたくしの負けね」
負け、と仰っても、殿下は張っていらっしゃらない。負けたのは尻馬の三百枚である。当夜の精算で命題側の六十口は没収、口銭を引いて受け手の二十口へ――配当、四倍と少々。久々に、まとまった儲けの出る帳になった。
そして後日、殿下は「小娘を見世物にした詫びよ」と、帳場を通じて金貨二百枚を救済箱へ入れた。賭けで身代を潰した家の子弟の、学資の箱である。……この方の流儀は、癖が強くて、筋がいい。
茶会の終わり、大公妃は隣の当主へ目を移して、扇の先をひらりと振った。
「いい顔で笑うのね、婚約者どの」
「素敵な笑顔です」
当主は、否定しなかった。
否定しない、ということの威力を、私は温室の暖かさのせいにして、受け流し損ねた。頬が熱いのは硝子のせいである。硝子の、せいである。
――上機嫌の大公妃は帰りぎわ、満座へもうひとつ置き土産を落とした。
「春の式の前夜、宮中で花嫁の披露の宴を張ります。皆、そのつもりでね」
宮中の宴の予告は、触れとして公示される。つまり、動かぬ既定の事実になる。花嫁の披露を宮中が張る――これ以上の後ろ盾は、王都のどこを探してもない。
◇
同じ週、〈金天秤〉の救済箱に金貨二百が納められた。若い衆が数え直すこと三度、帳場主が首を振ること一度。翌日の社交紙は茶会の一部始終を書き立て、末尾に儀典長の短い談話を載せた。曰く――検分役の誤りを検め直すのも、検分の内にございます。王都の読者には、この一行がいちばん受けたらしい。切り抜いて壁に貼る帳場が続出したという。
――聖夜の夜会の招きが届いたのは、その数日後である。
式の日取りは、その夜に公表されるという。