余興の賭けの求婚にニッコリと「お受けしますわ」と即答しました ~逃げた令息の家門に婚約を履行させて、王都の賭け帳を全部潰します~   作:月城 友麻

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7. 女優の値段

 五枚目の帳の全容は、こうである。

 

『祝いの夜会に、「当主の囲い女」が現れる』

 

 命題側、二十六口、金貨五十八枚。受け手側、十五口、金貨四十枚。期日は当夜、判定は満座の検分。

 

 祝いの夜会というのは、婚約の成立を祝って縁の家々が代わる代わる開く宴のことで、今度の週末のものが一番の大口である。そこへ「当主に囲われている女」とやらが乗り込み、満座の前で泣くなり喚くなりしてみせれば、婚約は醜聞の泥をかぶる――という絵図だ。

 

 絵図には、穴がひとつある。囲い女など、いないのである。

 

 いないものは、こしらえるしかない。

 

 報せは楽団の筋から家令に入り、家令から私へ上がってきた。劇場通りの看板女優コンスタンツェのもとへ、素性を伏せた代理人経由で「役の依頼」が来ている。役名、当主の囲い女。舞台は劇場ではなく、祝いの夜会の大広間。

 

 指図は私が出す約束である。

 

 私は少し考えて、一人で出かけることにした。

 

 ――昼の劇場は、夜とは別の生き物である。

 

 表の華やぎは眠っていて、裏は白粉(おしろい)と埃と、萎れかけた花束の匂いがする。廊下の板は歩くたびに軋み、天井のどこかで大道具の滑車が鳴っている。楽屋の戸を叩くと、よく通る声が返ってきた。

 

「どなた?」

 

「ヘルミーナ・エルツベルクですわ。……近々ラインフェルスになる方の、と申し上げた方が、お話が早いかしら?」

 

 戸が開いた。鏡の前の女優は化粧の途中の顔のまま、歓迎でも警戒でもない目で私を眺めた。

 

「お付きも先触れもなしで、ご本人が?」

 

「お客が楽屋を訪ねるのに、理由が要りまして?」

 

 コンスタンツェは一拍おいて、吹き出した。

 

「お客?」

 

「ええ。三年前の冬の『雪の後家』、一昨年の『伯爵夫人の帽子箱』、去年の『給金日の女神』。三度、拝見しましたわ。『雪の後家』の二幕――泣きながら食器を数える場面。あれは、声より手が芝居をしておりましたのね。指の関節まで、泣いておりましたわ」

 

 女優の眉が、ゆっくり上がった。

 

「……あの場面を褒めたお客は、二人目よ。一人目はうちの座長。身内は勘定に入らないから、あなたが一人目ね」

 

 化粧前の椅子を勧められた。三面の鏡はどれも古びて、端の水銀が剥げている。この剥げの前で、この人は毎晩、別の人間になるのである。

 

「それで? 囲い女のご本人が、囲い女の役者に、何のご用?」

 

「依頼、お受けになりますの?」

 

「迷っているところ。……ギャラの折り合いがつかないのよ。あの依頼主、値切るの。人の看板を醜聞に貸せと言っておいて、値切るのよ」

 

「まあ」

 

「まあ、でしょう」

 

 私は扇を膝に置いた。手の内を隠さない、という作法のつもりである。

 

「今日参りましたのは、お断りくださいと申し上げるためではありませんの。お受けになるかどうかは、あなたの商売ですわ。ただ――依頼主の素性を、あなたもご存じないと伺いましたので。素性の知れない客の脚本で泥をかぶるのは、舞台の上のあなたではなく、看板のあなたですのよ。それだけ、お伝えに」

 

「……ふうん」

 

 女優は、鏡の中の私を見た。

 

「正直ね」

 

「商売柄ですの。嘘は口にいたしませんわ。手の内は、扇の内側に置くだけ」

 

「――決めた」

 

 コンスタンツェは筆を置き、くるりとこちらへ向き直った。

 

「お断りするわ。正直な依頼主の方が、女優は高く売れますのよ」

 

 それから、思い出したように付け足す。

 

「そうそう、あの依頼の使いの男。前金を数える手つきが、札を扇形に繰る手つきだったわ。それでね、手袋の縫い目に、青い紙のけばがびっしり差していたの。……堅気のお財布の色じゃないわね、あれは」

 

 青い、紙。

 

 私は礼を言って、その色を胸の帳面に書き付けた。

 

 劇場の裏口を出ると、路地の先の表通りに、見覚えのある馬車が停まっていた。当主が、外で待っていたのである。

 

「……あら。いつからそちらに?」

 

「あなたが入った頃から」

 

「お止めにいらしたの?」

 

「止めなかったのは、あなたが正しいからだ。心配したのは、別の話だ」

 

 ――また、白紙である。

 

 過保護は鬱陶しい。放任は、少し寂しい。この方は正しさを尊重して、心配は心配で、別の頁に付けておく。そういう帳面の付け方をする人なのだ。

 

 西日が石畳に細く差して、埃が金色に浮いていた。馬車までの十歩を、私はいつもより少しだけゆっくり歩いた。歩数を稼いだ理由は、どの頁にも付けないでおく。

 

 ――祝いの夜会の当夜は、拍子抜けするほど静かだった。

 

 大広間の入口へ、扇の陰から視線が何本も張られている。誰かの登場を待ち構える角度である。待たれた誰かは、いつまで経っても現れない。夜半を過ぎる頃には張り番の首の方が先にくたびれて、視線の角度が崩れていった。

 

 精算の口上は、当夜のうちに出た。

 

「本帳、期日をもって不成立。命題側二十六口・金貨五十八枚は没収、口銭を引いて受け手十五口へお配りします。配当、二倍と少々」

 

 なお、帳場の検分は空振りである。作為と立証できれば、この帳は丸ごと無効・全額返金という帳場の恥になるところ――依頼は素性を伏せた代理人の口約束ひとつで、書付も、前金の受け取りも残っていない。受けてもいない依頼のために検分の座へ出る義理は、女優にもない。立証の当てがなければ、帳場は通常の精算をするほかないのである。……紙を一枚も残さずに仕掛けを仕込む。手慣れた流儀だ。

 

        ◇

 

 数日後、劇場通りの新作は喜劇『身に覚えのない醜聞に困り果てる貴婦人の一夜』。会ったこともない囲い女に次々と名乗り出られる侯爵夫人を看板女優が演じ切り、連日の大入りとなった。幕が下りる頃には「囲い女」の一語そのものが王都の笑い種で、醜聞は、恐がる客が減った分だけ痩せていく。楽屋口の女優は上機嫌だったという。「正直な依頼主の方が、女優は高く売れますのよ」

 

 ――さて、青い札。

 

 〈金天秤〉の精算札は、白い。公認の三帳場のどこにも、青い札はないのである。

 

 白くない札で勘定を回す帳場が、この王都のどこかにある。祝いの席を泥で汚したがったのは、素人の悪戯ではないらしい。

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