隠れ穴を訪れるのは、二度目の人生では初めてだった。
丘の向こうに見えてきた家は、記憶の中と変わらない。
増築を繰り返した結果、どうして倒れないのか分からない形になっている。
煙突が何本も突き出し、庭には長靴や錆びた大鍋が転がっている。
畑の隅では、ノームが土から顔を出していた。
整ってはいない。
裕福でもない。
それでも、ハリーにとっては世界で最も温かい家の一つだった。
「ハリー!」
玄関からロンが飛び出してくる。
「本当に来た!」
「手紙に書いただろ」
「でも、急だったから」
その後ろから、モリー・ウィーズリーが現れる。
「よく来たわね、ハリー!」
抱きしめられた。
一度目と同じ。
息が詰まるほど強い。
懐かしい匂い。
料理。
石鹸。
暖炉の煙。
「痩せてない?」
「学校を出た時と変わっていません」
「ちゃんと食べてるの?」
「十分に」
「ダーズリー家で?」
「今年は」
モリーの顔が少し険しくなる。
詳しく聞かれる前に、アーサーが家から出てきた。
「ハリー。会えて嬉しいよ」
「こちらこそ」
眼鏡。
薄くなり始めた赤毛。
優しそうな顔。
未来では何度も世話になった。
蛇に噛まれ、死にかけたこともある。
今回は、あの未来も避ける。
「マグルの家では、電気プラグをどのように使うんだい?」
最初の質問がそれだった。
「今日はその話をしに来たんじゃないよ、父さん」
ロンが呆れる。
「後で説明します」
「本当かい?」
「時間があれば」
アーサーの目が輝く。
家の中では、フレッドとジョージが待ち構えていた。
「英雄殿のお越しだ」
「マルフォイ邸へ一人で乗り込んだという噂の」
ハリーの足が止まる。
「どこで聞いた?」
「ロン」
「お前、話したのか」
「全部じゃないぞ!」
「マルフォイ邸へ行ったことは話したんだな」
「だって、すごいだろ」
「秘密だと言った」
「家族だけだよ」
フレッドとジョージが同時に胸へ手を当てる。
「我々は口が堅い」
「必要があれば、どんな秘密も墓場まで持っていく」
「必要がなければ?」
「商品にする」
「ロン」
「悪かった」
情報管理について、後でしっかり話す必要がある。
「ジニーは?」
ハリーが尋ねる。
「二階」
ロンが答える。
「ハリーが来るって聞いて、降りてこなくなった」
前世と同じ反応。
まだ十一歳。
ハリーを前にすると、まともに話せない。
今回は日記に心を奪われることもない。
それだけで十分だった。
「それで、スキャバーズは?」
ハリーが尋ねる。
ロンの表情が変わる。
「やっぱり、あいつを見に来たのか?」
「どこにいる?」
「僕の部屋。籠に入れてある」
「逃げないように?」
「手紙に書いてあったから」
ロンが声を潜める。
「ハリー。スキャバーズに何かあるのか?」
「ある」
「病気?」
「違う」
「じゃあ、何だよ」
「大人たちが来てから話す」
「大人?」
その時。
庭先から、複数の姿現しの音が響いた。
モリーが驚いて玄関へ向かう。
外に立っていたのは、ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプ、アメリア・ボーンズ。
アーサーの顔から笑みが消える。
「ダンブルドア先生。それに、ボーンズ部長?」
「突然の訪問を許してほしい、アーサー」
ダンブルドアが言う。
「君の家に、調べなくてはならないものがある」
「何でしょう?」
「ロンの飼っている鼠じゃ」
沈黙。
モリーが目を瞬く。
「スキャバーズを?」
「違法な変身術が使われている可能性があります」
アメリアが魔法省の身分証を見せる。
「危険があるとは断定していません。ただし、確認が必要です」
「危険?」
モリーがロンを見る。
「あなた、何か知っていたの?」
「僕は何も」
ロンはハリーを見る。
視線が集まった。
「僕が知らせました」
ハリーは答えた。
「スキャバーズは、普通の鼠ではありません」
「どうして分かるんだ?」
アーサーが尋ねる。
「この地図に、本当の名前が表示されます」
ハリーは足跡の地図を広げた。
ホグワーツの地図なので、今は何も表示されない。
だが、ダンブルドアが杖を当て、地図の術式を一時的に拡張する。
現在地周辺の簡単な線が浮かび上がった。
隠れ穴。
庭。
室内。
家族の名前。
アーサー・ウィーズリー。
モリー・ウィーズリー。
フレッド。
ジョージ。
ロン。
ジニー。
そして、二階。
ロンの部屋にある小さな点。
ピーター・ペティグリュー。
アーサーの顔が固まる。
「ピーター・ペティグリュー?」
その名前は、魔法界では有名だった。
シリウス・ブラックに殺されたとされ、勲章まで授与された人物。
「あり得ない」
モリーが言う。
「ピーター・ペティグリューは亡くなったはずよ」
「死んでいません」
ハリーが答える。
「アニメーガスです。鼠に変身して、十二年間隠れていました」
ロンが青ざめる。
「スキャバーズが、人間?」
「ああ」
「僕のベッドで寝てたんだぞ!」
「それは今考えない方がいい」
「何で!」
「気分が悪くなるから」
すでに遅かったらしい。
ロンの顔色がさらに悪くなる。
「捕縛します」
アメリアが杖を抜く。
「家族は一階に残ってください」
「私も行きます」
アーサーが言う。
「ここは私の家です」
「許可します。ただし、指示に従ってください」
「ハリーは?」
モリーが尋ねる。
「本人の識別に必要です」
「十二歳の子供を危険な場所へ連れていくの?」
「僕は大丈夫です」
「あなたが決めることではありません」
モリーはハリーを見た。
未来の記憶があることは知らない。
彼女から見れば、危険へ慣れすぎた十二歳の子供だ。
「戦いません」
ハリーは言う。
「離れた場所にいます」
「約束?」
「はい」
モリーは不安そうだったが、最後には頷いた。
階段を上る。
先頭はアメリア。
次にスネイプ。
マクゴナガル。
ダンブルドア。
ハリーとロン。
アーサーが最後。
ロンの部屋の前で、全員が足を止める。
中から物音はない。
「逃げたんじゃ」
ロンが小声で言う。
「籠には鍵を掛けた」
「鼠なら、隙間から出られる」
「じゃあ、もう」
「地図にいる」
ピーター・ペティグリューの点は、部屋の隅にある。
ベッドの下。
動いていない。
こちらの会話を聞いているのだろう。
「扉を開けます」
アメリアが言う。
全員が杖を構える。
アーサーが扉を開けた。
室内。
ベッド。
机。
開いた籠。
スキャバーズの姿はない。
「出てる!」
ロンが叫ぶ。
「静かに」
ハリーは地図を見る。
ベッドの下。
アメリアが杖を向ける。
「アクシオ・ペティグリュー」
何も起こらない。
召喚呪文へ抵抗している。
スネイプが床へ杖を当てた。
「閉じろ」
窓。
扉。
壁の隙間。
すべてが魔法で封鎖される。
マクゴナガルがベッドを浮かせた。
下に、灰色の鼠がいる。
痩せた身体。
欠けた前足の指。
小さな黒い目。
スキャバーズ。
ピーター。
鼠は一瞬、全員を見回した。
次の瞬間、床を蹴る。
壁際へ走る。
アメリアが杖を振った。
「ペトリフィカス・トタルス!」
鼠の身体が固まる。
勢いのまま床を転がった。
スネイプが首輪を投げる。
金属の輪が鼠の身体へ触れた瞬間、大きく広がった。
光。
骨が伸びる音。
毛が引っ込む。
小さな鼠が、人間へ変化する。
背の低い男。
薄い髪。
尖った鼻。
水っぽい目。
前歯。
ピーター・ペティグリュー。
首には、金属の輪が嵌まっている。
「成功だ」
スネイプが言う。
ピーターの身体は硬直したまま。
目だけが動いている。
ロンが後退する。
「本当に、人間だった」
アーサーは、言葉を失っていた。
ダンブルドアがピーターの前へ膝をつく。
「久しぶりじゃな、ピーター」
拘束呪文が一時的に緩められる。
ピーターが激しく息を吸った。
「ダンブルドア先生!」
涙。
怯えた声。
「助けてください! 私は、シリウスに――」
「シリウスはアズカバンにおる」
ダンブルドアが遮る。
「十二年間な」
「違うんです! 私は、逃げるしか――」
「なぜ鼠の姿で、ウィーズリー家へ?」
アメリアが尋ねる。
ピーターが彼女を見る。
魔法省の紋章に気づいた。
「私は、ブラックから逃げていました!」
「ブラックは収監されている」
「仲間がいるかもしれない!」
「十二年間、一度も魔法省へ保護を求めなかった理由は?」
「怖かったんです!」
「自分が生きていると名乗れば、ブラックの有罪判決が覆る可能性がある。それでも隠れ続けた?」
「私は混乱していて」
「十二年間も?」
アメリアの声は冷静だった。
逃げ道を一つずつ塞ぐ。
ピーターは周囲を見回す。
ハリーと目が合った。
顔色が変わる。
「ハリー」
馴れ馴れしく名前を呼ぶ。
「君はジェームズにそっくりだ」
ハリーは答えない。
「私は、君のお父さんの友人だった」
「知ってる」
「なら、分かるだろう? 私は本当は――」
「秘密の守人だった」
ピーターの口が止まる。
「父と母の居場所を、ヴォルデモートへ伝えた」
「違う!」
「シリウスに罪を着せた」
「違う!」
「十二人のマグルを殺し、自分の指を切り落とした」
「違う!」
「その後、鼠になって逃げた」
ピーターが震える。
「どうして」
かすれた声。
「どうして知っている?」
「あなたが思っているより多くのことを知っている」
ハリーは一歩近づいた。
殺せる距離。
杖を抜けば一秒も掛からない。
ピーターが生きていることで、どれほど多くの者が死んだか。
セドリック。
バーティ・クラウチ。
ヴォルデモートの復活後に殺された無数の人々。
その未来を思えば、今ここで殺す方が正しいようにも思える。
ピーターの目に、怯えが浮かぶ。
前世と同じ。
命乞いをする目。
「ハリー」
ダンブルドアが静かに呼んだ。
ハリーは止まる。
アメリアとの約束。
法によって裁く。
未来に起きる犯罪ではなく、すでに犯した罪を証明する。
「杖を調べてください」
ハリーはピーターから視線を外した。
「十二人を殺した呪文の履歴が残っている可能性があります」
「十二年も前だぞ」
アメリアが言う。
「杖そのものには残っていなくても、専門家なら深層履歴を復元できます」
「なぜ、そのような捜査技術を知っている?」
「本で読みました」
スネイプが鼻を鳴らした。
誰も信じていない。
未来の記憶について知らないアメリアだけが、疑わしそうにハリーを見る。
「杖はどこにある?」
アメリアがピーターへ尋ねた。
「持っていません」
「殺人現場で使った杖は?」
「シリウスに奪われました!」
「嘘だ」
ハリーが言う。
「ヴォルデモートの杖を、ポッター家の跡地から回収したのもあなたでしょう」
ピーターの顔から血の気が消えた。
前世では明確に語られなかった部分もある。
だが、ヴォルデモートの杖は復活時に本人の手へ戻っていた。
誰かがゴドリックの谷から持ち去り、保管した。
最も可能性が高いのはピーターだ。
「違う」
「杖の保管場所も、いずれ話してもらう」
「私は何も知らない!」
「それは法廷で判断する」
アメリアが拘束を強める。
銀色の縄が、ピーターの身体へ巻きつく。
「ピーター・ペティグリュー。大量殺人、司法妨害、違法アニメーガス登録違反、シリウス・ブラックへの虚偽告発、その他複数の容疑により拘束する」
「待ってください!」
ピーターが叫ぶ。
「私は勲章を持っている! 魔法省は、私を英雄だと――」
「生きている英雄へ、改めて事情を聞くだけだ」
アメリアの返答は冷たい。
「変身を封じる首輪は外さない。移送中に抵抗すれば、追加の拘束を行う」
「嫌だ!」
ピーターが暴れる。
鼠へ戻ろうとする。
首輪が赤く光る。
変身は起きない。
スネイプの術式は正常に機能している。
アメリアがピーターを立たせる。
「ボーンズ部長」
ハリーは呼び止めた。
「アズカバンへ入れるなら、アニメーガス対策を続けてください」
「当然だ」
「首輪だけでは足りません。毎日、本人確認を。独房に小動物が入らないように。食事の容器にも隙間を作らないでください」
「随分と具体的だな」
「鼠は、想像以上に狭い場所を通れます」
「覚えておこう」
アメリアはピーターを連れていく。
階段を下りる前に、ピーターが振り返った。
「ハリー!」
必死の声。
「君のお父さんなら、私を助ける!」
ハリーは黙って見返した。
「父なら」
静かに答える。
「あなたが母を売った時点で、二度と友人とは呼ばないと思う」
ピーターの顔が歪む。
アメリアと共に階下へ消えた。
部屋には沈黙が残った。
ロンが自分のベッドを見る。
「僕、あいつと何年も寝てた」
「考えない方がいいと言っただろ」
「無理だよ!」
「寝具は全部捨てるわ」
いつの間にか上がってきていたモリーが言う。
「部屋も掃除する。徹底的に」
「僕も洗った方がいい?」
「三回くらい風呂に入りなさい」
「そんなに?」
「今すぐ!」
ロンは追い立てられるように部屋を出た。
フレッドとジョージが廊下から顔を覗かせる。
「ロンの鼠が中年男だった件について」
「今後十年は使える」
「やめてやれ」
ハリーが言う。
「一週間だけにする」
「短いようで長いな」
アーサーは、ダンブルドアと話している。
「これで、シリウス・ブラックの件は?」
「再調査が必要じゃ」
「もし本当にピーターが犯人なら」
「シリウスは無実である可能性が高い」
可能性。
まだ断定はしない。
法的な手続きが必要だ。
「今からアズカバンへ?」
ハリーが尋ねる。
「アメリアが魔法省へ戻り次第、シリウスの身柄を別の施設へ移すよう求める」
ダンブルドアが答えた。
「再審が終わるまで、吸魂鬼の影響が少ない場所へ移すべきじゃろう」
「今日中に?」
「できる限り急ぐ」
「できる限りではなく」
「分かっておる」
ダンブルドアは、ハリーを真っ直ぐ見た。
「ワシ自身も魔法省へ向かう」
「ファッジが反対したら?」
「ウィゼンガモットの緊急審問を要求する」
「却下されたら?」
「却下できぬだけの証拠を揃える」
「頼みます」
「うむ」
その日の夕方。
ダンブルドアから、最初の連絡が届いた。
ピーターの指紋と、遺留された指の記録が一致。
アニメーガス登録は存在しない。
杖はまだ発見されていない。
ピーターは黙秘を始めた。
シリウスについては、翌朝アズカバンから魔法省の医療区画へ移送する。
正式な釈放ではない。
再審までの一時措置。
それでも、吸魂鬼から離れられる。
ハリーは手紙を何度も読み返した。
十二年間。
シリウスは、吸魂鬼に囲まれて過ごした。
もう一日。
あと一日で、あの場所から出られる。
「よかったな」
隣に座るロンが言った。
「まだ終わってない」
「でも、ピーターは捕まえた」
「ああ」
「シリウスも出られる」
「一時的にだ」
「前よりはいいだろ」
「そうだな」
ハリーは頷いた。
すべてを一度に解決する必要はない。
ピーターを捕まえた。
シリウスをアズカバンから移す。
次は無罪判決。
一つずつ進める。
翌朝。
もう一通の手紙が届いた。
『シリウス・ブラックをアズカバンより移送した。衰弱が激しく、現在は聖マンゴ魔法疾患傷害病院の隔離病棟にいる。意識はある。君の名を口にした』
最後の一文を見て、ハリーは目を閉じた。
すぐに会いに行きたい。
十二年ぶりではない。
ハリーにとっては、何十年ぶりだ。
だが、今のシリウスに会えば、何を言えばいいのか分からない。
十一歳だったはずの名付け子が、八十歳を超えた記憶を持っている。
未来で自分が死んだことも知っている。
今はまだ、話せない。
「会いに行くのか?」
ロンが尋ねる。
「すぐには行かない」
「どうして?」
「回復してからの方がいい」
半分は本当だった。
残り半分は、ハリー自身の問題だ。
シリウスが生きている。
その事実を受け止める時間が必要だった。
隠れ穴で数日を過ごす。
夏休みの宿題。
妖精魔法の基礎訓練。
日記の件について、ダンブルドアへ催促の手紙。
シリウスの再審に向けた情報整理。
やることは多い。
ピーターを捕らえたことで、未来はさらに変化した。
ヴォルデモートが復活する際、別の協力者を探す必要がある。
バーティ・クラウチ・ジュニアは、まだ父親の家に囚われている。
ベラトリックスたちはアズカバン。
ルシウスは表向き善良な市民を演じている。
すぐに代わりが見つかるとは思えない。
時間は稼げた。
だが、完全に安心はできない。
ヴォルデモートは、追い詰められるほど予想外の手を使う。
八月の終わり。
プリベット通りへ一度戻り、母の守りを維持するため数日を過ごした。
ダーズリー家には、友人の家へ泊まっていたと説明した。
「妙な連中の家だろう」
バーノンが言う。
「魔法使いの家庭です」
「やはり妙な連中じゃないか」
否定はしなかった。
九月一日。
キングズ・クロス駅。
今回は、ダーズリー家に加えて、ウィーズリー家も近くにいる。
ハリーは自分のトランクを押しながら、九番線と十番線の間へ向かった。
「シリウスの裁判は?」
ロンが小声で尋ねる。
「証拠の確認に時間がかかってる」
「まだ無罪にならないのか?」
「魔法省は、一度認めた判断を覆すのが嫌いなんだ」
特に、裁判なしで人を十二年間投獄した事実を認めることになる。
ファッジは可能な限り先延ばしにするだろう。
アメリアとダンブルドアが動いている。
それでも簡単ではない。
「ピーターは?」
「魔法省の特別拘置室。人間の姿で固定されてる」
「もう鼠にはならない?」
「少なくとも、今のところは」
ロンは少し安心した顔をした。
ただし、今でも自分の部屋に鼠を入れたがらないらしい。
障壁を抜ける。
紅色のホグワーツ特急。
白い蒸気。
生徒と家族の声。
二年目が始まる。
去年とは違う。
日記はすでに回収した。
ピーターも捕らえた。
シリウスはアズカバンから出た。
未来の危機を、いくつも前倒しで潰している。
順調に見える。
それでも、ハリーの胸には嫌な予感があった。
ダンブルドアは日記を破壊していない。
秘密の部屋にはバジリスクが残っている。
禁じられた森には、アクロマンチュラの群れ。
そして今年の防衛術教師。
列車の個室へ入る前、ロンが一冊の本を取り出した。
表紙には、金髪の男が白い歯を見せて笑っている。
「母さんが買ったんだ」
「何を?」
「今年の教科書。ほとんど、この人の本らしい」
表紙の名前。
ギルデロイ・ロックハート。
ハリーは立ち止まった。
「忘れてた」
「何を?」
「いや」
日記。
ピーター。
シリウス。
そちらへ気を取られ、完全に忘れていた。
今年の闇の魔術に対する防衛術教師。
他人の功績を盗み、本人の記憶を消してきた犯罪者。
実力はほとんどない。
だが、自己宣伝だけは一流。
「ダンブルドア」
ハリーは額を押さえた。
「どうして、よりによってこいつを雇った」
「有名人だぞ」
ロンが言う。
「母さんなんか、サインを欲しがってる」
「教育者としての能力と、知名度は関係ない」
「お前が言うと説得力があるな」
「僕は教師じゃない」
「でも有名だろ」
ハリーはロックハートの笑顔を見た。
来年度の危機を前倒しで処理した。
教師陣とも協力関係を作った。
シリウス救出への道も開いた。
ここまで順調に進めたというのに。
ダンブルドアの人選だけは、未来を知っていても理解できなかった。
「教育者としては、三流以下なんじゃないか、あの爺さん」
「誰が?」
「何でもない」
列車が動き出す。
窓の外で、ロンドンの景色が流れていく。
二度目の二年目。
秘密の部屋が開かれるはずだった一年。
今回は、事件が始まる前に終わらせる。
バジリスクは専門家へ任せる。
日記は破壊する。
ロックハートは、必要な範囲で利用する。
そして、シリウスの無罪を勝ち取る。
「今年は去年より楽になるといいな」
ロンが言った。
ハリーは答えなかった。
そういう言葉を口にした年ほど、楽になった記憶がなかった。