公爵家を二十年回した女中頭、本日付で辞めさせていただきます ~お隣の貧乏伯爵家を立て直していたら、元の職場が静かに崩れていくようです~   作:aquali

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4. 庭は憶えている

 翌朝、バジル爺を庭に呼んだ。

 

 齢七十一。日に焼けた首。門磨きの名人。そして――手を見れば分かる。爪の間に、土の記憶が染みている。これは門番の手ではない。庭師の手だ。

 

「この庭を、どうお考えですか?」

 

「…………死んだよ」

 

 爺の返事は、それきりである。だが目は、小道の先の枯れ株を見ている。

 

 聞けば、あの薔薇は先代の奥方様――旦那様のお母君の庭だったという。奥方様が亡くなり、金がなくなり、水をやる手が減り、薔薇は枯れた。爺はそれを自分の恥と決めて、二十年、庭に(はさみ)を入れず、門ばかり磨いてきたらしい。

 

 小道だけを掃き続けて、二十年。弔いにしては、長すぎる。あれは弔いではなく、詫びである。

 

「勿体ないことでございます」

 

「……嫌味かね?」

 

「事実でございます。ご覧なさいませ」

 

 私は枯れ庭の奥を指した。薔薇は死んだ。だが、その足元で香草が野生に還って茂っている。朝露を踏むたび、足元から青い匂いが立つ。塀際の林檎は、剪定(せんてい)もされずに実を付けている。裏手の窪地では、野の花に蜂が来て、低い羽音を鳴らしている。

 

「死んだのは、表の薔薇だけでございます。庭は、生きております」

 

 爺の目が、初めて私を見た。

 

 午後、当主を庭へ引っ張り出した。

 

「庭を飾りに使うお金は、当家にはございません。ですから――働く庭にいたしましょう」

 

 香草は摘んで乾かせば薬草茶になる。林檎は手入れをすれば秋に売れる。蜂は――

 

「バジルさん。あなた、蜂を飼えますね?」

 

「……なんで分かる?」

 

「窪地の巣箱の跡。あれは、野生の蜂の仕業ではございません」

 

 爺は長いこと黙って、それから、ぼそりと白状した。若い頃、奥方様の庭のために蜜蜂を飼っていた、と。蜂蜜を一番喜んだのも、奥方様だった、と。

 

 白状する声が、砂利を踏むように掠れている。恥だと言い、詫びだと言いながら、二十年、この人は捨て方を知らなかったのだ。

 

 ――分かる、とは言わない。ただ、私にも塀の向こうに、捨て方を知らないものがひとつある。それだけの話である。

 

 巣箱を作り直す。(うね)を立てて香草を移す。金のかからない再建は、人の中の眠った技術を掘り起こすのが一番早い。道具は納屋にある。腕はここにいる。ないのは号令だけだった。

 

 働く庭、と口では言ったが、本当のところ、私は庭仕事を知らない。私の仕事は土を耕すことではない。耕せる手を探して、道具と持ち場を渡すことである。畑を知る爺と、茶を知るコリンヌと、売り先を知る私。それで庭は回る。二十年、屋敷というものをそうやって回してきた。

 

 ――問題は、一箇所だけ。

 

 庭の真ん中の、薔薇の古株である。

 

 枯れて、太くて、根が畝の予定地を塞いでいる。抜くなら伐るしかない。だが、あれは奥方様の形見の株だ。

 

 当主と爺と、三人で古株の前に立った。ひび割れた幹は、握れば崩れそうで、握ればまだ固い。

 

「伐るか、残すか。これは段取りの話ではございません。この家の話でございます。――ご当主の、ご決裁を」

 

 伯爵は、長いこと古株を見上げていた。猫背の背中が、迷いの形に丸まって、それから、ゆっくり伸びる。

 

「……伐ってください」

 

 声は少し震えて、でも、はっきりしていた。

 

「母は、花より蜂蜜の人でした。庭が働くなら、きっとそちらを喜びます」

 

「承知いたしました」

 

 バジル爺が斧を取りに行く背中が、心なしか速い。

 

 乾いた音が、三度で終わった。古株は倒れ、庭に急に空が広くなる。しんとしたのは一呼吸だけで、すぐに蜂の羽音が戻ってきた。

 

 弔いの静けさと、働く庭の音は、続きになっている。それでいいのだと思う。

 

 切り株は、腰掛けほどの高さで残した。バジル爺が、そうしたいと言ったのである。

 

「奥方様は、庭仕事の合間に、そこいらの石によく腰掛けなすった。……椅子くらい、あってもいい」

 

 座面をあつらえ、母君の庭に椅子がひとつできた。伐った株が椅子になるなら、それは終わりではなく、続きの形である。

 

         ◇

 

 ルヴェル公爵家の食堂では、当主が硬い顔で座っていた。今宵の賓客に約束した、二十年物の一本が出ない。酒蔵の鍵は五本ある。目録の番号と、どの鍵がどの棚か、対応を知る者が屋敷にいない。対応表は執事室の棚の、あの綴りの中にある。

 

「申し訳ございません。手違いで……」

 

「手違いで済むか? 恥をかかせおって」

 

 誰の手が違ったのか、当主は問わなかった。問えば、答えが自分に返ってくる。

 

       ◇

 

 ――夕刻、最初の薬草茶が食卓に出た。

 

 摘んで、洗って、乾かす暇もない生葉のままの、青い匂いの茶である。湯気まで緑色をしている気がする。

 

「初物は、当主から」

 

 コリンヌが胸を張って注ぎ、伯爵がひと口飲んで、素直にむせた。

 

「……に、苦いですね」

 

「生葉でございますから。ひと月後には、ちゃんとした茶葉になります」

 

「ひと月後が、楽しみです」

 

 むせながら、二杯目を注ぐ人である。手帳に書き付ける。当主、無理をする質。ただし、いい方の無理である。

 

 翌朝、門の郵便受けに、商工組合の集まりの報せが入っていた。宛名は、フルーリ伯爵家当主殿。

 

 二十年ぶりの、宛名だそうである。

 

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