【本編完結】転生したら八千年の遠回りをしていた件 〜生まれ変わっても、君と出会う〜 作:蠱毒は孤独
前回に引き続き短めです。
目を開けると、見慣れた天井があった。
頭の芯がぼんやりしている。額にはひんやりしたものが貼りついていて、起き上がろうとした身体は、自分のものじゃないみたいに重かった。
……何で家にいるんだっけ。駅までは覚えている。かぐやと帰る途中で――そこから先が、きれいに抜け落ちていた。
「彩葉!」
すぐ横から声がした。顔を向けると、かぐやが床に座り込んで、こっちを覗き込んでいる。その少し後ろに、藤原さんもいた。
「……藤原さん?」
「目、覚めたね」
「何で、ここに……」
「イツキが駅まで来てくれたの。彩葉、途中から全然起きなかったから、おんぶして連れて帰ってくれたんだよ」
全然覚えていない。知らないうちに背負われて帰ってきたなんて、考えるだけで申し訳なさが先に来る。
「すみません、ご迷惑を……」
「それはいいから。まだ起きなくて大丈夫だよ」
言われて、浮かせかけていた頭を枕へ戻す。それだけで少し息が上がった。
「あと、これ!」
かぐやが、布団の周りにぬいぐるみを次々と並べ始めた。一つ、二つ、三つ。気づけば、枕元がちょっとした包囲網になっている。
「いっぱいふかふかしてね」
「……何それ」
「ふかふかすると落ち着くでしょ?」
落ち着いてる場合じゃない。今、何時だろう――。
「あ」
「何?」
「今日、バイト……」
慌てて身体を起こそうとして、布団に押し返されるみたいに失敗した。
「休みになったよ?」
「……藤原さんが?」
「かぐやが連絡したんだよ!」
思わず、かぐやを見る。
「かぐやが?」
「そう。彩葉、電話できる感じじゃなかったし。今日はお休みしますって、ちゃんと言った」
「……そっか」
かぐやがやった。私が頼んでもいないのに、自分で考えて、バイト先へ連絡した。それ自体はありがたい。というか、この状態じゃどう考えても働けない。
でも。
今日休んだ。明日は行けるだろうか。勉強だって、何日も止まったら授業に追いつけない。今でも余裕なんてないのに、遅れた分を取り戻す時間まで要る。成績が落ちたら、奨学金がどうなるか分からない。そこへバイトまで休んだら。
気づけば、手近なぬいぐるみを掴んでいた。指先が、柔らかい布に食い込む。
「……明日には治さないと」
「え?」
「シフト入ってる日もあるし、勉強も遅れたらまずいし。一日ならまだ何とかなるけど、何日も休んだら追いつかなくなる。成績落ちたら奨学金も――」
「彩葉」
呼ばれて、口が止まった。
かぐやが、さっきまでとは違う顔で私を見ていた。困っているような、怒っているような。でもたぶん、そのどっちでもない。
「何で彩葉は、そんなに一人で頑張らないといけないの?」
何を聞かれたのか、一瞬分からなかった。
「……何でって。休んだら、その分――」
「かぐやも、めっちゃ無理言っちゃったし」
かぐやの視線が下がる。
「ヤチヨカップのことも、歌のことも、かぐやがやりたいってたくさん言ったから。彩葉、それもずっと一緒にやってくれてたじゃん」
「それは、私もやるって決めたし」
「でも!」
顔を上げたかぐやの目から、大粒の涙がぼろぼろこぼれていた。
「彩葉、死んじゃったらやだぁ~!」
「大げさだって。死にゃしないよ」
「だって映画とかだと、人ってすぐ死ぬじゃん! 最初はただの風邪っぽかったのに、急にヤバくなったりするし!」
「映画を基準に人の生死を考えないで」
ツッコむだけで頭に響く。それでも、かぐやの涙は止まらない。
「そこまで飛躍しなくて大丈夫だよ」
藤原さんが、静かに口を挟んだ。
「今はちゃんと休んで、水分を取って、無理をしないこと。それが一番の近道だから」
「……なんか、実感こもってますね」
「そう?」
藤原さんはそれ以上何も言わなかった。かぐやも鼻をすすって、手の甲で目元をごしごし拭う。死ぬ死なないの話を続けるつもりは、もうないらしい。
「でもさ」
今度は少し声を落として、かぐやが私を見た。
「何で一人で全部やるの? バイトも、勉強も、家のことも。かぐやのことも」
「だって、自分のことは自分でやらないと」
「何で?」
また、それだ。
何でって。そうするものだから。自分でやると決めたから。じゃあ、何でそう決めたんだっけ。
「……上京する時、そういう話になったの」
言いかけたところで、藤原さんが少し姿勢を変えた。
「家族の話になるなら、僕は席を外そうか?」
「あ」
言われて初めて、藤原さんの前で話し始めていたことに気づいた。誰にでも聞かせたい話じゃない。
でも。
「……大丈夫です」
思っていたより、すぐに答えが出た。藤原さんがこっちを見る。
「いても、大丈夫です」
「分かった」
短くそう言って、藤原さんは少しだけ表情を緩めた。それきり、また黙って座っている。かぐやは私と藤原さんを交互に見てから、何も言わずに待っていた。
「上京するって言った時、お母さんとめちゃくちゃ揉めたの。私も譲らなかったし、お母さんも譲らなかったから」
あの時のことは、今でもよく覚えている。
「最後は、生活費も学費も自分で賄う、それならってところで折り合いがついた」
「全部?」
「家賃以外はね」
「家賃は違うの?」
「お父さんが出してくれてる。そこだけは、お父さんが絶対に譲らなかったから」
かぐやが首を傾げた。
「彩葉が自分で払うって言わなかったの?」
「言ったよ。でもお父さんが、それを受け入れないなら上京はさせられないって」
お父さんにしては、珍しく強かった。だから、そこだけは私が折れた。
本当は、上京したら別のアパートに入る予定だった。結局暮らすことになったのはこの部屋だけど、自分で生活するというところだけは変えなかった。
お父さんが事故に遭ってから、家は前みたいには戻らなかった。
お父さんは戻ってきた。でも、お母さんはずっとお父さんのことを心配していて、お父さんはお父さんで、お母さんに余計な心配をかけないようにしていた。お兄ちゃんが間に入ってくれていた時期もあった。そのお兄ちゃんも、先に上京した。そうやって家にいるうちに、自分のことくらい自分でやるのが当たり前になっていった。
少なくとも、私はそう思っていた。
「じゃあ」
かぐやの声で、意識が今へ戻った。
「助けてもらうの、ダメなの?」
「……ダメじゃないけど」
「じゃあ、なんで?」
言葉が止まった。
何で。
また同じところに戻ってくる。頼ってはいけないと言われたわけじゃない。お父さんは家賃を出すと言って、私はそれを受け入れている。それなのに、それ以外のことになると、最初から自分でどうにかする前提で考えていた。できるかどうか。間に合うかどうか。足りるかどうか。そればかり計算していた。
「……分かんない」
結局、出てきたのはそれだけだった。
かぐやは何も言わない。藤原さんも、口を挟まなかった。
分かんない。でも、今までの「分かんない」とは少しだけ違う気がした。頼っちゃ駄目だから頼らなかった、というより。最初から、頼るっていう選択肢を数えてなかっただけなのかもしれない。
そう考えると、変な感じがした。だからって、明日から何をどうすればいいのかなんて、全然分からないけど。
「……彩葉」
「何?」
「お腹空いた?」
あまりにも急に話が変わって、瞬きをした。
「今、その話?」
「だって、考えても分かんないんでしょ?」
「まあ……」
「じゃあ、とりあえずご飯!」
かぐやが勢いよく立ち上がる。目元はまだ少し赤い。
「病人はご飯食べて、寝る! これ大事!」
「急にそれっぽいこと言うじゃん」
「かぐや、看病できるもん」
「さっきまで映画基準で人の生死を心配してた人が?」
「それとこれは別!」
胸を張ったまま、かぐやはキッチンへ向かった。
藤原さんは、かぐやに任せるつもりらしい。少し離れたところに座ったまま、時々こっちへ目を向けている。手伝いに立つ様子はない。
部屋には、かぐやの配信道具があちこちに転がっていた。藤原さんの部屋に置いてあるものより、今じゃこっちの方が多いくらいだ。
枕元に並んだぬいぐるみの一つを、私はしばらく見つめてから抱え込んだ。そのまま、もう一度枕へ頭を沈める。
考え始めたら、またいくらでも考えられそうだった。学校のこと。バイトのこと。お金のこと。家のこと。でも今は、頭が全然ついてこない。
だったら。
今くらいは、かぐやの言う通りでいいのかもしれない。
しばらくして、台所からいい匂いが流れてきた。
「お待たせ!」
かぐやが、お盆を慎重な足取りで運んでくる。
「卵おじやと、ネギ味噌生姜! 熱いから、ふーふーして食べてね!」
「……ちゃんと病人食だ」
「なんでびっくりしてるの」
「いや、もっと何か出てくるかと思って」
「何かって何?」
「謎の生命体とか」
「それヤチヨの配信のやつじゃん!」
そういえば、ついこの間そんな話を一緒に見ていた。
笑おうとしたら頭に響いたので、やめた。
身体を起こして、ゆっくり一口。
熱い。でも、ちょうどいい。
柔らかい卵とご飯がするりと入っていって、思っていたよりずっとお腹が空いていたことに気づいた。もう一口。今度はネギ味噌生姜も少し合わせる。
「どう?」
かぐやが、やたら期待した顔でこっちを見ている。
私はもう一口食べてから答えた。
「……チョーうまい」
「どやぁ~」
【個人メモ:隣室における突発性看病事案の記録】
対象者:酒寄彩葉(発熱によりダウン)、かぐや(看病担当)
1. 事案概要:
彩葉さんの限界オーバーワークによる強制シャットダウン。最寄り駅から自室への搬送を実施。
2. 特記事項:
・かぐやの自律的タスク処理(バイト先への連絡)を確認。成長が著しい。
・彩葉さんより上京時の家庭事情が開示される。「一人で全部やるのが当たり前」という固定観念に、かぐやの「なんで?」が有効打となった模様。
・調理された『卵おじや』のクオリティが極めて高く、味覚テロ(謎の生命体)の発生は回避された。
追記:彩葉さんに「いても大丈夫」と言われた時は少し嬉しかった。でも、次は倒れる前に頼ってほしい。
かぐやの「どやぁ〜」が好き。皆様からの温かい応援(評価・ブクマ・感想)をお待ちしております!