余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~ 作:月城 友麻
聖夜の宮中夜会は、雪だった。
窓の外は音を吸う白、内は蜜色の
その夜会で、式の日取りが公表された。
翌春、薔薇の月の第一日曜。貴族院の登記に日付が入り、宮中の触れに載り、これでもう、王都の誰もが知る「約束の日」である。
読み上げられた瞬間、隣の人がこちらを見た。目が合って、どちらからともなく逸れた。日付というものは、紙に載ると急に重くなる。あと三月と少し。指を折って数えかけて、数えている指ごと、扇の内に隠した。
――そして閉会の鐘とともに、中継ぎの帳が期日を迎えた。
『聖夜の宮中夜会の閉会までに、破談の届けが出る』
届けは、出ていない。命題側四十口・金貨六十枚は没収。ここまでは、いつも通りである。
いつも通りでないのは、受け手の側だった。九百口、金貨二千四百枚。
「本帳、不成立。命題側の六十枚は没収、口銭を引いて受け手九百口へお配りします。配当――九割二分」
口上を聞いた見物が、ざわりとした。
九割二分。十のものが、九つと少しになって戻る。勝って、目減りするのである。
「……皆さま、損をしに張っていらっしゃるの?」
掲示の前で、思わず声に出た。答えたのは、帳場の主である。
「はい。――もう、賭けではないのでしょうな」
ザロモンは、精算の列へ目をやった。目減りした札を受け取る顔、顔、顔。どなたも、悔しそうではない。むしろ、祝いの席の顔である。
「賭けというものは、他人様の転ぶ方に張るから賭けでございます。転ばない方に、損を承知で張るのは――手前どもの言葉では、もう祝儀と申します」
祝儀――――。
三年間、壁際で賭けの気配ばかり読んできた身に、その言葉は少し、眩しすぎた。扇で口元を隠す。隠してから、今夜は隠さなくてもよかったかしら、と思い直す。
九百人が、損を承知で「壊れない」に張っている。三年前、壁際の私に張られた題目は「三日で泣いて逃げる」だった。同じ王都で、同じ帳場である。……何が変わったのか、と勘定しかけて、雪あかりの窓の外に預けた。今夜のところは、精算だけで十分だ。
――浮かれていられたのは、その夜のうちだった。
夜会の帰り、通りかかった〈金天秤〉の板に、もう、大帳の三枚目が立っていたのである。
『式は当日、定刻に行われない』
判定は、挙式の成立。そして命題側の欄には――一点。
口数一、代理人名義、金貨三千枚。
千二百五十口が四十口に、四十口が一点に。票は、消えた。消えたのに、金額だけが史上最大である。受け手側には開帳の日のうちに九百五十口・金貨二千六百枚が積まれた。それでも、足りない。三千を受け切るには、四百枚欠ける勘定である。
ザロモンは、三日悩んだという。
大口の張りには相応の受けを用意するのがしきたりである。足りない分を、帳場が胴元として受けるかどうか、の三日である。断れば、この一点は裏の帳場で立つだけのこと。受ければ、空振りのとき帳場も傷を負う。三日目の朝、〈金天秤〉の板に一行が増えた。
『不足分、当帳場が胴元受けいたします』
受けた理由を、帳場の主は多くは語らなかった。手前は、帳場でございますので。それだけである。
――帳場が、二人の側に自分の財布を積んだ。そういうことだ。中立の興行主は中立のまま、掟の側に立った。掟の側が、たまたま私たちの側だった。それだけのことが、雪の季節に妙に温かい。
――三千枚。
出どころの読みは、二人で一致した。
母親たちの網で客を失い、貸し倒れの頁ばかり増えた裏帳場に、これだけの現金が残っているとすれば、それは商いの金ではない。仕舞い金である。潰れかけの店が蔵の底をさらって打つ、一発逆転の張り。賭けの言葉で言えば、追い込みの全張りである。
「怖いか?」
帰りの馬車で、当主が聞いた。
「いいえ。相手の全財産が見える賭けほど、読みやすいものはありませんわ」
言ってから、我ながら強がりが半分だと知れた。読みやすい、は本当である。怖くない、は嘘だ。全財産を張った人間は、次の一手で、金の要らない手段を選ぶようになる。
当主は、何も言わない。
何も言わずに、手袋の上から、手だけを握った。馬車が停まるまで、そのままだった。……この方の帳簿は、こういう時に限って、一行も書かずに全部払ってくる。
◇
同じ夜、川向こうの奥の間。金庫の扉が、開いたままになっていた。中は、空である。青い札の束も、証文の箱も、奥に積んであった金貨も――すべてが、表の一点に化けた。錠前だけが、行き先のない鍵を待って鈍く光っている。帳面の最後の頁には金額がひとつ書かれたきり、あとは白い。黒い手袋はその白い頁を長いこと眺めてから、灯りを消した。戸口の若い者は、最後まで声を掛けられずにいた。
――数日後。
式の招待客の家々に、妙な手紙が届き始めた、と家令の筋が報せてきた。