スネイプに連れていかれたのは、地下牢にある魔法薬学の教室だった。
授業のない時間帯で、室内に生徒はいない。
壁際の棚には薬瓶が並び、薄暗い室内を蝋燭が照らしている。
スネイプは教卓の前で足を止めた。
ハリーへ座るようにも言わない。
自分も座らない。
明らかに、穏やかな面談をするつもりではなかった。
「杖を出せ」
最初の言葉がそれだった。
「なぜですか?」
「質問をする権利がお前にあると思うな」
「理由もなく杖を渡すのは、危険だと教わりました」
「誰にだ」
「一般的な防犯の本で」
「随分と便利な本を読んでいるらしいな」
スネイプが手を差し出す。
「杖を出せ、ポッター」
拒否すれば疑われる。
ハリーは杖を取り出し、柄を向けて渡した。
敵へ杖先を向けたまま渡してはいけない。
その動作を見て、スネイプの眉が僅かに動く。
「随分と礼儀正しい渡し方を知っているな」
「杖を人へ向けない方がいいと思っただけです」
「そうか」
スネイプは杖を調べた。
呪文を唱え、直近に使用された魔法の痕跡を確認する。
失神呪文。
盾の呪文。
障害呪文。
浮遊呪文。
複数の戦闘用呪文が記録されている。
「一年生の杖とは思えんな」
「昨日トロールと戦いましたから」
「失神呪文だけではない」
「最初は他の方法を試しました」
「障害呪文。盾の呪文。そして、出力を段階的に変えた複数の失神呪文」
スネイプの視線がハリーへ向く。
「まるで、相手の耐性を確認しながら攻撃したようだ」
鋭い。
さすがに、長年二重スパイを務めただけはある。
魔力の痕跡だけで、戦闘の流れをある程度読んでいる。
「最初の呪文が効かなかったので、強くしました」
「一度目より二度目。二度目より三度目。最後の連射では、すべて同程度の高出力だ」
「夢中だったので」
「またそれか」
スネイプは杖を教卓へ置いた。
「お前は入学前から、杖なし魔法を使っていた」
「軽い物を動かす程度です」
「飛行経験がないにもかかわらず、箒を自在に操った」
「自在というほどではありません」
「トロールを前にして、十一歳とは思えぬ呪文選択をした」
「教科書以外も読んでいます」
「そして、私の脚の怪我へすぐに気づいた」
ハリーは黙った。
「なぜだ」
「ローブから血が見えたので」
「怪我そのものではない」
スネイプが一歩近づく。
「お前は、私が怪我をしていることに驚かなかった」
まずい。
闇払い局長として、人間の表情を読む訓練は受けた。
同時に、自分の表情を隠す訓練も受けた。
だが、スネイプは優秀な開心術師だ。
小さな反応まで見逃さない。
「先生がどこで怪我をしたかは知りません」
「私は、どこで怪我をしたかとは聞いていない」
失言だった。
ハリーは視線を逸らさない。
ここで動揺すれば、さらに踏み込まれる。
「では、質問の意味を取り違えました」
「便利な間違いだな」
スネイプの顔が近づく。
黒い目。
表情のほとんどない顔。
ハリーは心の中へ壁を作った。
開心術への防御。
一度目の人生では、スネイプから閉心術を学ぶことに失敗した。
互いの感情と過去が邪魔をした。
その後、必要に迫られて別の教師から学び直した。
闇払い局長となってからは、常に思考を守る癖がついている。
だが、今の身体と魔力で、どこまで防げるかは分からない。
「お前は、何を知っている?」
スネイプが低く尋ねる。
「何についてですか?」
「質問を質問で返すな」
「範囲が広すぎます」
スネイプの目が僅かに揺れた。
魔力が触れてくる。
開心術。
言葉による予告も、杖の動きもない。
静かに思考へ侵入しようとしている。
ハリーは、表層へ無害な記憶を並べた。
プリベット通り。
教科書。
トロール。
割れた洗面台。
奥にある記憶は閉じる。
ヴォルデモート。
分霊箱。
スネイプの最期。
それらは絶対に見せられない。
侵入してきた力が、壁へ触れた。
スネイプの表情が初めて大きく変わった。
驚愕。
魔法が途切れる。
「今、何をした」
ハリーは知らない顔をした。
「何のことでしょう」
「私の魔法を防いだ」
「先生が僕に魔法を使ったのですか?」
あえて聞き返す。
スネイプの口元が歪む。
「閉心術を、どこで学んだ」
「閉心術?」
「知らないふりをするな!」
声が教室へ響いた。
薬瓶が微かに震える。
ハリーは一歩も下がらなかった。
「僕は、先生が何をしたのか分かりません。ただ、頭の中を覗かれるような感じがしたので、考えないようにしました」
「考えないようにしただけで、開心術を防げるものか」
「防げていたなら、才能があるのかもしれません」
「自惚れるな」
「先生が言ったことですが」
スネイプの顔がさらに険しくなる。
まずい。
少し楽しくなってきている。
前世の関係を引きずりすぎている。
今のスネイプにとって、ハリーは嫌いだったジェームズの息子でしかない。
からかえば、疑念と敵意が増えるだけだ。
「申し訳ありません」
ハリーは頭を下げた。
スネイプが一瞬、言葉を失う。
「何だ」
「失礼な言い方でした」
「……急に殊勝な態度を取っても、何も変わらん」
「そうですね」
「同意するな」
面倒な男だ。
前世でもそうだった。
スネイプはしばらくハリーを睨んだ後、教卓の杖を拾った。
「お前が何を隠しているにせよ」
杖を差し出す。
「学校内で危険な真似をすれば、私が必ず暴く」
「危険な真似とは?」
「四階の右側廊下へ近づくことだ」
今度はハリーが僅かに反応してしまった。
スネイプは見逃さない。
「知っているな」
「入学式で、ダンブルドア校長が立ち入り禁止だと説明していました」
「それだけか?」
「他に何があるのです?」
「お前が知る必要はない」
「では、近づきません」
スネイプの目が細くなる。
「随分と素直だな」
「立ち入り禁止なら行きません」
「普通のポッターなら、そう言われれば余計に行きたがるものだ」
「僕以外のポッターをご存じなのですか?」
スネイプの顔が凍った。
ハリーは、しまったと思った。
父を挑発材料にするつもりはなかった。
「父のことを知っているなら」
声を少し柔らかくする。
「いつか、話を聞かせていただけませんか」
「断る」
即答だった。
「そうですか」
「二度と、そのようなことを私に頼むな」
「分かりました」
スネイプは教室の扉を杖で開けた。
「出ていけ」
ハリーは杖を受け取り、ローブへしまう。
「ありがとうございました」
「何に対する礼だ」
「杖を返していただいたことに」
「出ていけ!」
ハリーは教室を出た。
扉が背後で勢いよく閉まる。
「やはり、もう少し人当たりを改善してもらう必要があるな」
廊下を歩きながら呟く。
だが、問題はスネイプの態度ではない。
閉心術を使えることが知られた。
杖なし魔法。
飛行技術。
戦闘用呪文。
知識。
隠しているものが多すぎる。
そして教師たちは、すでに点を結び始めている。
その日の夕方、必要の部屋でティビーとの訓練を終えた後、ハリーは今後の方針を考えた。
前世の流れでは、トロール事件より前にフラッフィーと遭遇していた。
マルフォイとの決闘騒ぎ。
夜間外出。
移動する階段。
立ち入り禁止の廊下。
三つの頭を持つ巨大な犬。
その後、ハリーたちは犬が守っている物について調べ始める。
ニコラス・フラメル。
賢者の石。
スネイプへの疑念。
事件はそこから本格的に動き出した。
今回は、マルフォイとの決闘そのものが起きていない。
飛行訓練で挑発を無視したため、ドラコはハリーを臆病者と呼び続けていたが、夜中に決闘するほど関係は悪化していない。
つまり、フラッフィーと偶然遭遇する理由がない。
意図的に行けば遭遇できる。
場所は知っている。
四階の右側廊下。
アロホモラで扉を開ければいい。
だが、行く必要があるだろうか。
フラッフィーの存在も知っている。
その下に罠扉があることも。
何が守られているかも。
教師たちが用意した仕掛けの内容も、おおよそ覚えている。
確認のために侵入する利益は少ない。
一方で、危険はある。
スネイプが警戒している。
フィルチに見つかれば、ダンブルドアの目にも留まる。
フラッフィーが前世と同じ反応をする保証もない。
三つ首の犬へ、思い出補正で近づく趣味はなかった。
「行かない方がいいな」
ハリーは結論を出した。
未来をなぞるために、不必要な事件まで再現する必要はない。
クィレルの動向は別の方法で追える。
透明マントを受け取るまでは、城の抜け道と妖精の協力を使う。
いずれ足跡の地図も回収する。
フラッフィーの部屋は、必要な時まで放置する。
翌週。
夕食後の廊下で、ドラコが声をかけてきた。
「ポッター」
クラッブとゴイルを連れている。
「何?」
「お前、トロールを倒したって自慢してるらしいな」
「してない」
「みんな話してる」
「僕が話したわけじゃない」
「杖なし魔法も嘘だろ」
「そう思うなら、それでいい」
ドラコの顔が苛立ちで歪む。
以前から、ハリーが挑発へ乗らないことを不満に思っている。
「口だけじゃないなら、決闘しろ」
「嫌だ」
「怖いのか?」
「校則違反だから」
「先生に言いつけるつもりか?」
「必要なら」
ドラコは信じられないものを見る顔をした。
「お前、それでもグリフィンドールか?」
「寮と夜間の決闘に何の関係がある?」
「グリフィンドールは勇敢なんだろ」
「不用意と勇敢は違う」
「逃げる言い訳だな」
ハリーはため息をついた。
十一歳のドラコは、想像以上に粘り強い。
「どうして僕と決闘したい?」
「どっちが上か分からせるためだ」
「君が上ということでいいよ」
「何?」
「僕は困らない」
ドラコが完全に言葉を失う。
クラッブとゴイルも、どう反応すべきか分からない顔をしている。
「じゃあ、僕は図書室へ行くから」
ハリーは三人の横を通り過ぎる。
「待て、ポッター!」
「まだ何か?」
「今夜、十一時。トロフィー室だ」
「行かない」
「逃げたら、学校中に言いふらすぞ!」
「好きにしてくれ」
ハリーは振り返らずに歩いた。
少し離れた柱の陰から、ロンとハーマイオニーが出てきた。
「本当に行かないの?」
ロンが尋ねる。
「行かない」
「臆病者って言われるぞ」
「言わせておけばいい」
「でも、腹立たないか?」
「十一歳のマルフォイに何を言われても」
そこまで言って、ハリーは口を閉じた。
自分も十一歳だった。
「また年寄りみたいな言い方をしたわね」
ハーマイオニーが言う。
「最近、多いな」
「最近どころじゃないよ」
ロンが同意する。
「入学した時からずっとだ」
「気をつける」
「それも毎回言ってる」
結局、その夜、ハリーたちは談話室から出なかった。
十一時を過ぎた頃、ロンは何度も時計を見た。
「マルフォイ、待ってるかな」
「待ってないと思う」
「どうして?」
「あいつはフィルチに僕らが出歩くと伝えるつもりだったはずだ」
「卑怯じゃない!」
「だから行かなくてよかった」
ハーマイオニーが眉をひそめる。
「分かっていたの?」
「可能性が高いと思っただけ」
「どうして?」
「決闘で勝ちたいなら、クラッブとゴイルを連れてその場で挑めばいい。わざわざ夜中に指定する理由は、先生かフィルチに見つけさせたいからだ」
説明としては通る。
前世で実際にマルフォイが行ったことでもある。
「なるほど」
ハーマイオニーは感心した様子で頷いた。
「ハリーって、時々すごく頭がいいわね」
「時々?」
「普段は授業でわざと間違えているように見えるもの」
ハリーは黙った。
ハーマイオニーの観察力を甘く見ていた。
「そんなことあるか?」
ロンが言う。
「ハリーは変身術で、僕より少し上手いくらいだぞ」
「だから不自然なの。トロールへ失神呪文を何発も使えるのに、マッチ棒を針へ変えるのに苦労するなんて」
「得意不得意がある」
「呪文学では浮遊呪文を二回失敗した。でも、マルフォイの手から思い出し玉を杖なしで引き寄せたでしょう?」
「杖を使う方が苦手なのかもしれない」
「オリバンダーのお店で、初めて杖を持った時から慣れていたと聞いたわ」
どこから聞いた。
噂の広がり方が早すぎる。
「ハーマイオニー」
ハリーは真面目な声を出した。
「人には、話したくないこともある」
彼女は一瞬、怯んだ。
「危険なこと?」
「今のところは違う」
「誰かに脅されている?」
「それもない」
「なら、どうして――」
「いつか話せる時が来たら話す」
今は無理だ。
十一歳のロンとハーマイオニーに、未来の戦争を背負わせるわけにはいかない。
彼らが信用できないのではない。
信用しているからこそ、まだ伝えたくなかった。
「分かったわ」
ハーマイオニーは渋々頷く。
「でも、危険なことをしているなら言って」
「約束する」
完全な約束ではなかった。
ハリーが危険だと考える基準と、ハーマイオニーの基準は違う。
数日後。
ドラコとの決闘に行かなかった影響が、予想外の形で現れた。
早朝、ロンが寝台のカーテンを勢いよく開ける。
「ハリー、起きろ!」
「起きてる」
闇払い時代の習慣で、扉が開いた時点で目覚めていた。
「ネビルがいない」
「何?」
「夜中にトイレへ行ったまま、戻ってないらしい」
ハリーはすぐに起き上がった。
一度目の未来にはなかった出来事だ。
正確には、似た出来事はあった。
マルフォイとの決闘へ向かう際、ネビルが談話室の外に閉め出されていた。
今回はハリーたちが出歩かなかった。
それでもネビルは、別の理由で夜中に部屋を出たらしい。
「いつから?」
「シェーマスが、夜中の二時くらいに寝台が空だったって」
「監督生には?」
「パーシーが先生を呼びに行った」
ハリーは眼鏡をかけ、ローブを羽織る。
「僕らも探す」
「マクゴナガル先生に怒られるぞ」
「夜中じゃない。もう朝だ」
「そういう問題か?」
三人で談話室を出た。
ハーマイオニーも話を聞きつけ、ついてきた。
「校内を勝手に探すより、先生に任せるべきよ」
「ネビルがどこへ行きそうか、心当たりがある」
ハリーは廊下を進む。
「どこ?」
「トロフィー室」
「どうして?」
「マルフォイが僕に決闘を申し込んだ話を、ネビルが聞いていた」
「まさか、代わりに行ったの?」
ロンが青ざめる。
「僕が逃げたと思って、自分が行けばグリフィンドールの名誉を守れると考えたのかもしれない」
「それ、ものすごくネビルらしいわ」
ハーマイオニーが言う。
勇敢だが、自信がない。
だから、自分を証明する機会を求める。
今のネビルなら、十分あり得る。
トロフィー室へ向かう途中、猫の鳴き声が聞こえた。
ミセス・ノリス。
フィルチが近い。
「こっち」
ハリーは二人を脇の通路へ誘導した。
「どうして城の道をそんなに知ってるんだ?」
ロンが小声で尋ねる。
「散歩した」
「夜に?」
「昼も含めて」
階段が動く。
予定していた廊下へ出られない。
別の道を選ぶ。
だが、前方からフィルチの足音が近づいてきた。
「生徒がいるのは分かってるぞ!」
ハリーは扉を探す。
近くに使われていない教室。
物置。
そして。
四階の右側廊下へ続く道。
一度目と同じ状況が、形を変えて近づいている。
「こっちへ行けば逃げられる」
ロンが右側を指した。
立ち入り禁止の廊下。
ハリーは首を振る。
「駄目だ」
「でも、フィルチが来る!」
「別の道を探す」
「捕まったら減点されるわ!」
ハーマイオニーも焦っている。
「右は駄目だ」
ハリーは二人の腕を掴み、壁際の大きな鎧へ向かった。
杖を抜く。
「この中へ」
「三人は入れないぞ」
「入れるようにする」
鎧の内側へ、拡張呪文を使う。
授業ではまだ習わない魔法。
だが、見られるよりはましだ。
鎧の胸部が僅かに膨らむ。
「早く」
三人で内部へ入り込む。
狭い。
ロンの肘がハリーの脇腹へ当たり、ハーマイオニーの髪が顔にかかる。
「痛い」
「僕だって痛いよ」
「静かに」
フィルチの足音が近づく。
鎧の前で止まった。
「この辺りにいるはずだ」
ミセス・ノリスが鎧の足元を嗅ぐ。
ハリーは、猫の意識を逸らすため、廊下の反対側にある花瓶を杖なしで倒した。
大きな音。
ミセス・ノリスが走る。
「そっちか!」
フィルチも追っていった。
三人は鎧から這い出る。
ロンが大きく息を吸った。
「今の魔法、何だ?」
「拡張呪文」
「一年生で習わないわ」
ハーマイオニーが即座に指摘する。
「後で説明する」
「それも最近多いわね」
右側廊下の扉が、すぐ近くにあった。
鍵が掛かっている。
扉の向こうから、低い唸り声が響く。
ロンとハーマイオニーの顔色が変わる。
「今の何?」
「知らない方がいい」
「何かいるの?」
「いる」
「何が?」
「大きな犬」
ハーマイオニーが扉を見る。
「どうして知ってるの?」
ハリーは答えなかった。
その時、扉の下の隙間から、熱い息が漏れた。
低い唸りが三つ重なる。
ロンが一歩下がる。
「犬って、一匹だよな?」
「頭は三つある」
「それ、先に言えよ!」
「だから右へ行くなと言った」
扉の向こうで、重い爪が石床を引っ掻く。
鍵が僅かに震える。
以前のフラッフィーは、扉を破壊しなかった。
だが、今回も同じとは限らない。
「離れるぞ」
三人は足早に廊下を去った。
偶然の遭遇は避けた。
扉を開けてもいない。
フラッフィーの姿も見ていない。
だが、ロンとハーマイオニーには、何かが隠されていると知られてしまった。
「ハリー」
階段を下りながら、ハーマイオニーが言う。
「あなた、あの犬のことを知っていたわね」
「噂で聞いた」
「誰から?」
「上級生」
「何という名前の上級生?」
「覚えてない」
「また?」
もう限界だった。
すべてを上級生の噂で押し通すのは無理がある。
「今は話せない」
「危険じゃないって言ったでしょう」
「危険なのは、僕が知っていることじゃない。あの廊下へ近づくことだ」
「どうして学校の中に、あんなものがいるの?」
ロンが言う。
「何か守ってるんじゃないか?」
一度目と同じ推測。
ハリーは否定しなかった。
「何を守ってるんだ?」
「調べる必要はない」
「でも気になるだろ」
「気になっても、近づかない」
「お前、本当にグリフィンドールか?」
「最近そればかり聞かれるな」
結局、ネビルはトロフィー室の近くで見つかった。
マルフォイは現れず、フィルチから逃げる途中で迷い、動く階段に別の階へ運ばれていたらしい。
怪我はなかった。
マクゴナガルから厳しく叱られ、グリフィンドールは二十点を失った。
ハリーたちも、無断で捜索したことを注意された。
ただし、ネビル発見への協力を理由に減点は免れた。
事件はそれで終わった。
少なくとも、表向きは。
その夜。
必要の部屋で訓練を終えたハリーは、一人で考え込んでいた。
フラッフィーとの遭遇を避けても、存在はロンとハーマイオニーに知られた。
未来は、完全に同じ道を通らなくても、似た場所へ収束しようとしているように見える。
偶然か。
それとも、自分が知識を持っているから、無意識に同じ方向へ選択しているのか。
「面倒だな」
机の上には、ティビーが用意した紅茶がある。
「ハリー・ポッター様は、あの大きなわんちゃんを気にしておいでですか?」
ティビーが尋ねた。
「知ってるのか?」
「厨房の妖精たちは、皆存じております。ハグリッド様がお連れになりました」
「妖精たちは、あの下に何があるかも知っている?」
ティビーの耳が下がった。
「校長先生より、お話ししてはならないと命じられております」
「分かった。無理に聞かない」
屋敷しもべ妖精への命令を利用するつもりはない。
それに、答えは知っている。
「代わりに頼みがある」
「何なりと」
「紫色のターバンを巻いたクィレル先生が、夜中にどこへ行くか分かる?」
ティビーが首を傾げる。
「クィレル先生は、最近よく校内を歩いておいでです」
「四階にも?」
「はい」
やはり動いている。
「近づく必要はない。見かけた時だけ、どこへ向かったか教えてほしい」
「承知いたしました」
「危険を感じたら、すぐ逃げること。追跡はしなくていい」
「妖精は、クィレル先生を恐れません」
「僕が恐れる。君に何かあれば困る」
ティビーの目に涙が溜まる。
「ハリー・ポッター様が、ティビーを心配してくださいました!」
「泣かなくていい」
「ティビーは幸せ者でございます!」
声が大きい。
「静かに」
「申し訳ございません!」
ハリーは紅茶を飲んだ。
フラッフィーの部屋へは行かない。
教師たちの仕掛けも、今は確認しない。
ロンとハーマイオニーにも調査させない。
クィレルだけを監視する。
賢者の石を守るために、十一歳の子供が危険な仕掛けへ挑む必要など、本来はない。
教師へ任せればいい。
ただし、教師たちが失敗することは知っている。
だから最後には、自分が動く。
必要な時だけ。
確実に。
「前世と同じことをする必要はない」
ハリーは自分へ言い聞かせた。
だが、その翌朝。
朝食の席へ、ティビーが誰にも見えないよう小さな紙片を届けた。
紙には、震えた文字で一行だけ記されていた。
『クィレル先生が、昨夜、三つ頭のわんちゃんの前で、誰かとお話をしておりました』
ハリーは紙を握りしめた。
誰か。
クィレルは、常に一人ではない。
後頭部にいるヴォルデモートと話していた可能性が高い。
だが、妖精の目から見ても「誰かと話している」ように見えたのなら。
ヴォルデモートの存在が、前世より早く表へ出始めているのかもしれない。
ハリーは教職員席を見る。
クィレルが、いつものように怯えた顔で食事をしている。
視線が合った。
クィレルは微笑んだ。
その笑顔の奥。
ターバンの後ろから。
もう一つの意識が、ハリーを見返している気がした。
フラッフィーを避けることはできる。
だが、ヴォルデモートの方が近づいてくる可能性までは、考えていなかった。