追放整備士、動く古代要塞を拾う 作:てててん
灰色の魔獣は、遠目には荒野そのものが動いているように見えた。
硬い外殻を持つ六脚の蟲が、村を囲む柵へ重なるように押し寄せている。小さいものでも大型犬ほどあり、群れの中には荷馬車を上回る個体も混じっていた。
灰殻蟲。
荒野の地中に巣を作り、乾いた根や小動物を食う魔獣である。本来は臆病で、人間の集落へ近づくことは少ない。
少なくとも、数百匹が一つの村を囲むような生き物ではなかった。
「村の被害は」
『死者十一名。重傷者二十八名。村落南東部で火災が発生しています』
「蟲の数は」
『小型個体、推定三百八十二。中型個体、四十七。大型個体、三』
「……多いな」
『地中からの出現を確認しています』
レオルは城壁の縁へ手を置き、村の周囲へ目を凝らした。
ラゼ村は、低い石壁と木柵で囲まれた小さな集落だった。灰の荒野では珍しく井戸を持ち、その周囲に三十軒ほどの石造家屋が集まっている。
石壁の東側は、既に一部が崩れていた。
村人たちは荷車や樽を積み、穴を塞ごうとしている。その背後では、怪我人を運ぶ者、屋根へ水を掛ける者、武器になりそうな農具を集める者が行き交っていた。
混乱はしているが、統率が取れていないわけではなさそうだ。
中央の広場に立つ若い女が、何人かへ指示を出している。華美ではないものの、荒野の村人とは仕立ての違う服を着ていた。
女が何者かまでは、ここからでは分からない。
レオルは視線を岩山へ移した。
村から離れた高台には、二十人ほどの男がいた。革鎧の上から灰色の外套をまとい、武装も揃っている。傭兵か、辺境の武装商人に見えなくもない。
ただし、外套の肩には黒い羽根が縫いつけられていた。
「灰鴉か」
『該当する組織の記録はありません』
「西部で遺跡漁りをしている連中だ。護衛もやるが、奴隷も扱う。場合によっては、盗賊から商人までなんでもござれだ」
『救助対象ですか』
「今のところは、違うな」
灰鴉旅団の先頭にいる男が、長い杖を振った。
先端に括りつけられた布袋から、黄褐色の煙が流れ出す。風に乗った煙が村の方角へ伸びると、それまで石壁の周囲を徘徊していた灰殻蟲が一斉に向きを変えた。
杖ではない。
誘導香を散布するための道具だ。
「間違いないな。あいつらが蟲を集めている」
『武装集団から魔獣に対する命令波は確認できません』
「匂いで動かしている。風を調べろ」
『北西から南東へ、毎秒三・二メートルです』
エイレーネは村の南西から接近している。
このまま真っ直ぐ近づけば、城から起きる風が誘導香を散らし、灰殻蟲の群れがどちらへ動くか分からなくなる。村から離れてくれればよいが、混乱した群れが石壁を食い破る可能性もあった。
「歩行を止められるか」
『停止すると、到着までの予測時間が延長されます』
「止まれるかと聞いた」
『可能です』
「村まで千二百メートルで停止。城体を東へ向けろ」
『第一避難規約により、速やかな接近を推奨します』
「この大きさで村へ乗りつければ、助ける前に潰れるのがオチだ。止まれ」
歩脚の運ぶ振動が変わった。
四本の脚が順番に速度を落とし、地面へ深く沈み込む。城体が僅かに前へ傾いたところで固定され、城壁の継ぎ目から積もっていた灰が流れ落ちた。
村まで、まだかなり距離がある。
『停止しました』
「使える外部設備を表示しろ」
レオルの前に、城塞の立体図が浮かんだ。
ほとんどの区画が黒く沈んでいる。外壁に並ぶ砲台らしき構造も、すべて反応がなかった。
『外周防衛機構の稼働率は、〇・八パーセントです』
「使えるものだけでいい」
『南部防壁の投射装置、一基が待機状態にあります』
「投射物はなんだ?」
『可動防壁です』
「壁を飛ばすのか!?」
『緊急時、城塞外周へ仮設避難区画を形成します』
立体図の一部が拡大された。
南側の城壁内部に、分厚い板状構造物が格納されている。地面へ射出した後、杭で固定し、周囲に一時的な防壁を作る設備らしい。
壁自体を飛ばすわけではない。組み立てる手間を省くため、展開地点まで射出するのだ。
レオルは村までの距離と風向きを見比べた。
「あれを村の東側へ落とせるか」
『現状の射出精度では、目標地点から半径百四十メートルの誤差が予想されます』
「家と人を潰さなければ、何でもいいさ」
『保証できません』
「なら、使えんな」
別の設備を探す。
主砲、迎撃塔、障壁発生器。名称だけなら役に立ちそうなものはいくつもあったが、どれも停止している。生きているのは排水設備や荷役装置、城壁を支える仮設支柱といった、戦闘用ではない機構ばかりだった。
その中で、一つの表示に目が止まった。
「南東部の地盤固定装置は」
『歩行停止時に城体を安定させるための設備です』
「杭の長さは」
『二十八メートル』
「射出できるか」
『固定杭は投射兵器ではありません』
「できるかどうかを聞いてるんだ」
『最大伸長速度で作動させた場合、周辺設備が損傷する可能性があります』
「使えるんだな」
ティアの投影像が現れた。
表情に変化はないが、どうやら嫌がっているようにも見える。
『地盤固定装置は、救助活動を目的とした兵器ではありません』
「ありものでやるしかないだろうよ」
村の東側で、石壁が崩れた。
積まれていた荷車が弾き飛ばされ、その下から灰殻蟲が雪崩れ込む。村人たちが槍や鍬を構えて押し返そうとするが、硬い甲殻に刃が通っていない。
大型の一匹が、石壁の上へ脚を掛けた。
背中の殻が二つに割れ、その隙間から白く膨れた腹部が覗く。他の個体とは形が違う。
「母蟲だ」
『大型個体の体内に、複数の幼体反応を確認しています』
あれが村へ入れば、建物の陰や地下倉へ卵を産みつける。追い払ったところで、村には住めなくなる。
レオルは城壁から離れた。
「固定装置までの経路を出せ」
工具箱を肩へ掛け、城壁沿いの階段へ向かう。
地盤固定装置は、南東歩脚の付け根にあった。先ほど修理した第三歩脚とは反対側である。城壁上から整備区画まで、まともな昇降機を使っても十分以上かかる。
「到着まで持たせろ」
『具体的な手段を提示してください』
「なんでもいい。バカでかい音でも鳴らせ。出せるだけ大きくな」
『警報設備の一部が使用可能です』
「よし、そいつを使うんだ」
レオルが階段へ入るのと同時に、城から低い音が放たれた。
最初は、遠雷に似ていた。
そこへ異なる高さの警報音が重なり、城壁の内側を走り抜ける。長く眠っていた配管や空洞までが共鳴し、巨大な生き物が腹の底から唸っているような音となって荒野へ広がった。
灰殻蟲の群れが止まった。
村へ向いていた無数の頭部が、エイレーネへ向けられる。
灰鴉旅団の男たちにも動揺が走った。誘導杖を持つ男が振り返り、初めて城塞を正面から見上げる。
遠く離れていても、顔から血の気が引いたのが分かった。
男は誘導杖を大きく振った。
黄褐色の煙が風に乗り、今度はエイレーネへ向かってくる。
灰殻蟲が村から離れ始めた。
すべてではない。石壁を越えた個体や、母蟲の周囲にいる群れはその場へ残っている。それでも、外側にいた二百匹以上がエイレーネへ向きを変えていた。
レオルは階段を下りながら、腰の短銃を確かめた。
王国軍の工兵に支給される、単発式の魔導銃。射程も威力も騎士団用の長銃には劣るが、術者でなくとも簡単な魔力弾を撃てる。
残弾は六発。
母蟲の甲殻を抜くには足りない。
階段を下り切ると、細い保守通路が歩脚の付け根まで続いていた。城が警報音を鳴らすたびに壁が震え、天井から砂が落ちる。
『南東部地盤固定装置の制御室まで、百八十メートルです』
壁からティアの声が響く。
「外部の様子は」
通路の壁へ、村周辺の映像が投影された。
灰殻蟲の群れは、エイレーネへ接近を続けている。地面を覆う灰色の波は、城の近くまで迫っていた。
城壁へ届いたところで止まる保証はない。
「外壁は持つか?」
『小型個体による攻撃であれば、四時間以上』
「大型は」
『不明です』
「おいおい」
『千二百三十七年間、点検を受けていませんからね』
通路の先に円形扉が現れた。
開いた制御室は狭く、中央に一本の操作桿が突き出している。周囲を囲む計器の半分は割れ、残った表示は古代文字だった。
レオルは工具箱を床へ置き、操作盤の蓋を外した。
内部の接点が腐食している。
「母蟲の位置を出せ」
壁へ村の映像が映る。
母蟲は崩れた石壁を乗り越え、村内へ前脚を下ろしていた。腹部を守るように、十数匹の中型個体が周囲を固めている。
その先では、村人たちが負傷者を広場へ運んでいた。
先ほどの意匠の整った若い女が、最後まで石壁近くに残っている。倒れた老人の腕を肩へ回し、別の男と二人で引きずっていた。
「地盤固定装置の射出角度を手動へ切り替えろ」
『切り替えました』
「城体を右へ二度傾ける」
『第五歩脚への負荷が増加します』
「何秒持つ」
『安全域では十二秒です』
「十分だ」
腐食した接点を短銃の弾殻で削り、予備の導線を巻きつける。丁寧な修理ではないが、電流が一度通ればよい。
レオルは操作桿へ手を掛けた。
「傾けろ」
床が右へ沈んだ。
計器の針が跳ね、制御室の壁が軋む。遠くから第五歩脚の嫌な音が伝わってくる。
レオルは操作桿を前へ倒した。
反応がない。
接点が焼けたかと思ったところで、足元のさらに下から、重い機構音が返ってきた。
城塞底部で、地盤固定装置の外殻が開く。
二十八メートルの巨大杭が、ゆっくりと角度を変えた。
『射出方向に村落があります』
「村までは届かないはずだ」
『大型個体との距離、千百二十メートル。固定装置の通常伸長距離を大幅に超過しています』
「普通ならな」
操作盤の右端にある圧力制限器へ、工具を差し込んだ。
安全装置を外す。
警告灯が一斉に赤く変わった。
『推奨できません』
「知っているさ」
『地盤固定装置を損失する可能性があります』
「また直せばいい!」
操作桿を最後まで押し込む。
城の底で、圧縮されていた魔導圧が解放された。
地面が弾けた。
地盤を固定するための巨大杭が外殻から抜け、荒野の上を一直線に飛んでいく。杭の後ろには切断された導管と黒い冷却液が尾を引いていた。
投射物として造られていないため、姿勢はすぐに崩れた。
先端が下を向き、村の手前へ落ちていく。
それでよかった。
二十八メートルの杭は、轟音と共に母蟲の真横に突き刺さった。
硬い甲殻が潰れる音が制御室の中まで届いた気さえする。
杭は母蟲の胴を貫き、崩れた石壁ごと地面へ縫い留める。衝撃で周囲の灰殻蟲が跳ね飛ばされ、土煙の中へ消えた。
レオルは操作桿を戻した。
「城体を水平へ」
『第五歩脚、負荷限界です』
エイレーネが傾きを戻す。
床が逆方向へ動き、工具箱が壁へ滑っていった。固定装置を失った南東部から、魔力と冷却液の漏出を知らせる警報が上がる。
レオルは壁へ手をつき、村の映像を見た。
母蟲の動きは止まっていた。
それを中心に集まっていた灰殻蟲が混乱し、互いにぶつかりながら村外へ逃げていく。
城へ向かっていた群れも、母蟲の死とともに統制を失った。警報音を嫌った個体から進路を変え、荒野の岩陰や地中へ散っていく。
『大型個体一を排除。残存群の離散を確認しました』
「村に残っている個体は」
『小型十九。中型三』
「村人で対処できると思うか?」
『戦闘能力の推定ができません』
「……だろうな」
石壁の穴では、村人たちが逃げ遅れた灰殻蟲へ槍を突き込んでいる。母蟲を失った個体は先ほどまでの勢いをなくし、村の外へ逃れようとしていた。
少なくとも、もう一方的な殺戮にはならないはずだ。
「さて、灰鴉は」
映像が岩山へ切り替わった。
灰色の外套をまとった男たちは、既に撤退を始めている。誘導杖を持っていた男だけが足を止め、エイレーネを見ていた。
男が何かを叫ぶ。
距離があり、声は届かない。
だが、その口元は笑っていた。
『武装集団を追跡しますか』
「……いや、止めて置け。こっちの修理が先だ」
投影された男の姿が、小さくなっていく。
逃がしたことが正しかったかは分からない。連中は、この城を見た。遅かれ早かれ、どこかへ情報を売るだろう。
それでも今は、岩山の男たちより村のほうが先だった。
レオルは焼けた導線を引き抜いた。
応急的に接続した操作盤から、白い煙が上がっている。固定装置は発射機構ごと損傷し、制御系にもかなりの負荷が掛かった。
修理箇所が、また一つ増えた。
警報音が止まり、制御室へ歩脚の振動だけが戻ってくる。
『救助活動の継続を推奨します』
「ああ。だがまずは、だ」
レオルは工具箱を拾い上げた。
村へ近づくためには、先に第五歩脚を見なければならない。地盤固定装置から漏れた冷却液も止める必要がある。
怪我人のための治療設備が動くかどうかも、まだ確認していない。
助けた後に必要となる仕事を考えると、まずは目先の修理に手を付けたくなった。
◇
日が沈む前に、エイレーネはラゼ村の西側へ停止した。
村人たちは誰一人、近づいてこなかった。
無理もない。
魔獣を退けたとはいえ、村の背後に現れたものは、城壁だけでも村全体より大きい。四本の歩脚は土へ深く食い込み、城の底からは冷却蒸気が絶えず噴き出している。
救いの城というより、次に村を踏み潰す怪物に見えた。
レオルはエイレーネの外門から、荒野へ降りた。
一人だった。
ティアは、外部へ投影像を出せないらしい。護衛に使える自律人形も、今のところ一体も動かない。
村までの間には、灰殻蟲の死骸がいくつも転がっていた。
その中を歩きながら、レオルは村人たちの様子を確かめる。
武器を持っている者が三十人ほど。大半は農具か狩猟用の弓で、まともな防具を着けている者は数人しかいない。
石壁の穴では、十代半ばほどの少年が弓を構えている。弦を引く手は震えていたが、レオルから狙いを外さなかった。
その前へ、広場で指示を出していた女が進み出た。
二十代の半ばほどだろう。
砂埃で汚れてはいるが、濃紺の上着は領主館で働く者が着る仕立てに見える。袖の一部が裂け、そこから血が滲んでいた。
女は背後の村人を手で制し、レオルへ向き直った。
「先ほどの城を動かしている方ですか」
「今のところはな」
「あなたが、あの魔獣を倒したのですね」
「……正確じゃあないがね。あくまで、あの城の設備のお陰だ」
女は一度、エイレーネを見上げた。
「助けていただいたことに変わりはありません。ラゼ村を代表して、お礼を申し上げます」
「礼は後でいいさ。怪我人は何人いる?」
「自力で歩けない者が十三人。重傷者は、そのうち八人です。ほかに、火傷や蟲の毒を受けた者が二十人以上」
数を即答した。
どうやら、見た目だけではないらしい。
「城に医療区画がある。使える設備は少ないが、村に置いておくよりはましだ」
「……あの中へ、ですか」
女の表情が僅かに硬くなった。
レオルは村を見た。
家を失った者。怪我人に肩を貸す者。泣く子どもを抱いた女。石壁の向こうに転がる死者へ布を掛けている老人。
「少なくとも、ココに置いておくよりかはマシだとは思うがね」
「……しかし」
女はそう呟き、視線を下げた。
女の背後で、村人たちがざわめき始める。
あんなところに行けるかと言う者がいる。怪我人だけでもと言う者がいる。皆で庇護下に入ろう、と別の声が重なった。
女は振り返り、声を張った。
「まだ何も決まっていません。押さないでください。……とりあえず、怪我人を広場へ集め、動ける者は消火を続けて」
声に従い、人々が動き始める。
それでも不安は消えない。村人たちの視線は、レオルと女の間を行き来していた。
レオルの胸元で、認証札が熱を持った。
『救助対象の収容準備を開始します』
ティアの声が、札を通して聞こえる。
「わかった。それで、場内の設備の具合はどうだ?」
『報告します』
札から聞こえる報告に耳を傾けながら、レオルは城を振り返った。
灰白色の外壁は高く、内側には空いている土地も建物もある。だが、使用できる居住区画には何もかもが足りなかった。
水がない。
便所がない。
照明も、生きている設備は限られている。
だからといって、魔獣に荒らされた村へ置いていけば、ロクな未来は見えてこない。
「城壁は動かせるか」
『質問の意図を特定できません』
「南側の外壁だ。村を囲めるところまで展開できるか」
『外周構造の一部は可動式です。しかし、展開先に城塞設備が存在しません』
「村に井戸がある」
レオルは、崩れた石壁の向こうを見た。
広場の端に、石造りの井戸がある。汲み上げ機は壊れているようだが、地面に水染みが残っていた。
「村の連中も不安があるだろうからな、
女がレオルを見た。
「いったい、何を」
「まあ、やってみてからだがね」
レオルは工具箱を地面へ下ろした。
やることを数え始めれば、今夜どころか数日は眠れそうになかった。
それでも、己が、己の技術が何かの役に立つことが、今はただありがたいと感じていた。