なお、かまぼこ板である ~漆塗りの黄金雷と「たんぐすてんばぁ」を公募へ送るまで~   作:ヒツジ(ラム肉

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現代日本。

食べ終えれば捨てられることの多い、小さな木の板がある。

かまぼこ板である。

世の中には、その板へ絵を描き、作品として送り合う公募が存在する。

花を描く者がいる。

動物を描く者がいる。

家族や故郷の風景を、小さな板の中へ残す者もいる。

どれも自由で、温かく、実にかまぼこ板絵らしい作品である。

これは、そんな公募を見つけた一人の物づくり好きが、

「普通に描いても面白くない」

と思ってしまったことから始まる話だ。

なお、その判断を止める者はいなかった。



第一話 普通に描いても面白くない

かまぼこ板絵の公募があるらしい。

 

新聞の片隅だったか、インターネットの広告だったか。

 

今となっては、どこで見つけたのかもよく覚えていない。

 

ただ、小さな木の板に絵を描き、それを送ればよいという内容だけは、妙に頭へ残った。

 

「かまぼこ板か」

 

食べ終えた後には、だいたい捨てられる。

 

少し工作好きな家庭ならば、子供の名札や小物の材料になるかもしれない。

 

だが、大抵は白いかまぼこの名残を薄く残したまま、燃えるゴミへ送られる運命である。

 

その板を一枚の作品にする。

 

なるほど。

 

悪くない。

 

素材の大きさも手頃だ。

 

保管場所にも困らない。

 

何より、失敗しても痛くない。

 

高級な木材へ絵を描いて失敗すれば、材料を無駄にしたという罪悪感が残る。

 

しかし、かまぼこ板ならば、

 

「まあ、元はかまぼこ板だし」

 

という一言ですべてが許される。

 

実に優れた素材である。

 

私は、募集要項を眺めた。

 

年齢制限は特にない。

 

画材も自由。

 

かまぼこ板を使っていれば、絵画でも工作でも構わないらしい。

 

実物の板をそのまま使ってもよいし、複数枚を組み合わせてもよい。

 

自由。

 

実に心躍る言葉である。

 

だが、自由と言われると困る。

 

描きたい絵が、特にない。

 

花を描くか。

 

猫を描くか。

 

風景を描くか。

 

かまぼこそのものを描くという手もある。

 

かまぼこ板に、かまぼこを描く。

 

少し面白い気もした。

 

しかし、おそらく誰かが既にやっている。

 

長く続いている公募であれば、花も猫も風景も、かまぼこも、すべて一度は描かれているだろう。

 

人間の想像力は無限と言われるが、かまぼこ板の表面積には限りがある。

 

私は机の上に、使い終えたかまぼこ板を一枚置いた。

 

洗って乾かしただけの、何の変哲もない板である。

 

木目がうっすらと走っている。

 

四隅は丸く、裏側には食品メーカーの焼き印が残っていた。

 

普通に絵を描くならば、まず表面を紙やすりで整え、下地を塗り、その上から絵の具を乗せればよい。

 

難しいことではない。

 

問題は、何を描くかである。

 

「……普通に描いても、面白くないな」

 

思わず、声に出た。

 

別に、普通の作品を否定するつもりはない。

 

上手な人が描けば、かまぼこ板一枚にも見事な景色が生まれるだろう。

 

小さな板の中へ、海や山や人の顔を収める。

 

それはそれで立派な技術である。

 

だが、私がそれをやっても、せいぜい、

 

「かまぼこ板に絵を描きました」

 

で終わる。

 

それでは、少々寂しい。

 

せっかく公募へ送るのだ。

 

見た者が、ほんの少し首を傾げるものがよい。

 

何を描いたのかではなく、

 

「なぜ、かまぼこ板にそれをした」

 

と思われるもの。

 

私は板を指先で転がした。

 

薄い。

 

軽い。

 

柔らかい木だ。

 

削ることもできる。

 

焼くこともできる。

 

穴を開けることもできる。

 

絵を描くための板ではあるが、板である以上、絵の具以外の方法も使える。

 

例えば、彫刻。

 

細い刃物で木目に沿って溝を刻み、その中へ色を入れる。

 

悪くはない。

 

だが、手彫りの線は、どうしても人間の意図が見える。

 

綺麗にはなるだろう。

 

しかし、少し整いすぎる。

 

もっと、こちらの思惑を無視して勝手に走るような線が欲しい。

 

自然にできたようで、自然には存在しない模様。

 

そこで、ふと思い出した。

 

板へ電気を流し、表面に雷のような焦げ跡を作るものがある。

 

以前、映像で見たことがあった。

 

木の表面へ何やら液体を塗り、二本の端子を置く。

 

電気を流すと、黒い焼け跡が枝分かれしながら伸びていく。

 

細い線が集まり、別れ、互いを探るように進み、やがて一つにつながる。

 

まるで、板の中へ小さな雷を閉じ込めたような模様だった。

 

「あれを使えばよいのではないか」

 

かまぼこ板へ電流を流す。

 

表面に、雷のような跡を刻む。

 

それなら、筆で描いた線とは違う。

 

同じものは二度と作れない。

 

電気が勝手に走り、板の上へ偶然の形を残す。

 

公募作品としても、目には留まるだろう。

 

私は板を縦に置いた。

 

上から下へ、一本の太い線。

 

そこから左右へ無数の枝が伸びる。

 

小さな板いっぱいに、黒い雷が広がる。

 

想像してみると、なかなか悪くない。

 

普通の絵ではない。

 

だが、板の上に模様を作るという意味では、立派な絵である。

 

少なくとも、応募要項の「表現方法は自由」という一文には逆らっていない。

 

「よし」

 

方向性は決まった。

 

かまぼこ板へ電流を流し、雷の模様を作る。

 

これならば、ただ絵の具を塗るより面白い。

 

見た者も、一瞬は驚くはずだ。

 

私は満足しかけた。

 

そして、頭の中に完成した板を、もう一度思い浮かべた。

 

白い木の表面。

 

そこへ走る、黒く焦げた枝分かれ。

 

雷のようではある。

 

確かに、インパクトはある。

 

だが。

 

「……これ、電気を流しただけだな」

 

急に、冷静になった。

 

板へ電流を流せば、雷の模様ができる。

 

面白い。

 

珍しい。

 

動画にすれば見栄えもするだろう。

 

しかし、完成したものだけを見れば、黒く焦げた板である。

 

技法の説明を聞けば驚く。

 

制作過程を見れば楽しい。

 

だが、作品そのものに、技法以上の美しさがあるかと問われれば、少し怪しい。

 

放電の跡だけでは、実験の結果をそのまま置いただけに見える。

 

「木へ電気を流しました」

 

確かに普通の絵より面白い。

 

だが、それだけで終われば、今度は別の意味で物足りない。

 

私は腕を組み、机の上のかまぼこ板を睨んだ。

 

雷のような線。

 

偶然に生まれる枝。

 

焦げた溝。

 

その形を、もう一段、美しいものへ変える方法はないだろうか。

 

黒い焼け跡を、ただの焦げ跡ではなく、本当に光っているように見せる。

 

雷なのだから、暗い線ではいけない。

 

夜を裂く光であるべきだ。

 

白か。

 

銀か。

 

それとも――。

 

そこで、別の工芸が頭に浮かんだ。

 

割れた器の傷を、漆と金粉でつなぐ技法。

 

壊れた跡を隠すのではなく、金色の線として目立たせる。

 

金継ぎ。

 

焦げた溝を、金色で埋める。

 

電流が刻んだ傷を、黄金の雷へ変える。

 

私は、かまぼこ板を持ち上げた。

 

「そうだ」

 

板に電流を流す。

 

その跡へ、金粉を流し込む。

 

金継ぎのように。

 

漆黒の中を、黄金の雷が走る。

 

ようやく、最初の絵が見えた。

 

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