なお、かまぼこ板である ~漆塗りの黄金雷と「たんぐすてんばぁ」を公募へ送るまで~   作:ヒツジ(ラム肉

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二枚のかまぼこ板は、無事に審査を終えた。

一枚目は、黒漆の奥に沈む黄金の雷。

裏には、葵漆の中に浮かぶ真珠の樹。

側面には紅漆。

二枚目は、金色に磨き上げられた偽のインゴット。

表には『000,0』『1000g』『Fake Ingot』。

裏には、黒いマジックで、

『たんぐすてんばぁ』

審査員たちは首を傾げた。

だが、どちらも応募規定には違反していない。

こうして二枚は、他のかまぼこ板絵と共に展示されることになった。

あとは、見る者に任せるだけである。



最終話 二枚のかまぼこ板絵?

 

展示会場には、無数のかまぼこ板が並んでいた。

 

壁一面。

 

棚の上。

 

ガラスケースの中。

 

小さな板の上に、花が咲いている。

 

猫が丸くなっている。

 

海が広がり、山がそびえ、町並みが続いている。

 

家族の顔。

 

故郷の景色。

 

祭りの記憶。

 

空想の生き物。

 

子供が描いた、色のはみ出した大きな太陽。

 

長い時間をかけて描き込まれた、細密な風景画。

 

何枚もの板をつなぎ、一つの大作へ仕立てたものもある。

 

どれも同じような大きさの板でありながら、同じものは一つとしてない。

 

かまぼこの下に敷かれていた小さな木片が、全国から集まり、一つの会場を埋め尽くしていた。

 

その中に、二枚の板も並べられていた。

 

一枚目は、専用の小さな台へ立てられている。

 

表だけではなく、裏にも作品がある。

 

そのため、完全に壁へ固定することはできなかった。

 

正面からは、黒漆の面が見える。

 

照明を受けた黄金の雷が、深い黒の中で光っていた。

 

真正面から見ると、中央の太い筋だけが強く見える。

 

少し横へ動くと、今まで見えなかった細い枝が浮かび上がる。

 

さらに角度を変えると、先ほどまで見えていた金が黒の中へ沈む。

 

立ち位置によって、雷の形が変わる。

 

実際には何も動いていない。

 

見る者の方が動くことで、光だけが現れたり消えたりしている。

 

最初に足を止めたのは、年配の女性だった。

 

花や風景の作品を一枚ずつ眺めていた彼女は、黒い板の前で歩みを緩めた。

 

顔を近づける。

 

少し離れる。

 

左右へ半歩ずつ動く。

 

「まあ」

 

小さく声が漏れた。

 

隣を歩いていた男性も立ち止まる。

 

「雷かね」

 

「金継ぎみたいね」

 

「割れてはいないようだが」

 

作品説明を読む。

 

電流によって刻まれた模様。

 

金粉。

 

黒漆。

 

研ぎ出し。

 

男性はもう一度、板を見た。

 

「かまぼこ板に電気を流したのか」

 

「そう書いてあるわね」

 

「なぜ」

 

「普通に描いても面白くなかったからですって」

 

女性は説明文の一行を指差した。

 

男性は少し黙った。

 

「なるほど」

 

何に納得したのかは分からない。

 

だが、そのまま二人はしばらく黄金の雷を眺めていた。

 

次に来たのは、子供を連れた家族だった。

 

子供は、遠くから金色の模様を見つけると、すぐに近寄った。

 

「これ、ピカピカしてる!」

 

正面から覗き込む。

 

横へ動く。

 

また戻る。

 

「消えた!」

 

「角度で見え方が変わるんだよ」

 

父親が説明する。

 

子供は何度も左右へ行き来した。

 

黄金の枝が現れるたびに笑う。

 

そのうち、展示台の横から覗き込み、細い紅色を見つけた。

 

「ここ、赤い!」

 

「側面にも漆を塗ってあるみたいだね」

 

「裏は?」

 

作品説明には、裏面の存在も書かれている。

 

子供は展示係を見た。

 

「裏も見たい」

 

係員は少し困った。

 

作品は台へ固定されているが、裏面が見られないわけではない。

 

安全のため、観客が自由に触れることはできない。

 

だが、一定の時間ごとに作品を回転させ、裏面を見せる予定になっていた。

 

「もう少ししたら、裏にしますよ」

 

子供はその場を離れなかった。

 

他の作品を見に行こうとする母親の手を引き止める。

 

「待つ」

 

「ずっと?」

 

「裏を見る」

 

結局、家族全員で待つことになった。

 

やがて係員が手袋をつけ、板を慎重に回転させた。

 

黒漆の夜が隠れ、葵色の面が現れる。

 

黄金の雷とはまったく違う、真珠の白い枝。

 

照明の下で、白がわずかに青や桃色を返す。

 

子供は目を見開いた。

 

「木になった!」

 

同じ模様ではない。

 

表と裏に別々に電流を流している。

 

だが、金色の雷と白い樹という見立ての違いは、子供にもすぐ伝わったらしい。

 

「雪の木だ」

 

母親も顔を近づける。

 

「こっちは静かね」

 

「表と全然違うな」

 

父親は側面の紅を見た。

 

「間まで塗ってある」

 

「全部だ」

 

子供が言った。

 

「全部、絵だ」

 

その言葉を聞いた係員は、少し笑った。

 

審査中、これは絵なのかと何度も議論された。

 

子供にとっては、表も裏も側面も、すべて絵であるらしい。

 

分類というものは、見る者が幼いほど簡単になることがある。

 

一枚目の前には、その後も人が立ち止まった。

 

技法を熱心に読む者。

 

漆の艶を覗き込む者。

 

表より裏を好む者。

 

裏より表を好む者。

 

紅の側面が一番よいと言う者までいた。

 

「これを器でやったら面白いな」

 

「でも、かまぼこ板だからよいのでは?」

 

「確かに」

 

そんな会話も聞こえた。

 

高級な木材へ同じことを施せば、立派な工芸品になるだろう。

 

だが、素材がかまぼこ板だからこそ、技法との落差が生まれる。

 

必要以上の手間。

 

必要以上の素材。

 

必要以上の仕上げ。

 

それらをすべて受け止めているのが、食べ終えれば捨てられていたかもしれない一枚の板だった。

 

見る者は、感心した。

 

美しいと言った。

 

手間をかけすぎだとも言った。

 

そして、多くの者が最後に、

 

「なぜ、かまぼこ板で」

 

と首を傾げた。

 

答えは、普通に描いても面白くなかったからである。

 

     ◇

 

一枚目の隣には、二枚目が置かれていた。

 

金色の偽インゴット。

 

こちらは、手に取って裏返すことまで含めて作品である。

 

そのため、展示台には細い鎖がつけられ、観客が一定の範囲で持ち上げられるようになっていた。

 

ただし、最初から裏面は見えない。

 

表だけを上にして置かれている。

 

会場の照明を受け、樹脂で磨かれた金色の表面が、妙につやつやと光っていた。

 

遠目では、小さな金塊に見えなくもない。

 

近づけば、少し薄い。

 

角の丸さも、どこか柔らかい。

 

それでも、刻印があることで、ただの金色の板よりは堂々としている。

 

一人の若い男性が足を止めた。

 

一枚目を見た後、隣の金色へ視線を移す。

 

「金塊?」

 

すぐ横にいた友人が答える。

 

「かまぼこ板だろ」

 

「いや、それは分かるけど」

 

分かっているのに、確認したくなる。

 

男性は表面の刻印を読んだ。

 

丸の中にバツ。

 

「この印、何だ」

 

「不合格じゃないか」

 

「金塊に不合格印を入れるなよ」

 

その下。

 

『000,0』

 

二人とも黙った。

 

「純度?」

 

「零だな」

 

「何も入ってないな」

 

「木だからな」

 

さらに下。

 

『1000g』

 

男性は板を持ち上げた。

 

手が勢いよく上へ浮いた。

 

「軽っ!」

 

友人が笑う。

 

「一キロあるわけないだろ」

 

「書いてあるぞ」

 

「嘘だ」

 

最後に、

 

『Fake Ingot』

 

「偽物って自分で書いてある」

 

「親切だな」

 

表面だけで、既に十分おかしい。

 

だが、作品説明には、

 

『裏返してご覧ください』

 

と書かれている。

 

男性は友人と顔を見合わせた。

 

「まだあるのか」

 

板を裏返す。

 

金色の面。

 

黒いマジック。

 

曲がった平仮名。

 

『たんぐすてんばぁ』

 

数秒の沈黙。

 

二人は同時に吹き出した。

 

「何だよ、これ!」

 

「表はあんなに整えてあるのに!」

 

「マジックじゃないか!」

 

「最後の『ぁ』!」

 

男性は表へ戻した。

 

丸にバツ。

 

000,0。

 

1000g。

 

Fake Ingot。

 

再び裏。

 

たんぐすてんばぁ。

 

何度見ても落差が変わらない。

 

むしろ、表を確認するたび、裏の雑さが増したように感じられる。

 

「中身、タングステンなのか?」

 

友人が作品説明を読む。

 

「木、塗料、エポキシ樹脂、油性マジック」

 

「タングステン入ってないじゃないか」

 

「Fake Tungsten Barでもあるな」

 

「全部偽物じゃないか」

 

「かまぼこ板だけ本物だ」

 

二人はしばらく笑った後、もう一度板を展示台へ戻した。

 

そして、隣の黄金の雷を見る。

 

「同じ作者らしいぞ」

 

「嘘だろ」

 

「一枚目を作った後、一枚だけでは寂しかったから作ったって」

 

説明文の制作意図を読み、また笑う。

 

「寂しさの埋め方がおかしい」

 

その反応は、ほぼすべての観客に繰り返された。

 

遠くから見る。

 

金塊だと思う。

 

近づく。

 

刻印を読む。

 

怪しく思う。

 

持ち上げる。

 

軽さに驚く。

 

裏返す。

 

『たんぐすてんばぁ』

 

笑う。

 

多少の違いはあっても、順番はほとんど同じだった。

 

子供は、純度やタングステンの意味を知らなくても笑った。

 

大人が笑うのを見て笑う者もいた。

 

文字の響きだけで気に入る子供もいた。

 

「たんぐすてんばぁ!」

 

声に出しながら、何度も裏返す。

 

「これ欲しい!」

 

親にねだる者までいた。

 

「家で作れるんじゃない?」

 

「金色に塗るだけでは、こうはならないぞ」

 

「じゃあ、お父さんが磨いて」

 

親は、急に難しい顔になった。

 

一方で、真面目に考え込む者もいた。

 

眼鏡をかけた男性が、偽インゴットを手に取る。

 

刻印を一つずつ読む。

 

裏面も確認する。

 

作品説明にも目を通す。

 

「価値というものへの皮肉でしょうか」

 

隣にいた女性が首を傾げる。

 

「金色と刻印があるだけで、私たちは金塊として見ようとする。けれど、純度は零で、偽物だと最初から書いてある。裏にはタングステンを示す言葉がありながら、実際には木です」

 

「なるほど」

 

「記号と物質の乖離を――」

 

女性は制作意図の欄を読んだ。

 

『一枚では寂しかったため制作』

 

「一枚では寂しかったそうですよ」

 

男性は黙った。

 

もう一度、偽インゴットを見る。

 

「……それだけではないでしょう」

 

「そうかもしれませんね」

 

哲学は、完全には消えなかった。

 

だが、少し元気を失った。

 

別の観客は、最初から深く考えなかった。

 

「くだらない」

 

そう言いながら笑う。

 

「でも、よくできてる」

 

表面を指でなぞりたいのを我慢しながら、艶を見る。

 

刻印の位置も整っている。

 

数字も文字も、遠目では本物らしい形式を保っている。

 

そこまで丁寧に作った後で、裏へマジックを走らせた。

 

ふざけるために手を抜いたのではない。

 

手をかけた上で、最後だけ意図的に崩した。

 

そのことは、見る者にも伝わった。

 

だから、ただの落書きでは終わらない。

 

「これ、裏の字を綺麗に彫ってあったら、面白くなかったな」

 

誰かが言った。

 

「確かに」

 

別の者が答えた。

 

「雑だからよい」

 

「でも、雑に書くために表をあそこまで磨いたのか」

 

「そういうことだろう」

 

「なぜ」

 

「一枚では寂しかったから」

 

説明は、何度読んでもそこへ戻る。

 

     ◇

 

展示の終わりが近づく頃には、二枚の前に小さな流れができていた。

 

黄金の雷を見る。

 

裏の真珠の樹を知る。

 

側面の紅に気づく。

 

隣の金色を見る。

 

刻印を読む。

 

持ち上げる。

 

裏返す。

 

笑う。

 

二枚は、まったく異なる作品だった。

 

一枚目は、偶然に生まれた電流の跡を、美しい景色へ仕立てたもの。

 

二枚目は、ありふれた形と記号を重ね、価値ありげな偽物へ仕立てたもの。

 

片方は、見る角度で姿を変える。

 

片方は、見る距離と順番で意味を変える。

 

片方は、表裏と側面まで隙なく仕上げられている。

 

片方は、最後にマジックで雑に書かれている。

 

共通しているのは、どちらも同じ形の板から始まったこと。

 

そして、作者が途中で、

 

「これだけでは物寂しい」

 

と思い続けたことである。

 

放電跡だけでは物寂しい。

 

金粉を入れた。

 

金色だけでは物寂しい。

 

黒漆で覆い、研ぎ出した。

 

表だけでは物寂しい。

 

裏にも電流を流した。

 

同じでは芸がない。

 

真珠粉を入れ、葵漆で覆った。

 

側面だけ何もない。

 

紅漆を塗った。

 

一枚では寂しい。

 

偽の金塊を作った。

 

表だけでは遊びが足りない。

 

裏に『たんぐすてんばぁ』と書いた。

 

足りない場所を見つけるたび、手間が増えた。

 

そうして完成した二枚が、今、多くの人間の前に置かれている。

 

人々は立ち止まった。

 

顔を近づけた。

 

横へ動いた。

 

裏返した。

 

首を傾げた。

 

笑った。

 

美しいと言う者がいた。

 

くだらないと言う者もいた。

 

意味を考える者がいた。

 

何も考えず、『たんぐすてんばぁ』の響きだけを楽しむ者もいた。

 

どれも正しい反応だった。

 

作品が何を意味するのか。

 

なぜ、ここまで手をかけたのか。

 

そもそも、これは絵なのか。

 

最後まで、答えは一つに決まらなかった。

 

決める必要もなかった。

 

ただ一つだけ。

 

会場を訪れた誰もが、確かに理解できたことがある。

 

黒漆の奥で黄金の雷を光らせているものも。

 

葵漆の中へ真珠の樹を浮かべているものも。

 

純度『000,0』を掲げ、裏に『たんぐすてんばぁ』と書かれているものも。

 

すべての始まりは、同じだった。

 

なお、かまぼこ板である。

 

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