トム・リドルの日記を破壊してから、ホグワーツには珍しく平穏な日々が続いた。
秘密の部屋にバジリスクはいない。
禁じられた森のアクロマンチュラも、大部分が魔法省の保護区へ移送された。
ギルデロイ・ロックハートは、相変わらず自分の授業がすべての問題を解決したかのように振る舞っている。
「皆さんもご存じの通り、今回の秘密の部屋調査は、私の綿密な指導計画によって――」
「申請書に署名しただけだろ」
ロンが小声で言う。
「それも半分はハーマイオニーが付箋を貼った場所に」
ハリーが答える。
「魔法省の役人の前では、現場へ行ったような話をしてたわ」
ハーマイオニーの声は冷たい。
「行ってないよな?」
「執務室を指揮所と呼んでいました」
「何を指揮したんだ?」
「自分の写真の配置じゃないか」
教室の前では、ロックハートが黒板へ自分の名前を大きく書いている。
肝心の防衛術は、ほとんど教えていない。
実技の日にはスネイプかフリットウィックが呼ばれ、ロックハートは横から説明を加える。
内容の大半は間違っている。
最近では、生徒たちも聞き流すようになった。
「先生」
ハーマイオニーが手を上げた。
「何かな、ハーマイオニー?」
「先ほど、吸血鬼にはニンニクを投げれば必ず逃げるとおっしゃいましたが、地域によって効果が異なるという記録があります」
「私が遭遇した吸血鬼には効いた」
「先生の著書では、ニンニクではなく銀の粉を使用したと書かれていました」
「それも使ったのだよ」
「該当箇所には、ニンニクを持っていなかったとも」
「細かいことを気にしてはいけない」
「事実関係です」
「冒険談には、多少の演出が必要なんだ」
教室が静かになった。
ハリーはロックハートを見る。
自分から、演出と口にした。
本人も気づいたらしい。
「もちろん、事実を分かりやすく伝えるという意味だ」
「どの程度までが演出ですか?」
ハーマイオニーが追及する。
「例えば、事件を解決した人物が別にいた場合、その人の名前を省くことも?」
ロックハートの笑顔が固まった。
ハーマイオニーには、彼の犯罪について説明してある。
被害者の調査も、ダンブルドアと魔法省が秘密裏に進めていた。
すでに数名の候補が見つかっている。
ロックハートの本に記された事件の場所。
当時そこに住んでいた魔法使い。
事件後、原因不明の記憶障害を起こした者。
偶然にしては一致が多すぎる。
「そのような仮定に意味はない」
「では、先生はすべてご自分で解決したと?」
「当然だとも」
ロックハートは胸を張った。
今の発言も記録されている。
教室には、魔法省が設置した記録用の羽根ペンがある。
本人には、授業改善のためだと伝えられている。
実際には、虚偽の発言と魔法使用を記録するためだった。
「年度末まで持つかな」
ロンが呟く。
「証拠が揃えば、その前に捕まるかもしれない」
ハリーが答える。
「教師がいなくなるぞ」
「今も、実質的にはいない」
「それもそうか」
ロックハートの問題は、もはやハリーが直接動く必要もない。
魔法省へ任せた。
被害者を探し、記憶の損傷を確認し、証拠を揃える。
専門家の仕事だ。
以前のハリーなら、自分で被害者を訪ねて回っていたかもしれない。
今は違う。
役割を任せることを覚えた。
少なくとも、少しは。
ハリーにとって、現在最も重要なのはシリウスの裁判だった。
ピーター・ペティグリューが捕らえられてから、魔法省は過去の事件を再調査している。
発見された杖。
大量殺人に使われた爆破呪文の履歴。
ゴドリックの谷に残っていた秘密の守人の契約。
ピーターが自ら切断した指。
違法アニメーガスとして十二年間潜伏していた事実。
証拠は揃っている。
それでも、裁判の開催までには時間が掛かった。
理由は単純だった。
魔法省が、自分たちの失敗を認めたくなかったからだ。
シリウス・ブラックは裁判を受けていない。
バーティ・クラウチ・シニアの命令だけで、アズカバンへ送られた。
もし無実であれば。
魔法省は、無実の人間を十三年近く吸魂鬼のもとへ投獄したことになる。
「今さら何を守ろうとしてるんだか」
ハリーは、ダンブルドアから届いた手紙を読みながら呟いた。
場所はグリフィンドール談話室。
暖炉の前にはロンとハーマイオニーもいる。
「魔法省の信用でしょう」
ハーマイオニーが言う。
「無罪を認めた方が、まだ信用できると思うけど」
ロンが答える。
「間違いを隠す組織より、認める組織の方がましだろ」
「皆がそう考えるわけではないのよ」
「父さんも、魔法省は面倒だって言ってた」
「アーサーさんが?」
「偉い人は、失敗した時ほど書類を増やすって」
「正しいな」
未来で管理職だったハリーにも覚えがある。
問題が起きる。
再発防止策を求められる。
新しい規則が作られる。
確認書類が増える。
現場の負担が増える。
そして、誰も規則の全体像を把握できなくなる。
「でも、今回はダンブルドア先生もアメリアさんもいる」
ロンが言った。
「勝てるよな?」
「証拠だけ見れば」
「何かあるの?」
「ファッジが政治的な理由で抵抗するかもしれない」
コーネリウス・ファッジ。
現在の魔法大臣。
この時期は、まだダンブルドアへ頻繁に助言を求めている。
未来ほど敵対してはいない。
それでも、責任問題となれば話は別だ。
「シリウスが無罪になれば、魔法省が賠償しなくてはならないでしょうね」
ハーマイオニーが言う。
「お金の問題?」
ロンが尋ねる。
「それだけじゃないわ。担当者の処分。過去の判断の見直し。裁判なしで収監された他の囚人がいないかも調べなくてはいけない」
「やるべきだろ」
「そうよ。でも、やりたくない人もいる」
ハリーは手紙を畳んだ。
「法廷は来週だ」
「ハリーも出るの?」
「証人として」
「授業は?」
「公欠です」
「いいな」
「人の無罪を証明する法廷だぞ」
「分かってるけど、魔法史よりは」
「ロン」
ハーマイオニーが睨む。
「何も言ってない」
特別法廷は、魔法省地下十階の法廷で開かれることになった。
かつて、ハリー自身が未成年魔法使用の件で立たされた場所。
未来の記憶より、ずっと早く訪れる。
当日の朝。
ハリーはダンブルドアと共に、校長室の暖炉から魔法省へ向かった。
緑色の炎。
煙突飛行網。
視界が回転する。
魔法省本部の暖炉へ吐き出される。
「やはり、好きになれないな」
ハリーはローブの煤を払った。
「妖精の移動に慣れすぎたのではないかの?」
ダンブルドアが尋ねる。
「あちらの方が速いです」
「魔法省の内部へ、無断で妖精魔法を使わぬように」
「分かっています」
「本当に?」
「今日は余計な問題を増やしません」
「今日は、という言い方が気になるの」
二人はアトリウムを進む。
黄金の像。
忙しく行き交う魔法使いたち。
紙飛行機のような省内連絡文書。
ハリーへ気づいた者たちが、足を止める。
囁き声。
指差す者。
二度目の人生でも、注目には慣れない。
むしろ、前世で長く公職に就いた結果、余計に面倒に感じる。
「ハリー」
低い声。
振り返る。
アメリア・ボーンズが立っていた。
濃い色の法衣。
片眼鏡。
手には厚い書類の束。
「証言内容の最終確認をする」
「分かりました」
「アルバス。あなたはウィゼンガモット席へ」
「うむ」
「シリウスは?」
ハリーが尋ねる。
「すでに来ている」
「会えますか?」
「法廷前は避けた方がいい」
「なぜ?」
「精神状態が安定していない」
十三年近いアズカバン生活。
聖マンゴへ移送されてから、まだ数か月。
吸魂鬼の影響は簡単には消えない。
「僕のことは?」
「理解している。君へ会いたがっている」
「なら」
「だからこそだ」
アメリアの声が少し柔らかくなる。
「今会えば、彼は法廷へ集中できなくなるかもしれない」
正しい。
ハリーは頷いた。
「裁判後にします」
「そうしてくれ」
控室で証言内容を確認する。
ハリーが直接知っていることは、本来なら多くない。
前世の記憶を法廷へ出すわけにはいかない。
今回の時間で確認した事実だけを話す。
足跡の地図にピーターの名が表示された。
隠れ穴で鼠の姿から人間へ戻るところを見た。
ピーターが、ハリーの知識を前に動揺した。
秘密の守人であることや、ヴォルデモートの杖を回収した疑いへ、明確な否定をできなかった。
「誘導的な発言をしたと指摘される可能性がある」
アメリアが言う。
「僕が事件の詳細を言ったことで、ピーターの反応を引き出した」
「そうだ」
「ですが、杖の履歴と契約記録は別にあります」
「そこが重要になる」
「シリウスがピーターを殺そうとしていた点は?」
「検察側が問題にする可能性がある」
「検察?」
「形式上、魔法省はシリウス・ブラックの収監判断を維持する立場だ」
「自分たちの失敗を認めたくないから?」
「そう言ってもよい」
アメリア自身も魔法省側だ。
だが、公正さを優先している。
「シリウスがピーターを殺そうとしたのは事実でしょう」
「はい」
「それを隠す必要はない」
「でも、殺してはいない」
「ピーターが先に魔法を使い、十二人を殺した」
「そうです」
「ならば、その後のシリウスの行動は別件だ」
アメリアは書類を閉じる。
「殺人未遂として問う余地はある。ただし、十三年間の不当拘禁と相殺できる話ではない」
「相殺するものでもないでしょう」
「その通りだ」
法廷の扉が開く。
冷たい石造りの部屋。
中央に鎖のついた椅子が二つ。
一つにはシリウス。
もう一つにはピーター。
ハリーの足が止まる。
シリウスは痩せていた。
前世で脱獄直後に見た姿より、さらに弱っている。
長い黒髪には白いものが混じり、頬は落ち窪んでいた。
囚人服ではない。
聖マンゴが用意した灰色のローブ。
手首には拘束具がある。
だが、アズカバンの鎖ではない。
隣のピーターは、再変身防止の首輪をつけている。
小さな目が絶えず周囲を探っていた。
ハリーを見つける。
即座に視線を逸らす。
シリウスもハリーへ気づいた。
灰色の目が大きくなる。
「ハリー」
かすれた声。
立ち上がろうとする。
椅子の鎖が鳴る。
「被告人は座ったままに」
法廷職員が命じる。
「被告人じゃない!」
ハリーは思わず言った。
法廷中の視線が集まる。
アメリアが小さく首を振る。
今は黙れという合図。
ハリーは証人席へ向かう。
シリウスは、ハリーから目を離さない。
信じられないものを見る顔。
生きている。
ここにいる。
ハリーの胸が痛む。
前世では、助けられなかった。
無実を証明できないまま、死なせた。
今回は違う。
必ず、この法廷から外へ出す。
ウィゼンガモットの席には、五十人近い魔法使いが並んでいる。
中央。
議長はダンブルドア。
その隣にファッジ。
魔法省側の検察官。
アメリアは調査責任者として証拠提出を行う。
「シリウス・オリオン・ブラックに対する再審を開始する」
ダンブルドアの声が響く。
「審理の対象は、ポッター夫妻殺害への共謀、ピーター・ペティグリューおよびマグル十二名の殺害、闇の魔法使いへの協力についてじゃ」
検察官が立つ。
過去の事件記録。
爆発現場。
目撃者たちの証言。
シリウスが笑っていたという話。
杖を持ち、ピーターと対峙していた。
ピーターの指だけが残った。
すべて、過去の判断を正当化する内容だった。
「現場の状況から、シリウス・ブラックが犯人であることは明白だった」
検察官が言う。
「明白なら、なぜ裁判をしなかった?」
アメリアが問う。
「当時は戦時下だった」
「戦時下なら、証拠確認を省略してよいと?」
「緊急性があった」
「被疑者は拘束済みだった。緊急性はない」
最初から、魔法省側は苦しい。
次に証拠。
ピーター本人。
切断された指との一致。
違法アニメーガス。
ウィーズリー家での潜伏。
杖の深層履歴。
十二人のマグルを殺した爆破呪文。
法廷がざわめく。
「この杖は、ピーター・ペティグリューの所有物であることが確認されている」
アメリアが言う。
「複数の同級生、オリバンダー氏の販売記録、杖の反応により一致した」
「杖を他人が使った可能性は?」
検察官が尋ねる。
「当時、杖は本人の手元にあったという目撃証言がある」
「シリウス・ブラックが奪った可能性は?」
「それなら、なぜウィーズリー家の庭へ埋められていた?」
検察官が黙る。
秘密の守人の契約記録。
これが決定的だった。
ゴドリックの谷。
破壊されたポッター家。
土地と廃墟へ残る古い魔力。
契約の中心にいた名前。
ジェームズ・ポッター。
リリー・ポッター。
ハリー・ポッター。
そして、守人。
ピーター・ペティグリュー。
「シリウス・ブラックではない」
アメリアが断言する。
「契約は事件の数日前に変更されていた」
「誰が変更を?」
「ポッター夫妻本人。シリウス・ブラック。そしてピーター・ペティグリュー」
シリウスが目を閉じる。
後悔。
自分が提案した。
自分より弱く、狙われないと思われたピーターへ守人を変更した。
その判断が、親友を死なせた。
「俺が」
シリウスが声を絞り出す。
「俺が、ピーターを勧めた」
「被告人は、質問された時だけ答えるように」
「俺のせいだ!」
「シリウス」
ダンブルドアが静かに呼ぶ。
「今は事実を明らかにする場じゃ」
「事実だ! ジェームズたちが死んだのは、俺が――」
「違う!」
ハリーは立ち上がった。
「守人を提案したことと、裏切ったことは別です!」
法廷が静まり返る。
「ハリー」
シリウスが見る。
「俺があいつを信じた」
「父も母も信じた」
「俺が止めていれば」
「未来を知らなかったでしょう!」
ハリーの声が響く。
一度目の人生。
何度も聞いた後悔。
自分を責め続けたシリウス。
「悪いのは、裏切ったピーターです」
ピーターが身を縮める。
「あなたじゃない」
シリウスの目に涙が浮かぶ。
「ハリー、俺は」
「今は裁判を終わらせましょう」
アメリアが、ハリーへ座るよう目で促す。
ハリーは従った。
ピーターの尋問。
最初は黙秘。
次に否定。
杖の履歴は捏造。
秘密の守人の記録は誤り。
自分は十二年間、シリウスから逃げていた。
「では、なぜ魔法省へ名乗り出なかった?」
「怖かった」
「なぜウィーズリー家を選んだ?」
「偶然だ」
「魔法省職員の家庭であることは?」
「知らなかった」
「アーサー・ウィーズリーは、当時から魔法省に勤務している」
「鼠だったから、分からなかった」
「人間の知性を保つアニメーガスが?」
嘘を重ねるほど、崩れていく。
最後に、アメリアがヴォルデモートの杖について尋ねた。
「ポッター家の跡地から、闇の帝王の杖を回収したか?」
「知らない」
「杖は現在、どこにある?」
「知らない!」
「お前の杖に、別の杖を長期間保管するための封印魔法を使用した痕跡がある」
ハリーも知らなかった新証拠。
ピーターの顔色が変わる。
「誰の杖を保管した?」
「何も」
「闇の帝王の杖か?」
「違う!」
「では誰の?」
「それは」
答えられない。
ヴォルデモートの杖を回収し、どこかへ隠した。
復活した時に返すため。
忠誠心。
恐怖。
あるいは保険。
「杖の場所を言え」
アメリアが迫る。
「知らない」
「ならば、追加で隠匿の容疑を調べる」
ピーターは俯いた。
審理は数時間続いた。
最後。
ウィゼンガモットによる評決。
「シリウス・オリオン・ブラックについて」
ダンブルドアが立つ。
「ポッター夫妻殺害への共謀、およびピーター・ペティグリュー、マグル十二名殺害の罪を認める者は?」
数本の手が上がる。
少ない。
「認めない者は?」
大多数。
ダンブルドアの手も上がる。
アメリア。
何人もの古い家系の代表。
ファッジは、最後まで迷い、ゆっくりと手を上げた。
無罪側へ。
「評決」
ダンブルドアの声。
「シリウス・オリオン・ブラックを、すべての容疑について無罪とする」
鎖が外れる。
金属音。
シリウスは動かなかった。
理解できていないように、手首を見る。
「無罪」
小さく呟く。
「俺が?」
「そうじゃ」
ダンブルドアが答える。
「君は自由じゃよ、シリウス」
自由。
十三年近く遅れた言葉。
シリウスが顔を上げる。
最初に見たのはハリーだった。
「ハリー」
ハリーは証人席から降りる。
法廷職員が止めようとしたが、アメリアが手で制した。
シリウスの前へ立つ。
近くで見ると、本当に痩せている。
前世の記憶にあるシリウスより若い。
まだ三十代半ば。
だが、アズカバンで年齢以上に老けていた。
「久しぶり」
ハリーは言った。
シリウスが泣きながら笑う。
「お前は、俺を覚えてないだろ」
「写真で見ました」
完全な嘘ではない。
「ハグリッドが、両親の写真を集めてくれた」
「そうか」
「父の隣に、いつもあなたがいた」
「ジェームズは」
声が詰まる。
「ジェームズとリリーは、俺を許さない」
「さっきも言ったでしょう」
ハリーはシリウスの目を見る。
「裏切ったのはピーターです」
「でも、俺が」
「あなたは判断を間違えた。それだけです」
「それだけで、二人は死んだ」
「結果を知っているから言えるんです」
未来の記憶を持つハリー自身が、結果を知っているから多くの判断を変えられる。
普通の人間にはできない。
「父と母は、自分たちでピーターを守人に選んだ」
「俺が勧めた」
「父は、嫌なら断ったでしょう」
ジェームズ・ポッター。
人に言われたから仕方なく決める人物ではない。
「全部を自分の責任にしないでください」
ダンブルドアへ言った言葉と同じだった。
自分が大切な者を守れなかった。
だから、すべて自分が悪い。
二人は似ていないようで、同じところがある。
「ハリー」
シリウスが手を伸ばす。
途中で止める。
触れてよいか分からないようだった。
ハリーから一歩近づく。
抱きしめる。
細い身体。
一瞬、硬直。
すぐに、強く抱き返された。
「すまない」
耳元で声が震える。
「ずっと一人にした」
「あなたも一人だった」
「俺は名付け親なのに」
「これからがあります」
前世では言えなかった言葉。
「まだ三十代でしょう」
「もう三十四だ」
「若いですよ」
「十二歳に言われたくない」
「中身はもっと上なので」
「何?」
「何でもありません」
シリウスが少し笑う。
法廷の反対側。
ピーターは再び拘束されている。
有罪判決は別の裁判で行われる。
大量殺人。
司法妨害。
違法アニメーガス。
ヴォルデモートへの協力。
アズカバン送りは避けられない。
ただし、再変身防止の首輪。
魔力抑制。
専用独房。
今回は逃げられない。
ピーターと目が合う。
憎しみではない。
怯え。
助けを求める目。
「ハリー」
口だけが動く。
ハリーは視線を外した。
法が裁く。
殺す必要はない。
少なくとも、今は。
ファッジが近づいてくる。
帽子を手に持ち、落ち着かない様子だった。
「ブラック氏」
「何だ」
シリウスの声が冷える。
「この度は、非常に残念な手違いが」
「手違い?」
「当時は戦時下で、情報も混乱しており」
「十三年が手違いで済むのか?」
「もちろん、魔法省として補償を」
「吸魂鬼に食われた十三年を、金で戻せるのか?」
ファッジが言葉を失う。
ハリーはシリウスの腕を軽く掴む。
怒るのは当然。
だが、今ここでファッジを殴れば、別の事件になる。
「シリウス」
「分かってる」
口ではそう言いながら、拳は握られている。
「補償の話は、代理人を通してください」
ハリーが言う。
ファッジが目を瞬く。
「代理人?」
「ブラック家の財産管理をしている者か、弁護士を」
「ハリー」
シリウスが見る。
「なぜ、そんな話に慣れてる?」
「本で読みました」
「またその答えか?」
ダンブルドアが髭の奥で笑う。
「彼がその言葉を使う時は、話したくないことがある時じゃよ」
「校長先生」
「事実じゃろう?」
「今は余計な情報を与えないでください」
裁判終了後。
シリウスはすぐには自由行動を許されなかった。
法的には自由。
しかし、長期収監による身体と精神の治療が必要。
聖マンゴへ戻り、数週間の経過観察。
その後、ブラック家の屋敷へ戻る予定となった。
「ハリー」
別れ際。
シリウスが呼ぶ。
「退院したら、会いに来てくれるか?」
「もちろん」
「本当に?」
「手紙を書きます」
「俺からも書く」
「返事は急がなくていいです」
「十三年分書く」
「多すぎます」
「じゃあ十二年分」
「減ってません」
シリウスが笑う。
先ほどより自然な笑顔。
前世で知っていた彼に、少し近づいた。
「またな、ハリー」
「また」
聖マンゴの職員と共に、シリウスが移動する。
ハリーは姿が見えなくなるまで見送った。
「助けられたの」
ダンブルドアが隣で言う。
「まだ完全ではありません」
「無罪は確定した」
「十三年は戻らない」
「それでも、これからはある」
ハリーがシリウスへ言った言葉。
「そうですね」
「君が動いたからこそ、今日に至った」
「先生たちが協力したからです」
「以前なら、自分一人の手柄ではないと言いながら、すべて自分で背負おうとしておった」
「改善中です」
「ワシも見習わなくてはの」
「本当にお願いします」
「まだ信用されておらん」
「今年の日記の件がありますから」
「しばらく言われ続けそうじゃな」
「少なくとも卒業までは」
「長いの」
魔法省を出る前。
アメリアがハリーを呼び止めた。
「ピーターの杖について報告がある」
「ヴォルデモートの杖の場所が?」
「まだ話していない」
「なら?」
「杖に掛けられた保管魔法の向きを追跡した」
「場所が分かった?」
「アルバニア」
未来と同じ。
ヴォルデモートが潜伏していた森。
「正確な位置は?」
「魔法が古く、範囲しか絞れない」
「調査隊を出しますか?」
「すでに準備している」
仕事が早い。
「僕も」
「連れていかない」
「まだ何も言っていません」
「行きたい顔をしている」
「正確な場所を知っている可能性があります」
「未来の知識か?」
ハリーは黙る。
アメリアは、かなりのところまで推測している。
「アルバスからは聞いていない」
「何を?」
「君が普通の十二歳ではない理由だ」
「そうでしょうね」
「だが、情報源を話せない者を、国外の危険区域へ同行させることはできない」
「ヴォルデモート本人がいる可能性があります」
「だからだ」
「戦える者が必要です」
「闇払いを送る」
「十分な人数を」
「私が決める」
「霊体状態です。人間へ憑依する可能性がある。精神防御のできる者を選んでください」
「分かった」
「ユニコーンの血を飲んで生き延びる可能性も」
「分かった」
「蛇や小動物へ憑依していることも」
「ハリー」
「はい」
「後は任せろ」
言葉が止まる。
後は任せる。
自分が言ってきたこと。
専門家へ。
組織へ。
適切な人間へ。
「分かりました」
ハリーは頷いた。
「報告だけください」
「学校を通してな」
「それで構いません」
今回は、自分がアルバニアへ行く必要はない。
魔法省の闇払い。
アメリアの指揮。
ヴォルデモートの杖と、可能なら霊体の捜索。
ピーターを捕らえたことで、新たな手掛かりが得られた。
未来は、また大きく変わる。
だが。
今は、シリウスが自由になった。
それだけで十分だった。