80歳のハリーポッターが11歳に戻った場合   作:金縛り

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2年目 鼠を捕まえる日

 隠れ穴を訪れるのは、二度目の人生では初めてだった。

 

 丘の向こうに見えてきた家は、記憶の中と変わらない。

 

 増築を繰り返した結果、どうして倒れないのか分からない形になっている。

 

 煙突が何本も突き出し、庭には長靴や錆びた大鍋が転がっている。

 

 畑の隅では、ノームが土から顔を出していた。

 

 整ってはいない。

 

 裕福でもない。

 

 それでも、ハリーにとっては世界で最も温かい家の一つだった。

 

「ハリー!」

 

 玄関からロンが飛び出してくる。

 

「本当に来た!」

 

「手紙に書いただろ」

 

「でも、急だったから」

 

 その後ろから、モリー・ウィーズリーが現れる。

 

「よく来たわね、ハリー!」

 

 抱きしめられた。

 

 一度目と同じ。

 

 息が詰まるほど強い。

 

 懐かしい匂い。

 

 料理。

 

 石鹸。

 

 暖炉の煙。

 

「痩せてない?」

 

「学校を出た時と変わっていません」

 

「ちゃんと食べてるの?」

 

「十分に」

 

「ダーズリー家で?」

 

「今年は」

 

 モリーの顔が少し険しくなる。

 

 詳しく聞かれる前に、アーサーが家から出てきた。

 

「ハリー。会えて嬉しいよ」

 

「こちらこそ」

 

 眼鏡。

 

 薄くなり始めた赤毛。

 

 優しそうな顔。

 

 未来では何度も世話になった。

 

 蛇に噛まれ、死にかけたこともある。

 

 今回は、あの未来も避ける。

 

「マグルの家では、電気プラグをどのように使うんだい?」

 

 最初の質問がそれだった。

 

「今日はその話をしに来たんじゃないよ、父さん」

 

 ロンが呆れる。

 

「後で説明します」

 

「本当かい?」

 

「時間があれば」

 

 アーサーの目が輝く。

 

 家の中では、フレッドとジョージが待ち構えていた。

 

「英雄殿のお越しだ」

 

「マルフォイ邸へ一人で乗り込んだという噂の」

 

 ハリーの足が止まる。

 

「どこで聞いた?」

 

「ロン」

 

「お前、話したのか」

 

「全部じゃないぞ!」

 

「マルフォイ邸へ行ったことは話したんだな」

 

「だって、すごいだろ」

 

「秘密だと言った」

 

「家族だけだよ」

 

 フレッドとジョージが同時に胸へ手を当てる。

 

「我々は口が堅い」

 

「必要があれば、どんな秘密も墓場まで持っていく」

 

「必要がなければ?」

 

「商品にする」

 

「ロン」

 

「悪かった」

 

 情報管理について、後でしっかり話す必要がある。

 

「ジニーは?」

 

 ハリーが尋ねる。

 

「二階」

 

 ロンが答える。

 

「ハリーが来るって聞いて、降りてこなくなった」

 

 前世と同じ反応。

 

 まだ十一歳。

 

 ハリーを前にすると、まともに話せない。

 

 今回は日記に心を奪われることもない。

 

 それだけで十分だった。

 

「それで、スキャバーズは?」

 

 ハリーが尋ねる。

 

 ロンの表情が変わる。

 

「やっぱり、あいつを見に来たのか?」

 

「どこにいる?」

 

「僕の部屋。籠に入れてある」

 

「逃げないように?」

 

「手紙に書いてあったから」

 

 ロンが声を潜める。

 

「ハリー。スキャバーズに何かあるのか?」

 

「ある」

 

「病気?」

 

「違う」

 

「じゃあ、何だよ」

 

「大人たちが来てから話す」

 

「大人?」

 

 その時。

 

 庭先から、複数の姿現しの音が響いた。

 

 モリーが驚いて玄関へ向かう。

 

 外に立っていたのは、ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプ、アメリア・ボーンズ。

 

 アーサーの顔から笑みが消える。

 

「ダンブルドア先生。それに、ボーンズ部長?」

 

「突然の訪問を許してほしい、アーサー」

 

 ダンブルドアが言う。

 

「君の家に、調べなくてはならないものがある」

 

「何でしょう?」

 

「ロンの飼っている鼠じゃ」

 

 沈黙。

 

 モリーが目を瞬く。

 

「スキャバーズを?」

 

「違法な変身術が使われている可能性があります」

 

 アメリアが魔法省の身分証を見せる。

 

「危険があるとは断定していません。ただし、確認が必要です」

 

「危険?」

 

 モリーがロンを見る。

 

「あなた、何か知っていたの?」

 

「僕は何も」

 

 ロンはハリーを見る。

 

 視線が集まった。

 

「僕が知らせました」

 

 ハリーは答えた。

 

「スキャバーズは、普通の鼠ではありません」

 

「どうして分かるんだ?」

 

 アーサーが尋ねる。

 

「この地図に、本当の名前が表示されます」

 

 ハリーは足跡の地図を広げた。

 

 ホグワーツの地図なので、今は何も表示されない。

 

 だが、ダンブルドアが杖を当て、地図の術式を一時的に拡張する。

 

 現在地周辺の簡単な線が浮かび上がった。

 

 隠れ穴。

 

 庭。

 

 室内。

 

 家族の名前。

 

 アーサー・ウィーズリー。

 

 モリー・ウィーズリー。

 

 フレッド。

 

 ジョージ。

 

 ロン。

 

 ジニー。

 

 そして、二階。

 

 ロンの部屋にある小さな点。

 

 ピーター・ペティグリュー。

 

 アーサーの顔が固まる。

 

「ピーター・ペティグリュー?」

 

 その名前は、魔法界では有名だった。

 

 シリウス・ブラックに殺されたとされ、勲章まで授与された人物。

 

「あり得ない」

 

 モリーが言う。

 

「ピーター・ペティグリューは亡くなったはずよ」

 

「死んでいません」

 

 ハリーが答える。

 

「アニメーガスです。鼠に変身して、十二年間隠れていました」

 

 ロンが青ざめる。

 

「スキャバーズが、人間?」

 

「ああ」

 

「僕のベッドで寝てたんだぞ!」

 

「それは今考えない方がいい」

 

「何で!」

 

「気分が悪くなるから」

 

 すでに遅かったらしい。

 

 ロンの顔色がさらに悪くなる。

 

「捕縛します」

 

 アメリアが杖を抜く。

 

「家族は一階に残ってください」

 

「私も行きます」

 

 アーサーが言う。

 

「ここは私の家です」

 

「許可します。ただし、指示に従ってください」

 

「ハリーは?」

 

 モリーが尋ねる。

 

「本人の識別に必要です」

 

「十二歳の子供を危険な場所へ連れていくの?」

 

「僕は大丈夫です」

 

「あなたが決めることではありません」

 

 モリーはハリーを見た。

 

 未来の記憶があることは知らない。

 

 彼女から見れば、危険へ慣れすぎた十二歳の子供だ。

 

「戦いません」

 

 ハリーは言う。

 

「離れた場所にいます」

 

「約束?」

 

「はい」

 

 モリーは不安そうだったが、最後には頷いた。

 

 階段を上る。

 

 先頭はアメリア。

 

 次にスネイプ。

 

 マクゴナガル。

 

 ダンブルドア。

 

 ハリーとロン。

 

 アーサーが最後。

 

 ロンの部屋の前で、全員が足を止める。

 

 中から物音はない。

 

「逃げたんじゃ」

 

 ロンが小声で言う。

 

「籠には鍵を掛けた」

 

「鼠なら、隙間から出られる」

 

「じゃあ、もう」

 

「地図にいる」

 

 ピーター・ペティグリューの点は、部屋の隅にある。

 

 ベッドの下。

 

 動いていない。

 

 こちらの会話を聞いているのだろう。

 

「扉を開けます」

 

 アメリアが言う。

 

 全員が杖を構える。

 

 アーサーが扉を開けた。

 

 室内。

 

 ベッド。

 

 机。

 

 開いた籠。

 

 スキャバーズの姿はない。

 

「出てる!」

 

 ロンが叫ぶ。

 

「静かに」

 

 ハリーは地図を見る。

 

 ベッドの下。

 

 アメリアが杖を向ける。

 

「アクシオ・ペティグリュー」

 

 何も起こらない。

 

 召喚呪文へ抵抗している。

 

 スネイプが床へ杖を当てた。

 

「閉じろ」

 

 窓。

 

 扉。

 

 壁の隙間。

 

 すべてが魔法で封鎖される。

 

 マクゴナガルがベッドを浮かせた。

 

 下に、灰色の鼠がいる。

 

 痩せた身体。

 

 欠けた前足の指。

 

 小さな黒い目。

 

 スキャバーズ。

 

 ピーター。

 

 鼠は一瞬、全員を見回した。

 

 次の瞬間、床を蹴る。

 

 壁際へ走る。

 

 アメリアが杖を振った。

 

「ペトリフィカス・トタルス!」

 

 鼠の身体が固まる。

 

 勢いのまま床を転がった。

 

 スネイプが首輪を投げる。

 

 金属の輪が鼠の身体へ触れた瞬間、大きく広がった。

 

 光。

 

 骨が伸びる音。

 

 毛が引っ込む。

 

 小さな鼠が、人間へ変化する。

 

 背の低い男。

 

 薄い髪。

 

 尖った鼻。

 

 水っぽい目。

 

 前歯。

 

 ピーター・ペティグリュー。

 

 首には、金属の輪が嵌まっている。

 

「成功だ」

 

 スネイプが言う。

 

 ピーターの身体は硬直したまま。

 

 目だけが動いている。

 

 ロンが後退する。

 

「本当に、人間だった」

 

 アーサーは、言葉を失っていた。

 

 ダンブルドアがピーターの前へ膝をつく。

 

「久しぶりじゃな、ピーター」

 

 拘束呪文が一時的に緩められる。

 

 ピーターが激しく息を吸った。

 

「ダンブルドア先生!」

 

 涙。

 

 怯えた声。

 

「助けてください! 私は、シリウスに――」

 

「シリウスはアズカバンにおる」

 

 ダンブルドアが遮る。

 

「十二年間な」

 

「違うんです! 私は、逃げるしか――」

 

「なぜ鼠の姿で、ウィーズリー家へ?」

 

 アメリアが尋ねる。

 

 ピーターが彼女を見る。

 

 魔法省の紋章に気づいた。

 

「私は、ブラックから逃げていました!」

 

「ブラックは収監されている」

 

「仲間がいるかもしれない!」

 

「十二年間、一度も魔法省へ保護を求めなかった理由は?」

 

「怖かったんです!」

 

「自分が生きていると名乗れば、ブラックの有罪判決が覆る可能性がある。それでも隠れ続けた?」

 

「私は混乱していて」

 

「十二年間も?」

 

 アメリアの声は冷静だった。

 

 逃げ道を一つずつ塞ぐ。

 

 ピーターは周囲を見回す。

 

 ハリーと目が合った。

 

 顔色が変わる。

 

「ハリー」

 

 馴れ馴れしく名前を呼ぶ。

 

「君はジェームズにそっくりだ」

 

 ハリーは答えない。

 

「私は、君のお父さんの友人だった」

 

「知ってる」

 

「なら、分かるだろう? 私は本当は――」

 

「秘密の守人だった」

 

 ピーターの口が止まる。

 

「父と母の居場所を、ヴォルデモートへ伝えた」

 

「違う!」

 

「シリウスに罪を着せた」

 

「違う!」

 

「十二人のマグルを殺し、自分の指を切り落とした」

 

「違う!」

 

「その後、鼠になって逃げた」

 

 ピーターが震える。

 

「どうして」

 

 かすれた声。

 

「どうして知っている?」

 

「あなたが思っているより多くのことを知っている」

 

 ハリーは一歩近づいた。

 

 殺せる距離。

 

 杖を抜けば一秒も掛からない。

 

 ピーターが生きていることで、どれほど多くの者が死んだか。

 

 セドリック。

 

 バーティ・クラウチ。

 

 ヴォルデモートの復活後に殺された無数の人々。

 

 その未来を思えば、今ここで殺す方が正しいようにも思える。

 

 ピーターの目に、怯えが浮かぶ。

 

 前世と同じ。

 

 命乞いをする目。

 

「ハリー」

 

 ダンブルドアが静かに呼んだ。

 

 ハリーは止まる。

 

 アメリアとの約束。

 

 法によって裁く。

 

 未来に起きる犯罪ではなく、すでに犯した罪を証明する。

 

「杖を調べてください」

 

 ハリーはピーターから視線を外した。

 

「十二人を殺した呪文の履歴が残っている可能性があります」

 

「十二年も前だぞ」

 

 アメリアが言う。

 

「杖そのものには残っていなくても、専門家なら深層履歴を復元できます」

 

「なぜ、そのような捜査技術を知っている?」

 

「本で読みました」

 

 スネイプが鼻を鳴らした。

 

 誰も信じていない。

 

 未来の記憶について知らないアメリアだけが、疑わしそうにハリーを見る。

 

「杖はどこにある?」

 

 アメリアがピーターへ尋ねた。

 

「持っていません」

 

「殺人現場で使った杖は?」

 

「シリウスに奪われました!」

 

「嘘だ」

 

 ハリーが言う。

 

「ヴォルデモートの杖を、ポッター家の跡地から回収したのもあなたでしょう」

 

 ピーターの顔から血の気が消えた。

 

 前世では明確に語られなかった部分もある。

 

 だが、ヴォルデモートの杖は復活時に本人の手へ戻っていた。

 

 誰かがゴドリックの谷から持ち去り、保管した。

 

 最も可能性が高いのはピーターだ。

 

「違う」

 

「杖の保管場所も、いずれ話してもらう」

 

「私は何も知らない!」

 

「それは法廷で判断する」

 

 アメリアが拘束を強める。

 

 銀色の縄が、ピーターの身体へ巻きつく。

 

「ピーター・ペティグリュー。大量殺人、司法妨害、違法アニメーガス登録違反、シリウス・ブラックへの虚偽告発、その他複数の容疑により拘束する」

 

「待ってください!」

 

 ピーターが叫ぶ。

 

「私は勲章を持っている! 魔法省は、私を英雄だと――」

 

「生きている英雄へ、改めて事情を聞くだけだ」

 

 アメリアの返答は冷たい。

 

「変身を封じる首輪は外さない。移送中に抵抗すれば、追加の拘束を行う」

 

「嫌だ!」

 

 ピーターが暴れる。

 

 鼠へ戻ろうとする。

 

 首輪が赤く光る。

 

 変身は起きない。

 

 スネイプの術式は正常に機能している。

 

 アメリアがピーターを立たせる。

 

「ボーンズ部長」

 

 ハリーは呼び止めた。

 

「アズカバンへ入れるなら、アニメーガス対策を続けてください」

 

「当然だ」

 

「首輪だけでは足りません。毎日、本人確認を。独房に小動物が入らないように。食事の容器にも隙間を作らないでください」

 

「随分と具体的だな」

 

「鼠は、想像以上に狭い場所を通れます」

 

「覚えておこう」

 

 アメリアはピーターを連れていく。

 

 階段を下りる前に、ピーターが振り返った。

 

「ハリー!」

 

 必死の声。

 

「君のお父さんなら、私を助ける!」

 

 ハリーは黙って見返した。

 

「父なら」

 

 静かに答える。

 

「あなたが母を売った時点で、二度と友人とは呼ばないと思う」

 

 ピーターの顔が歪む。

 

 アメリアと共に階下へ消えた。

 

 部屋には沈黙が残った。

 

 ロンが自分のベッドを見る。

 

「僕、あいつと何年も寝てた」

 

「考えない方がいいと言っただろ」

 

「無理だよ!」

 

「寝具は全部捨てるわ」

 

 いつの間にか上がってきていたモリーが言う。

 

「部屋も掃除する。徹底的に」

 

「僕も洗った方がいい?」

 

「三回くらい風呂に入りなさい」

 

「そんなに?」

 

「今すぐ!」

 

 ロンは追い立てられるように部屋を出た。

 

 フレッドとジョージが廊下から顔を覗かせる。

 

「ロンの鼠が中年男だった件について」

 

「今後十年は使える」

 

「やめてやれ」

 

 ハリーが言う。

 

「一週間だけにする」

 

「短いようで長いな」

 

 アーサーは、ダンブルドアと話している。

 

「これで、シリウス・ブラックの件は?」

 

「再調査が必要じゃ」

 

「もし本当にピーターが犯人なら」

 

「シリウスは無実である可能性が高い」

 

 可能性。

 

 まだ断定はしない。

 

 法的な手続きが必要だ。

 

「今からアズカバンへ?」

 

 ハリーが尋ねる。

 

「アメリアが魔法省へ戻り次第、シリウスの身柄を別の施設へ移すよう求める」

 

 ダンブルドアが答えた。

 

「再審が終わるまで、吸魂鬼の影響が少ない場所へ移すべきじゃろう」

 

「今日中に?」

 

「できる限り急ぐ」

 

「できる限りではなく」

 

「分かっておる」

 

 ダンブルドアは、ハリーを真っ直ぐ見た。

 

「ワシ自身も魔法省へ向かう」

 

「ファッジが反対したら?」

 

「ウィゼンガモットの緊急審問を要求する」

 

「却下されたら?」

 

「却下できぬだけの証拠を揃える」

 

「頼みます」

 

「うむ」

 

 その日の夕方。

 

 ダンブルドアから、最初の連絡が届いた。

 

 ピーターの指紋と、遺留された指の記録が一致。

 

 アニメーガス登録は存在しない。

 

 杖はまだ発見されていない。

 

 ピーターは黙秘を始めた。

 

 シリウスについては、翌朝アズカバンから魔法省の医療区画へ移送する。

 

 正式な釈放ではない。

 

 再審までの一時措置。

 

 それでも、吸魂鬼から離れられる。

 

 ハリーは手紙を何度も読み返した。

 

 十二年間。

 

 シリウスは、吸魂鬼に囲まれて過ごした。

 

 もう一日。

 

 あと一日で、あの場所から出られる。

 

「よかったな」

 

 隣に座るロンが言った。

 

「まだ終わってない」

 

「でも、ピーターは捕まえた」

 

「ああ」

 

「シリウスも出られる」

 

「一時的にだ」

 

「前よりはいいだろ」

 

「そうだな」

 

 ハリーは頷いた。

 

 すべてを一度に解決する必要はない。

 

 ピーターを捕まえた。

 

 シリウスをアズカバンから移す。

 

 次は無罪判決。

 

 一つずつ進める。

 

 翌朝。

 

 もう一通の手紙が届いた。

 

『シリウス・ブラックをアズカバンより移送した。衰弱が激しく、現在は聖マンゴ魔法疾患傷害病院の隔離病棟にいる。意識はある。君の名を口にした』

 

 最後の一文を見て、ハリーは目を閉じた。

 

 すぐに会いに行きたい。

 

 十二年ぶりではない。

 

 ハリーにとっては、何十年ぶりだ。

 

 だが、今のシリウスに会えば、何を言えばいいのか分からない。

 

 十一歳だったはずの名付け子が、八十歳を超えた記憶を持っている。

 

 未来で自分が死んだことも知っている。

 

 今はまだ、話せない。

 

「会いに行くのか?」

 

 ロンが尋ねる。

 

「すぐには行かない」

 

「どうして?」

 

「回復してからの方がいい」

 

 半分は本当だった。

 

 残り半分は、ハリー自身の問題だ。

 

 シリウスが生きている。

 

 その事実を受け止める時間が必要だった。

 

 隠れ穴で数日を過ごす。

 

 夏休みの宿題。

 

 妖精魔法の基礎訓練。

 

 日記の件について、ダンブルドアへ催促の手紙。

 

 シリウスの再審に向けた情報整理。

 

 やることは多い。

 

 ピーターを捕らえたことで、未来はさらに変化した。

 

 ヴォルデモートが復活する際、別の協力者を探す必要がある。

 

 バーティ・クラウチ・ジュニアは、まだ父親の家に囚われている。

 

 ベラトリックスたちはアズカバン。

 

 ルシウスは表向き善良な市民を演じている。

 

 すぐに代わりが見つかるとは思えない。

 

 時間は稼げた。

 

 だが、完全に安心はできない。

 

 ヴォルデモートは、追い詰められるほど予想外の手を使う。

 

 八月の終わり。

 

 プリベット通りへ一度戻り、母の守りを維持するため数日を過ごした。

 

 ダーズリー家には、友人の家へ泊まっていたと説明した。

 

「妙な連中の家だろう」

 

 バーノンが言う。

 

「魔法使いの家庭です」

 

「やはり妙な連中じゃないか」

 

 否定はしなかった。

 

 九月一日。

 

 キングズ・クロス駅。

 

 今回は、ダーズリー家に加えて、ウィーズリー家も近くにいる。

 

 ハリーは自分のトランクを押しながら、九番線と十番線の間へ向かった。

 

「シリウスの裁判は?」

 

 ロンが小声で尋ねる。

 

「証拠の確認に時間がかかってる」

 

「まだ無罪にならないのか?」

 

「魔法省は、一度認めた判断を覆すのが嫌いなんだ」

 

 特に、裁判なしで人を十二年間投獄した事実を認めることになる。

 

 ファッジは可能な限り先延ばしにするだろう。

 

 アメリアとダンブルドアが動いている。

 

 それでも簡単ではない。

 

「ピーターは?」

 

「魔法省の特別拘置室。人間の姿で固定されてる」

 

「もう鼠にはならない?」

 

「少なくとも、今のところは」

 

 ロンは少し安心した顔をした。

 

 ただし、今でも自分の部屋に鼠を入れたがらないらしい。

 

 障壁を抜ける。

 

 紅色のホグワーツ特急。

 

 白い蒸気。

 

 生徒と家族の声。

 

 二年目が始まる。

 

 去年とは違う。

 

 日記はすでに回収した。

 

 ピーターも捕らえた。

 

 シリウスはアズカバンから出た。

 

 未来の危機を、いくつも前倒しで潰している。

 

 順調に見える。

 

 それでも、ハリーの胸には嫌な予感があった。

 

 ダンブルドアは日記を破壊していない。

 

 秘密の部屋にはバジリスクが残っている。

 

 禁じられた森には、アクロマンチュラの群れ。

 

 そして今年の防衛術教師。

 

 列車の個室へ入る前、ロンが一冊の本を取り出した。

 

 表紙には、金髪の男が白い歯を見せて笑っている。

 

「母さんが買ったんだ」

 

「何を?」

 

「今年の教科書。ほとんど、この人の本らしい」

 

 表紙の名前。

 

 ギルデロイ・ロックハート。

 

 ハリーは立ち止まった。

 

「忘れてた」

 

「何を?」

 

「いや」

 

 日記。

 

 ピーター。

 

 シリウス。

 

 そちらへ気を取られ、完全に忘れていた。

 

 今年の闇の魔術に対する防衛術教師。

 

 他人の功績を盗み、本人の記憶を消してきた犯罪者。

 

 実力はほとんどない。

 

 だが、自己宣伝だけは一流。

 

「ダンブルドア」

 

 ハリーは額を押さえた。

 

「どうして、よりによってこいつを雇った」

 

「有名人だぞ」

 

 ロンが言う。

 

「母さんなんか、サインを欲しがってる」

 

「教育者としての能力と、知名度は関係ない」

 

「お前が言うと説得力があるな」

 

「僕は教師じゃない」

 

「でも有名だろ」

 

 ハリーはロックハートの笑顔を見た。

 

 来年度の危機を前倒しで処理した。

 

 教師陣とも協力関係を作った。

 

 シリウス救出への道も開いた。

 

 ここまで順調に進めたというのに。

 

 ダンブルドアの人選だけは、未来を知っていても理解できなかった。

 

「教育者としては、三流以下なんじゃないか、あの爺さん」

 

「誰が?」

 

「何でもない」

 

 列車が動き出す。

 

 窓の外で、ロンドンの景色が流れていく。

 

 二度目の二年目。

 

 秘密の部屋が開かれるはずだった一年。

 

 今回は、事件が始まる前に終わらせる。

 

 バジリスクは専門家へ任せる。

 

 日記は破壊する。

 

 ロックハートは、必要な範囲で利用する。

 

 そして、シリウスの無罪を勝ち取る。

 

「今年は去年より楽になるといいな」

 

 ロンが言った。

 

 ハリーは答えなかった。

 

 そういう言葉を口にした年ほど、楽になった記憶がなかった。

 

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