「……うん、これでまとまったかな。こんな時間までごめんね、阿良々木くん」
相変わらず律儀なやつだ。委員会関係なら、責任の半分は僕にもある。それなのに、自分一人の責任であるかのように振る舞うのは羽川の悪い癖といえる。
そういった真面目な姿勢は本来なら見習うべきなんだろうけれど、僕に言わせればもう少し肩の力を抜いた方が健全──それこそ、高校生らしいってもんだろう。
「いや、これは僕の仕事でもあるんだから、お互い様ってやつだ。むしろお前とお喋りできてお礼を言いたいくらいだぜ。ちょうど寝れなかったところだしな」
これは気を使ったのではなく、本心である。さっきまでの後悔はどこかに飛んでいって、今となってはむしろ感謝の念すら湧いている。
「ふーん?寝れないだなんて珍しいこともあるんだ」
「おいおい、僕のことをなんだと思ってるんだ。寝れない夜だってあるのさ。……まあ、今日のところはコーヒーを飲み過ぎただけなんだけどな」
「今日のところはって……阿良々木くん、コーヒーなんて飲むっけ」
「なんてって、失礼な言い方をするやつだな……僕ほどコーヒーが似合う男もなかなかいないだろう?」
「へえ、似合うんだ」
電話越しなのに、揶揄うような顔が目に浮かぶ。
楽しそうだ。
「……なんだその反応」
「だって阿良々木くん、自分からコーヒーを淹れるような人には見えないもの」
鋭いやつだ。僕にコーヒーのこだわりなんてあるわけがない。少なくとも少し前の僕なら、あんな苦いだけの飲み物を好むなんて気が知れない、と言っていただろう。
「いやいや、人は変わるんだよ」
「わかった。神原さんからお裾分けしてもらったんでしょ」
「な、なんで分かったんだ!?」
「お、当たった?」
「しまった!」
どうやら僕は、羽川に隠し事はできないらしい。春休みも、ついこの間も──こうして、今日だってそうだ。
こうなれば、もう負けを認めるしかない。
だから僕は、諦めにも似た敬意を込めて、いつも通り賞賛する。
「本当に、お前はなんでも知ってるな」
「戦場ヶ原さんが言っていたのよ、神原さんからいい豆を譲ってもらったって。それなら阿良々木くんもそうかなって思っただけよ。だから」
──何でもは知らないわよ、知ってる事だけ
そして羽川も、お決まりの文句で締めくくるのだった。
「流石は羽川だな、それで合ってるよ」
「流石って程でもないけどね。それで、飲んでみてどうだった?」
「どうって、なにが?」
「なにって、飲んでみた感想よ。阿良々木くんはコーヒーがあまり好きじゃなかったらしいけど、お気に召したのかなって」
「お気に召すって……まあ、美味かったな。正直言って信じられないくらいだ。コペルニクス的転回って、こういうことを言うんだな」
危うく「エウレーカ!」と叫ぶところだった。……いや、それはアルキメデスか。
「また大袈裟な……でもそれなら良かった。豆だけじゃなくて、煎り方、淹れ方なんかでも全然違うしね。よく知らないまま嫌いになるのは勿体ないから」
「──へぇ、コーヒーって奥が深いんだな。苦いか苦くないかくらいしか違いがないと思ってたよ」
神原から貰ったやつはそこまで苦くなくて飲みやすかったな、と付け加える。
「大雑把だね。飲みやすいと感じたなら、産地の影響が大きいかな?例えばブラジル産は癖が少なくて飲みやすいことが多いよ。エチオピアだと果物みたいな酸味があったりするし」
「ああ、確かブラジル産だって言ってたな」
「あとは焙煎の仕方。神原さんが選んだのなら、きっと中深煎りなんじゃないかしら」
「中深煎り?」
「あら、興味が湧いてきた感じ?」
「まあな」
「珈琲豆ってね、煎り方で味が変わるの。浅煎りは酸味が出やすくて、深煎りは苦味が強くなる。そのちょうど中間くらいなら、苦味も酸味も穏やかで飲みやすいのよ」
「なるほどなぁ。そう聞くと、もう一杯と言わず、色々と飲み比べたくなってくるな」
我ながら単純というか短絡的というか、羽川の話を聞いているうちに、もう興味を持ち始めている。
これでちゃんと眠れれば最高だったんだが……
「こうして飲み比べたくなってきたのはいいとしてさ、コーヒーって、やっぱりカフェインは気を付けた方がいいのか?」
「そうだね。コーヒーの話をするなら、避けては通れないよね」
「現に、今の僕みたいに、眠れなくなるっていうのはよく聞くだろう?」
「真っ先に思い浮かぶのはそれだよね。でも、良い影響もあるんだよ?」
「そうなのか」
てっきり悪影響ばっかりかと思っていたのだが、そうではないらしい。
「阿良々木くんは眠れないって言ってるけど、それこそ見方を変えたらメリットでしょう」
「カフェインは脳のアデノシンっていう物質の働きを抑えるから眠気を感じにくくなるんだけど、軽い眠気覚ましって考えたら嬉しい効果じゃない?」
「確かにな」
「それから、適量なら集中力が上がるって言われているよ。だから勉強や仕事の前に飲む人も多いの」
僕だって受験の追い込みでエナジードリンクを飲んだことくらいある。当時はそういうもんだろうと思っていたが、説明されると妙に納得してしまう。
「あとは気分転換とかね。意外かも知れないけど、良い面も少なからずあるのよ」
「便利なもんだな」
「でも、その便利さに頼りすぎると問題なの」
表裏一体。薬も過ぎれば毒となるように、便利さだけを享受することはできない。
「……依存、か」
僕が一番気になっていたことだ。
心や体が、特定のものを繰り返し求めるようになった状態──依存。
コーヒー程度では、縁遠い問題かもしれない。それでも、戦場ヶ原の事情を知っている僕としては、気をつけておきたいところだった。
「カフェインは、アルコールやニコチンほど強力な依存性があるわけじゃないんだけれどね」
「だからこそ怖いって、私は思うよ」
「……どういうことだ?」
「ほら、危険なものって、ちゃんと気をつけようと思うよね。酒、煙草、ギャンブル──違法薬物とか、その最たるものでしょう」
「でも、そうじゃないからこそ、つい油断してしまう」
「自分は大丈夫、ちょっとくらい、1日くらい、もう少し──こうやって、どんどんエスカレートしていく」
「そうして気づいた時には、もう手遅れ── 『習慣』だと思っていることが、いつの間にか『依存』になっている。それって、凄く恐ろしいことじゃない?」
依存というのは、見てわかる行き止まりのようなものではないらしい。道の続きだと思って進んでいるうちに、気づけば引き返せないところまで来ている。
身につまされる話だ。
「依存すること自体を悪と断罪するつもりはないよ」
「誰だって何かに支えられて生きているから」
「……耳が痛いな」
「ふふ。そう思えるなら、大丈夫だね」
「でも、その支えがなくなった途端に立てなくなるなら、そのときは──立ち止まって考えた方がいいかもしれないね」
ここまで話して羽川は、ふう、と一呼吸おいた。
「オチもついたところだし、そろそろお開きにしよっか」
「……ああ、勉強になったよ。それじゃあ」
また明日、と言いかけたところで、羽川から
「最後にひとつだけ、いいかな」
と、呼び止められたのだった。
今日、阿良々木くんが眠れなかったのって……本当にコーヒーのせいなのかな?
依存って、得てして自分では気づけないものだから──
──だから、考えてみてね。
「それじゃあ、また明日」