地下室――最新医療レスキュー
「心拍、急速に低下中! 非常に危険な状態です! インビジブルガール、AEDを!!」
白煙くんの鋭い声が、崩壊した地下室に響き渡った。最新医療完全装備のギアから素早くパドルを取り出し、サー・ナイトアイの胸へと装着する。
「AED、チャージ完了! 離れて!」
透ちゃんの確実なオペレーションとともに、電気ショックが実行される。それと同時に、白煙くんは煙の個性を細く、緻密にコントロールし、ナイトアイの気道を確保しながら増血剤の点滴ラインを迅速に確保した。
「腹部の圧迫を避けて! 骨折部位の二次損傷に気をつけて、丁寧に止血帯を締めるんだ!」
迅速、かつ極めて丁寧に。凄惨な戦闘の跡地だったはずの空間が、白煙くんの圧倒的な主導権によって、完全に統制された「治療現場」へと塗り替えられていく。
そこへ、前線から遅れて梅雨ちゃんが合流した。
先ほど遭遇した「黒煙」の言葉が頭から離れず、胸が張り裂けそうだったが、目の前の凄惨な光景を見てすぐに思考を切り替えた。
「ケロ。白煙ちゃん、私も手伝う!」
「梅雨ちゃん! 助かる! ナイトアイさんの頭部を固定して、バイタルの監視をお願い!」
「了解!」
梅雨ちゃんと透ちゃんが阿吽の呼吸で白煙くんをサポートしていく。その一分の無駄もないプロの救護活動を前に、麗日さんはただ、ナイトアイの命が繋がることを祈ることしかできなかった。
闇からの視線
その治療の様子を、崩落した天井の影から、じっと見つめている者がいた。
ドス黒い煙を静かに漂わせる少年――黒煙。
彼の冷徹な瞳は、ヒーローたちを見てはいない。ただ一人、必死に白煙くんを支え、医療キットを動かしている『葉隠透』の姿だけを、じっと見つめていた。
それはまるで、世界で最も大切な宝物を、愛しく、狂おしく眺めるかのような、あまりにも純粋な視線だった。
ヴィラン連合のトガヒミコとトゥワイスは、地上での一仕事を終えて既に現場から撤退している。まもなく死柄木弔たちが、八斎會の成果(個性消失弾)を横取りするために移送車を襲撃する手筈になっており、彼らも迎えを呼んでいるはずだった。
だが、黒煙はそちらには合流しない。
(さて……私は私の用事がありますからね。ヴィラン連合とは現地解散としましょう)
黒煙がこの場に残り、密かに手を回したのは、死柄木のためでも八斎會のためでもない。すべては、自分の計画のため。
奇跡の生還
「……心拍、10、20……上がって、安定しました……!」
透ちゃんが歓声をあげる。
携帯型のモニターに刻まれる規則正しい波形。ナイトアイの顔に、わずかに赤みが戻る。
白煙くんの迅速なトリアージと、これまでの経験、訓練のすべてをぶつけた超処置により、サー・ナイトアイは何とか一命を取り留め、病院へ搬送できる状態まで持ち直したのだ。
「はぁぁ……っ……疲れた……あ、危なかったぁ……」
安心感から、白煙くんはその場にヘナヘナと座り込んでしまった。頭の煙は完全に消え去り、極限の集中から解放された体は鉛のように重い。ここまで致命傷の人間を処置したのは、彼のレスキュー人生でも初めてのことだった。
「エンちゃん、本当にお疲れさま……!」
透ちゃんは座り込んだ白煙くんを優しく引き寄せ、その頭を自分の胸元へときゅっと抱きしめた。
「透ちゃん……」
「がんばったね、エンちゃん。少し休んで」
見えない身体から伝わる確かな温もりと心臓の音に、白煙くんは泥のように深い安堵を感じながら、その心地よさに身を委ねて目を閉じた。梅雨ちゃんも、そんな2人の姿を優しく見守っている。
その光景を影から見届けて、黒煙の口元が満足げに歪んだ。
(素晴らしい。それでこそ私のホワイトだ。……今、サー・ナイトアイに死なれては、今後の私の『計画』に支障が出ますからね。……ひとつ貸しですよ、ホワイト)
黒煙の姿は、満足感と共にさらさらと黒い霧へと変わり、完全に戦場から消え去った。
地上では、緑谷くんが100%の力でオーバーホールを完全に打ち砕き、エリちゃんの救出に成功していた。
未来は変わった。ナイトアイが視た「死の予知」は、白煙くんという光の救世主と、それを陰から操った黒煙という闇の意志、そして諦めなかったヒーローたちの手によって、今、完全に覆されたのだった。
事件の事後処理
(緑谷出久のナレーション)
『死穢八斎會の突入作戦は、こうして幕を閉じた。本邸には数多くの警察官が押し寄せ、残った構成員たちを次々と逮捕していったんだ。あとから分かったことだけど、ヤクザたちの多くは若頭であるオーバーホールの暴走を恐れていて、ヒーローたちとの戦闘でもほとんど手加減をし、わざと捕まるように動いていたらしい。
八斎會の本来の組長さんは、本邸の奥でずっと寝たきりの状態だった。治崎は組織を大きくした後に個性で組長さんを「治療」するつもりだったみたいだけど……。組長さんは元々、任侠と仁義を重んじる器の大きい人で、エリちゃんを人体実験にかける治崎のやり方に、ずっと激しい怒りを覚えていたそうだ。
治崎が組長を想う心が大きすぎた故の、あまりにも独善的で悲しい大暴走だったんだ――』
病院にて
一命を取り留めたサー・ナイトアイは、白煙くん、透ちゃん、梅雨ちゃんの迅速な応急処置が功を奏し、そのまま救急車で大病院へと搬送された。集中治療室での処置を終え、現在は容態も安定して静かに眠っている。
同じ病院の病室には、今回の戦闘で満身創痍となったヒーローたちが並んでいた。
「ふがふが」
切島くんは文字通り「全身包帯人間」となってベッドに横たわっており、ロックロックやファットガム、リューキュウ、そして個性を失ってしまった通形ミリオ先輩も、それぞれの怪我を癒やすために大きなベッドで身体を休めている。
「しっかし、本当に命拾いしたな……」
ファットガムが包帯に巻かれながら溜息をついた。
「消防経由で、あの新生レスキュー事務所に直接『匿名の通報電話』が入ったんやろ? あれがなけりゃ、ナイトアイの旦那は確実に手遅れやった」
「助かったのは良いがタイミングが良すぎる……まるで、すべてを見越していたかのような手際だ」
ロックロックも同意するように眉をひそめる。
誰も知る由はなかった。その命を繋いだ匿名の電話を入れたのが、ヴィラン連合に身を置くあの「黒煙」であるということを。
夕暮れの病室前
搬送の手続きを終え、ようやく一息ついた救護エリアの廊下で、梅雨ちゃんは意を決して白煙くんに声をかけた。
「――白煙ちゃん。実は、地下の戦闘中に……トガヒミコと一緒に、あなたの個性にそっくりなヴィランと遭遇したの」
「えっ……? 僕の個性に……?」
白煙くんが驚きに目を見開く。
「ケロ。その人は自分のことを『黒煙』と名乗っていたわ。神野区の夜に消えたはずの、あの影……。ホワイト(あなた)の中で眠りながら回復を待っていた、と言っていた」
「僕の中に……そんな、まさか……」
言葉を失う白煙くんに、同じくその場に居合わせた緑谷くんも深刻な表情で頷いた。
「僕もこの目で見たよ、白煙くん。見た目は禍々しい黒い煙だったけど、骨格も、声も、顔の輪郭も……本当に君とそっくりだったんだ」
自分の半身とも言える存在が、ヴィラン連合という最悪の組織に加担している。その事実に、白煙くんの胸に急激な不安と動揺が広がっていく。
「どうしよう……僕のせいで、またみんなが危険に……」
俯きかけた白煙くんの震える手を、隣から力強く、ぎゅっと握りしめる存在があった。
透明な両手で白煙くんの手を包み込んだ透ちゃんだ。
「大丈夫だよ、エンちゃん」
透ちゃんの声には、不安の色など一切なかった。むしろ、確かな信頼に満ちていた。
「だって、今回の救急通報だって、きっとその『黒煙くん』がしてくれたんでしょ? 姿や色がどれだけ黒くたって、あの神野区の夜に私を必死で守ろうとしてくれた根っこは変わってないはずだよ。見た目が黒いだけで、その人もエンちゃんと同じ、根はとっても優しい人なんだよ、絶対!」
「透ちゃん……」
透ちゃんの真っ直ぐな言葉に、白煙くんの強張っていた心がじんわりと解けていく。梅雨ちゃんも、透ちゃんの強い信頼の気配に「ケロ。そうね……そうかもしれないわね」と優しく微笑んだ。
こうして、多くの傷を遺しながらも、死穢八斎會事件は完全に終結した。
呪われた因果の鎖は断ち切られ、小さな少女・エリちゃんの救出は、光と闇の奇妙な連携によって、無事に完了したのだった。
サー・ナイトアイは白煙くんと黒煙によって生存しました