追放整備士、動く古代要塞を拾う 作:てててん
城が立ち上がってから、三分も経たずに最初の不具合が出た。
床が不意に沈み、レオルの膝へ重い衝撃が返ってくる。外縁通路を照らしていた魔力灯が一斉に明滅し、壁の奥で金属同士を無理に擦り合わせた音がした。
前方ではない。右下。かなり遠い。
「第三歩脚か」
『該当部位に異常を確認しています』
「確認しているなら止めろよ」
『停止した場合、城体が右方へ四・七度傾斜します』
「動かし続けた場合は?」
『第三歩脚の関節部が破断します』
「どちらも駄目じゃないか」
『はい』
ティアの返答には、困っている様子も、申し訳なさもなかった。事実を並べただけである。
レオルは工具箱を持ち上げ、通路の奥へ歩き出した。
「中央制御室まで案内しろ。城全体の状態を確認する」
『経路の一部が崩落しています』
「別の道は」
『あります。徒歩で二時間十四分を要します』
レオルは足を止めた。
「第三歩脚の保守区画までは?」
『現在地から十二分です』
「先にそっちだ」
通路の壁面に、細い光の線が走った。ティアの投影像はその場に残ったままだったが、進路を示す青白い灯りが床を伝って奥へ延びていく。
レオルはそれを追った。
歩くたび、城全体が僅かに揺れる。石壁の継ぎ目から砂が落ち、天井裏では外れかけた配管が不規則に鳴っている。
その音に耳を傾けながら、レオルは通路を進んだ。
右側の壁に魔力の滞留がある。左上では換気扇が回っていない。足元を通る導魔線には、細いながら流れが戻っている。城全体を動かすには足りないが、千年以上放置された施設としては十分だった。
「主動力炉は生きているのか」
『最低出力で稼働中です』
「燃料は」
『地脈より供給しています』
地脈炉。
現代では、小さな街の魔導灯を賄う程度の設備でも国家管理になる。大地の底を流れる魔力へ直接接続し、都市一つを動かす古代設備となれば、王国が欲しがる理由には困らない。
軍の連中がエイレーネの存在を知れば、まず炉を抜こうとするだろう。
「接続状態は」
『不安定です。現在地直下の地脈は細く、長時間の稼働には適しません』
「どれくらい持つ」
『現状の出力を維持した場合、十一時間二十二分』
「その後は止まるのか」
『地脈炉の出力が低下します。生命維持機能を優先し、歩行機能を停止します』
生命維持。
その言葉に引っかかり、レオルは歩調を緩めた。
「中に誰かいるのか」
『現在、収容者の生命反応は確認されていません』
「なら何を維持する」
『収容者を受け入れるための環境です』
光の線が、分厚い隔壁の前で途切れた。
扉には古代文字と、両腕を広げた人間を模した図が刻まれている。下部には、爪のある獣の脚や、翼を持つ影も描かれていた。
古代人の装飾にしては、ずいぶん雑多だった。
レオルが扉へ手を置くと、内部の錠が順番に外れた。開いた先には、急な階段が下へ続いている。
『警告します。第三歩脚保守区画では、冷却液の漏出が発生しています』
「人間に有害か」
『長時間接触した場合、皮膚組織の壊死および魔力器官の損傷が予想されます』
「先に言え」
『警告しました』
「扉を開ける前に言えと言っている」
ティアは答えなかった。
レオルは工具箱から厚手の手袋と保護布を取り出し、口元まで覆った。軍の魔導工兵が使う簡易装備で、古代城塞の冷却液を想定したものではない。それでも素手よりはましだった。
階段を下るにつれ、空気が湿り始める。
鼻を刺す甘い臭いがした。底へ着く頃には床の一部が淡い緑色に濡れ、漏れた液体が城の傾斜に沿って流れていた。
第三歩脚の関節部は、建物一棟が収まりそうな縦穴の中央にある。
何本もの金属梁が組み合わさり、その間を太い導魔管と油圧筒が走っている。歩脚が動くたび、巨大な関節がゆっくりと上下し、縦穴全体へ腹に響く振動を伝えた。
レオルは手すりから身を乗り出し、音を拾う。
擦れているのは関節そのものではない。荷重を逃がす補助筒が動いていない。主軸だけで城の重さを支えているため、外殻が内側へ押されていた。
「補助圧力が死んでいるな」
『第三歩脚の圧力値は、基準値の六十二パーセントです』
レオルは縦穴の周囲を見回した。
補助筒へ繋がる配管の一本が、根元から黒く変色している。その先にある制御弁も閉じたままだった。
「一度、脚を浮かせられるか」
『推奨しません』
「できるかどうかを聞いてるんだよ」
『他の三脚へ荷重を移せば可能です。城体傾斜、最大八・一度』
「三十秒で戻せ」
『十五秒を超えた場合、第五歩脚への負荷が危険域へ入ります』
「なら十四秒だ」
レオルは手すりを越え、保守用の梯子を下りた。
城の関節が動くたび、風圧が服を叩く。漏れた冷却液を避けながら足場を渡り、制御弁の前まで進んだ。
弁は人の胴ほどもある。
外側の操作輪へ鉄棒を差し込み、体重をかける。びくともしない。
固着しているだけではなかった。弁内部の魔力錠が生きている。
「ティア。ここの封鎖を解除しろ」
『解除には整備権限が必要です』
「俺にあるのは解体権限だけだったな」
『はい』
「壊す許可はあっても、直す許可はないわけだ」
『現在、整備権限の付与を審査しています』
「審査が終わるのと脚が折れるのと、どちらが早い」
返答まで、一拍の間があった。
『暫定整備権限を付与します』
操作輪の中心で、赤かった光が青へ変わる。
レオルはもう一度鉄棒へ力をかけた。内部で固まっていた歯が欠け、操作輪が僅かに回る。
「脚を浮かせろ」
『実行します』
城が傾いた。
縦穴の片側へ身体が引かれ、レオルは鉄棒を掴んで耐える。第三歩脚の主軸が軋みながら上がり、関節にかかっていた重みが抜けた。
十四秒。
操作輪を回し切るには足りない。
レオルは腰から槌を抜き、弁の外殻を三度叩いた。音の高さが違う箇所を探り、四度目を一段下へ打ち込む。
固着していた内部部品が外れた。
操作輪が一気に回る。
閉じ込められていた冷却液が配管を走り、止まっていた補助筒へ圧力が戻った。金属梁が押し広げられ、主軸を締めつけていた外殻が元の位置へ戻っていく。
「戻せ!」
『第三歩脚、接地します』
足元から突き上げる衝撃が来た。
レオルは手すりへ肩をぶつけたが、鉄棒だけは離さなかった。関節部の振動が一度大きくなり、やがて一定の間隔へ落ち着いていく。
余計な擦過音は消えていた。
完全ではない。補助筒の圧力はまだ低く、配管の腐食も進んでいる。今の修理では数時間持たせるのが精々だ。
『第三歩脚の動作効率が、二十一パーセント改善しました』
「壊れるまでの時間は」
『現在の歩行速度で、推定九時間四十六分です』
「少しはましになったな」
レオルは梯子へ戻りかけて、止まった。
縦穴の壁に、低い警報音が響いている。
脚部の異常を知らせる音ではない。音程が高く、間隔も短い。
「今度はなんだ」
『城塞機能の故障ではありません』
ティアの声が、先ほどまでより僅かに大きく聞こえた。
『救難信号を受信しました』
レオルは梯子へ片足をかけたまま、頭上を見上げる。
「誰からだ」
『北東二十七・三キロ地点。定住人口二百十三名の村落です』
「何が起きている」
『複数の生命反応が急速に減少しています。周辺に魔獣群を確認。村落外縁には、別の武装集団が待機しています』
縦穴の壁面へ、淡い光で地図が投影された。
灰の荒野を横切る一本の進路。その先に小さな村を示す点があり、周囲を無数の赤い印が取り囲んでいる。少し離れた場所には、二十ほどの人影が整然と並んでいた。
「武装集団は村を襲っているのか」
『現時点では攻撃行動を確認していません』
「魔獣だけが都合よく村を囲んだと?」
『魔獣群の移動経路に、不自然な集中が見られます』
レオルは地図を眺めた。
村の西側には岩場があり、南には枯れた川筋がある。本来なら魔獣は二方向へ分かれる。それがすべて、狭い東側の入口へ押し込まれていた。
人為的に誘導されている。
「収容可能人数は」
『現在使用可能な居住区画では、百名です』
「村人は二百十三人だと言ったな」
『はい』
「全員は入らない、か」
『はい』
ティアの投影像が、縦穴の上に現れた。光で作られた少女は、巨大な関節を背にしてレオルを見下ろしている。
『第一避難規約に基づき、救助行動を開始します』
「待て。この城は九時間で脚が壊れる。水も食料も、医療設備が使えるかどうかも分からない」
『知っています』
「そのうえで、向かうのか」
『生命の危険にある知性体を確認した場合、種族、国籍、所属を問わず救助を実施します』
「俺が止めろと言ったら」
『城塞管理者の命令より、第一避難規約が優先されます』
床の傾きが変わった。
エイレーネが進路を北東へ変えている。
第三歩脚は、先ほどまでよりスムーズに動いていた。その代わり、第五歩脚の奥から新たな異音が聞こえる。
レオルは額へ滲んだ汗を袖で拭い、工具箱を引き寄せた。
「次に壊れそうな脚は」
『第五歩脚です』
「保守区画まで何分だ」
『十七分です』
「村までは」
『現在の速度で、二時間四十一分』
「間に合わせるぞ」
『救助への同意と判断します』
「違う。行くと決めたのはお前だ。俺は、途中で城が壊れないようにするだけだ」
『了解しました。暫定城主兼整備士』
「整備士だけでいい。城主なんて肩書はいらん」
ティアは返答しなかった。
レオルは梯子を上り始めた。工具箱が一段ごとに脚へ当たり、重い音を立てる。
城の外では、灰を踏み砕く四本の歩脚が、ゆっくりと荒野を進んでいる。
二時間後。
城壁上へ出たレオルの目に、地平線の先から昇る黒煙が見えた。
小さな村が燃えていた。
その周囲を、灰色の魔獣が埋め尽くしている。
だが、村から離れた岩山の上には、揃いの外套をまとった男たちが並び、炎を眺めていた。
助けに入る様子はない。
先頭の男は、魔獣の動きに合わせるように、手元の杖をゆっくりと振っていた。