気がついたら、景色が変わっていた。
木の枝が絡み合って空間を形成している。巨大な木の中にいるようだった。せせらぎが方々に泉を作っている清らかな空間だった。
風はない。それなのに枝葉だけが静かに揺れている。
天井らしき場所からは木漏れ日が差し込んでいたが、見上げても空は見えない。鳥の声も虫の羽音もなく、水の流れる音だけが耳に届いていた。
「………?」
根はすんでのところまで俺の事を押し潰していたようだったが、ただ払うのみで剥がれ落ちる。
「…ダンジョン…なのか?」
ダンジョン。それは特定の入り口からしか入ることができず、本当に現実にあるかもわからない場所だ。
巨大な魔物の死骸や、人の怨念が集う場所などに発生する。
「…。」
空気はひんやりとしている。それなのに寒さは感じない。森の中とも洞窟とも違う、説明のつかない静寂の中、身体の動きを確認する。
動くことに支障はない。魔力もいくらか回復してきている。…魔剣は無いがそれだけだ。戦えないことはない。
「進むか。」
足元には踏み荒らされた形跡がない。
人が歩いた道ではない。それでも、どこか「進め」と導かれているような感覚だけがあった。
───
部屋を抜けると、打って変わって石造りの空間へと出た。立ち止まり、構えをとる。敵だ。
木々が折れる如くの鳴き声にて威嚇する…鷹なる虎、ルコディルガ…!
(…敵か…?)
威嚇するルコディルガを前に、背を見せないように動く。
敵意がないのならば、無用な衝突は避けたい。
琥珀色の瞳がこちらを見据える。獲物か、侵入者か。
品定めするような沈黙が数秒続き───次の瞬間、石床が砕けた。
羽と脚を用いた鋭い跳躍だ。炎を全身に纏うが避け切れず、腕で防御するも爪の一撃を喰らってしまう。
(しまった。刺された…!)
炎はルコディルガの皮へ着火するものの、敵が焼け死ぬより速く俺が殺されるほうが早いだろう。
やむを得ないか。
「【不完全燃焼・赤炎】…ッ!!」
身体から爪へ流れる血が弾け飛びながら油のように燃え盛る。
ルコディルガはその爪をより深く押し込むことができれば、サーマルドの首を取ることも叶ったことだろう。しかし、炎を受けた時の根源的な恐怖が狩人の意志を屈服させ、その手を引き戻させた。
だが、腕から爪を引き抜いたことで吹き出る血液がそのまま爆炎の放射赤熱となり火花がその巨躯を覆い隠す───全身が燃え盛り、呼吸すら難しくなる。叫びを上げながら四方八方へ飛び回り、最後に強く頭をぶつけ、狩人はその生涯を閉じた。
「……。」
炎が掻き消える。
サーマルドの赤炎は自分のものを焚べることでその火力を増すことができるが、種火として自分自身の魔力と生命力を使用しなければならない。
通常の消耗の上に、血という直接的なリソースを支払ったサーマルドの肉体は、既に限界を迎えていた。
踏ん張りが効かず、倒れる。
「今度こそ、か…。」
視界が白く霞む。
水の流れる音だけが、やけに近く聞こえた。
意識はゆっくりと沈み、それでも最後まで、光だけが瞳に残っていた。
───
太陽のような、眩しい光だった。
草花の香りが鼻をくすぐる。
生い茂った草の上に寝かされている俺の傍らで、一人の女性が静かに本を閉じた。
「………起きたね。」
美しい緑髪に、夜の闇を思わせるローブ。一眼見ただけで気品を感じる女性。彼女が、俺の事を介抱してくれたらしい。魔術的な手当てが施されていて、腕の傷も治っていた。
「…感謝する。…それで、あなたは?」
「あなたは?とは…随分な言い様だ。」
「…どこかであなたと会っていたのか?思い当たる節がない。」
「この顔、見覚えは?」
……何度見ても、わからないものはわからない。
「…私は、ネヴォンズ王国の第二王女、エマ・アルヴキリア・ネヴォンズ。よく覚えておきなさい。」
サーマルドは歯切れ悪く謝罪の言葉を口にした。
「…さる貴人の方だとは…非礼を…お詫び致します。」
(…ネヴォンズ…?どこのことを言っている?)
ネヴォンズという国は、サーマルドの知識にはなかった。
(───ここは、自分の知る世界ではないのかもしれない。)
うっすらよぎった不安を、否定することができなかった。