余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~ 作:月城 友麻
婚約者として初めて並んで出る夜会である。
支度には、いつもの倍かかった。壁際の花に、床の真ん中用の装いはない。母の残した若草色のドレスを仕立て直し、袖を通すと、
迎えの馬車の中で、指先が冷えているのに気づいた。見られる側になるのは、求婚の夜以来二度目である。読む側は慣れている。読まれる側は、慣れていない。
〈金天秤〉には早速、二枚目の帳が立っていた。披露の夜会までの大きな帳はそのまま走らせ、その下にもう一枚、日の短いのを挟むのだそうだ。
『初の同伴夜会で、花嫁が満座の恥をかく』
命題側、四十八口、金貨九十枚。受け手側、五口、金貨十二枚。よくもまあ、人の転ぶ方にばかり財布が開くこと。それでも受け手が三口から五口へ増えているのは、悪くない兆しである。
会場に入る。二百人分の視線が、値踏みの角度でこちらへ向く。壁際で浴びる視線と、床の真ん中で浴びる視線は、温度が違う。前者は流し目で、後者は正面からの日射しである。頬が熱くなる前に、私は仕事に取りかかった。
まず、楽団を見る。家令の報せの通りである。楽長の指が、譜面台の端を意味もなく叩いている。落ち着かない指だ。譜面の束は、今朝までと違う順に積み直されている。紙の角が、揃いすぎているのだ。急いで整えた束は、かえって綺麗になる。
そして柱の際に、モーリッツ様。ルッツ様の取り巻き筆頭、柱の陰のお一人である。視線がちらちらと楽長へ走っては、戻る。扇も持たずに口元へ手をやるのは、笑いを隠す仕草である。
「!」
――読めましたわ。
開幕の曲の差し替え。おそらく、新式の舞曲。
壁の花は、新式のワルツを習う機会がない。旧式なら父に習ったが、この二年で王都に入った新しい踊りは、組む相手がいなければ覚えようがないのだ。よくお調べになったこと。人の三年を、そこまで丁寧に調べて、使い道が人転ばしとは。
「旦那様」
隣の婚約者を、私はそう呼ぶことにしている。
「開幕は、旧式になさいませ。楽長にご所望を」
「理由を聞いても?」
「賭けですの。わたくしが開幕で転ぶ方に、金貨九十枚」
「……なるほど。旧式は、得意ですか?」
「父仕込みですわ。古いほど得意でしてよ」
当主は楽長のもとへ歩き、旧式の円舞曲を所望した。家格が違う。断れる相手ではない。楽長の指が、今度は分かりやすく震える。積み直した譜面の束が、意味を失ったのである。
開幕。旧式の三拍子。
床の真ん中は、壁際より明るい。シャンデリアの真下の光は肌に温度があって、三年ぶりのそれは、少しまぶしすぎるくらいだった。当主の手は、手袋越しでも分かるほど温かい。父と踊った旧式は、母がまだ生きていた頃の曲でもある。三拍子の二拍目で、懐かしさが胸の奥をひとつ叩いた。あの頃の私は、床の真ん中が自分の席になる夜を、疑いもしていなかったのだ。
「お上手だ……」
当主はにっこりとほほ笑む。
「壁際は、見て覚える席ですの。ふふっ」
「あなたの目は、飾りではないな」
……この方の言葉には、本当に裏書きがない。検めても検めても白紙である。調子が狂う。三拍子が四拍子になりそうになって、私は慌てて数を取り直した。曲のせいにしておく。古い曲は、拍が揺れるものなのである。
曲が終わる頃合いで、私は柱の際へ、にっこりと声を掛けた。
「モーリッツ様。次は新式の曲ですのね。わたくし不調法で存じませんの。お詳しい方とお見受けしましたわ――ぜひ、お手本を拝見させてくださいまし」
「は……?」
満座の視線が、柱の際へ集まる。モーリッツ様は青くなった。踊れないのである。新式の差し替えは、ご本人が踊るためではなく、私を転ばせるためだけの手配なのだから。曲に一番詳しいはずの人が、一歩も床へ出られない。その一部始終を、満座が見届けた。口元を隠していた手が、落ちる。隠す笑いが、もうそこにない。
仕掛けは、満座の前で裏返った。
――精算は、その夜のうちに済んだ。
楽長が帳場の検分に白状し、差し替えの銀貨の出どころが割れた。ザロモンの口上は簡潔である。
「作為につき、モーリッツ様のお張り――代理の名義を含めて二十口・金貨五十五枚――は無効、没収。ご本人は当帳場、以後お出入りをお断りします。残る二十八口・金貨三十五枚は期日をもって不成立。没収のうえ、口銭を引いて受け手の五口へお配りします」
受け手の配当は、ざっと三倍半。私たちが転ばない方に張った五人が、今夜の勝ち組である。
没収の金貨は、帳場連合の慣いで救済箱へ入るそうだ。賭けで身代を潰した家の子弟の、学資になるという。
「……あの座興の金も、いずれそこへ落ちると思うと、悪くない行き先ですわね」
「同感です」と当主が言った。
帰りの馬車で、当主がふと聞いた。
「今夜のあれは、いつから読めていた?」
「楽団の譜面の角が揃いすぎておりましたの。急いで積み直した紙は、綺麗になりすぎますのよ」
「紙の角とは、恐れ入る」
感心とも呆れともつかない声である。それから当主は、独り言のように付け足した。
「三年、もったいないことをしたな。王都は」
窓の外へ顔を向けたのは、頬の温度を読まれないためである。読み手が読まれていては、世話がない。
降り際、家令が主へ低く告げるのが聞こえた。
――領地より報せ。弟君が、見つかりましてございます。