追放整備士、動く古代要塞を拾う 作:てててん
レオルが千二百年前の城を起こしたのは、雨宿りの礼に壊れた魔力灯を直したからだった。
もっとも、その時の彼は、足元に埋まっているものを城だとは思っていなかった。
灰の荒野に雨は降らない。代わりに、日が傾く頃になると西から灰混じりの風が吹きつける。乾いた地表を削り、古い戦場から錆びた鉄片や獣骨をさらってくる、まともに浴びれば目も開けていられない風だった。
レオルは外套の襟を引き上げ、背負った工具箱の革帯を握り直した。
王国軍を出たときに持ち出せた私物は、それだけだった。剣も馬も、十二年分の給与から積み立てていた退役金も残らなかったが、工具だけは軍の備品ではない。若い頃から一本ずつ買い揃え、刃を研ぎ、柄を直して使ってきたものだ。
それまで取り上げられていたら、死を選んでいたかもしれない。
風が強くなった。
遠くに見えていた岩山は灰色の幕に呑まれ、じきに輪郭を失った。今夜の野宿場所を探すには遅い。レオルは足を止め、風上へ顔を向けた。
乾いた砂の匂いに、金属の焼けた臭いが混じっている。
近くに遺構がある。
古代の導魔線は、死んでから何百年経っても独特の臭いを残す。錆とは違う。雷が落ちた直後の空気に、油を焦がした臭いを足したようなものだった。
レオルは進路を外れ、半ば崩れた斜面へ向かった。
灰を被った岩の間に、黒い板材が覗いている。剣の先で周囲を払うと、継ぎ目のない金属扉が現れた。表面には古代文字らしい刻印が残っていたが、砂に削られてほとんど読めない。
扉の脇には、拳二つ分ほどの四角い窪みがある。
「手動解放器が抜かれてるな」
独り言に答える者はいない。
レオルは工具箱を下ろし、薄い鋼板を二枚取り出した。隙間へ差し込み、内部の爪を探る。三つ目までは簡単だったが、最後の一つが噛み合わない。古代式の防爆扉なら、無理に開けば内側の固定杭が落ちる。
風に追われて焦る理由はあったが、扉にそれを斟酌してもらえるわけではない。
指先へ返ってくる僅かな抵抗を頼りに鋼板を傾けると、奥で硬い音がした。
レオルは手を止めた。
罠の作動音ではない。長く動いていなかった爪が、ようやく溝から外れた音だ。
体重をかけると、扉が指一本分だけ内側へ沈んだ。そこへ短い鉄棒を差し込み、肩で押す。石を引きずるような音とともに、扉は人一人が通れる幅まで開いた。
中から流れ出した空気は冷たかった。
黴臭さはない。地下室にしては乾きすぎている。
レオルは腰の魔導灯へ手を伸ばしたが、途中でやめた。扉の内側、壁面に取り付けられた古い照明器具が目に入ったからだ。
乳白色の覆いは割れていない。導魔線も残っている。ただし、基部から黒ずんだ配線が垂れていた。
「雨宿り代だ」
誰に断るでもなく工具箱を開く。
軍を追い出されて半日も経っていない。明日の行き先も決めていない男が、千年以上前の照明を直す必要はなかった。それでも、壊れた機構を見たまま放っておくのは、濡れた靴で寝床へ上がるような居心地の悪さがある。
覆いを外し、焦げた配線を切る。
内部は予想よりきれいだった。現代の魔道具なら、魔力を通す導線と信号を送る導線は別にする。古代式は一本の束で両方を担うため、傷んだ箇所の判別が難しい。その代わり、正しく組めば損失が少ない。
レオルは耳を近づけた。
死んでいるように見えた器具の奥で、ごく小さな振動が続いている。魔力が来ていないのではない。来てはいるが、どこかで詰まっている。
配線を繋ぎ直し、基部の調整環を半目盛り戻した。
乳白色の覆いに、淡い光が灯る。
一つだけで終わらなかった。
通路の奥で、次の灯りがついた。さらにその先、そのまた先へと、青白い光が順番に走っていく。
レオルは工具を握ったまま、細く息を吐いた。
「そこまで直した覚えはないんだが」
返事の代わりに、床の下で何かが動いた。
低い振動だった。地震にしては間隔が整いすぎている。長いあいだ噛み合っていなかった歯車が、一枚ずつ相手を探り当てていくような音が、壁の向こうへ広がっていく。
通路の奥に、少女が立っていた。
いつからいたのか分からない。
十二、三歳ほどの姿で、白い衣服をまとっている。ただし裾は床に触れず、身体の向こうに壁の灯りが透けて見えた。
レオルは工具を置かずに、相手の足元を確かめた。
「投影像か」
『音声認識を確認しました』
少女の唇は動いたが、声は通路全体から聞こえた。
『登録言語を現代共通語へ変更。照合を開始します。顔貌、声紋、魔力波形――不一致。携行認証器を確認』
レオルの胸元で、古い金属札が熱を持った。
軍を除籍された際、階級章と通行証は返納させられた。残ったのは、用途不明として処分予定だった古代遺物の認証札だけだ。若い頃、遺構処分部隊にいたときから使っていた。
少女の輪郭に一瞬、細かな乱れが走る。
『識別完了。解体執行者、レオル・ガーディア』
「いったい、なにを……」
『第七、第五、第三、第二、第一、第六、第四避難城塞の停止処分に関与。最終記録に基づき、七基すべてを喪失と判定』
通路の奥で、古い灯りが一つ消えた。
レオルは認証札を外そうとしたが、革紐に指を掛けたまま止めた。
七基。
数字に間違いはない。
軍からは移動戦略拠点と教えられていた。敵国に利用される前に停止させろと命じられ、その通りにした。内部に何が残っていたかを知ったのは、ずっと後だ。
「お前は、何者だ」
『第八自律避難城塞エイレーネ、統括管理人格ティアです』
「城塞?」
レオルは天井を見上げた。通路の幅は荷馬車一台が通れる程度で、古代遺跡としても小さい。少なくとも、城と呼ぶような広さには見えなかった。
『訂正します。現在地は第八自律避難城塞エイレーネ、外縁保守通路です』
「ずいぶん埋まっているらしいな」
『地表基準より、平均三十一・二メートル沈降しています』
「それを、埋まっていると言うんだ」
ティアは答えなかった。
代わりに、レオルの背後で扉が閉まり始めた。吹き込んでいた灰が細い筋となって床を這い、やがて外の風音ごと遮断される。
レオルは扉へ駆け寄らなかった。閉鎖音に異常はない。閉じ込めるためではなく、気密を戻しただけだ。
その判断が正しかったか確かめる間もなく、床が大きく傾いた。
工具箱が滑る。レオルは壁の配管を掴み、足を踏ん張った。通路のどこかで金属が軋み、頭上から細かな砂が降る。
『主動力炉、最低出力へ移行』
「待て。誰が起動しろと言った」
『外縁照明系統の復旧により、保守継続意思を確認しました』
「俺は灯りを一つ直しただけだ」
『整備行為を確認しました』
「話を聞け」
『地脈接続を再開。第三、第五、第八、第十一歩脚に限定して展開します』
レオルは壁へ耳を当てた。
音が多すぎる。
遠くで回る主軸、床下を走る導魔流、固着した弁の開閉。どれも千年以上眠っていた機構とは思えないほど力強いが、同時に、あちこちから擦過音が混じっている。
「止めろ。四脚だけじゃ荷重が偏る」
『停止命令を受理できません』
「なぜだ」
『再起動後、最初の地盤崩壊が開始しています』
言葉の意味を理解するより先に、外で何かが割れた。
一度ではない。大地そのものが、何本もの太い杭で内側から押し開かれていく。
レオルは閉じた扉の小窓へ顔を寄せた。
灰の荒野が沈んでいた。
いや、違う。
自分たちが上がっている。
土砂を押しのけ、黒い構造体が地表へせり出していく。遠くにあったはずの岩塊が崩れ、何十年も積もった灰が滝のように流れ落ちた。
その下から現れたのは壁だった。
見上げても端が見えないほど高い、灰白色の城壁。そのさらに奥で塔が起き上がり、折り畳まれていた橋梁が轟音とともに展開する。
大地を掴むように、巨大な脚が地面へ突き立った。
一本。
二本。
三本。
四本目が伸びきったところで、城全体が大きく揺れた。古い石材が砕け、黒い金属骨格の間から大量の砂が噴き出す。
外縁通路の窓越しに、灰の荒野が急速に低くなっていった。
レオルは配管を掴んだまま、立ち上がっていく城の内部で、耳を澄ませていた。
主軸の右側に歪みがある。第三歩脚は油圧が足りない。どこかで冷却水も漏れている。
直す場所は、数えるのも馬鹿らしいほどあった。
『第八自律避難城塞エイレーネ』
少女の声が、目覚めたばかりの城を満たした。
『再起動します』
レオルは目を閉じ、工具箱の取っ手を拾い上げた。
少なくとも今夜眠れる見込みはなさそうだった。