80歳のハリーポッターが11歳に戻った場合   作:金縛り

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1年目 行かないという選択

 スネイプに連れていかれたのは、地下牢にある魔法薬学の教室だった。

 

 授業のない時間帯で、室内に生徒はいない。

 

 壁際の棚には薬瓶が並び、薄暗い室内を蝋燭が照らしている。

 

 スネイプは教卓の前で足を止めた。

 

 ハリーへ座るようにも言わない。

 

 自分も座らない。

 

 明らかに、穏やかな面談をするつもりではなかった。

 

「杖を出せ」

 

 最初の言葉がそれだった。

 

「なぜですか?」

 

「質問をする権利がお前にあると思うな」

 

「理由もなく杖を渡すのは、危険だと教わりました」

 

「誰にだ」

 

「一般的な防犯の本で」

 

「随分と便利な本を読んでいるらしいな」

 

 スネイプが手を差し出す。

 

「杖を出せ、ポッター」

 

 拒否すれば疑われる。

 

 ハリーは杖を取り出し、柄を向けて渡した。

 

 敵へ杖先を向けたまま渡してはいけない。

 

 その動作を見て、スネイプの眉が僅かに動く。

 

「随分と礼儀正しい渡し方を知っているな」

 

「杖を人へ向けない方がいいと思っただけです」

 

「そうか」

 

 スネイプは杖を調べた。

 

 呪文を唱え、直近に使用された魔法の痕跡を確認する。

 

 失神呪文。

 

 盾の呪文。

 

 障害呪文。

 

 浮遊呪文。

 

 複数の戦闘用呪文が記録されている。

 

「一年生の杖とは思えんな」

 

「昨日トロールと戦いましたから」

 

「失神呪文だけではない」

 

「最初は他の方法を試しました」

 

「障害呪文。盾の呪文。そして、出力を段階的に変えた複数の失神呪文」

 

 スネイプの視線がハリーへ向く。

 

「まるで、相手の耐性を確認しながら攻撃したようだ」

 

 鋭い。

 

 さすがに、長年二重スパイを務めただけはある。

 

 魔力の痕跡だけで、戦闘の流れをある程度読んでいる。

 

「最初の呪文が効かなかったので、強くしました」

 

「一度目より二度目。二度目より三度目。最後の連射では、すべて同程度の高出力だ」

 

「夢中だったので」

 

「またそれか」

 

 スネイプは杖を教卓へ置いた。

 

「お前は入学前から、杖なし魔法を使っていた」

 

「軽い物を動かす程度です」

 

「飛行経験がないにもかかわらず、箒を自在に操った」

 

「自在というほどではありません」

 

「トロールを前にして、十一歳とは思えぬ呪文選択をした」

 

「教科書以外も読んでいます」

 

「そして、私の脚の怪我へすぐに気づいた」

 

 ハリーは黙った。

 

「なぜだ」

 

「ローブから血が見えたので」

 

「怪我そのものではない」

 

 スネイプが一歩近づく。

 

「お前は、私が怪我をしていることに驚かなかった」

 

 まずい。

 

 闇払い局長として、人間の表情を読む訓練は受けた。

 

 同時に、自分の表情を隠す訓練も受けた。

 

 だが、スネイプは優秀な開心術師だ。

 

 小さな反応まで見逃さない。

 

「先生がどこで怪我をしたかは知りません」

 

「私は、どこで怪我をしたかとは聞いていない」

 

 失言だった。

 

 ハリーは視線を逸らさない。

 

 ここで動揺すれば、さらに踏み込まれる。

 

「では、質問の意味を取り違えました」

 

「便利な間違いだな」

 

 スネイプの顔が近づく。

 

 黒い目。

 

 表情のほとんどない顔。

 

 ハリーは心の中へ壁を作った。

 

 開心術への防御。

 

 一度目の人生では、スネイプから閉心術を学ぶことに失敗した。

 

 互いの感情と過去が邪魔をした。

 

 その後、必要に迫られて別の教師から学び直した。

 

 闇払い局長となってからは、常に思考を守る癖がついている。

 

 だが、今の身体と魔力で、どこまで防げるかは分からない。

 

「お前は、何を知っている?」

 

 スネイプが低く尋ねる。

 

「何についてですか?」

 

「質問を質問で返すな」

 

「範囲が広すぎます」

 

 スネイプの目が僅かに揺れた。

 

 魔力が触れてくる。

 

 開心術。

 

 言葉による予告も、杖の動きもない。

 

 静かに思考へ侵入しようとしている。

 

 ハリーは、表層へ無害な記憶を並べた。

 

 プリベット通り。

 

 教科書。

 

 トロール。

 

 割れた洗面台。

 

 奥にある記憶は閉じる。

 

 ヴォルデモート。

 

 分霊箱。

 

 スネイプの最期。

 

 それらは絶対に見せられない。

 

 侵入してきた力が、壁へ触れた。

 

 スネイプの表情が初めて大きく変わった。

 

 驚愕。

 

 魔法が途切れる。

 

「今、何をした」

 

 ハリーは知らない顔をした。

 

「何のことでしょう」

 

「私の魔法を防いだ」

 

「先生が僕に魔法を使ったのですか?」

 

 あえて聞き返す。

 

 スネイプの口元が歪む。

 

「閉心術を、どこで学んだ」

 

「閉心術?」

 

「知らないふりをするな!」

 

 声が教室へ響いた。

 

 薬瓶が微かに震える。

 

 ハリーは一歩も下がらなかった。

 

「僕は、先生が何をしたのか分かりません。ただ、頭の中を覗かれるような感じがしたので、考えないようにしました」

 

「考えないようにしただけで、開心術を防げるものか」

 

「防げていたなら、才能があるのかもしれません」

 

「自惚れるな」

 

「先生が言ったことですが」

 

 スネイプの顔がさらに険しくなる。

 

 まずい。

 

 少し楽しくなってきている。

 

 前世の関係を引きずりすぎている。

 

 今のスネイプにとって、ハリーは嫌いだったジェームズの息子でしかない。

 

 からかえば、疑念と敵意が増えるだけだ。

 

「申し訳ありません」

 

 ハリーは頭を下げた。

 

 スネイプが一瞬、言葉を失う。

 

「何だ」

 

「失礼な言い方でした」

 

「……急に殊勝な態度を取っても、何も変わらん」

 

「そうですね」

 

「同意するな」

 

 面倒な男だ。

 

 前世でもそうだった。

 

 スネイプはしばらくハリーを睨んだ後、教卓の杖を拾った。

 

「お前が何を隠しているにせよ」

 

 杖を差し出す。

 

「学校内で危険な真似をすれば、私が必ず暴く」

 

「危険な真似とは?」

 

「四階の右側廊下へ近づくことだ」

 

 今度はハリーが僅かに反応してしまった。

 

 スネイプは見逃さない。

 

「知っているな」

 

「入学式で、ダンブルドア校長が立ち入り禁止だと説明していました」

 

「それだけか?」

 

「他に何があるのです?」

 

「お前が知る必要はない」

 

「では、近づきません」

 

 スネイプの目が細くなる。

 

「随分と素直だな」

 

「立ち入り禁止なら行きません」

 

「普通のポッターなら、そう言われれば余計に行きたがるものだ」

 

「僕以外のポッターをご存じなのですか?」

 

 スネイプの顔が凍った。

 

 ハリーは、しまったと思った。

 

 父を挑発材料にするつもりはなかった。

 

「父のことを知っているなら」

 

 声を少し柔らかくする。

 

「いつか、話を聞かせていただけませんか」

 

「断る」

 

 即答だった。

 

「そうですか」

 

「二度と、そのようなことを私に頼むな」

 

「分かりました」

 

 スネイプは教室の扉を杖で開けた。

 

「出ていけ」

 

 ハリーは杖を受け取り、ローブへしまう。

 

「ありがとうございました」

 

「何に対する礼だ」

 

「杖を返していただいたことに」

 

「出ていけ!」

 

 ハリーは教室を出た。

 

 扉が背後で勢いよく閉まる。

 

「やはり、もう少し人当たりを改善してもらう必要があるな」

 

 廊下を歩きながら呟く。

 

 だが、問題はスネイプの態度ではない。

 

 閉心術を使えることが知られた。

 

 杖なし魔法。

 

 飛行技術。

 

 戦闘用呪文。

 

 知識。

 

 隠しているものが多すぎる。

 

 そして教師たちは、すでに点を結び始めている。

 

 その日の夕方、必要の部屋でティビーとの訓練を終えた後、ハリーは今後の方針を考えた。

 

 前世の流れでは、トロール事件より前にフラッフィーと遭遇していた。

 

 マルフォイとの決闘騒ぎ。

 

 夜間外出。

 

 移動する階段。

 

 立ち入り禁止の廊下。

 

 三つの頭を持つ巨大な犬。

 

 その後、ハリーたちは犬が守っている物について調べ始める。

 

 ニコラス・フラメル。

 

 賢者の石。

 

 スネイプへの疑念。

 

 事件はそこから本格的に動き出した。

 

 今回は、マルフォイとの決闘そのものが起きていない。

 

 飛行訓練で挑発を無視したため、ドラコはハリーを臆病者と呼び続けていたが、夜中に決闘するほど関係は悪化していない。

 

 つまり、フラッフィーと偶然遭遇する理由がない。

 

 意図的に行けば遭遇できる。

 

 場所は知っている。

 

 四階の右側廊下。

 

 アロホモラで扉を開ければいい。

 

 だが、行く必要があるだろうか。

 

 フラッフィーの存在も知っている。

 

 その下に罠扉があることも。

 

 何が守られているかも。

 

 教師たちが用意した仕掛けの内容も、おおよそ覚えている。

 

 確認のために侵入する利益は少ない。

 

 一方で、危険はある。

 

 スネイプが警戒している。

 

 フィルチに見つかれば、ダンブルドアの目にも留まる。

 

 フラッフィーが前世と同じ反応をする保証もない。

 

 三つ首の犬へ、思い出補正で近づく趣味はなかった。

 

「行かない方がいいな」

 

 ハリーは結論を出した。

 

 未来をなぞるために、不必要な事件まで再現する必要はない。

 

 クィレルの動向は別の方法で追える。

 

 透明マントを受け取るまでは、城の抜け道と妖精の協力を使う。

 

 いずれ足跡の地図も回収する。

 

 フラッフィーの部屋は、必要な時まで放置する。

 

 翌週。

 

 夕食後の廊下で、ドラコが声をかけてきた。

 

「ポッター」

 

 クラッブとゴイルを連れている。

 

「何?」

 

「お前、トロールを倒したって自慢してるらしいな」

 

「してない」

 

「みんな話してる」

 

「僕が話したわけじゃない」

 

「杖なし魔法も嘘だろ」

 

「そう思うなら、それでいい」

 

 ドラコの顔が苛立ちで歪む。

 

 以前から、ハリーが挑発へ乗らないことを不満に思っている。

 

「口だけじゃないなら、決闘しろ」

 

「嫌だ」

 

「怖いのか?」

 

「校則違反だから」

 

「先生に言いつけるつもりか?」

 

「必要なら」

 

 ドラコは信じられないものを見る顔をした。

 

「お前、それでもグリフィンドールか?」

 

「寮と夜間の決闘に何の関係がある?」

 

「グリフィンドールは勇敢なんだろ」

 

「不用意と勇敢は違う」

 

「逃げる言い訳だな」

 

 ハリーはため息をついた。

 

 十一歳のドラコは、想像以上に粘り強い。

 

「どうして僕と決闘したい?」

 

「どっちが上か分からせるためだ」

 

「君が上ということでいいよ」

 

「何?」

 

「僕は困らない」

 

 ドラコが完全に言葉を失う。

 

 クラッブとゴイルも、どう反応すべきか分からない顔をしている。

 

「じゃあ、僕は図書室へ行くから」

 

 ハリーは三人の横を通り過ぎる。

 

「待て、ポッター!」

 

「まだ何か?」

 

「今夜、十一時。トロフィー室だ」

 

「行かない」

 

「逃げたら、学校中に言いふらすぞ!」

 

「好きにしてくれ」

 

 ハリーは振り返らずに歩いた。

 

 少し離れた柱の陰から、ロンとハーマイオニーが出てきた。

 

「本当に行かないの?」

 

 ロンが尋ねる。

 

「行かない」

 

「臆病者って言われるぞ」

 

「言わせておけばいい」

 

「でも、腹立たないか?」

 

「十一歳のマルフォイに何を言われても」

 

 そこまで言って、ハリーは口を閉じた。

 

 自分も十一歳だった。

 

「また年寄りみたいな言い方をしたわね」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

「最近、多いな」

 

「最近どころじゃないよ」

 

 ロンが同意する。

 

「入学した時からずっとだ」

 

「気をつける」

 

「それも毎回言ってる」

 

 結局、その夜、ハリーたちは談話室から出なかった。

 

 十一時を過ぎた頃、ロンは何度も時計を見た。

 

「マルフォイ、待ってるかな」

 

「待ってないと思う」

 

「どうして?」

 

「あいつはフィルチに僕らが出歩くと伝えるつもりだったはずだ」

 

「卑怯じゃない!」

 

「だから行かなくてよかった」

 

 ハーマイオニーが眉をひそめる。

 

「分かっていたの?」

 

「可能性が高いと思っただけ」

 

「どうして?」

 

「決闘で勝ちたいなら、クラッブとゴイルを連れてその場で挑めばいい。わざわざ夜中に指定する理由は、先生かフィルチに見つけさせたいからだ」

 

 説明としては通る。

 

 前世で実際にマルフォイが行ったことでもある。

 

「なるほど」

 

 ハーマイオニーは感心した様子で頷いた。

 

「ハリーって、時々すごく頭がいいわね」

 

「時々?」

 

「普段は授業でわざと間違えているように見えるもの」

 

 ハリーは黙った。

 

 ハーマイオニーの観察力を甘く見ていた。

 

「そんなことあるか?」

 

 ロンが言う。

 

「ハリーは変身術で、僕より少し上手いくらいだぞ」

 

「だから不自然なの。トロールへ失神呪文を何発も使えるのに、マッチ棒を針へ変えるのに苦労するなんて」

 

「得意不得意がある」

 

「呪文学では浮遊呪文を二回失敗した。でも、マルフォイの手から思い出し玉を杖なしで引き寄せたでしょう?」

 

「杖を使う方が苦手なのかもしれない」

 

「オリバンダーのお店で、初めて杖を持った時から慣れていたと聞いたわ」

 

 どこから聞いた。

 

 噂の広がり方が早すぎる。

 

「ハーマイオニー」

 

 ハリーは真面目な声を出した。

 

「人には、話したくないこともある」

 

 彼女は一瞬、怯んだ。

 

「危険なこと?」

 

「今のところは違う」

 

「誰かに脅されている?」

 

「それもない」

 

「なら、どうして――」

 

「いつか話せる時が来たら話す」

 

 今は無理だ。

 

 十一歳のロンとハーマイオニーに、未来の戦争を背負わせるわけにはいかない。

 

 彼らが信用できないのではない。

 

 信用しているからこそ、まだ伝えたくなかった。

 

「分かったわ」

 

 ハーマイオニーは渋々頷く。

 

「でも、危険なことをしているなら言って」

 

「約束する」

 

 完全な約束ではなかった。

 

 ハリーが危険だと考える基準と、ハーマイオニーの基準は違う。

 

 数日後。

 

 ドラコとの決闘に行かなかった影響が、予想外の形で現れた。

 

 早朝、ロンが寝台のカーテンを勢いよく開ける。

 

「ハリー、起きろ!」

 

「起きてる」

 

 闇払い時代の習慣で、扉が開いた時点で目覚めていた。

 

「ネビルがいない」

 

「何?」

 

「夜中にトイレへ行ったまま、戻ってないらしい」

 

 ハリーはすぐに起き上がった。

 

 一度目の未来にはなかった出来事だ。

 

 正確には、似た出来事はあった。

 

 マルフォイとの決闘へ向かう際、ネビルが談話室の外に閉め出されていた。

 

 今回はハリーたちが出歩かなかった。

 

 それでもネビルは、別の理由で夜中に部屋を出たらしい。

 

「いつから?」

 

「シェーマスが、夜中の二時くらいに寝台が空だったって」

 

「監督生には?」

 

「パーシーが先生を呼びに行った」

 

 ハリーは眼鏡をかけ、ローブを羽織る。

 

「僕らも探す」

 

「マクゴナガル先生に怒られるぞ」

 

「夜中じゃない。もう朝だ」

 

「そういう問題か?」

 

 三人で談話室を出た。

 

 ハーマイオニーも話を聞きつけ、ついてきた。

 

「校内を勝手に探すより、先生に任せるべきよ」

 

「ネビルがどこへ行きそうか、心当たりがある」

 

 ハリーは廊下を進む。

 

「どこ?」

 

「トロフィー室」

 

「どうして?」

 

「マルフォイが僕に決闘を申し込んだ話を、ネビルが聞いていた」

 

「まさか、代わりに行ったの?」

 

 ロンが青ざめる。

 

「僕が逃げたと思って、自分が行けばグリフィンドールの名誉を守れると考えたのかもしれない」

 

「それ、ものすごくネビルらしいわ」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

 勇敢だが、自信がない。

 

 だから、自分を証明する機会を求める。

 

 今のネビルなら、十分あり得る。

 

 トロフィー室へ向かう途中、猫の鳴き声が聞こえた。

 

 ミセス・ノリス。

 

 フィルチが近い。

 

「こっち」

 

 ハリーは二人を脇の通路へ誘導した。

 

「どうして城の道をそんなに知ってるんだ?」

 

 ロンが小声で尋ねる。

 

「散歩した」

 

「夜に?」

 

「昼も含めて」

 

 階段が動く。

 

 予定していた廊下へ出られない。

 

 別の道を選ぶ。

 

 だが、前方からフィルチの足音が近づいてきた。

 

「生徒がいるのは分かってるぞ!」

 

 ハリーは扉を探す。

 

 近くに使われていない教室。

 

 物置。

 

 そして。

 

 四階の右側廊下へ続く道。

 

 一度目と同じ状況が、形を変えて近づいている。

 

「こっちへ行けば逃げられる」

 

 ロンが右側を指した。

 

 立ち入り禁止の廊下。

 

 ハリーは首を振る。

 

「駄目だ」

 

「でも、フィルチが来る!」

 

「別の道を探す」

 

「捕まったら減点されるわ!」

 

 ハーマイオニーも焦っている。

 

「右は駄目だ」

 

 ハリーは二人の腕を掴み、壁際の大きな鎧へ向かった。

 

 杖を抜く。

 

「この中へ」

 

「三人は入れないぞ」

 

「入れるようにする」

 

 鎧の内側へ、拡張呪文を使う。

 

 授業ではまだ習わない魔法。

 

 だが、見られるよりはましだ。

 

 鎧の胸部が僅かに膨らむ。

 

「早く」

 

 三人で内部へ入り込む。

 

 狭い。

 

 ロンの肘がハリーの脇腹へ当たり、ハーマイオニーの髪が顔にかかる。

 

「痛い」

 

「僕だって痛いよ」

 

「静かに」

 

 フィルチの足音が近づく。

 

 鎧の前で止まった。

 

「この辺りにいるはずだ」

 

 ミセス・ノリスが鎧の足元を嗅ぐ。

 

 ハリーは、猫の意識を逸らすため、廊下の反対側にある花瓶を杖なしで倒した。

 

 大きな音。

 

 ミセス・ノリスが走る。

 

「そっちか!」

 

 フィルチも追っていった。

 

 三人は鎧から這い出る。

 

 ロンが大きく息を吸った。

 

「今の魔法、何だ?」

 

「拡張呪文」

 

「一年生で習わないわ」

 

 ハーマイオニーが即座に指摘する。

 

「後で説明する」

 

「それも最近多いわね」

 

 右側廊下の扉が、すぐ近くにあった。

 

 鍵が掛かっている。

 

 扉の向こうから、低い唸り声が響く。

 

 ロンとハーマイオニーの顔色が変わる。

 

「今の何?」

 

「知らない方がいい」

 

「何かいるの?」

 

「いる」

 

「何が?」

 

「大きな犬」

 

 ハーマイオニーが扉を見る。

 

「どうして知ってるの?」

 

 ハリーは答えなかった。

 

 その時、扉の下の隙間から、熱い息が漏れた。

 

 低い唸りが三つ重なる。

 

 ロンが一歩下がる。

 

「犬って、一匹だよな?」

 

「頭は三つある」

 

「それ、先に言えよ!」

 

「だから右へ行くなと言った」

 

 扉の向こうで、重い爪が石床を引っ掻く。

 

 鍵が僅かに震える。

 

 以前のフラッフィーは、扉を破壊しなかった。

 

 だが、今回も同じとは限らない。

 

「離れるぞ」

 

 三人は足早に廊下を去った。

 

 偶然の遭遇は避けた。

 

 扉を開けてもいない。

 

 フラッフィーの姿も見ていない。

 

 だが、ロンとハーマイオニーには、何かが隠されていると知られてしまった。

 

「ハリー」

 

 階段を下りながら、ハーマイオニーが言う。

 

「あなた、あの犬のことを知っていたわね」

 

「噂で聞いた」

 

「誰から?」

 

「上級生」

 

「何という名前の上級生?」

 

「覚えてない」

 

「また?」

 

 もう限界だった。

 

 すべてを上級生の噂で押し通すのは無理がある。

 

「今は話せない」

 

「危険じゃないって言ったでしょう」

 

「危険なのは、僕が知っていることじゃない。あの廊下へ近づくことだ」

 

「どうして学校の中に、あんなものがいるの?」

 

 ロンが言う。

 

「何か守ってるんじゃないか?」

 

 一度目と同じ推測。

 

 ハリーは否定しなかった。

 

「何を守ってるんだ?」

 

「調べる必要はない」

 

「でも気になるだろ」

 

「気になっても、近づかない」

 

「お前、本当にグリフィンドールか?」

 

「最近そればかり聞かれるな」

 

 結局、ネビルはトロフィー室の近くで見つかった。

 

 マルフォイは現れず、フィルチから逃げる途中で迷い、動く階段に別の階へ運ばれていたらしい。

 

 怪我はなかった。

 

 マクゴナガルから厳しく叱られ、グリフィンドールは二十点を失った。

 

 ハリーたちも、無断で捜索したことを注意された。

 

 ただし、ネビル発見への協力を理由に減点は免れた。

 

 事件はそれで終わった。

 

 少なくとも、表向きは。

 

 その夜。

 

 必要の部屋で訓練を終えたハリーは、一人で考え込んでいた。

 

 フラッフィーとの遭遇を避けても、存在はロンとハーマイオニーに知られた。

 

 未来は、完全に同じ道を通らなくても、似た場所へ収束しようとしているように見える。

 

 偶然か。

 

 それとも、自分が知識を持っているから、無意識に同じ方向へ選択しているのか。

 

「面倒だな」

 

 机の上には、ティビーが用意した紅茶がある。

 

「ハリー・ポッター様は、あの大きなわんちゃんを気にしておいでですか?」

 

 ティビーが尋ねた。

 

「知ってるのか?」

 

「厨房の妖精たちは、皆存じております。ハグリッド様がお連れになりました」

 

「妖精たちは、あの下に何があるかも知っている?」

 

 ティビーの耳が下がった。

 

「校長先生より、お話ししてはならないと命じられております」

 

「分かった。無理に聞かない」

 

 屋敷しもべ妖精への命令を利用するつもりはない。

 

 それに、答えは知っている。

 

「代わりに頼みがある」

 

「何なりと」

 

「紫色のターバンを巻いたクィレル先生が、夜中にどこへ行くか分かる?」

 

 ティビーが首を傾げる。

 

「クィレル先生は、最近よく校内を歩いておいでです」

 

「四階にも?」

 

「はい」

 

 やはり動いている。

 

「近づく必要はない。見かけた時だけ、どこへ向かったか教えてほしい」

 

「承知いたしました」

 

「危険を感じたら、すぐ逃げること。追跡はしなくていい」

 

「妖精は、クィレル先生を恐れません」

 

「僕が恐れる。君に何かあれば困る」

 

 ティビーの目に涙が溜まる。

 

「ハリー・ポッター様が、ティビーを心配してくださいました!」

 

「泣かなくていい」

 

「ティビーは幸せ者でございます!」

 

 声が大きい。

 

「静かに」

 

「申し訳ございません!」

 

 ハリーは紅茶を飲んだ。

 

 フラッフィーの部屋へは行かない。

 

 教師たちの仕掛けも、今は確認しない。

 

 ロンとハーマイオニーにも調査させない。

 

 クィレルだけを監視する。

 

 賢者の石を守るために、十一歳の子供が危険な仕掛けへ挑む必要など、本来はない。

 

 教師へ任せればいい。

 

 ただし、教師たちが失敗することは知っている。

 

 だから最後には、自分が動く。

 

 必要な時だけ。

 

 確実に。

 

「前世と同じことをする必要はない」

 

 ハリーは自分へ言い聞かせた。

 

 だが、その翌朝。

 

 朝食の席へ、ティビーが誰にも見えないよう小さな紙片を届けた。

 

 紙には、震えた文字で一行だけ記されていた。

 

『クィレル先生が、昨夜、三つ頭のわんちゃんの前で、誰かとお話をしておりました』

 

 ハリーは紙を握りしめた。

 

 誰か。

 

 クィレルは、常に一人ではない。

 

 後頭部にいるヴォルデモートと話していた可能性が高い。

 

 だが、妖精の目から見ても「誰かと話している」ように見えたのなら。

 

 ヴォルデモートの存在が、前世より早く表へ出始めているのかもしれない。

 

 ハリーは教職員席を見る。

 

 クィレルが、いつものように怯えた顔で食事をしている。

 

 視線が合った。

 

 クィレルは微笑んだ。

 

 その笑顔の奥。

 

 ターバンの後ろから。

 

 もう一つの意識が、ハリーを見返している気がした。

 

 フラッフィーを避けることはできる。

 

 だが、ヴォルデモートの方が近づいてくる可能性までは、考えていなかった。

 

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